寒いの嫌にょー
28 寒いの嫌にょー
夜になったばかりの空港には、大きな綿のような雪が降っていた。
「あわわ、何てことでしょう・・・ここが馬児島だなんてとても信じられません」
黒くてモコモコの、丈が足首まであるコートに身を包んだ夜笑さんが、ガクガク震えながら言う。
俺は、千代さんの黒いマフラーにぐるぐる巻きにされて抱かれている。
寒いけど、がんばって周りを見渡す。
雪なんて、久しぶりだ。
縦浜じゃ、滅多にみられないからね。
ちょっと心が躍る。
「みなさん、こちらに移動をお願いいたします」
先頭を歩く千代さんは、スタスタと空港の建物とは別のところへ歩いていく。
「どこいくにょー? 無理にょー」
夜笑さんのコートの首元から、一瞬顔を出したリトが訊ねた。
「ここから街までの車が手配できませんでしたので、これで移動致します」
そう言う千代さんの進む先には、やたらうるさいてっぺんにプロペラをつけた乗り物が現れた。
「車の代わりに、これに乗るんですか?」
夜笑さんは、驚きを隠せない。
「どれだけお金持ちなんですか!」
立ち止まった夜笑さんを、老人のカシンが追い越す。
「余分なお金など、1円も持ち合わせていませんよ。これは、必要に迫られた出資なのです」
そう言って老人カシンは、ヘリコプターに乗り込んだ。
気後れして立ち止まったままの夜笑さんを、俺を抱いた千代さんが待つ。
「ホテルのヘリポートに着きます。暖かい温泉に入りましょう!」
プロペラの爆音に負けない大きな声で、千代さんは叫ぶ。
夜笑さんは、胸元にいるリトを抱き込むように押さえ駆けだした。
全員が機内に乗り込むと、重そうな扉が閉められ、機体がフワッと揺れた。
もう空に浮いている。
うるさくて、快適とは言えないけど外よりは良いか・・・。
俺がぶるぶる震えているのを感じ取って、千代さんはきつく抱きしめてくれた。
リトなんて、夜笑さんのコートの中で気配を完全に消している。
ヘリコプターが、降下をはじめたようだ。
千代さんが、窓の外を俺に見せてくれた。
外を気にしているの、気付いてくれたんだ。
降りしきる雪の隙間から、街明かりが見える。
真下には、大きな建物があるようだ。
ヘリコプターは、そこを目指して降下している。
どんどん建物が近くなっていって、俺はちょっと怖くなった。
このまま落ちるんじゃ無いかと思って・・・。
でも、着地する直前で機体は一度止まって、その後ゆっくりと着地した。
操縦している人に、俺の心配がわかったのかな?
ヘリコプターの扉が開けられると、誰かが駆け寄ってきた。
「足元にお気を付けください!」
そう叫んでいる。
返事もせずに、俺を抱いた千代さんは、機体から飛び出して後から降りるカシンと夜笑さんの補助をする。
二人が機体から降りると、三人そろって走り出した。
ヘリコプターの発する爆音から逃れるように、みんな無言で駆けている。
建物の中に入って扉が閉められると、みんなの呼気の音が聞こえた。
あーうるさかった。
とっても安心した。
大きな音って、ちょっと恐怖・・・。
「わー、素敵なホテル! お城みたい」
「黒山ホテルです。温泉の大浴場もありますし、お風呂付きのお部屋をご用意いたしましたので、お好きな方でおくつろぎください」
建物の中はとても暖かく、夕方みたいな照明が灯されていた。
夜笑さんのコートの中で、リトがもぞもぞしている。
「リト様、出たいのですか?」
夜笑さんが、コートのチャックを降ろすと、待ってましたと言わんばかりにリトが飛び出した。
「あたたたたかいにょー」
リトは、ふかふかの絨毯の上で伸びをする。
「夜笑さんとリト様、シロさんでご一緒のお部屋を用意いたしました」
ふかふか絨毯の廊下を歩いていくと、黒いスーツ姿の男の人が立っていた。
「こちらのお部屋です」
そう言って、ドアを開ける。
「うわ―――」
夜笑さんが、入口から部屋の中を覗き込んで驚いていた。
どうしたのだろうと思って、俺も千代さんの腕の中から飛び降りて、部屋の中を見てみる。
広い。
キラキラ。
豪華。
これで、わかってもらえるだろうか?
