リトとバケモノ
4 リトとバケモノ
夜の夜刀神社に、不穏な空気が流れている。
傷つき倒れているドーベルマンのムサシから、ライデンたちワンコの窮地を知った。
俺とリトは、救出に向かうべく立ち上がるのだが・・・。
「早くいくにょー」
動けないでいる俺を、リトが急かす。
「そうしたいけど」
俺は、倒れているムサシが気になっている。
今は気を失っているだけだが、このまま放置したら死んでしまうであろう。
「あきらめるにょ。そいつは十分役割を果たしたにょ」
いつも舌足らずでホニョホニョ喋るくせに、たまにまともな発言をする。
「しかし・・・」
俺は、尻尾を踏まれているような気分で、ムサシから目を離せなかった。
「あら、こんばんはシロさん、リトさん」
女の声だった。俺は慌てて声の主を見る。
今朝がた見かけた巫女さんだった。
長い黒髪を背で束ね、黒縁の眼鏡をかけている。
「ああ、丁度良いところに!」
俺は、藁にもすがりたい気分だった。
なので、重要な事に気付かなかったのだ。
「おねぇさん。こいつを助けてほしいんだ!」
俺は、倒れているムサシを指さして救いを請うた。
「あら、大変。怪我をしているのね」
巫女さんは、しゃがみ込んでムサシの容体を観察する。
「わかったわ。私にまかせて」
艶のある声だった。
「ありがとう。ええとー」
そういえば、この巫女さんの名前は・・・。
「私は、夜笑この子の事はまかせて行ってらっしゃい」
夜笑と名乗った巫女は、そう言って微笑んだ。
俺は、夜笑さんに礼を言って走り出す。
リトはすでに走り出していて、俺はその尻を追う。
そして気付いた。
なぜ夜笑さんは、俺たちの名前を知っていたのだろう。
参道を出てしばらくした所で、俺はリトに追いついた。
「ムサシは、夜笑さんにお願いしてきたよ。夜笑さんって、あの巫女さんね」
「にゅー」
リトは、不思議そうに俺を見る。
「ああ、不思議だよね。あの人、俺たちの名前知っていたんだ」
「にゅー、リトはチロが不思議にょ」
ん? どういうことだろう。
「なんで?」
「あのワンコを、助けたそうだったからにょ」
「そうだよ。だから夜笑さんにお願いしたんじゃないか」
「にゅー、わかったにょー。それも良いと思うにょ」
なんだかリトの言っていることが腑に落ちないが、まぁムサシが助かればそれで良い。
「足高山は、この街を抜けてずーと先にあるんだ。とても走っては行けないよ」
俺は、大事な事を思い出した。
足高山は、いつも神社からも見えているのだけれどとても遠い。
「この間みたいに、バスに乗ろうか?」
どのバスに乗れば良いのかわからないけど、賭けるしかない。
「にゅー、アイツに頼るにょ」
リトは、そう言って左に急旋回した。
「え、え、誰?」
俺も慌てて急旋回、足の肉球がすりむけた。
リトが向かったのは、エスズ家電であった。
もう閉店の時間なのであろう。照明が減らされ、悲し気な音楽が流れている。蛍がなんたら、窓がなんたらと。
正面玄関に、小さなトラックが停められている。
その荷台に、大量の段ボールを加藤さんが険しい顔で積み込んでいた。
「まったくあのクソ店長め、かよわき女子を閉店間際までこき使いやがって」
リトは、一直線に加藤さんに向かって走って行った。
「カトー、お願いがあるにょー」
リトはそう言って、加藤さんに飛びつく。
「あら、にゃんちゃん。どうしたの!」
険しい顔をしていた加藤さんの表情が、一気にほころぶ。
「さっきのお釣りで、あちたか山まで連れてってほしいにょー」
リトは、さきほど加藤さんに渡した500円の事を言っているのであろう。
釣りなんてないし、そもそも足りていないだろうに。
「え、なになに? お腹すいたの?」
にゃーにゃー騒ぐリトに、加藤さんは困惑気味だ。
言葉が通じないのだから、仕方がない。
あれ、そういえば夜笑さんには通じていたような・・・。
「きゃぁー、そんなにスカート引っ張らないで! 破けちゃうー」
リトは、加藤さんのスカートに噛みついて、無理やり運転席に引きずり込んだ。
「ええ!どこか行きたいの?」
ちゃっかり助手席に座って、シートベルトを引っかき出そうとしているリトに、加藤さんが訊ねる。
「あちたか山にょ」
リトは、正面に見えている足高山を指した。
「ええと、まぁいいか。どうせゴミ捨てに行かないといけないし」
加藤さんは、クスクス笑いながら助手席の俺とリトに、しても意味のないシートベルトを掛けてくれた。
車は、走り出した。
エスズ家電の駐車場をでて、左に曲がってしばらくまっすぐ進む。
