恐怖と絶望、そして涙
46 恐怖と絶望、そして涙
身動きが取れない。
これは、恐怖によるものか・・・。
金縛りにでもあったように、全身が硬直している。
これは、俺ばかりではないようだ。
仲間たちも皆、苦痛に顔をゆがめている。
蛇王と呼ばれる夜雲ですらだ。
天狗たちも同様で、上位者であろう小柄な天狗も驚き慄いている。
広場の入り口にあたる古い門がある。
俺たちも、そこを通ってここに来た。
その門に、小さな影があった。
小さな小さな、黒い影。
それが、影でないことはすぐに分かった。
一度、見ていたからだ。
「小黄泉様! 何故ここに!」
小柄な天狗が叫んだ。
悲鳴のような声だった。
「ふざけんなよ、お前! 私が貸してあげた兵隊を、2人も駄目にしやがって」
ああ、コイツだ。
小さな黒猫が、チョコチョコとこちらに向かってくる。
「何なんだ・・・こいつは・・・凄まじい重圧だ・・・」
夜雲は、歯ぎしりをして必死に立っていたが、他の仲間たちは耐えきれずに膝をついている。
「こいつは無理だ・・・逃げるんだ・・・」
今まで見たことのないぐらい、鶴姫は顔をシワシワにして言った。
「コイツだよ・・・コイツがリトを・・・」
俺は、あの日リトがやられた光景をまざまざと思い出した。
その所為か、恐怖があの時より重い。
「この黒猫・・・まさか・・・」
夜笑さんとユキさんが、俺を見ている。
奥の建物から、老人が慌てて駆けてくるのが見えた。
「小角・・・やっと出てきた」
少女カシンが、苦痛に顔をゆがめながらも、走り来る老人に微笑む。
「あたしらが来たって、出迎えもしなかったくせに、慌てて出てきたよ」
言いながら、鶴姫は何か思いついたようだ。
「丁度良い」
そう言って黒鷹を呼ぶ。
役小角が、小柄な天狗を連れて小さな黒猫の小黄泉の前で膝まづいた。
「小黄泉様、大変申し訳ございません・・・私の責任に御座います」
小柄な老人が地に手をついて、小さな猫に平伏する姿は不可思議であった。
「そうだよ。お前の責任だ。そして、そいつの責任でもある」
小黄泉は、小さな天狗を睨みつけた。
「誠に申し訳ありません。しかしながら、この小柄若輩ゆえ、責は私に御座います」
小角は、必死に弁明する。
小黄泉は、俺たちに目を向ける。
「こんなのに手間かけて、バカじゃないの・・・」
その眼が、俺を見た。
「あら、この間の白猫じゃない・・・姉さんは元気?」
小黄泉はそう言って、ニタリと笑った。
「こいつ・・・こいつなのですね・・・」
夜雲を挟んで隣にいた夜笑さんが、ゆっくりと立ち上がる。
「こいつがリト様を―――」
夜笑さんは絶叫し、変身した。
「夜笑さん! ダメ! 落ち着いて」
ユキさんが、豹変する夜笑さんの袖をつかむ。
身体がひと回り大きくなり、手足が伸びて袖と裾からはみ出した。
手足は血管が浮き出て、爪が長く伸びどす黒い液体が滴っている。
白衣の袂ははだけ、乳房の谷間が露わになった。
2本の角が生え、顔はまさしく鬼の形相である。
これは・・・前に夜雲が見せた転人印可、本来の力を人型のまま行使する技だ。
「ダメだ! そいつを止めろ!」
鶴姫が叫ぶ。
「夜笑! やめろ!」
