雪降るビーチに水着の少女
29 雪降るビーチに水着の少女
街は、雪に覆われていた。
道を行く人の姿はほとんどなく、寒さと雪に慣れていない住民は、身動きが取れないと訊く。
「みなさん、あれが梅島ですよ。雲でわかりにくいですが、噴煙が上がっています」
運転席の千代さんが、正面に見える大きな山を指して言う。
雲かと思っていたが、言われてみれば噴煙なのであろう。
海に浮かぶ大きな島が山であり、今も活動中の火山なのだ。
いつ噴火するかわからないのに、何故こんなに大きな街があって、大勢の人が今も住んでいるのが、ちょっと不思議だった。
「火山がすぐ近くにあって、危なくないのかな?」
俺は、誰ともなく訊いた。
「この国は、どこにだって災害のリスクがあるのです。でも、みんなこの国に住んでいる」
答えてくれたのは、後部座席で俺の隣に座る夜笑さんだ。
「何故なの?」
「この国が、大好きだからです」
夜笑さんは、にっこりと笑った。
自信に満ちた笑みだった。
「シロさんだって、好きでしょう?」
そう聞かれて、俺は答えに窮してしまった。
そうなのかな?
好きなのかな?
考えたこともなかった。
「あ、あれは・・・」
海岸沿いの国道に出て、右折した時であった。
運転していた千代さんが、何かに気づいたようだ。
車は路肩に停められ、俺たちは外に出た。
海が、凍り始めていた。
氷の塊が、海を埋め尽くしていてぷかぷかと漂っている。
「あそこです! あそこから流れてきています!」
少し北にある海水浴場の方を、千代さんが指さした。
「行ってみましょう!」
少女カシンは、ノリノリだ。
まるで行楽に出かけるような・・・。
車をUターンさせて、千代さんはアクセルを踏みつける。
国道を走る車など、俺たちの乗る車以外一台もない。
俺たちを乗せた真っ赤な車は、路面の雪を飛び散らしながら爆走した。
海水浴場についたようだ。
海岸線は真っ白で、それが砂浜なのかは見てもわからなかった。
少女カシンと千代さんが車から降りて、周囲を観察する。
俺と夜笑さんは、車内から様子を窺った。
出たくないでしょう。
寒いもん。
「見て、あそこ」
少女カシンが、海の方を指さす。
俺は、千代さんのマフラーでぐるぐる巻きの体を窓に寄せて、外を眺めた。
確かに、何かいる。
「女の子です!」
夜笑さんは、その光景を見て驚きの声をあげた。
そう、女の子が砂浜の波打ち際辺りに立っている。
水着姿で、白と青のパーカーを羽織っていた。
フードを被っていたが、風に脱がされ薄ら青い髪色が露わになる。
「大変! あの子海に入る気だわ」
夜笑さんは、頭にニットの帽子をかぶり、首にマフラーを厳重に巻いて車外へと出た。
あ、待って待って、俺も行く。
先に出た夜笑さんに抱っこされて、俺も外に出た。
すでに少女カシンと千代さんが、少女に向かって走り出していて、俺たちはゆっくりと後を追った。
「ちょっとまってー! ダメよ死んじゃう!」
走りながら、少女カシンが叫ぶ。
振り向いた水着の少女が、不思議そうな顔をした。
「誰?」
雪のように白い肌をして、青み懸かる白髪は、耳も露わになるショートカットだ。
「ダメよ、海になんて入ったら死んじゃうから!」
いつもチャラチャラした感じで喋る少女カシンであったが、今は真剣だ。
「それに、その恰好・・・正気とは思えません」
千代さんは、水着姿の少女を舐めるように見る。
水着も白で、フリルのついたビキニタイプだ。
「私なら平気です・・・寒いの慣れていますから」
少女は、消え入りそうな声で呟く。
「せっかくバカンスに来たのに・・・誰もいない」
少女は、寂し気に人気のない海を眺めた。
雪が降ってきた。
少女は、振り落ちる雪を手で受けて、口で拭いて飛ばした。
少女の手から離れたその雪が、吹雪となって海上を飛んで行く。
