絶望を力にかえて
47 絶望を力にかえて
夜笑さんは、死んでしまった。
目の前に横たわっているのは、夜笑さんの遺体だ。
包帯などでグルグル巻きにされて、左腕しか見えない。
遺体の状態は、酷いものだったのだろう。
夜雲は、俺と夜摩には見せないように遺体を処置したのだ。
夜摩は、泣き叫んで失神してしまった。
今は、少女カシンの腕の中で静かにしている。
「此度は、このような事になってしまい・・・本当に申し訳ない」
そう言って、床に手をつく老人がいた。
修験者の装束を着た小柄な老人である。
この老人が、役小角だ。
顔には深い皺が刻まれ、長い白髪を肩に垂らしていた。
「まったくだよ・・・西の守りも放棄して、敵に寝返るとはね」
鶴姫は、立ち上がると黒鷹から煙草を受け取る。
「・・・弁解の余地もござらん」
小角は、手をついたまま肩を落とした。
「あの黒猫が理由なら、致し方あるまい・・・」
夜雲の声に力がない。
「あの黒猫、リト様の妹らしいけど・・・」
少女カシンが、膝に置いた夜摩の頭を撫でながら呟く。
「小黄泉様は、黄泉の使いです。邪界鬼の復活を支援しているのです」
小角は、体を起こし答えた。
「こう言っちゃなんだが、邪界鬼ごときのためにあんな化物が出てくるかね?」
鶴姫が、天井に煙を吐く。
「黄泉にも、色々あるようです・・・」
「蛇の娘も死んだんだ、あの疫病神を捕まえないといけない・・・黒猫の事もあいつは何か知っていやがる」
鶴姫は、吐き捨てるように言った。
「夜刀神様は、すでにご存知のはずだ。蛇の眷属が死んだのだから・・・」
夜雲は、そう言って変わり果てた夜笑さんの亡骸を見つめる。
「私が・・・私がもっと早く・・・しっかり止めていたら」
ユキさんが、着物の膝を掴んで悔しがる。
「やめろ・・・俺も同じだ」
皆、沈黙した。
俺は、夜笑さんに近づいて左手に鼻を近づけた。
ああ、夜笑さんの匂いだ。
おかしいな・・・悲しくてたまらないのに、涙が一滴も出てこない。
「もう、西は駄目だね・・・天狗の一族も落ちたものだ」
鶴姫は、蔑むような目で小角を見下ろす。
小角は、何も言わなかった。
いつの間に寝てしまったのだろう。
朝の光を感じて目覚めると、寝ていたことに気づいた。
嫌な目覚めだ。
戻って来たくはないない現実に、帰ってきてしまった。
でも、もう忘れてしまったけど、夢も悲しい夢であったように思う。
広い畳の部屋に布団がひかれ、そこにカシン、ユキさんら女性陣が眠っている。
俺は雄だけど、女性部屋に連れてこられたようだ。
傍らに誰かがいた形跡がある。
匂いを嗅ぐと、それは夜摩の残り香だった。
どこへ行ったのであろう・・・。
俺は、廊下に出て夜笑さんの遺体が安置されている部屋に向かう。
多分そうじゃないかと思ったが、その通りだった。
その部屋の前まで来ると、室内から声がする。
夜摩の声だ。
「姉ちゃん。俺、姉ちゃんみたいになりたかったよ・・・」
木戸が少し開いていた。
俺は、その隙間から中の様子をうかがう。
「姉ちゃんみたいに可愛くて、おっぱいでかくて、みんなに優しくて・・・」
夜摩は、夜笑さん亡骸の胸に顔をうずめていた。
「ごめんね・・・姉ちゃん。俺、男みたいになっちゃって・・・でも、良いんだ」
しばらく、夜摩の鼻を啜る音だけが聞こえた。
「男みたいに、俺は強くなる。夜雲兄ちゃんみたいに・・・いや、もっと強くなるよ」
「そして・・・姉ちゃんの仇は、絶対俺がとってやる・・・絶対に俺が・・・」
夜摩は、そう言って天井を見上げる。
その体がひと回り大きくなり、手足の爪が伸び額からは角が伸びた。
蛇王の技だ・・・。
「あいつだけは、許さない・・・」
夜摩の喉の奥の方から、おどろおどろしい声が漏れた。
夜笑さんの遺体は、この地で荼毘に付されることになった。
夜雲と夜摩だけが残り、他の者は縦浜に今日のうちに帰る。
残してきたリトの事も気になるし、カシンと鶴姫は急ぎやらなければならない事があるらしい。
ポッポがどうのこうの言っていたから、鳩のスーに関することかもしれない。
昼食を済ませ、俺たちは夜雲らに見送られて巨峰山寺を出立する。
粉々になった灯篭を傍目に、あの広場で別れの挨拶をしていたら、意外な人物がやってきた。
白い小袖に黒袴のいでたちで、現れたのは夜刀爺さんだった。
すぐにはわからなかった。
いつものニッカポッかに、藍染の半纏じゃないから・・・。
ゆっくりと門をくぐり、俺たちの元にやってきた夜刀爺さんは、まっすぐに夜雲を見て言った。
「苦労を掛けたな」
それを聞いた夜雲は、膝をついて平伏する。
