空の旅
27 空の旅
黒い高級車には、すでに夜笑さんが乗車していた。
夜刀神社に向かう途中で拾われたそうだ。
夜笑さんの服装は、いつもの巫女装束ではなく、Tシャツにスウェットパンツという質素な様相だった。
お化粧もしていないようで、いつもより幼く見える。
肌がとても綺麗だから、お化粧なんてしなくて良いんじゃないかな?
そう思うんだけど・・・。
「カシンさんが、あの大往路グループの会長だったなんて、びっくりです」
夜笑さんが、老人カシンを舐めるように見て言った。
あの可愛らしい少女カシンが、こんなしわくちゃの老人だなんて!
ちょっとガッカリ・・・。
「私はただいるだけで、仕事はすべて優秀な方々がやってくれているのですよ」
しわがれた声で、老人カシンは答える。
「でも、お爺さんの姿になる必要があるのですか?」
「移動の時は、この肩書がとても便利なのです」
穏やかな口調で、語られる老人カシンの言葉は、子守歌のようだ。
俺は、爪を立て大欠伸をした。
車窓の景色は、川に絵具を垂らしたみたいに流れていくのに、車の中はいたって静かだ。
リトなんて、すでに夜笑さんの膝の上で寝息を立てている。
「女性のカシンさんがいて、カフェで働いているカシンさんがいて、大企業の会長さんのカシンさん。いったいどれが本当のカシンさんなのです?」
夜笑さんは、訝るように老人を見る。
「どれと言われましても・・・どれも私なのですよ」
老人カシンは、困った顔をして見せた。
きっと本当は困ってなどいない。困ったふりをしているだけ・・・。
「いくつもの肩書や、人格を持って大変じゃないですか?」
頭を撫でる夜笑さんの指を、リトが甘噛みする。
「協力者の力を借りながら、うまくやっていますよ」
老人は、目じりの皺を寄せて笑顔を見せた。
はぁぁぁ―――
夜笑さんは、深い溜息をついて老人カシン見やる。
睨みつけるような、獲物を狙う獣のような眼だった。
老人カシンは、それを据えるような目で見返す。
二人で何か語り合っているようだった。
「まぁ、良いです。リト様にさえ危害をくわえなければ・・・」
「御存知かと思いますが、私とリト様は旧知の仲です。敵対したことはございません。そうですよね?」
寝ていたはずのリトが、夜笑さんの膝の上で細い目を開けカシンを見る。
リトは、そうだとも違うとも言わない。
また目を閉じて眠ってしまった。
揺り起こされて、俺は目を覚ました。
いつの間に寝てしまったのだろう。
俺は、夜笑さんのお尻の傍で体を丸めていた。
「もうすぐ着きますよ」
見上げると、微笑する夜笑さんの顔が見えた。
膝の上のリトはまだ寝ている。
「申し訳ないのですが、お二人にはこのケージに入っていただきます」
老人カシンが、ソファーに置かれた小さな箱を傍に寄せた。
ピンク色の取っ手のついた箱状のお家だ。
出入り口に、窓がついている。
俺もリトも、促されるまま素直に中に入った。
狭い所、好きだからね。
車が停車したようだ。
後部座席のドアが開けられると、ゴォォォという騒音に俺とリトは顔をしかめる。
「うるさいにょ」
眠気眼のリトが、避難がましく鳴いた。
「フフ、空港ですからね。ちょうど飛行機が飛びたちました」
そう言って、夜笑さんが空を見せてくれた。
巨大な飛行機が、直上を通過していった。
うわ、でかぁぁー。
呆気に取られて、それしか思い浮かばない。
リトは、出入口の窓に張り付いて大きな目を輝かせる。
「にゅー、かこいいにょー。あれに乗るのかにょ?」
「いえ、あれではございませんよ。今からご案内いたします」
老人カシンは、老人とは思えないしっかりとした足取りで先を歩く。
手にしている杖は、必要なのだろうか?