夜雲は、夜笑さんに飛びついて制止する。
「お前だけは・・・お前だけは許さない!」
夜笑さんは激昂して、制止する夜雲とユキさんを振り払い小黄泉に向かって飛びかかった。
毒爪を振りかざし、小黄泉の小さな身体に切りつける。
何かが爆発するような音がした。
小黄泉の身体が、一瞬膨れあがったような錯覚を覚える。
凄まじい衝撃の中、小黄泉の小さな体が夜笑さんの大きな体を蹴り飛ばす姿を見た。
夜笑さんの身体は、弾丸のようなスピードで飛ばされて、広場の隅にあった大きな灯篭をなぎ倒し、その先の小さな灯篭をいくつも粉砕して粉塵の中に消えた。
「夜笑!!」
夜雲が、夜笑さんを追って駆けだした。
少女カシンも、俺を抱いたまま身体を引きずるようにして続く。
鶴姫やユキさん、夜摩も続いた。
粉塵の中に、佇む夜雲の影が見える。
「・・・来るな」
夜雲が、言ったのであろう。
聞こえたが、意味がわからなくて歩みを止める者はいない。
「ダメだ! 来るな!」
夜雲が叫んだ。
粉塵が収まり、夜雲の姿が見える。
青ざめた険しい顔をしていた。
少女カシンは、立ち止まった。
そして、夜摩の手を掴んで引き戻す。
「何だよ。何すんだよ」
掴まれた手を、夜摩は引き払おうと暴れた。
「姉ちゃん! 夜笑姉ちゃん!」
必死に抵抗する夜摩を、後から来た黒鷹が抱き上げる。
「預かる」
黒鷹はカシンに言う。
カシンは頷いて、千代さんを呼んだ。
鶴姫とユキさんが、夜雲の元にたどり着いた。
首を振って、何かを見下ろしている。
3人が見下ろしている瓦礫の中に、夜笑さんの白い腕が見えた。
「任せたぞ」
少女カシンは、千代さんに俺を預けると夜雲と鶴姫、ユキさんの元に行く。
夜雲の傍で、カシンが項垂れるのが見えた。
突然、あたりが真っ暗になった。
いつの間にか、分厚い黒雲が空を覆っている。
「行け!」
鶴姫が叫ぶと同時に、黒鷹と千代さんが走り出す。
何が起きているのか、良くわからないけど・・・。
千代さんの腕の中で、俺は小黄泉を見た。
毛繕いをしている。
突然に、空から水が落ちてきた。
雨とは呼べない、大量の水が落ちてきたのだ。
衝撃で千代さんと黒鷹は、前のめりに倒れる。
轟音が鳴り響き、いくつもの雷が、周囲の木々や灯篭に落ちた。
木が裂け、灯篭が砕ける。
「あら・・・これは・・・まずい」
毛繕いをしていた小黄泉は、ずぶぬれになって空を見上げた。
「あんたたち、行くよ」
小黄泉が、リウともう一人の天狗に声をかける。
「この子たちは、返してもらうからね」
小黄泉は、平伏したままの老人と小柄な天狗に言う。
そして、寺院を去った。
黒鷹と千代さんは、小黄泉から逃げようとしたみたいだったけど、いなくなったのでその必要が無くなったようだ。
俺と夜摩を連れて、大きな建物の軒下に移動した。
雷は、遠くに移動したようだ。
雨も、小降りになった。
隣で、黒鷹に肩を抱かれた夜摩が泣きじゃくっている。
雨はしばらく振っていたけど、気にする者はいなかった。
夜雲と鶴姫とカシンは、無言で作業をしている。
瓦礫をどかしたり、布を使って何かをしていた。
ユキさんは、何をしているんだろう?