たびたび目の前の赤いライトが灯るたびに、車は停車する。
リトは、それが気に入らないらしい。
「にゅー、なんで止まるにょ!おそいにょー」
リトは、車が停まるたびに座席の上で飛び跳ねたり、叩いたりして騒いだ。
多くの車が交差する場所に来た。
加藤さんは、緑のランプを光らせて車を右に旋回させる。
「にゅー、そっちじゃないにょ!」
俺と一緒に助手席に座っていたリトが、加藤さんの握っているハンドルに飛びついた。
右に曲がろうとしていた車が、突然左に曲がる。
「きゃー、逆走逆走!!」
加藤さんは悲鳴をあげ、慌ててリトからハンドルを取り返す。
反対側に停まっていた車が、けたたましく大きな音を鳴らした。
「ゴメンナサイ!ゴメンナサーイ」
車は、タイヤを軋ませながら右に急旋回した。
車と加藤さんが平常を取り戻すと、リトは加藤さんに叱られた。
「ダメでしょ!急に飛びついたりしたら!」
「にゅー、ごめんにょ・・・」
加藤さんに叱られて、珍しくリトがしゅんとしている。
すごいな加藤さん。
リトより強いのかも。
あっちだこっちだ言いながら、俺たちは何とか足高山の麓についた。
麓といっても、周囲は住宅街だ。
人も結構歩いているし、ちらほらお店もある。
俺たちは、加藤さんに車のドアを開けてもらうと車外に飛び出した。
「ここでいいの? 私は戻らないといけないけど、あなたたち帰ってこられるの」
加藤さんは、心配そうに俺たちを見つめている。
「まぁ、いざとなったら何日かかけて歩いて帰るよ」
俺は、心配をかけまいとそう言ったが、加藤さんには通じない。
「カトーありがにょ」
リトはそう言って、山の中へ走り出した。
俺もその後を追う。
その背後で、加藤さんが何やら叫んでいた。
聞き取れなかったけど、応援してくれたのであろう。
険しい山道だった。
急な勾配に背の低い木々が、俺たちの行く手を阻んでいる。
いや、俺の行く手だけ阻んでいる。
リトは、阻むものなど気にしない。
全てを、薙ぎ払っていく。
俺は無理をせず、リトの真後ろを行くことにした。
急な山道を駆けあがり、しばらくするとリトが鼻をひくつかせる。
「血の匂いにょ」
確かに、山を降りてくる空気の中に血の匂いを感じた。
その時、遠くない前方から恐ろしい咆哮が発せられた。
身の毛がすくむ。
俺は、思わず立ち止まってしまった。
「な、なんだ!?」
リトも立ち止まって、俺を振り向く。
「なにか小動物にょ」
ちがうでしょう。
再びリトは走り出した。
少しは用心して行くのかと思いきや、全く変わらないスピードで駆け上っていく。
「ま、まってー」
危険に猛スピードで突っ込んでいくのも嫌だけど、置いて行かれるのはもっと嫌。
俺は、慌ててリトの後を追う。
すぐに開けた場所に出た。
杉の雑木林のようだ。
周囲に、多くの気配があった。
「おお、お前たち来てくれたのか」
声の主の方に近づくと、そこにはライデンがいた。
体のあちこちから血を流し、激戦を窺い知ることができる。
多くのワンコたちが、この先にいる何者かを取り囲んでいるようであった。
「大丈夫かライデン? 怪我をしているな」
俺は、ライデンのもとに歩み寄った。
傷ついたその姿を痛ましく感じる。
「ムサシが行ってくれたのだな。アイツは無事か?」
「ああ、無事だ。神社の巫女さんに手当を頼んできた」
俺がそう言うと、ライデンは目を丸くして俺を見た。まるで信じられないといった顔だった。
「どういう状況にょ」
少し前に立つリトが、振り向いてライデンに訊ねた。
「2匹喰われた。奴はまだ無傷だ」
ライデンが無念そうに言う。
周囲のワンコたちが、一斉に正面の闇に向かって唸り声をあげた。
大きな存在が動く気配がする。
ドスンっという地響きが、大地と周囲の木々を震わせる。
「な、なんなんだ」
俺は、震えた。
怖い。めちゃくちゃ怖い。
闇の中から、その存在が影となって姿を現した。
まるで、大木のようであった。
樹齢1000年を超えるような大木が、突然目の前に現れたかのようである。
その巨大な影は、再び咆哮を放った。
全身が痺れて硬直した。
そして、木隠れから時折射し入る月光に照らされ、その姿が闇の中に映し出された。
「クマだ」
ライデンが、唸り声をあげながら言う。
「クマって、あんなにでかいのか」
俺は、ガクガク震える舌を嚙切らないように気を付けながら訊く。
「この辺りで、見ることがあったとしても、それはツキノワグマだ。しかし、あいつは違う」
「ち、違うって? あいつは何なの?」
「ヒグマだ。それも最大級のヒグマだ」
おかしいでしょ!
