猿山城の戦い 猿角
19 猿山城の戦い 猿角
苔むした石を踏みながら、急な斜面をゆっくりとした足取りで登って行く。
いつ襲ってくるかもわからない猿たちの気配を感じながら、俺は固唾をのんで夜笑さんの後ろを歩いた。
俺の前を歩いていた夜笑さんが、立ち止まる。
「シロさん、私の前に来てください・・・」
ん? 何だろう。
俺は、夜笑さんに言われた通り前に出る。
「背後を狙うとは、卑怯者め!」
突然振り返った夜笑さんは、長い爪で宙を切りつけた。
何か黒い影が、飛び退いてそれをかわす。
夜笑さんの爪から滴たる液体が、足元の石を濡らした。
「蛇の毒は怖かろう・・・死にたくなければ、近寄るな」
夜笑さんは、頭上の木にぶら下がる1匹の猿に警告する。
「蛇毒爪・・・その技を使う蛇は、一族の上位者と聞く」
頭上の猿が、吸い込まれそうなまん丸な目で俺たちを見下ろしていた。
「我々が、いつまでも蛇の毒を恐れる弱き動物と思うでない」
「強がりを・・・お前以外の猿は、怯えて姿を見せぬではないか」
夜笑さんは、冷笑する。
「ここにいるのは、猿歩ゆえお前たちの毒の呪縛に打ち勝てていないのだ」
「猿歩とはなんぞ?」
「若い猿なり、皆まだ名を持たぬ弱者なり」
「では、去れ。名を持たぬものと語る事はない」
「我が名は、猿と(えんと)また会おう」
猿と、と名乗った猿は木の葉の中に消えていった。
それを追うように、周囲に隠れていた猿たちが木の枝を飛び移って行く。
こんなにたくさん潜んでいたのか・・・。
「さぁ、行きましょう」
夜笑さんは、微笑した。
さっきまでのちょっと怖い夜笑さんは、もういない。
「何だったんだろう? さっきの猿」
「あの者だけ名を持っていたようですので、若い猿たちのまとめ役のようなものでしょう」
「おちゃるは、全部一緒に見えるから全部おちゃるでいいにょ」
いつの間にか、夜笑さんの胸元に潜り込み、袂から顔だけ出しているリトが言う。
「お前は、そもそも名前を覚える気が無いだろう」
「ないにょ」
いい加減なやつだ。
さっきまでの緊張感は、猿たちがいなくなってすっかりなくなった。
普通に登山を楽しんでいる。
「わぁー、いい景色」
急に視界が広がって、夜笑さんが感嘆の声をあげる。
岩場に出た。
この辺りだけ大きな木がないので、麓の様子が良く見える。
遠くにビルの立ち並ぶ都市が見えた。
俺たちが住んでいる縦浜は、あのあたりだろうか?
「あっちに見える街は、縦浜かな?」
俺は、そんな疑問を夜笑さんに投げかける。
「ちがうにょ、縦浜は見えないにょ」
リトが夜笑さんの胸元から、冷めた目で俺を見ている。
そんなこともわからないのかと、言わんばかりに・・・。
「あ・・・」
夜笑さんの背中の先に、一匹の猿が立っていた。
こっちを凝視している。
「お猿さんいるよ」
俺は、猿を指さす。
「ええ、気にしなくても大丈夫です」
どうやら夜笑さんも気付いていたようだ。
その猿は、こちらが目をそらすと少しずつ距離をつめてきた。
だるまさんが転んだ、をやっているみたいだ。
「さ、先に進みましょう」
俺は、夜笑さんに促され歩きはじめた。
猿が、もうすぐそこにいる。
ん?
