激戦 悪棲
33 激戦 悪棲
汽笛が鳴り響いた。
壊れてしまったのかと思わせるほど長い間、汽笛は鳴り続ける。
なんだろう?
俺は周囲を見渡した。
いつの間にか、空にはどんよりとした雲に覆われていて、海の色も黒い油のような色をしている。
船室の扉が、静かに開いた。
「千代さんが、救援依頼を船長に要請しました。海上保安庁か海上自衛隊が、そのうちに来てくれるでしょう!」
夜笑さんが、息を切らせながら現れた。
「お待たせしました。とんでもないのが現れましたね」
夜笑さんは、船尾から迫りくる悪棲を見て引きつった笑みを浮かべた。
「ユキちゃんが呼んじゃったの!」
少女カシンが避難がましく言う。
「す、すみません・・・」
ユキさんは、甲板に座り込んで頭を垂れる。
「今、船は前進一杯で陸岸に向かっています。悪棲の足止めができれば・・・」
「が、がんばります」
ユキさんが、深呼吸をして立ち上がった。
「ユキちゃんは、もう少し休んでて! あんなのに効果あるかわからないけど、やってみる」
少女カシンは、懐に手を突っ込みながら船尾に向かって歩いて行った。
「夜笑さん! リトは?」
俺は、夜笑さんの足元に駆け寄って訊ねた。
「わからないの・・・すごい勢いで駆けて行ってしまって、はぐれちゃった」
まったく、肝心な時にいない。
まぁ、アイツが来ても何をするかわからないから、余計に大変な事になるかもしれないけど・・・。
「私も、悪棲の足止めに行きます。シロさんは、ユキさんと一緒にいて」
「私も行きます」
ユキさんは立ち上がろうとしたけど、それを夜笑さんが止めた。
「ユキさんは、天候を変えるほどの大技を使ったんだから、まだ休んでいて。私とカシンちゃんでダメだったらお願い・・・」
夜笑さんは、風にはためく白いスカートを押さえながら、船尾のカシンの元に向かう。
船は速力をあげて、前方から凄い風が吹いてくる。
夜笑さんのスカートは何度もめくり上がりそうになって、その度に夜笑さんがスカートを直していた。
そんなに気になるのなら、もう脱いじゃえばいいのに・・・。
俺は、そう思うけどね。
少女カシンは、船尾の手すり近くで佇んでいた。
九字きりとかいう、おまじないをかけているのかもしれない。
「忍法!」
少女カシンが、突然叫んで大きく振りかぶる。
「風遁の術―――」
叫びながら、カシンは何かを悪棲に向かって投げた。
すると、船首から吹き込んでくる風が、カシンの投げた何かに集まって大きな渦を作った。
竜巻だ!
「重ね! 火遁の術」
再び叫んだ少女カシンは、何かを懐から出して竜巻の中に投げ込む。
爆音とともに竜巻が燃え上がった。
「忍法、火炎大旋風!」
そう叫んだ少女カシンは、再び九字きりをはじめた。
火炎を巻き込んだ竜巻は、まっすぐに悪棲に向かっていく。
火炎大旋風に気付いた悪棲は、右に進路を変えた。
「ああ、よけてる!」
悲痛な叫びが、夜笑さんから聞こえた。
「大丈夫!」
少女カシンは、結んだ両手を左に振る。
その手の動くに合わせて、竜巻も左に動いて悪棲を追った。
すごい! 竜巻操れるんだ!
「行きましょう!」
だいぶ体力が回復したのか、ユキさんが俺を抱いて立ち上がった。
相変わらず風は強くて、ユキさんも浴衣の裾を気にして歩きづらそうだ。
「キャッ」
突風が吹いて、ユキさんの浴衣が帯の辺りまでめくれ上がった。
ユキさんは、悲鳴をあげて屈みこむ。
面倒くさい・・・。
脱いでしまえ。
俺は、そう思う。
自分を追ってきた火炎大旋風を、悪棲は反転して逃れようとした。
逃げている。
嫌がっているんだ。
光明に、俺とユキさんは顔を見合わせて歓喜した。
しかし、突然その竜巻が海に吸われるようにして消えた。
あれ?
