リトとおちゃる
21 リトとおちゃる
夜笑さんは、生きていた。
俺は、とても安堵した。
ほっとしたんだ。
俺の心が救われた・・・壊れそうだったんだ。
「ありがとう。リト、お前が助けてくれたんだな」
俺は、傍にいるリトに感謝した。
今ならわかる。夜笑さんの胸がゆっくりと上下している。
「どうやって治療したんだ? 酷い怪我をしていたのに・・・」
落ち着いて、夜笑さんの様子を見てみれば、治療の痕跡もない、それどころか怪我の痕跡も白衣を染めた血の跡しかない。
「にゅー、くわちくいえないけど、腹を切り裂いて臓物を結んだりしたにょ」
「嘘をつくな・・・」
あきらかな嘘だ!
顔に嘘と書いてある。
すっとぼけてる顔をしている。
俺は、スーとセイに目を向ける。
鳩とトカゲも、目をそらしてとぼけている。
まぁ、良いさ。
夜笑さんが無事なら、それで良い。
「さて、猿王の所へ行って話しを済ませちまおうぜ」
トカゲのセイが、ごまかしついでに言った。
「この嬢ちゃんは、俺が見といてやるよ。お前らが戻るころには目を覚ますだろう」
「にゅん。セイにまかせるかにょ」
「もう、すぐそこですから、そうしましょう」
スーが、いそいそと飛びたった。
俺は、山を登りかけて足を止めた。
もう一度、夜笑さんの様子を見る。
なんだろう・・・。
何だか夜笑さんの雰囲気が、少し変わったような気がする。
うまくは言えないけど・・・。
大人びたというか、成長したというか・・・。
いや、気のせいだ。
よくわからない。
俺は、再び歩き出した。
先を歩くリトについて行く。
猿王のいる頂は、さっきの猿飛がいた広場からすぐらしい。
広場には、すでに猿飛の姿も猿角の姿もなかった。
少し急な岩場を登ると、また開けた場所に出た。
どうやらここが頂上のようである。
中央に石碑が建てられていて、何やら書いてあり、その上に老いた猿が腰かけていた。
「おや、コウ殿。お久しゅうございますな」
老猿が、石碑の上から俺たちを見下ろしながら言う。
「ちがうにょ、リトにょ」
「おやおや、また名を変えたのですか・・・酔狂な事だ、良いお名前だったのに」
「名前なんて、何でもいいにょ。それより、おちゃる! シワシワにょ!」
リトは、石碑の上の猿を見上げている。
老猿と子猫が、会話をしている画に違和感しか覚えない。
「そのおちゃると言うのは、やめて頂けまいか。これでも一族を率いる長ですぞ」
「おちゃるは、おちゃるにょ!」
リトは、屈託の無いまん丸い目で老猿を見ていた。
どうやら、この老猿が猿王のようだ。
威厳も何も感じない。
ただの老猿だが・・・。
「やれやれ、して、此度は何用でここまで来られた?」
猿王の問いに、リトは黙った。
猿王の様子を見ている。
猿王も黙って、リトを見ていた。
「あの者について何か知らないかにょ?」
口を開いたリトの言いようは妙であった。
いきなり、何の話し?
そして、何か含みがありそうな・・・。
「はて、あの者とは? 何の事でしょう」
「知らぬということかにょ?」
「ええ、知りませぬ」
猿王は、言い切った。
リトは、また黙った。
リトの隣に、スーが降りてきて目くばせをする。
「わかったにょ。用事は、それだけにょ」
リトはそう言って、元来た道を戻ろうと踵を返した。
このリトの行動に、猿王が初めて顔色を変える。
「待たれよ。それだけでは済むまい。何をしに来た?」
猿王は、眉間に皺を寄せて怒っているようだった。
「・・・災いを・・・持ってきた」
リトは、振りかえると静かに言う。
猿王は、溜息をついた。
「そうか・・・これが、今生の別れとなろう。世話になりましたな、コウ殿・・・」
猿王は、優しい顔になっていた。
リトがため息をつく。
「残念にょ」
リトは、そう言ってその場を後にした。
俺は、何が何だかわからず、猿王に会釈してリトの後に続く。
「おい、もういいのかよ! 久しぶりに会ったんだろう? 手洗い歓迎を受けたんだし、何かあるだろう」
俺は、納得いかなくて抗議した。
「もういいにょ。おちゃるも、ここも、ずいぶん変わっちゃったにょ」
リトは、何だか悲しげだ。
しばらく無言で、岩場を降りた。
スーも何もしゃべらない。
俺は、納得がいかない。
夜笑さんがあんな目にあわされたのに、文句の一つも言わないなんて・・・。
旧知の間柄なら、こんなやり取りないでしょう?