「あ、あなた・・・」
掴みかかろうとする千代さんを、少女カシンが止める。
「あなた、雪女ね?」
少女カシンが、青いサングラスを外して少女に笑いかけた。
「ええ、地元では雪女と呼ばれています」
「そう、じゃぁ名前はユキちゃんね! 私はカシン、よろしくね」
少女カシンは、ユキの手を取って強引に握手する。
ユキは、不思議そうにカシンを見つめた。
「私の手、冷たいでしょう?」
「平気よ! どうして?」
「普通の人間なら、私の手を触ったら氷ついてしまう」
「フフ、大丈夫。私、暖かいから」
そう言って、少女カシンは、ユキを抱きしめた。
「落ち着いて、大丈夫だから」
カシンは、ユキの耳元で優しく言う。
雪がやんだ。
しばらくすると、空を覆っていた熱い雲に隙間が現れてきた。
雲の隙間から日が差すと、周囲の空気が温められる。
「よし、一緒にバカンスしましょう!」
少女カシンは、ユキから体を離すと、白いダウンコートを脱ぎ捨て、中に着ていたTシャツと短パンも脱ぎ始めた。
「ちょっと、カシンちゃん! こんな所で」
慌てて夜笑さんが制すも、カシンは気に留めない。
「大丈夫! 中に水着、着ているし」
カシンは、下着のようなピンクの水着を着ていた。
少女カシンは、金髪の長い髪をなびかせながら波打ち際に向かう。
「臨、兵、闘、者・・・」
少女カシンは、指を組み合わせながら何やら呪文のようなものを唱え始めた。
「え、何?」
俺は、夜笑さんの顔を見上げて訊ねる。
「九字切りですね。忍者が精神統一に使用します」
ニット帽にサングラスにマフラーで、夜笑さんらしきパーツは何も見えない。
マフラーの隙間から、リトが顔を出していた。
「皆、陳、裂、在、前」
カシンは、握った左手を右手で包み、前方に勢いよく突き出した。
「心頭滅却!」
何かのおまじないか、儀式が終わったようだ。
「さぁ、ユキちゃん行きましょう」
カシンは、ユキの手を取り海に入って行く。
「ええ!! 大丈夫なのカシンさん?」
俺は、平気な顔で海に膝まで使ったカシンに驚いた。
だって、あちこちに氷浮いているし・・・。
「忍術です。心頭滅却し、痛みなど体に感じる苦痛を無効化しているのです」
傍らに立つ千代さんが教えてくれた。
「少し、この場を離れますがよろしいですか?」
千代さんは、俺たちにそう訊ねた。
承諾すると、千代さんは車の方へと走って行く。
なんだろう?
忘れ物かな。
カシンとユキは、氷の浮かぶ海で、水をかけ合いはしゃいでいる。
二人ともとても楽しそう。
浮かない顔をしていたユキも、無邪気な笑顔を見せていた。
しばらくすると、空を塞いでいた分厚い雲が晴れ、夏の日差しが降り注ぎ始めた。
砂浜にはまだ雪が残っていたが、所々で地面が顔を出し、白い雪からは水蒸気が登っている。
海面を漂う氷も減って、さっきまで違和感だらけだったが、波に戯れる少女二人の姿も、自然な光景に見えてきた。
「お待たせしました」
何やら大きな荷物と、数人の人間(男女)を引き連れ千代さんが戻ってきた。
千代さんも水着姿だ。
黒いビキニにサングラス。
いつもカチカチにまとめている髪も降ろし、遊ぶ気満々である。
「千代さんも?」
夜笑さんは、意外そうな顔で小夜千代サントリーを見る。
「フフ、当然です。夜笑さんの方が、夏のビーチに不思議な格好をしておられると思いますよ」
未だに黒コートを着ている夜笑さんを見て、千代さんは苦笑した。
「た、確かに・・・千代さん、どこかで着替えられますか?」
「あそこの海の家が間もなく開きます。お使いください」
千代さんが指さす方向に、お洒落な小屋があって、さっきまで人なんて誰もいなかったのに、今は数人の人間が作業をしていた。
「行ってきます!」
夜笑さんは、黒いコートを脱ぎながら走り出した。
ポトリと、剥き出しの砂に何かが落ちた。