カシンが、後ろから近づく俺たちを振り返る。
「永遠なんて、無いのよ・・・」
そう言う少女カシンの顔は、悲しそうだった。
「充分よ! 後は任せて!」
白いワンピース姿の夜笑さんが、手すりに跨ってそれを乗り越えた。
「え、夜笑さん!」
俺は、何するのと言おうとしたけど、あっという間で・・・。
夜笑さんは、船尾から海に身を投げた。
「夜笑さん!!」
少女カシンも、ユキさんも、慌てて手すりにつかまって夜笑さんの名を叫ぶ。
突然に、黒い大きな柱が海面から立ち上がった。
その柱は、どんどんと空に昇って行く。
大蛇だ!
黒い柱には、無数の鱗が見て取れた。
夜笑さんは、大蛇になったのだ。
しかし、大蛇には無いものが俺の前を通り過ぎていった。
長い爪の生えた手だ。
二本の手の後に、二本の足が続く・・・。
手足が生えている。
何だあれは!?
俺が呆気に取られていると、傍らの少女カシンがぼそりと言った。
「リュウだ・・・」
リュウ?
俺は、体の先にある顔に眼を向けた。
赤みがかった黒髪が、夜笑さんの髪と同じ色だった。
その髪の中から、鹿のような二本の角が生えている。
鋭い蛇の眼に、ワニのような鋭い牙を持ち合わせた大きな口があった。
これが、リュウなのか・・・。
「蛇毒龍夜笑なり! 悪棲よ静止せよ」
宙を漂いながら、リュウとなった夜笑さんが悪棲に語る。
夜笑さんが、龍になっちゃった!
何で?
大蛇だったはずの夜笑さんが、何故龍なのか・・・。
俺には、全く意味が分からない。
「ど、どうして夜笑さんが龍なの!?」
俺は、隣にいる少女カシンに訊く。
「し、知らないよー」
カシンも、夜笑さんの姿を見て驚いている。
俺は、俺を抱いているユキさんの顔を見上げた。
「蛇族の夜笑さんが、龍になったという事は・・・龍族の誰かの加護を受けたのでしょうね」
カゴ?
誰の?
悪棲は、止まらなかった。
船にと言うより、夜笑さんに向かって悪棲は突進してきた。
「それが答えか!」
夜笑さんも、叫びながら悪棲に飛びかかる。
巨大魚悪棲と蛇毒龍が空中でぶつかり合い、大きな水しぶきをあげて水下に没した。
大きな波を受けて、フェリーの船体は大きく傾く。
水しぶきが、俺たちのいる甲板にまで上がってきた。
「ここは危ない! 少し前に移動しましょう」
少女カシンが、俺とユキさんを庇うようにして先ほどまでいたプールのあたりまで移動した。
「カシンさん。私はもう大丈夫です。今度はあなたが休んでください」
ユキさんは、ベンチにカシンを座らせた。
「アイタタ」
カシンは、思い出したように脇腹を痛がる。
そうだった。
カシンは、リトにやられて怪我をしていたんだ。
リトの奴、味方まで攻撃するなんて・・・。
俺たちのすぐわきの海面が盛り上がった。
あ、と思っている間もなく、巨大な魚と龍が海面から飛び出してきた。
大量の海水が、俺たちの頭上に雨のように降り注ぐ。
悪棲の体には、龍となった夜笑さんが巻きついていた。
苦戦しているようだ。
高速で走るフェリーのすぐわきまで昇ってきている。
「やります!」
ユキさんが、仁王立ちで俺たちの前に立つ。
ユキさんは両腕を交差させて、技の準備に入る。
強風が吹きつけている。
ユキさんの浴衣の裾がはだけ、白い諸足と下着が丸見えだった。
「雪やこんこー」
ユキさんは両手の手首を曲げて、拳を上下に降る。
「霰やこんこー」
片足を曲げて突き出す。
「遠く離れた貴方への―――」
両手を天に掲げ、叫ぶ。
「乙女の想い!!」
風が消えた。
風や雲や、空気中の何かが、悪棲と夜笑さんの頭上に集まって行く。
周囲から集められた物が、どんどんと塊となっていった。
氷だ!