周囲を冷やしているように見える。
雨宿りをしていた俺たちの所に、小柄な天狗がやってきた。
「じいちゃんが、中に入れってよ」
小柄な天狗は、そう言って俺たちを屋敷の中に案内した。
土間に入ると、天狗はタオルを貸してくれた。
何故か担当が変わって、俺の体を黒鷹が拭いて夜摩は千代さんが拭いた。
「浴衣に着替えなよ。奥の部屋を使うと良い」
そう言って、天狗は初めて面を取り、自らの顔や髪をタオルで拭った。
「風呂に入ろうか? 先に女で入ろう。男はその後だ」
天狗は、綺麗な顔をしていた。
小柄と呼ばれていたのを思い出す。
顔立ちは幼いが、夜摩よりは少し年上のようだ。
雨に濡れた装束が身体に張り付いて、体つきからそう判断できる。
女たちがいなくなると、俺と黒鷹だけになった。
黒鷹は、俺を抱き上げると奥の和室に移動した。
調度品なんて何もない、畳だけがある広い部屋だった。
黒鷹は、そこで服を脱いで借りた浴衣に着替える。
たくましい体をしていた。
全身に刀傷がいっぱいある。
戸の開く音と、数人の気配が外から入ってくる様子が聞こえた。
作業を終えた夜雲らが、来たのだろう。
話し声はしない。
土間で身体を拭いているのであろう、そんな音が少しするだけだ。
しばらくして、夜雲と小角と呼ばれた老人が部屋に入ってきた。
「女性陣が風呂を出たら、我々も風呂にしましょう。冷えたでしょう?」
小角が言ったが、誰も答えなかった。
日が暮れて、俺たちは簡素な食事を提供された。
さっきまで争っていたのに、不思議だ。
食事の後、俺と夜摩を残して皆がどこかに行ってしまった。
何をしているのかは、だいたい察しがついているが考えないようにしていた。
夜摩も、きっと同じなのであろう。
やたらと俺に話しかける。
「ここさぁ、女人禁制って言ってんのに女の天狗いるじゃねーか」
「俺も女だけどさぁ、男みたいだから気付かれなかったかもな」
「飯、食わせてもらっておいてなんだけど、不味かったなぁ」
「小柄ってやつ、俺とそんなに歳変わらねーと思うんだけど、おっぱいでけーの。びっくりした」
どうでも良いことを、思いつくまま語っている。
俺は、何も答えなかった。
ただ、夜摩の膝の上で撫でられているだけだ。
部屋の外に人の気配がして、夜摩は黙り込んだ。
「夜摩、入るぞ」
夜雲がやってきた。
「準備が出来た・・・行こう」
夜雲がそう言っても、夜摩も俺も動けなかった。
夜摩の身体は、硬くなって小さく震えている。
どこに、何しに行くのかはわかっている。
でも、受け入れたくなかった。
ここを出たら、受け入れたくない現実が待っている。
「夜摩!」
夜雲は、語気強く夜摩の名を呼んだ。
しっかりしろと、その声は言っている。
夜摩は、俺を抱いたまま立ち上がった。
フラフラしていて、今にも倒れてしまいそうだった。
その肩を、夜雲が支えて歩く。
重い足取りだった。
廊下の先に木戸があり、中の光が漏れていた。
人のいる気配がする。
木戸の前で、夜摩は立ち止まった。
夜雲が戸を開けてくれたが、中に入れないし部屋の中を見ることもできなかった。
「行こう・・・」
夜雲が夜摩の背を押すが、夜摩は抵抗した。
俺も、行きたくない。
見たくない。
俺は、夜摩の腕の中でもがき逃れようとした。
「シロ! 夜摩だって頑張っているのに、お前は逃げるのか?」
夜雲に叱責され、俺は逃げるのをやめた。
そうだ・・・逃げたって・・・もう・・・。
夜摩は、恐る恐る室内へと入る。
板張りの部屋に、鶴姫と少女カシン、ユキさんの背が見えた。
室内には、蝋燭と香が焚かれている。
ユキさんが、冷気を放っているのかとても寒い。
鶴姫とカシンとユキさんの背の先に、白い布にくるまれた何かがあった。
頭の先から、足の先まで包帯で巻かれている。
左手の肘から先だけが、露わになっていて、それが夜笑さんの左腕であることはすぐわかった。
白く細い綺麗な腕だ。
あの腕で俺をよく撫でてくれた。
夜摩の膝が崩れ、俺は床に投げ出される。
物凄い絶叫が、俺のすぐ背後で放たれた。
いつも男の子みたいな夜摩が、ガラスを引っ掻くような甲高い声で叫んだ。
「夜摩! しっかりしろ!」
落ち着かせようと、夜雲と少女カシンが夜摩を抱きしめた。
なんだよこれ・・・。
なんなんだよ・・・。