「大変申し訳ありません・・・俺が・・・私が付いていながら、夜笑を死なせてしまいました」
正直、驚いた。
いつもジジイなどと呼んで悪態をついていた夜雲が、夜刀爺さんにこんな態度を見せるなんて思いもしなかった。
「お前の所為ではない。俺の責任だ」
夜刀爺さんは、片膝をついて夜雲の肩に手を置く。
「辛い思いをさせてしまった。すまなかった」
夜雲の顔の下にある地面に、ぽつぽつと黒いしみができる。
「お前も、夜摩をつれて東に戻れ」
夜刀爺さんはそう言って立ち上がると、夜笑さんの遺体が安置されているお堂に向かった。
「夜笑の事は、俺に任せろ」
背を向けたまま夜刀爺さんが言うと、夜雲は膝をついたまま夜刀爺さんの背に向き、再び平伏する。
「よろしく・・・お願い致します」
そう言う夜雲の声は、涙声だった。
「ちょっと待ちな!」
煙草を吹かしながら、鶴姫が夜刀爺さんを呼び止める。
「あんた、あの黒猫のことを知っていたね? 何なんだいあれは?」
夜刀爺さんは、立ち止まって肩越しに答えた。
「俺より詳しい奴がいるだろう。あいつに聞きな・・・あれはもう大丈夫だ」
夜刀爺さんは、再び歩き出す。
鶴姫は、鼻を鳴らしてその背を睨みつけた。
俺たちは、縦浜への帰路についた。
来た時と同じ、千代さんが運転する小型のバスに乗る。
夜摩はここに残ると、帰るのを渋ったが夜雲が説得して渋々バスに乗った。
夜雲は、少し元気になったようだ。
夜刀爺さんに会って、安心したのだろうか・・・。
帰りのバスは、行きのバスよりも暗くどんよりしていたけど、疲れていたのかすぐ寝てしまい縦浜には思ったより早く着いた。
すでに、あたりはすっかり暗くなっていて、高速道路を降りてすぐ俺たちはみんなで夕食を摂ろうという事になった。
場所は、前に鶴姫に連れてこられた鶴姫のなじみの店だ。
真っ暗な闇の中に、真っ黒に焦げた木壁の古い店の佇まいは、鶴姫の雰囲気によく合っている。
バスの運転は黒鷹に変わっていて、店の前で黒鷹以外の皆が降りた。
黒鷹は、近くの駐車場にバスを停めてくると言って去った。
前と同じ奥の座敷に通されて、席に着くなりすぐさま色々な料理が運び込まれた。
黒鷹が、手配してくれていたらしい。
俺と夜摩以外のみんなは、浴びるように酒を飲んだ。
会話もほとんどなくて、食事にもほとんど手を付けない。
酒ばかりが、次々と運ばれた。
黒鷹も合流して、婆さんと男が2人、娘が2人の5人が貪るように酒を呑んでいる。
「ねぇ、もう帰ろうよ・・・」
なんだろう・・・みんな何処か落ち着かない。
忙しなく酒を呑んでいる。
お家に帰りたくないのだろうか?
「シロ、お前・・・帰りたいのか?」
躊躇いがちに夜雲が訊く。
「もちろん! 夜雲は帰りたくないの?」
「いや・・・帰りたくないことはないが・・・その前にすることがあるだろう」
「すること?」
俺と夜雲の会話に、鶴姫はうんざりした様子で首を振る。
「あんたのガールフレンドが怖いのさ!」
「ガールフレンド? 誰?」
俺がそう答えると、鶴姫は項垂れる。
「リト様ですよ」
俺の向かいで、冷や酒を舐めていたユキさんが教えてくれた。
ガールフレンドなんてものでもないけど・・・。
何故怖いのだろう?
俺の疑問を、夜雲が察してくれたようだ。
仕方無さそうに語る。
「リト様は、夜笑を好まれておられたからな・・・」
あ・・・そうだよね・・・。
俺は、自分の鈍感に呆れた。
「リト様は、もう気付いておられるはずだ・・・」
言いにくそうに話す夜雲に、鶴姫はしびれを切らす。
「あの黒猫の姉だぜ、怖いよなー」
鶴姫の言いように、夜雲は立腹する。
「あたりまえだ! 恐ろしいさ! 悪いか」
「リト様、やはり怒っておられるでしょうか?」
2人のやり取りに、ユキさんが割って入る。
夜雲は、それには答えず冷や酒を飲み干した。
「怒ってるよなぁ」
酒臭いため息を、夜雲は吐き出す。
「まったく、辛気臭い男だぜ」
嫌味いっぱいに、鶴姫は煙草の煙を夜雲に吹き掛ける。
「そう言う婆さんだって、酒の減りが早いんじゃないか?」
問われた鶴姫は、答えることなく煙草を吸う。
「兄貴・・・怖くても・・・これは言わないと・・・」
今まで隅でオレンジジュースを飲んでいた夜摩が、ひっそりと言う。
「もうこんな時間だ・・・朝になったら行こう」
弱々しく夜雲は決断した。
それに賛同する者も、否定する者もいない。
「おい、酒をくれー」
障子戸を開けて、鶴姫が怒鳴る。
こいつら・・・何なんだ?
リトが怖いとか言っているけど、酒が飲みたいだけなんじゃないのだろうか・・・。
俺は、好き放題してるコイツらに少し腹が立った。




