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天狗との試合 弐

44 天狗との試合 弐




 塚原卜伝つかはらぼくでん大祝鶴おおほうりつるとの試合が始まった。

 さわやかな青年の侍と、年老いた老女が木刀を構えて向かい合っている。

 奇妙な光景だ。


 似ているのは服装で、卜伝は漆黒の袴に白い小袖、鶴姫は濃紺の袴に白小袖だった。

 少し風がある。

 砂埃が舞い、2人の袴の裾が風になびいていた。


 いつ動いたのかわからなかったけど、いつの間にか2人は接近していた。

 卜伝は木刀を振り下ろしていて、鶴姫は卜伝の木刀に右手に持つ短い木刀を添わせて振り払うようにしている。

 そこから、激しい攻防が始まった。


 鶴姫は、短い木刀2本を両手に持ち、卜伝の体のすぐそばでそれを振るう。

 対する卜伝は、木刀を短く持ち峰や柄まで使って鶴姫の攻撃を受け流していた。

 超至近距離での攻防を嫌った卜伝は、後方に飛び退いて距離を取ろうと試みるも、鶴姫はそれを許さない。


 鶴姫の二刀流による乱撃を、卜伝が受け続けるという状況がしばらく続いた。

 状況が動いたのは、卜伝の不思議な技だった。

 打ち合いの最中、卜伝は突然木刀を手放した。


 鶴姫が、卜伝の諸手を狙った打ち込みを、木刀を放してかわしたのである。

 卜伝は、勢いあまって交差した鶴姫の腕を取り、背を向けて鶴姫に投げ技を仕掛けた。

 諸手をしっかりと掴まれた鶴姫の体は、宙にある。

 ここで見せた鶴姫の動きは、猫のようにしなやかでとても老人の成せる技とは思えなかった。


 鶴姫は、空中にて身をひるがえし、卜伝の後頭部に蹴りをみまい、その勢いで卜伝の体から宙返りをして離れのだ。

 蹴りを食らった卜伝は、たたらを踏んだが何とか堪え、すぐさま木刀を拾い鶴姫に向き直る。


「いやはや、これはたまげた」


 卜伝は、後頭部をさすりながら照れ笑いをする。


「闘いの最中に、白い歯を見せるもんじゃないよ」


 二刀を構える鶴姫が、卜伝を睨みつける。


「これは、失礼した」


 卜伝は、軽く頭を下げ詫びた。


「しかし、素晴らしい腕前に御座る。何たることか・・・」


 卜伝は、優しい目で鶴姫を見つめた。

 鶴姫は、何もしゃべらなかった。

 小さく肩が上下している。

 呼吸を整えているのだ。


「決して、そなたを嘲けたりしたわけではない。とても、嬉しかったのだ。其方と、今日ここで相見えたことを神に感謝いたす」


 卜伝が語り終える前に、鶴姫は攻撃を仕掛けた。

 卜伝の木刀を打ち払うと見せかけて、鶴姫は右手の木刀を投げる。

 卜伝は、顔を振ってそれをかわすが、その顔は虚を突かれたことに苦笑していた。

 反射的に、投げられた木刀を払おうと卜伝の木刀が跳ね上がる。


 そこに、鶴姫は小さな体を滑り込ませた。

 卜伝の腹の下に潜り込んだ鶴姫は、卜伝の股間を蹴り上げる。

 卜伝は、高く後方に跳躍してそれをかわすも、鶴姫の攻撃はまだ続く。

 体勢が整わない卜伝の体に、鶴姫は渾身の突きを放つ。


 しかし、その瞬間、今度は鶴姫が大きく飛び退いて、卜伝から距離を取った。 

 鶴姫は苦悶の表情を浮かべ、右の乳房の下あたりを手で押さえている。

 鶴姫が突きを放つ瞬間、体勢を崩しているふりをした卜伝が、当て身を放ったのだった。

 鶴姫には、短い木刀が災いした。

 短い分、深く接近し当て身の効果を増加させてしまったのだ。


「やるじゃないか・・・上手く誘いこまれた・・・」


 鶴姫は、苦笑する。


「ほら笑った。そなたも嬉しかろう?」


 にっこりと笑い、卜伝が言う。




「やっぱりすごいなぁ。お鶴さん」


 試合を見つめる少女カシンが、感嘆の声をあげた。


「鶴姫も侍なの?」


 俺は、夜摩の拘束から逃れて隣にやってきた少女カシンに飛び移った。


「いやぁ、お鶴さんは、巫女だけど・・・侍かな?」


 少女カシンは、首をひねって夜笑さんに答えを求める。

 巫女繋がりで、夜笑さんなら知っているのだろう。


「あの方は、身体は女ですが心は男だと仰っていました。子供のころから武将に憧れていて、自分専用の甲冑も持っているそうです」


 夜笑さんが、そう説明してくれた。


「じゃぁ、今は武将のつもりかな?」


 カシンが口をすぼめて疑問を投げかける。


「フフフ、どうでしょう? でも、大好きな家来をいつも引き連れて、女心も忘れていないと思いますよ」


 夜笑さんは、少し離れたところで観戦している黒鷹を見て言う。


「どういうこと?」


 少女カシンは、さらに困惑したようだ。

 俺はね、ちょっとわかった気がする。

 要は、鶴姫は鶴姫ってことだよね。




 鶴姫は、呼吸を整えると短い1本の木刀を両手で持ち、青眼に構えた。

 まるでほとんど宙に浮いているのではないかと思うほど、重量を感じさせない構え姿である。


「おお、なんと美しき姫君か・・・」


 感心したような、うっとりとした目で卜伝は鶴姫を見ていた。


「フン、婆さんにお世辞を言ったって、キャッキャと喜んだりはしないよ」