ヒグマなんて、こんな所にいる訳ないでしょう!
「北の山奥から降りてきたかにょ」
リトがヒグマを眺めながら、不思議そうに首を傾げている。
いやいや、もう少し慌てなさいよ。
「理由はわからないが、そんな所だろう」
ライデンは、周囲のワンコたちに目くばせをする。
ワンコたちは、ヒグマを囲みながらじりじりと間合いを詰めていった。
「ちょっと待つにょ。訊いてみるにょ」
リトはそう言ってヒグマの方へ歩み寄って行った。
「おい、まて!喰われるぞ」
なんか、毎回同じ事言っている気がする。
「にゅー、お前どっから来たにょ?」
リトはヒグマのすぐ目前で座り込み、その巨躯を見上げながら訊ねた。
「ギタの山オグだ。めしナグナッデ、ゴゴにヤッデギダ」
ヒグマは、小さな生き物を見下ろしながら言った。
「お前、なに言ってるかわからないにょ」
「いや、わかってやれよ。理解する気持ちが大事!」
俺は、恐怖も忘れリトを突っ込んでしまった。
今は、相手を怒らせるようなこと言っちゃダメだから!
「オナガすいた。めしグウ」
リトは立ち上がると、腕組みをして考える仕草をした。
「オマエダヂも、めしグウダロ。オデモめしグワネバ、イギられない」
ぼそりと言うヒグマの言葉に、俺は他人事ではないヒグマの苦労を理解した。
生き物である以上、喰わねばならない。
しかし・・・。
しばらくの沈黙が続いた。
その沈黙を、なにかを閃いたような様子でリトが破る。
「こうするにょ! この中から適当に2~3匹連れていくにょ、それで解決にょ」
また、沈黙してしまった。
ライデンをはじめ、周囲のワンコたちが驚愕の表情でリトを見つめる。
「お、おい。そ、それはちょっと・・・」
俺も、びっくりしちゃってどう言っていいのかわからなくなった。
「にゅー? ダメかにょ?」
リトも、周囲の反応が芳しくないことに気付いたようである。
「にゅ! そうにょ! 小さいの連れて行ってもお腹いっぱいにならないにょ」
リトは、周囲にいるワンコの中から大柄なワンコを2匹指定する。チャウチャウとセントバーナードである。
「大きいの連れていくと良いにょ!」
指定されたチャウチャウとセントバーナードは、悲痛な面持ちでリトを見ている。
「よくないわ!!」
俺は、思わず叫んでしまった。あまり目立ちたくなかったのに・・・。
「俺たちは、ライデンたちを助けに来たんだろう! あげちゃダメだろう!」
もうちょっと、しっかりした説得ができれば良いのだけれど、今の俺にはこれが限界です。
そんな俺たちの様子に、ヒグマは痺れを切らした。
「チョッドじゃダリナイ! オデ、オマエダヂぜんぶグウー」
ヒグマは巨大な腕を振り上げ、リトを殴りつけた。
しかし、そこにリトはいない。
次の瞬間、ヒグマの巨体がくの字に折れ曲がる。
いつの間にか、リトの体がクマの腹の下にあって、その体半分がクマの腹にめりこんでいた。
ヒグマの体が、反動で反り上がる。
リトはすでに飛び上がっていて、ヒグマの顔面が自分の高さに到着するのを右手を振りかざして待っている。
瞬きをして、目を開けると激しい衝撃と共に、ヒグマの巨体が地面に倒れ込む映像が飛び込んできた。
しばらくの間、誰も動けないし、何も言えないでいた。
ただ、巨体のヒグマが地面に倒れている様を見ているのである。
静寂を破ったのは、以外にも俺だ。
涙が止まらなかった。
誰も悪くないのに、ワンコもヒグマも悪くないのに、双方に犠牲が出てしまった。
喰うか喰われるかの世界だけど、仕方がないのかも知れないけど、申し訳ないような気持ちになって、俺は悲しかった。
「ごめんな。お前の気持ちはわかるんだけど、俺たちも生きていかなきゃいけないし・・・ごめんな」
俺は、倒れているクマに近づいてその額に手を置いた。
クマを囲んでいるワンコたちも、きっと同じ気持ちなのだろう。勝ったからと言って歓声をあげている者はいない。
そんな俺の傍らに、リトが寄ってきた。
「リト・・・」
こいつには感謝しなきゃいけないのだけど、素直にありがとうと言えないのは何故だろう。
「これ、喰うかにょ?」
リトはヒグマの背中に飛び乗って、誰ともなく訊ねた。
ああー、言わねーよ。
お前に感謝の言葉なんて、言わねーぞ!