「では、ごゆっくりお過ごしください。朝食は7時にしました。その前にお声がけいたします」
千代さんは、そういってカシンと共に去って行った。
リトは、真っ先に部屋の中に駆けこんで、ベッドに飛び乗る。
「ふかふかにょー」
リトは、布団を両手でもみもみしながら喉を鳴らし始めた。
「わー、温泉付きだー」
夜笑さんは、お風呂を見て興奮気味だ。
「リト様、シロさん! 一緒に入りましょう!」
夜笑さんは、そう言って服を脱ぎ始めた。
「お、俺はいいや・・・」
お風呂・・・苦手なんだよね・・・。
「だめにょー、チロ臭いし、ノミだらけにょー」
ベッドから降りてきて、リトが汚い物を見るような目で俺を見る。
そんな目で俺を見るな。
これが、猫だ。
視線を感じて、俺は夜笑さんを見る。
裸体をタオルで隠した夜笑さんが、蔑むような眼で俺を見ている。
「わ、わかったよ・・・」
まぁ、寒い思いもしたし、ちょっと温まるぐらいなら良いか。
チャポーン
リトは、夜笑さんに抱かれて大きな浴槽に浸かっている。
俺は、床に置かれた桶の中に這いつくばっている。
湯がすぐぬるくなるので、時折夜笑さんが俺の背に湯をかけてくれた。
俺が汚いから、分けられているわけではない。
深い浴槽が怖いからでもないし、裸の夜笑さんに照れているわけでもない。
俺は、浅い風呂が好きだし、少しぬるめが良いし、狭い所が落ち着くのだ。
とにかく俺は今、満足している。
「来ておいて言うのもなんですが、私たちは寒いの苦手だから、明日から大変ですね」
「にゅん。もうお外行きたくないにょ」
ずっと、夜笑さんの懐に隠れていたくせによく言う。
「しかし、この異常気象・・・原因は何なのでしょう? スーさんはどこにいるんでしょうか?」
「にゅー、知らないにょー。カシンがなんとかするにょー」
カシンまかせかよ・・・。
俺たち、来なくてよかったんじゃ無いか・・・。
二人の会話には参加せず、俺はただ思うのだ。
「あ、やだ! シロさんノミがいっぱい浮いてきましたよ」
夜笑さんが、湯船から俺を見下ろして言う。
桶の中を見ると、小さいゴマ粒のようなのがチラホラ浮いていた。
「にゅー、チロばっちいにょー」
リトが浴槽の縁につかまって、俺を見下す。
「しょうがないだろー、猫なら当然の当たり前だ!」
「リトにはそんなのいないにょ、近づいてきたら消滅させるにょ」
どうやって消滅させるんだ・・・。
「洗ってあげましょう」
夜笑さんが、俺に何やら液体を振りかけた。
「うわ、何これ!」
振りかけられた液体は、お花畑を凝縮したような強烈な香りがした。
夜笑さんの両手が浴槽から伸びてきて、俺の体をごしごしと擦る。
見る見るうちに、俺の体は泡だらけになる。
「うわ、やめてくすぐったい! 臭い!」
俺は、夜笑さんの手から逃れようとするが、桶から出てしまうと寒いし、逃げられない。
しばらく桶の中でじたばたしていたが、雨を降らせる筒で泡を流されると、すっきりした。
シャワーって言うんだ。
桶のお湯を、綺麗なお湯に変えてもらって、平穏が訪れた。
「さて、そろそろ出ましょうか」
夜笑さんは湯船から出ると、ふかふかのタオルで濡れたリトを拭いた。
困ったな・・・。
あんなに嫌だったのに、もうここから出たくない。
いや、出ると濡れた体が急激に冷えるから出られない。
「はい、次はシロさん」
夜笑さんは、無理やり俺を桶から引きずりだす。
「いやー! やめてー」
俺は、必死に抵抗する。
「もう、暴れないの!」
俺は、タオルでもみくちゃにされながら、寒い寒いと震えながら訴えた。
翌朝、俺たちは迎えに来た千代さんに起こされて目を覚ました。
窓の外は全てが真っ白で、上から下からと光が飛び散っている。
特別に用意された部屋で、俺たちはそろって朝食を摂った。
「忙しなくて申し訳ないのですが、食事が済みましたら仕度をしていただき、街まで移動いたします」
老人カシンが言う。
別にいいよ。
みんなそんな反応だ。
「何するにょ?」
リトは、あまり気乗りしていない様子だ。
寒いからだろうけど・・・。
「この異常気象の現況が、馬児島の海岸付近にありそうなのです」
老人カシンの傍に控える千代さんが答えた。
千代さんは、ご飯食べないのかな?
俺は、ミルクで煮たというお魚を食べながら千代さんに目を向ける。
目が合うと、千代さんは眼鏡の奥の眼を細め微笑した。
「街までの移動は、車を用意いたしましたので、どこか寄りたいところがあればお申し付けください」
リトも夜笑さんも、無言でご飯を食べている。
寄りたい所なんてありません。
むしろ、どこにも行きたくないし、ずっとここにいたいです。
そう思っているに違いない。
食事が済むと、俺たちは重い足取りで外に出た。
千代さんが、車を回してくれているはずである。
ホテルのロビーを出ると、目の前に大きないかつい車が停まっていた。
色は赤だが、タイヤが大きくてまるで軍用車のようだ。
「また凄い車が出てきましたね・・・」
黒いダウンコートに身を包んだ夜笑さんが、あきれ顔で言う。
「少々乗り心地は悪いですが、雪道ですのでご了承ください」
千代さんは、そう言って後部座席のドアを開けた。
「雪なんて忘れて、夏の馬児島を楽しみましょう―――」
陽気な声が、背後から聞こえた。
振りかえると、金色の髪に青いレンズのサングラスを掛けた少女カシンがいた。
白い丈の長いダウンコートを着ているが、中はTシャツに短パン姿だ。
「な、なんで女の子?」
夜笑さんが首を傾げる。
「お年寄りだと、節々が痛んで動きにくいのぉ」
肘や膝を動かして見せるが、可愛らし所作に、昨日の老人と同一人物であることが、どうしても理解できない。
「さぁ、行きましょう! さっさとこの異常気象を吹き飛ばして、バカンスを楽しみましょう!」
少女カシンは、誰よりも元気だ。
音もたてずに助手席に飛び乗る。
リトなんて、夜笑さんのコートの中から姿さえ見せない。
俺たちを乗せた装甲車のような車は、雪を軋ませながらホテルの敷地を出発した。