俺たちは、カシンに連れられ大きな建物の中に入った。
大勢の人が行き来していて、まるで街の繁華街のようだ。
建物の中なのに、お店がいぱいあって天井も空のように高い。
俺とリトは、ピンク色の箱の中で出入口の窓に張り付いて、外の様子を競うように見ていた。
失敗したと思った。
こんなに面白い所なら、こんな入れ物の中に入らなければ良かった。
リトも同じように思っているのだろう。
「にゅー、お外出たいにょー、出してにょー」
と、猫なで声でお願いしている。
少し先で千代さんが、俺たちを待っている。
いつの間に移動したのだろうか?
「会長、手続きと機体の準備、終了しております」
千代さんは、そう言って老人カシンに頭を下げた。
「うむ」
「お荷物をお預かりいたします」
近くにいた制服を着たお姉さんが、カシンに声をかける。
「いや、結構」
カシンはそっけなく申し出を断る。
制服のお姉さんは、ちらちらと俺とリトの入っているケージを見ている。
「これは、機内に持ち込みます」
千代さんが、夜笑さんの持つ俺たちが入った入れ物を受け取ると、スタスタと歩き出す。
小さな部屋・・・多分ここで待機するのだろうけど、立ち止まることなく通過する。
自動で動く階段を降り、自動で開く扉を抜けると外に出た。
目の前に白い飛行機が停まっている。
さっき飛んで行った飛行機よりは、だいぶ小さい。
「こちらに乗っていただきます」
千代さんが、箱の中にいる俺とリトに言った。
「プライベートジェットですか! すごーい!」
後ろの方で、夜笑さんの感嘆の声がする。
「にゅー、嫌にょー、もっと大きいのが良いにょー」
リトが駄々をこねる。
飛行機に階段が掛けられていて、そこに制服を着た男女が立っていた。
「大往路様、お待ちしておりました。機長の―――」
「機長、我々が時間を持て余しているように見えますか? すぐに離陸の準備をしてください」
機長と呼ばれた男の挨拶を千代さんが遮った。
「失礼いたしました」
機長は、慌ててもう一人の女性と階段を登って行く。
その後を、老人カシンと千代さんが続く。
俺は、千代さんの運ぶ箱の中から、できる限り多くの物を見ようと、あちこちに目を配った。
敷地がとても広くて、大きな飛行機がいっぱいあって、何故かいつもより空が広い。
突然、その広大な景色が消える。
飛行機の中に入ってしまった。
飛行機の中は、豪華なお家のようだった。
食べ物の並んだカウンターに、白い大きなソファー、大きなテレビもあって、前にテレビで見た飛行機とはだいぶ違う。
「すごーい!」
夜笑さんが、悲鳴に近い驚きの声をあげた。
「こ、こんな格好で来てしまって・・・恥ずかしい」
Tシャツにスウェットパンツ姿の夜笑さんが、何故か胸を両手で隠す。
「気楽にしてください」
老人カシンは、夜笑さんに笑顔を向ける。
「千代・・・」
カシンは、小声で千代さんを呼ぶ。
「言い方に気をつけなさい。あれでは彼のやる気を削いでしまう」
「申し訳ございません。気を付けます」
俺たちの入った箱を持ったまま、千代さんは頭を下げた。
厳しいな、カシン・・・。
飛行機の扉が閉鎖されると、俺とリトは箱の中から解放された。
「やったにょー」
箱から出されるなり、リトは飛び出した。
ソファーの上をピョンピョンと飛び回る。
小さな振動を感じる。
どうやら飛行機が動き出したようだ。
「あの、シートベルトは・・・」
夜笑さんが、ソファーに借りてきた猫のように座って千代さんに訊く。
「してもしなくてもかまいません。少し揺れますから、座席には座っていてください」
リトはお構いなしで走りまわっている。
俺は、千代さんの顔を見上げた。
表情のない顔をしている。
俺だけは・・・。
せめて俺だけは、怒られないように夜笑さんの膝の上に乗った。
両脇の壁の外から、大きな唸り声が聞こえた。
次の瞬間、後ろに引っ張られるような感じがして、俺は夜笑さんの胸に押し付けられた。
Tシャツ姿の夜笑さんの乳房に、俺の顔がめりこむ。
「にょ――――――」
リトは、飛行機の後ろの方に飛ばされた。
どこかの隙間に入ってしまって、姿は見えない。
何かに引っ張られている感覚が、下から引っ張られるように変わると、すぐにそれは無くなり俺たちは見えない力から解放された。
何だったのだろう?