あーあ、嫌な感じ―――
また俺だけのけ者、疎外感・・・。
そりゃね、俺は普通の猫ですよ。
えーえー、特殊な力もないし、みんなみたいに闘えませんよ。
だからって・・・。
俺は、不平だらけで岩場を降りていた。
視界に、夜笑さんの姿が見えた。
気が付いたんだ!
立ち上がっていて、俺たちを待っている。
俺は急いで岩場を駆け降りた。
リトもスーも追い抜いた。
「夜笑さん!」
「シロさん!」
夜笑さんは、俺に気付くと嬉しそうに笑う。
俺は、夜笑さんに飛びついた。
ああ、ダメだ。
また涙が・・・。
俺は、夜笑さんの腕の中でわんわん泣いてしまった。
「シロさん・・・心配かけてごめんなさい」
夜笑さんは、俺の頭を撫でる。
「リト様」
リトが夜笑さんの元に辿り着くと、夜笑さんは俺を抱いたまま膝をついた。
「この度は、私を救うために格別のお力をいただき、誠にありがとうございました」
「いいにょ。夜笑が助かって良かったにょ」
「いただいたこの命と力、リト様のお役にたてたいと存じます。リト様の手足と思ってお使いください」
「にゅん。家畜の如く働くにょ」
「御意」
夜笑さんは、リトに坐礼する。
まぁ、リトが何らかの治療をして夜笑さんを救ったのだろうけど、大袈裟過ぎない?
そうして、俺たちは猿山城を下山する。
下山中、みんな余計な事は何もしゃべらない。
俺は、最後尾の夜笑さんを気遣いながら、楽な足運びを誘導した。
猿山城の入口まで降りると、黒い車が停まっていて、夜雲が手を振っている。
来た時の軽トラとは、ずいぶんと違う。
高級そうで、何より早そうだ。
「リト様、お疲れさまでした。ご所望の速い車に変えさせていただきました」
夜雲は、リトの姿を見つけると深々と頭を下げる。
「にゅん。ごくろうにょ」
チビ猫がぁ、態度だけでかい!
「如何でしたか猿王は?」
「シワシワで、今にも死にそうだったにょ」
「左様でしたか」
夜雲は、日焼けした黒い肌に白い歯を見せて笑った。
「ん? 夜笑、お前どうしたんだ」
夜雲は、夜笑さんを訝し気に見る。
「猿角という者にやられ、死にかけたところを、リト様にお力を頂戴してお救いいただきました」
夜雲は、目をまん丸に見開き、夜笑さんを凝視する。
「そ、そうか・・・それは、ありがたき事」
夜雲は、リトに膝をついて頭をたれた。
「リト様、格別のご配慮痛み入ります」
「格別じゃないにょ、夜笑は大事なお友達にょ」
リトがそう言うと、夜笑さんは夜雲に抱きついて、二人で喜びを分かち合っているようだった。
何が、大事なお友達だ・・・。
さっきは家畜の如く働けって言っていたのに・・・。
「夜雲さん。ひとつ気がかりが」
「ああ、夜刀神様だな。大丈夫だ、娘の無事と成長を喜ばない親がどこにいる」
夜雲が夜笑さんの頭を撫でる。
夜笑さんは、安心したようで何度も頷いた。
「さて、皆さん。車にどうぞ、麓までこれでお送りします」
夜雲が、俺たちに乗車を促す。
この車、後ろにも座席があるのに、扉は前の席にしかない。
夜笑さんが助手席に座って、俺とリトとスーとセイで、後部座席に乗り込んだ。
車が走り出すと、俺たちは後部座席の背もたれに張り付いた。
凄いスピードで、右へ左へと体が吹っ飛ばされる。
「にょ―――」
リトは、大喜びだ。
俺は・・・うっ、気持ちが悪い。
車は、麓のキャンプ場で停まった。
あっという間に着いた。
しかし、俺は気持ちが悪いし車から降りてもフラフラして、地面が揺れているような気がした。
「今日はお疲れでしょう。ゆっくりお休みください。すぐ食事にしますので、それまでごゆるりと」
夜雲は、忙しなく立ち去ろうとしたが、それをリトが引き留める。
「帰るにょ」
「え?」
夜雲は、虚を突かれた顔をする。
「おうちに帰るにょ」
「今からですか!?」
夜雲が驚くのも無理はない。
もう、陽が陰り始めている。
「今からですと・・・いや、問題ありません。すぐご用意いたします」
夜雲は、スマホで誰かと話し始めた。
「俺様も帰るわ」
セイも地面を這いながら言う。
そういえば、セイはどこから来たのだろう?