ぶち壊しだわ!
今ここにいるみんなが、食物連鎖の悲哀について感傷に浸っていたのに、ぶち壊しだわ!
「死んじゃった=食べるじゃないんだよ!」
俺は、ちょっと頭にきて強い口調で言ってしまった。
「ちんでないにょ」
リトがそう言い放つと、また不思議な沈黙が訪れる。
「生きてるにょ、手加減したにょ」
うそだー。
あれ、手加減したのー。
俺は、ちょっと怖いけどヒグマの口元に耳を寄せた。
確かに、息がある。
「生きてるよ」
急に嬉しくなった。
歓声はあがらないけど、周囲もほっとした雰囲気になる。
「しかし、生きているなら生きているでどうするのだ? 共には生きられぬぞ」
ライデンが言った。
確かにそうだ。
どうすればいいのだろう。
「人間にまかせるにょ。一番救われたのは人間だから、後始末は人間にやらせるにょ」
リトはそう言うと、ヒグマの下に潜り込んで担ぎあげた。
いや、とても担ぎあげたようには見えないけど。
「どうするつもりだ?」
俺がそう訊ねるも、返事は無い。
リトはもう走り出していた。
ヒグマの巨体を担いで飛び跳ねながら山道を下っていく。
「おおーい! まてよー」
俺は、慌ててリトの後を追う。
確かに、人里近いこの場所だ。いずれ人間にも大きな被害が出たであろう。しかし、どうやって後始末をさせるというのだ。
リトを必死で追いかけると、人間たちの住む住宅街に出た。
ライデンたちワンコも、一緒に山を降りてきた。
先ほど加藤さんと別れた場所の近くであったが、加藤さんの姿も小さなトラックも、見当たらなかった。
赤い明かりのついた小さな建物の前で、ヒグマを担いだリトに追いつく。
「おい、こんな所にそいつを連れてきたら、大騒ぎになるぞ!」
リトは、建物の扉の前でヒグマを降ろした。
幸い、たまたま辺りに人の姿はなかった。
「大丈夫にょ、ここには強い人間がいるにょ」
リトにそう言われて、俺はその建物を見上げた。
赤色のライトの傍に、お日様みたいなマークがついている。
ん? ここは確か、人間の悪い奴を捕まえる人が住んでいる所だ。
ああ、そうだ交番っていうんだ。
建物の中に、制服を着た人の姿がちらりと見える。
リトは、交番の出入口である引き戸を勢いよく開けた。
中にいたお巡りさんが、怪訝そうに開け放たれた扉を見ている。
リトは、再びヒグマを担ぎあげるとそのヒグマを建物の中に放り込む。
ヒグマの巨体は、開けられた扉のスペースでは収まり切れず、引き戸を破壊いした。
「ぎょぇええええええ」
建物の中から、断末魔のような悲鳴が聞こえる。
まぁ、そうなるわな・・・。
突然、入口から種族最大級のヒグマが飛び込んできたのだ。お巡りさんの恐怖は、さきほどヒグマと闘っていた俺たちですら計り知れない。
ヒグマの脚が建物に入りきらなくて、リトは何とか押し込もうとしたのだが、建物が激しく軋んだので諦めた。
「さて、帰るかにょ」
満足そうにリトは微笑する。
あのヒグマは、きっとあのお巡りさんがうまい事やってくれるであろう。こういう時、人間を頼るなんて、リトも良い判断をしてくれた。
俺はにはとても考えつかなかった。
ワンコを差し出すなんて言わずに、最初からこうしてくれれば良かったのに。
まぁ、リトも土壇場で思いついたのかもしれないけど・・・。
交番の周りには、付近の人間が集まり大騒ぎになっていた。
途切れることのない悲鳴を背にして、俺たちは帰宅の途につく。
まだまだ人通りのある住宅街を、俺とリトは大勢のワンコたちに囲まれて、東の十王台を目指して駆けだした。