「にょー」
リトだ。
眠気眼で、何が起きたのかわからずキョトンとしている。
千代さんが連れてきた人たちが 《木の絵柄や金魚の絵柄のシャツを着ている》、小夜さんの指示に従って、折り畳みの椅子や大きな傘を設置していった。
椅子 《ベッドかもしれない》が4つ出来上がると、千代さんはそのうち一つに寝そべった。
海の家から、木の絵柄 《アロハシャツっていうらしい》の男がよろよろと歩いてくる。
お盆に乗った飲み物をこぼさないように、慎重に歩いているのだ。
「お待たせいたしました。ウメシマスペシャルと、生ビールと、マゴシマフロートが2つでございます」
「ありがとう。あら、テーブルを忘れていました。そのまま持っていて下さる?」
小夜さんは、男に飲み物を持たせたまま椅子から降りた。
重いのだろう。男は歯を食いしばっている。
「カシンさまー、お飲み物の用意ができましたー」
千代さんが海に向かって叫ぶと、カシンが手を振って答えた。
「ごめんなさいね。重いでしょう」
千代さんは、男を労い自分の分の飲み物を受け取った。
大きなガラスのコップに、黄色い飲み物が入っていて、色とりどりの果物が浮かんでいる。
「ありがとう千代! 私たちのは、これかな?」
海からユキの手を引いて戻ってきたカシンが、マゴシマフロートを受け取り、それをユキに渡した。
オレンジ色の液体に、白いバニラアイスが浮かんでいる。
「おいしーーー・・・って、だれ? 生ビール?」
カシンは、オレンジ色の飲み物をストローで吸い上げると、一つ残ったビールに眼を落とす。
「私ですーーーー」
海の家から、水着に着替えた夜笑さんが走ってきた。
白とピンクのビキニで、走って揺れる乳房がこぼれ出そうだ。
「冷酒が無いそうで、やむを得ずビールにしました」
辿り着いた夜笑さんは、ビールを受け取るとグビグビと半分ほど飲んで、プハーと言った。
4人は、横並びでベッドのような椅子に寝転がって、それぞれの飲み物を飲みながら談笑した。
辺りは、すっかり夏だ。
海の氷も消え、砂浜の雪も無くなった。
強烈な日差しが降り注ぎ、4人は変わりばんこに白い液体を体に塗りあいっこをする。
「何にょー、リトにも塗ってにょー」
カシンの背に液体を塗る夜笑さんの傍らで、リトが鳴く。
「えー、リト様には必要ありませんよ。毛に覆われているじゃないですか」
みんなクスクス笑った。
「これは、日焼け止めです。肌が日に焼けて黒くならないように塗るのです」
夜笑さんの隣に座っている千代さんが、片手でリトをすくい上げ、自分のお腹の上に乗せた。
「はい、次はユキちゃんね!」
少女カシンが、ユキに向かって言った。
「いえ、私は日に焼けませんから大丈夫です」
ユキは、にっこり笑って辞退する。
「ええ、そうなのー羨ましい」
カシンがそう言うが、全然羨ましそうではない。
「ユキちゃんは、一人でここに来たの?」
カシンがそう訊ねると、ユキは手元の飲み物に視線を落とす。
「いえ、ある方に連れてきていただいたんです」
「ほうほう」
カシンは、訝し気な顔をする。
「私を、雪山から連れ出してくださったのですが、ここに着いたらいなくなってしまいました」
「ひどーい。ユキちゃんを独りぼっちにするなんてー」
カシンが頬を膨らませるが、本心で言っていないような気がするんだよなぁ。
「いえ、私は感謝しています。ずっと夢に見ていたのです。夏の海・・・」
「そうなんだぁー、良かったね! 夢がかなって」
「はい。ありがとうございます。皆さんが来て下さなかったら、今も冬の海でした」
ユキは、眼に涙を浮かべた。
本当に嬉しかったんだな。
突然、冷たい風が吹いて俺は身震いした。
「あ、ダメダメ! ユキちゃん泣いちゃだめよ。また雪が降っちゃう」
カシンは、ユキを抱きしめてなだめた。
どういう事だろう?