猿が、何か言っている。
声が小さくて良く聞こえない。
夜笑さんは、完全に猿を無視している。
猿の脇を通り過ぎるとき、やっとその猿が何を言っているのかが聞こえた。
「我が名は、猿香ここから先は通さない・・・」
ブツブツと、念仏のようにそう言っている。
「あのー、夜笑さん。この子、何か言っているよ」
「良いのです。構わないであげてください。せめてもの情けです」
俺たちは、猿の脇を通り先に進んだ。
振りかえると、微動だにせずまだ何か喋っているようであった。
可愛そうに・・・恐怖で硬直している。
そんなに夜笑さんが怖いのか・・・。
潜在的に蛇を恐れるくらいの、恐ろしい目にあったのだろうけど、いったい、過去の戦いで何があったのだろう?
岩場を抜けると、少し下った。
松の木の林が続く。
「待てい! 我が名は猿桂なり!」
どこからか、威勢の良い声がした。
夜笑さんは、歩をゆるめない。
「待てい! これより先に行くには、我を倒さねば進めぬ」
夜笑さんは、停まらない。
「待てい!」
待てい! という猿の声が、背後でだんだん小さくなっていく・・・。
「夜笑さん? 待てって、お猿さんが・・・」
「振り向かずに、行きましょう」
俺は、猿が気の毒になってきた。
松林を抜けると、大きな岩が転がる岩場に出た。
この猿山に不釣り合いな、鉄塔が建っている。
「よくぞここまで辿り着いた! 我が名は猿銀」
「香と桂を倒すとは、なかなかの強者と見た! 我は猿金なり」
二匹の猿が、鉄塔にぶら下がっている。
鉄塔の先を見ると、また松林が広がり、道が二つに別れていた。
「この先は、我が一族最強の猿角と猿飛が守る砦なり!」
猿銀が、叫ぶ。
「道が二手に分かれているようです。どちらに進めば良いのでしょうか?」
夜笑さんが、二匹の猿に訊ねた。
「右に行けば、猿王の座する頂あり! 左に行けば麓に降りる近道なり!」
猿金が答えた。
「ありがとうございます」
夜笑さんは、二匹の猿に深々と頭を下げた。
俺たちは、右の道を進む。
背後の二匹の猿は、無言で俺たちを見送る。
何なんだ・・・。
実は、歓迎されているのではないだろうか?
そんな風にも思ってしまう。
松林を抜けると、巨岩が目の前に立ちふさがった。
「猿角だ!」
あろうことか、その巨岩が動き出す。
目の前に巨大な何かが落ちてきて、粉塵をまき散らした。
夜笑さんも俺も吹き飛ばされて、離れ離れになった。
「夜笑さん!」
舞い上がる埃の中に、少し離れた場所で夜笑さんらしき影を見つけた。
「大丈夫です! シロさんはそこにいてください」
いったい何が起こったんだ・・・。
風に埃が流されると、俺は目の前の巨岩の姿に驚いた。
巨岩と思ったそれは、猿だった。
ゴリラよりも大きな体躯の猿が、丸太を両脇に抱えて立っている。
「おやおや、外したか・・・いや、よけられたのかな?」
ここまでが余裕過ぎて、こんな突然の展開に思考が追いつかない。
何が起きているんだ!
「俺様は、名乗ったぜ。お前たちは何者だい?」
巨体の猿が、ニタニタと笑いながら訊ねてきた。
「我が名は夜笑! 夜刀神様率いる蛇一族の夜笑なり!」
夜笑さんが名乗った。
夜笑さんも無事のようだ。
「そうかい、そうかい。これは積年の恨みを晴らす好機が来たもんだ」
猿角は、右手に抱えた丸太を振り上げる。
「どっこいしょー」
掛け声と共に、丸太が振り下ろされる。
また激しい衝撃と粉塵が舞い上がったが、夜笑さんは横に飛びかわしていた。
しかし、次の瞬間―――
埃煙る中、夜笑さんの悲鳴が聞こえた。
そして、何かが俺の目の前を通過した。
粉塵で何も見えない。
「夜笑さん!!」
俺は、何かが起きたことを察し、夜笑さんの名を叫んだ。
返事がない!