「いや、某には見える。若き日の其方の美しき姿が・・・麗しき姫君の姿よ・・・」


「ハッ、よくもそんな歯の浮くようなことを、すらすら言えるもんだね。寝ぼけているんじゃないか? 夢見るなら、寝んねしてから見な!」


 卜伝は、黙った。

 鶴姫も黙る。

 卜伝が頷くと、鶴姫も頷いた。

 鶴姫と同じように卜伝も青眼に構え、離れていた2人がじわりじわりと近づいていく。




「次で決める気だな・・・」


 夜雲が言った。

 真剣なまなざしで、卜伝と鶴姫を見ている。

 そこで、俺は少し疑問に感じた。


「ねぇ、夜雲はどっちを応援しているの?」


「ハッ? そりゃ・・・」


 答えながら、夜雲は困った顔をした。


「・・・どっちもだよ! この素晴らしい試合に、敵も味方もあるか」


 ぶっきらぼうな言い方をする。

 そんなものか?

 そう言うものなのか・・・。


 敵を応援している場合では無いと思うけど・・・。

 俺は、広場の中央で向き合う卜伝と鶴姫に目を戻した。

 確かに、敵同士が闘っているようには見えなかった。

 何故だろう?




 鶴姫と卜伝は、徐々に距離を詰めて行き、とうとうお互いの木刀が触れ合うぐらいまで近づいた。

 短い木刀の鶴姫に至っては、卜伝の木刀が額のすぐ上にまで来ている。

 そこで、ぴたりと動きが止まった。

 誰も動けなかった。


 固唾を飲み込むのさえはばかれるような、緊張の時間がしばらく続く。

 突然だった。

 二人が、同時に動いた。


 卜伝が木刀を振り上げると同時に1歩下がり、鶴姫は右前方に飛ぶ。

 それで、勝負は決した。

 鶴姫は、自分の額にぴたりと付いている卜伝の木刀の切先を、忌々し気に睨む。


「チッ、かわしたはずだが・・・」


「これが、神より承りし奥義なり」


「なるほど・・・」


 鶴姫は、姿勢を正すと卜伝に一礼した。

 卜伝も、木刀を収めると一歩下がって一礼する。




 最後は、何だったのか・・・。

 卜伝が、当たり前のように勝ち、鶴姫が当たり前のように負けた。

 俺には、そんな風に見えた。


 卜伝が退いて、振り上げた木刀をただ振り下ろしただけだ。

 その卜伝が振り下ろした木刀の下に、鶴姫がいた。

 ただ、それだけだ。


 あれだけ激しい攻防をした二人の闘いが、最後はあっさりと終わってしまった。

 夜雲も、夜笑さん、少女カシンやユキさん、みんな言葉が出ない様子である。

 拍手も、喝采もない。

 静かな幕切れだった。


 当の闘った2人は、広場の中央で睨みあったまま戻ってこなかった。

 何をしているのだろう?

 しばらくすると、鶴姫が投げた木刀を卜伝が拾い鶴姫に渡した。

 何故か2人は、再び木刀を構えて向かい合う。


 何が始まるんだ?

 俺を抱きなおして、少女カシンが2人の元に歩んでいく。

 その後を、夜雲や夜笑さんらがついて来た。


「すまねーな。負けちまった」


 木刀2本を、卜伝に向け構えている鶴姫が、俺たちに気づいて詫びた。


「いや、素晴らしいもの見せてもらった。勝ち負けなんて、無いに等しい」


 夜雲が言う。


「また闘うの?」


 俺は、カシンの腕の中から訊ねる。


「いや、そうではない。素晴らしい試合であったゆえ、かえりみようと思うのだ」


 卜伝は、にこにこと嬉しそうに言う。


「すまないねぇ、こいつの我がままに少し付き合ってやってくれ」


 そう言う鶴姫も、何だか嬉しそうだった。

 2人は、ゆっくりと木刀を振り体勢を入れ替えながら、この時はこうだったとか、こうしたかったと語らいながら闘いを再現した。

 それを、俺たちは取り囲んで見ている。


 なんだろうね。

 卜伝と鶴姫が、楽しそうに踊りを踊っているような・・・。

 それをみんなで、やはり楽しんで見ているの。

 そして、ゆっくりと降ろされた卜伝の木刀が、鶴姫の額にそっと触れた。

 2人は、黙って向き合い互いに礼をする。


「うむ。感無量である」


 卜伝は、満足そうにそう言って笑った。

 あ・・・。

 凛と立つ卜伝の体に、異変が生じた。

 武蔵坊弁慶の時と同じように、塚原卜伝の全身から湯気のような白い煙が立ち昇り始める。


「姫よ。美しき姫君よ。同じ時代に同じ大地で生きた同胞よ。最後に、其方に会えてよかった」


 さわやかに笑いながら、塚原卜伝はそう言い残して大地に吸われ消えていった。


「卜伝さん・・・」


 夜笑さんは、白衣びゃくえの袖で顔を覆う。

 泣きそうになるのを、堪えているようだ。

 ユキさんも、着物の袖で顔を隠す。


「卜伝・・・」


 夜雲は、悔しそうに歯を噛みしめる。

 鶴姫が指で合図を送ると、黒鷹がやってきて鶴姫に煙草を差し出した。


「あたしゃ、少し休ませてもらうよ・・・」


 鶴姫は、煙草を吹かしながらどこかへ行ってしまった。

 いつもなら、鶴姫の後を追いかけるはずの黒鷹が、何故かこの場にとどまる。

 遠くに、鶴姫の背が見えた。

 周囲の山並みを眺めながら、煙草を吸っている。






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