「ユキさんは、とても強い力をお持ちなのです。天候をも変えてしまう・・・」
夜笑さんが、慈しむような眼でユキを見る。
「感情の変化で、その力が漏れだしてしまうようですね」
千代さんは、海に浮かぶ梅島を眺めながらぼそりと言った。
「はい。ここに住まわれている方達には、とても迷惑をかけてしまいました」
「でも、もう大丈夫! 楽しみましょう。ユキちゃん!」
また落ち込みそうになるユキを、カシンが励ました。
「まだまだやる事は、いっぱいあるんだから!」
少女カシンは、勢いよく立ち上がった。
「千代!」
「はい。準備させております。向かいましょう」
千代さんは立ち上がると、海の家への移動をみんなに促した。
俺もついて行こうと歩き出す。
あれ?
リトは?
「リトーーー」
手っ取り早く、俺はリトを呼んだ。
「にょーーー」
返事があった。
でも、ちょっと離れたところからだ。
「どこー?」
「ここにょー」
声が、海の方から近づいてくる。
みんな一斉に海を見た。
とぼとぼと、悲し気に歩いてくる小動物がいた。
「リト様!!」
異変に気付いた夜笑さんが、慌ててリトの元に駆け寄る。
リトは、びしょびしょに濡れて貧相な捨て猫みたいになっていた。
「どうしたのです!」
夜笑さんは、リトを拾い上げて手で濡れたリトの体を拭う。
「波に食われたにょー」
失笑が漏れた。
日差しが西に傾き、辺りが橙に染まる頃、俺たちは海の家で肉や魚を炭で焼いて食べていた。
BBQというらしい。
必殺技みたいだ。
いや、食事の必殺技なのかもしれない。
最初は、みんなお洒落な飲み物を飲んでいたけど、今は芋焼酎なるものを飲んでいる。
ここ馬児島では有名なんだって、俺は飲めないから美味しいかどうか知らないけど・・・。
最初会った時は寂しそうにしていたユキも、今はすっかりカシンや夜笑さん、千代さんとも打ち解けて、楽しそうにしている。
「明日はどうしようか? ユキちゃん行きたい所、やりたい事ある?」
少々酔いのまわった少女カシンが・・・!!
あれ!
お酒飲んでいいのか!
良いんだろうな。見た目はそれだけど、中身はあれだから・・・。
いや、中身がどれかも不明だけど・・・。
「私は、特に・・・。もう充分楽しみましたから」
ユキもお酒に酔っているようだ。
頬が少し赤みをおびている。
「それでしたら―――」
千代さんが、提案した。
それは、ちょうど馬児島に寄港した豪華客船があって、明日出港して東都に向かうそうだ。それに乗船して船旅を楽しみながら帰ると言ったものだった。
「んー、どうかしら? ユキちゃんそれで良い?」
「え、いえ、私は・・・」
「じゃぁ、そうしましょう!」
カシンは強引だ。そういう所がある。
「千代、手配してくれる」
「すでに手配済みです。今夜は、黒山ホテルにユキさんもお泊り頂き、明日のお昼に乗船致します。よろしいでしょうか?」
カシンは、満足気に頷いた。
「よーし、今日はみんなで温泉入ろう!」
カシンは、ユキの手を取って掲げる。
「あ、ユキちゃん温泉大丈夫? 溶けちゃったりしない?」
「フフ、大丈夫です。温泉大好きです」
そうして、4人の女たちと2匹の猫は、もうしばらくBBQを楽しんでから黒山ホテルに戻ったのである。
みんな酔っぱらっているからやりたい放題で、猫の俺としては、ちょっと迷惑・・・。
リトは、自由気ままで好きにやっている。
明日からは、どうなるんだろう?
そう言えば、スーもこの馬児島にいるはずなのに、姿を見せない。
何かあったのかな・・・。