窓の外を見ると、俺たちは空の中にいた。
眼下の空港が、どんどん小さくなっていき、人間たちが暮らす建物がおもちゃのように見える。
俺、空を飛んでいるんだ・・・。
「何か召し上がりませんか?」
飛行機が静かになって、地上にいるのと何ら変わらない。
千代さんが、夜笑さんと俺に声をかけてくれた。
優しい笑顔だ。
わざとらしく見えるのは、気のせいだろうか・・・。
「ええ、では何か頂きましょう」
夜笑さんは、俺を抱いて席を立った。
カウンターに並べられた、果物や菓子などを順に眺める。
「シロさんは、何か食べたいものありますか?」
そう言われても・・・見たことのない食べ物ばかりだ。
「リト様とシロさんには、別にご用意がございます」
千代さんは、そう言って手を差し出し、夜笑さんの腕から俺を受け取る。
千代さんに抱っこされて嬉しいような、怖いような・・・。
リトは、どこかの隙間から這い出てきて、またあちこち飛び回っていた。
「リト様、お食事にしましょう」
千代さんは、リトにそう声をかける。
「いいにょー」
リトは、走りまわりながら言う。
どっちのいいにょなのか?
食べるのか、いらないのか・・・。
千代さんは、俺をリトの傍で降ろすと奥の小部屋に消えた。
しばらくして、大きい木の板に乗せられた何かを手に、戻ってきた。
「こちらでよろしいですか?」
確認するように千代さんは俺たちを見て、木の板を床に置いた。
お皿が二つあって、その中に小さく切られた色々な種類の生のお魚が、綺麗に並べられていた。
す、すっごいご馳走だ!
「いただきますにょー」
リトはご機嫌で、お魚の入ったお皿に顔をつける。
俺たちは夢中でお魚を食べた。
血抜きもされているし、骨もない。
お魚のお肉だけ!
しかも、鮭やブリやマグロにイカと、色々な味を一度に楽しめる。
なんて贅沢な食べ物なのだ!
大きなテレビから、何やら音楽が聞こえてきた。
俺とリトは、お魚を食べながらテレビの映像に目を向ける。
そこには、大きな帽子に長靴を履いた猫が、剣を片手に闘う姿が映し出されていた。
リトの動きが止まった。
口にくわえていた魚の切り身をぽとりと落とし、口を開けたままテレビの映像に見入っている。
ああ、こいつ、こういうの好きだよなぁ。
食事が終わり、テレビも見終わると、始まりましたリトの独り舞台・・・。
リトは、人間の使う箸を一本手に持って、ミカンの皮を頭にかぶり、ソファーを飛び移りながら箸を振り回した。
「にょー、にょー、にゃー」
見えない何かと一生懸命闘っている。
たまにピンチになるようで、苦しそうに床を這ったり、自分でソファーに体を打ちつけたりした。
そして、勝利の瞬間には剣を空に突き立て勝どきをあげる。
「・・・もう終わったか? 迷惑だからもう止めような」
俺は、肩で息をするリトにそう諭す。
「にゅん。平和になったにょ」
ああ、全くその通りだ。
高級そうなソファーのあちこちに穴が開いている。
千代さんが、表情のない顔で割れたコップや皿を片していた。
一人用の椅子に腰かけている老人カシンは、ニコニコしているが内心はどう思っているかわからない。
夜笑さんは―――、我関せず。
美味しい料理に舌鼓を打っていた。
『みなさま、お待たせいたしました。当機はまもなく馬児島空港に到着いたします。馬児島空港付近、現在雪が降っております。念のためシートベルトの着用をお願いいたします』
機長の声でアナウンスが流れた。
窓の外はすでに日が暮れていて、街明かりの他何も見えない。
千代さんも、夜笑さんも席についてシートベルトを掛けた。
夜笑さんがリトを抱いて、俺は千代さんに抱かれている。
夜笑さんがいいなぁ・・・。
老人カシンは、一人椅子に足を組んで座っている。
窓の外を眺めているカシンの顔は、無表情で冷たい目をしていた。




