猿山城の戦い 猿飛
20 猿山城の戦い 猿飛
猿角のいた岩場から少し登ると、開けた草地に出た。
小川のせせらぎに、羽虫が飛び交い幻想的な風景を作り出していた。
死した者の魂が、安住の地を見つけ集まってきている。
そんな風に見えてしまうのは、今まさに死の間際にいる夜笑さんの身を案じているからだろうか・・・。
「見ていたよ」
猿がいた。
若い猿だった。
「猿角を倒すなんて、あの子猫ちゃん凄いね」
猿は、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「でもね。僕は猿飛、次の猿王になる者だ」
静かな物言いは、自身に満ちている。
「あのおチビちゃんならともかく、君たちでは僕には勝てないよ・・・」
残念そうに俺たちを見る。
スーは、小川の近くにセイを降ろして、自分は川の中に石に乗った。
「何だかさ…、前にもこんなことあったよな」
セイが、川の水で喉を潤してから言う。
「そうですね・・・。タイガさんを失ったときも、こんな感じでした」
スーが空を見上げる。
また、タイガの話しか・・・。
知らない者の話しをされても困る。
「何の話しをしているのです? 僕への恐怖で狂いましたか?」
猿飛が、つまらなそうに言った。
「さぁ、どちらからでも良いです。かかって来なさい。あの娘の所へ、僕が送ってあげましょう」
猿飛が消えた!
「じゃぁ、俺がやる」
セイがそう言う。
猿飛はセイのすぐそばに現れて、セイを踏みつけんばかりに地を蹴りつけた。
「お待ち下さい。夜笑さんを傷つけられて、私は怒っています。私がやります!」
スーが、翼をばたつかせて少しだけ飛び上がった。
その足には、夜笑さんから送られたドクロの銀細工が鈍く光っている。
一瞬にして、スーの頭上に現れた猿飛が、右腕を振り上げ爪でスーを切りつけた。
しかし、その一撃はスーには当たっていない。
スーが寸前のところでかわしたのか、外したのか?
俺の背後で、ふわりとした風を感じた。
背筋が凍る。
後ろを振り向こうとしたその時、俺は凄まじい衝撃を背に受け飛ばされた。
「おいおい、白猫、よえーな!」
茂みの中から、セイの声がした。
背中が熱い。
猿飛の攻撃を受けたのだ。
俺は、その場でうずくまり痛みに耐える。
「シロさんは普通の猫です。あなたはシロさんを守ってあげてください。猿は、私がやります」
スーが羽ばたきながら、宙で言った。
「お守が必要なガキを連れてくんなよ!」
「シロさんは、リト様のお友達です。守れねばリト様を怒らせますよ」
「かぁー、めんどくせー。おい、白猫! 邪魔だから離れてろ!」
草の中からセイが叫んでいるが、その姿は見えない。
俺だって、すぐにもこの場から立ち去りたいけど、背中の痛みで動けない。
「おしゃべりをしている場合ですか!」
地を蹴って、猿飛がスーに飛びかかった。
スーが猿飛の攻撃をかわしているようには見えないけど、またしても猿飛の攻撃はスーに当たらなかった。
猿飛は、着地のついでにセイに蹴りをみまう。
俺にはセイの居場所なんてわからないけど、猿飛には見えているようだ。
「お、そういやこの白猫、タイガに似ているな」
セイの声がした。
セイは無事のようだ。
「ええ、まったく似ていないようで、どこか似ているのです」
再び地を蹴ってスーに攻撃を仕掛ける猿飛であったが、その攻撃は空を切った。
スーがいない!
「おい、スーどうするこいつ?」
「ちょこまかと、すばしっこい小動物め!」
猿飛は、セイの声がする方へ飛びかかる。
しかし、猿飛はセイの存在を見失ったようである。
「くそ! どこへ行った!? 逃げるな!」
猿飛は、周囲を見まわしながら叫んだ。
「おいおい、まじかー」
ずいぶん離れた場所からセイの声がした。
「むー、困りましたね」
はるか上空でスーが言う。
猿飛は、セイの声がした方を睨みつけている。
連続の攻撃で、猿飛は肩で息をしていた。
「おい、猿! 猿角とかいうでかいの呼べよ。そうしたら少しはましになるだろう」
「それはいい考えです! 私は猿角とやらせていただく」
スーが上空から降りてきた。
「舐めるなよ小動物!!」
猿飛が叫ぶ。
「じゃぁ、お前一人で俺たちに勝てると思うか・・・」
セイが冷めた声で言った。
どういうことだ?