巨大な氷の塊が、悪棲と夜笑さんに落ちていく。
でかくて、とても重そうなそれが、巨大魚と龍に激突した。
物凄い音と衝撃で、俺は吹き飛ばされて建物の壁にぶつかった。
ユキさんも飛ばされてきて、俺はその下敷きになる。
「ぐぁふぅ」
俺の口から、今まで出たことのないような音が出た。
フェリーは、凄く揺れてひっくり返ってしまうのではないかと思うほどだ。
「ちょっと―――やりすぎ―――」
ベンチに腰かけていた少女カシンが、うつ伏せになって波を受けている。
「ご、ごめんなさい」
ユキさんは、俺を抱き上げて波に備えたが、幸い俺たちのいる所にはたいして波は来なかった。
フェリーは、しばらく前後左右に揺れていたが、そのうちに収まった。
海も静かになって、空を覆っていた黒い雲も薄くなっている。
「どうなったんだろう・・・」
辺りは、水しぶきと波を受けて濡れていた。
俺はそうでもなかったけど、俺を抱いているユキさんは少し濡れていて、着物もはだけ上下の下着とへそまで見えている。
ユキさんもそれに気付いて、俺をデッキにそっと降ろすと着物をなおした。
「大丈夫かな夜笑さん・・・」
少女カシンはベンチから起き上がって、心配そうに海を見つめる。
カシンは、頭の先から足の先までびちょびちょだった。金髪の長い髪が、黒い忍び装束の背中に張り付いている。
「夜笑さん・・・寒いの苦手だから・・・」
少女カシンは、遠い目で海を見た。
そうだった・・・夜笑さんは爬虫類だから・・・。
あの重い氷のダメージは、悪棲よりも夜笑さんのほうが大きいかもしれない。
少女カシンの座っているベンチが、カタカタと揺れ出した。
いや、ベンチだけではない。
周囲の色々なものが、振動し始めた。
フェリーのスピードが上がったのだろうか?
いや、そうではない。
速力に変化はない。
俺がキョトンとしていると、険しい顔でユキさんが後ろの方を睨みつけた。
「甘かった!」
船体が、急に前方に傾いた。
後ろから持ち上げられたかのようだ。
なんだ!
後ろを見ると、船尾をかすめるようにして悪棲が浮上している。
フェリーが、またしても大きく揺れる。
「ああ、夜笑さん!」
少女カシンが、悲痛な叫び声をあげた。
見れば、悪棲が蛇毒龍の体をくわえて飛び跳ねている。
夜笑さんの体には力なく、まったくの無抵抗に見えた。
「もう一度―――」
ユキさんが、両足を開いて曲げた手首を頭上に掲げる。
「もうやめて! 夜笑さんが死んじゃう!」
少女カシンが叫ぶと、ユキさんは両手を降ろして項垂れた。
「私が行く」
少女カシンは、濡れた金髪を後ろでしばり、腰の短刀を口にくわえた。
「なんまんにょー、なんまんにょー」
何やら声と気配がして、俺はそちらを見た。
リトだ・・・。
手を合わせて海に向かって拝んでいる。
「何やってんだお前!」
「拝んでるにょ」
不思議そうな顔で俺を見る・・・。
そんなリトを、俺は不思議そうに見ているんだろうな。
「何やってたんだ今まで!」
「ガモン探してたにょーもうどこにもいないにょー」
「それどころじゃないだろう! 見てみろあれ!」
「見たにょ。終わりにょ」
そう言ってリトはまた拝み始めた。
「拝んでる場合じゃ―――」
その時、空が突然パッと明るくなった。
何事かと、空を見上げると・・・。
巨大な火球が、ゆっくりと雲を切り裂きながら降りてきていた。
いや、凄く高い所から落ちてきているから、ゆっくりに見えたのかもしれない。
音もなくそれは、まっすぐに落ちてきて―――。
悪棲と、悪棲がくわえている夜笑さんとに衝突した。
光がはじけて、なにも見えなくなった。