「セイのお家は、近いの?」
俺は、足元のセイに訊ねる。
ちょこちょこカサカサ動くから、猫の俺としては気になって仕方がない。
「ああ、近所ってわけでもないけどな。石岡って霞ヶ浦のそばの街だ」
「それでしたら、セイさんもお送りしますよ」
夜雲が、スマホをポケットにしまいながら言う。
仲間に車の手配をさせたらしい。
「リト様、申し訳ありませんが、夜笑はしばらくこちらで預からせていただきます。少々弱っているようですので、養生させたいのです」
夜雲の提案を、リトは快諾した。
「夜笑には、無理をさせたにょ。大事にするにょ」
似合わない。
リトの口から、優しい心遣いが発せられるとは・・・。
俺は、少し寒気を感じた。
「リト様、すぐに戻ります」
夜笑さんは、リトを抱き上げるとリトのうなじや腹に顔をこすりつけ匂いを嗅いだ。
猫吸いってやつだな。
しばらくすると、1台の白くてやたら長い車がやってきた。
何じゃこれ、初めてみた!
「お疲れでしょうから、くつろげる車にしました」
夜雲は、車の後部座席のドアを開ける。
中を見て、俺はたまげた。
革張りの長椅子がコの字にあって、真ん中におしゃれなテーブルがある。
「夜雲は、お金持ちなの?」
俺は、夜雲を見る目を変えた。
安っぽい服を着ているけど、本当はすごい人間なのかもしれない!
「いやいや、車を扱う仕事をしているんで、これも商売道具さ」
夜雲は、謙遜して苦笑いをするが、俺にはわかった。
金持ちだ。
金の匂いがする。
車の中に、黒いスーツ姿の若い男がいた。
「こいつに、何でもお申し付けください。食事の用意もできますので」
「いらないにょ」
「はい?」
また夜雲は、虚をつかれる。
「こいつは、いらないにょ」
リトは、車を降りて頭を垂れている若い男を指して言い放った。
若い男は、今にも泣きそうな顔をしている。
可哀そうだ。
「わ、わかりました」
夜雲は、可哀そうな男にもう一台のスポーツカーに乗るように指示をする。
「おい、いいじゃないか。なんでそんな酷いこと言うのさ」
俺は、小さな声でリトをたしなめる。
「いらないにょ・・・」
リトはそう言って、そそくさと白い高級車に乗り込んだ。
俺とスーもそれに続く。
「では、出発します。冷蔵庫の中に食事と飲み物を用意していますのでご自由にお召し上がりください」
夜雲は、そう言って扉を閉めると運転席にまわった。
車が走り出す。
外では、夜笑さんが着物の袖で口を押さえながら手を振っていた。
また、すぐに会えるよ・・・。
俺も、窓に張り付いて夜笑さんが見えなくなるまで手を振った。
トッー
何だろう?
屋根に小さな振動があった。
俺は、リトが何かしたのかと思い、リトを見る。
リトは、横柄な顔と態度でソファに座っている。
何もしていない。
俺は、天井を見上げた。
別に、気にするようなことでもないか・・・。
窓の外は黄昏時で、山吹色に染まる大地が、木々とその葉の隙間から時折見え隠れする。
キャンプ場が見えないかと探したけれど、もうそれがどこにあるのかわからなかった。