スーもセイもまだまともに闘っていないのに・・・。
「キィィィィィィィ―――」
猿飛が、空に向かって叫ぶ。
「よしよし、それでいい」
「お、来ましたよ」
上空で旋回しているスーが松林の方を見て言う。
松林を見ると、両手に丸太を抱えた猿角がいた。
「兄者!」
猿角は走りながら叫んだ。
「猿角、お前は鳩をやれ! 俺はトカゲをやる! 油断するなよ!」
猿飛も走り出す。
「猿角! リト様はお前を見逃しましたが、私はそんなに甘くありませんよ」
上空のスーが、猿角めがけて滑空する。
「あ、まてスー! 落ち着け!」
草の中からセイが叫んだ。
スーが猿角にぶつかり、猿角が松林の方まで飛ばされた。
「馬鹿野郎! スー! 加減しろよ!」
セイの声が、凄まじいスピードで松林に向かう。
「お、大丈夫だ! かろうじて生きている!」
猿角の元にいち早く駆け付けたセイが叫んだ。
「と、当然です。ちゃんと手加減しましたから・・・」
ゆっくりと草の上に降りてきながら、スーが言う。
「何が手加減だ!? コイツじゃなかったら死んでたぞ!」
セイがスーを責め立て、スーは気まずそうな顔をした。
「おい、猿飛とやら! お前の弟が重症だ! こっちへ来い!」
セイにそう促され、猿飛は躊躇いがちに松林に向かった。
俺もその後を追う。
「え、猿角!」
松林に辿り着くと、巨体の猿が口から泡を吹いて倒れていた。
猿飛が、慌てて巨体にすがりつく。
「おい、揺らすなよ。安静にしていれば大丈夫だ」
猿飛の足元で、小さなトカゲのセイが言った。
「こいつキレるとヤバイんだよ」
セイがスーを睨みつけながら言う。
スーは、いたたまれないのか意味もなくクチバシで地面を突いている。
「キレてませんけど・・・」
「そろそろ良いだろう。コウ様の所へ戻ろうぜ」
「コウ様ではなく、リト様です。名前間違えると怒られますよ」
「めんどくせなぁー、なんでしょっちゅう名前変えるかねぇ」
1羽と1匹は、しゃべりながら来た道を戻る。
俺も、その後に続いた。
猿飛を振り返って見たけど、もう闘う意思は無いようだ。
猿角を心配そうに見下ろしている。
鳩のスーも、トカゲのセイも、まったく強そうには見えないけど、実はとても強いのだ。
俺は、それを実感した。
次期猿王であると豪語した猿飛を、スーもセイもまったく相手にしなかった。
力量に差がありすぎて、相手にできなかったのである。
猿角はスーにやられてしまったけど、それだって猿角にスーがぶつかっただけである。
今までは、リトがめちゃくちゃすぎて気付かなかったけど、こいつらも凄い奴らなんだ。
俺は、セイを足に掴んで飛ぶスーの後を追いながら、そんな事を考えていた。
しばらく山を下って、俺たちは夜笑さんと猿角が闘った岩場に戻ってきた。
リトがいた。
そして、リトの傍で夜笑さんがみぞおちで手を組んで横たわっている。
あ・・・。
ああ・・・。
俺は、滲んで見えなく目を、手で何度も拭いて涙を払った。
見なきゃ、見なきゃいけない。
最後の姿を、ちゃんと、見なきゃいけない。
俺は、ゆっくりと夜笑さんの元に近づいた。
夜笑さんの傍らにいるリトの後姿は、項垂れているように見える。
夜笑さんは、安らかな顔をしていた。
ただ、白衣の胸元は真っ赤に染まり、おびただしい出血を窺える。
俺は、リトの隣に座った。
「チロ・・・」
リトと目が合った。
リトも疲れているようだった。
もう、耐えきれない。
俺は、泣き叫んだ。
どこかの山に反響して、俺の泣き声がうるさい。
涙が、いっぱい出てくる。
俺の頭の中に、夜笑さんの笑顔が、すねた顔が、怒った顔、泣いている顔、いろいろな夜笑さんが現れては、消えていった。
初めて会った時の事・・・。
初めて抱っこされた時の事・・・。
バイクに乗せてもらった・・・。
ご飯も一緒に食べた・・・。
夜笑さん。
大好きだった。
「チロ・・・」
リトが、心配そうに俺に声をかける。
「チロ、うるさいにょ・・・」
あ、やっぱりリトはリトだ。
「で、どうするんだよこの嬢ちゃん? 担いでいっても、引きずっちまうぜ」
セイが、夜笑さんの足元で言う。
こいつは・・・、なんて不謹慎な・・・。
また、リトにぶん殴られるぞ。
「私が掴んで麓まで飛んでも良いのですが、途中で服が脱げて落としてしまうかもしれませんし・・・」
おいおい、スーまで何を言い出すんだ。
「こまったにょー、夜笑はまだ起きれないし・・・」
ん?
起きれない?
俺は涙を拭いて、リト、スー、セイの顔を見た。
いつもの顔・・・。
深刻そうな顔をしている者はいない。
俺は、慌てて夜笑さんの胸に飛びついた。
「にょー!チロ、何するにょ! 変態にょ――」
何を言われようと、構うものか!
俺は、柔らかい夜笑さんの胸に耳を当てた。
わからない。
俺が動揺していて、何も聞こえない。
俺は、夜笑さんの口元に耳を寄せた。
口じゃない。
鼻だ!
あ
ああ
あああああああああああああああああああああああああああああああ
また泣いた。
嬉しくて泣いた。
夜笑さんは、生きていた。