埃が消え、視界が回復した。
俺の正面にいたはずの夜笑さんがいない・・・。
巨体の猿が、両手に丸太を持って佇んでいる。
「猫もいるなぁー」
猿角が、俺を見ていた。
背筋に寒気が走る。
何かが、視界の隅で動いた。
慌ててそれに目を向けると―――
それは岩にもたれ掛かり、口から血を流している夜笑さんであった。
「夜笑さん!!」
俺は、夜笑さんに駆け寄る。
大変だ!
酷いケガをしている。
「すみません・・・油断しました」
そう言って夜笑さんは、吐血した。
「しゃべらないで! じっとして!」
俺は、どうしていいのかわからなかったけど、夜笑さんに安静を求めた。
「り、リト様・・・」
「にゅー、夜笑・・・大丈夫かにょ?」
リトが夜笑さんの袂から顔を出した。
「よかった・・・。無事ですね」
夜笑さんは、リトの姿を見て安心したのか気を失ってしまった。
「フフフー、凄いだろうー! 俺、二刀流なんだぜー」
猿角が、二本の丸太を肩に担いで近づいてくる。
「しゃべるな、ごりら!」
リトが夜笑さんの白衣の袂から飛び出した。
乱暴に出てくるから、夜笑さんの胸元がはだける。
俺は、夜笑さんの袂をなおしながら夜笑さんの名を呼び続けた。
しっかり、夜笑さん!
「ちっちゃな猫ちゃん! グチャグチャになっちゃうぞー」
猿角は、リトを見て嘲わらう。
「そ―――れ―――」
猿角は、リトめがけて丸太を振り下ろす。
衝撃が、音となって辺りの空気を震わせた。
「あれ―――」
猿角が、素っ頓狂な声を出す。
猿角の振り下ろした丸太を、リトが左手一本で受け止めていた。
「ちょうど良かったにょ・・・お前を八つ裂き(やちゅざき)にする前に、爪を研ぎたかったにょ」
リトは、そう言って丸太を左手で引っ掻いた。
ボト、ボトボトと輪切りになった丸太片が地面に落ちる。
「うわ―――」
猿角は、驚いて左手に持った丸太でリトを薙ぎ払う。
ドスンという凄まじい音がしたが、またしてもその一撃はリトに受け止められた。
「右のお手々も、研がせてくれるのかにょ」
リトは、右手の丸太も切り裂いた。
「ひえ―――」
驚愕する猿角は、恐ろしいものを見る目で、リトから後ずさりする。
「十分に研げたにょ・・・」
リトは、両手の爪を広げて猿角を追い詰める。
「お助け―――」
猿角は、短くなった丸太を放り投げ、松林の方へ逃げ去った。
「夜笑!」
猿角を撃退したリトが、夜笑さんに駆け寄る。
「にゅー」
リトが、夜笑さんの口の中を覗いたり、瞼をこじ開けたりして容体を調べる。
「にゅー、まずいにょー、ちんじゃうにょー」
珍しくリトが、困惑している。
「お―――い! リト様ー」
空からリトの名を呼びながら、鳥が飛んできた。
スーだ!
スーがやってきた。何やら足に何かを掴んでいる。
「にゅー」
リトは、夜笑さんを凝視していてスーには目もくれない。
「あれ? どうかした」
スーが、すぐそばに降りてきた。
「なんだよ! また名前変えたのかよ! めんどくせーなぁ」
スーが足に掴んでいたものがしゃべった!
トカゲだ!
トカゲがしゃべっている。
「おぅ、なんだ白猫! 物珍しそうに見てんじゃねーぞ!」
口の悪いトカゲだ・・・。
「どうかしたのです? 夜笑さん!」
スーが、口から血を流して倒れている夜笑さんに気付いて慌てふためく。
「ああ、ダメだなそのお嬢ちゃん。死んだわ!」
トカゲが、夜笑さんを覗き込みながら言う。
次の瞬間、リトの右手がトカゲ諸とも大地を殴った。
軽い地震が発生し、山の上の方から落石が転がる。
「いててて、なんだよ!久しぶりに会ったのに、挨拶より先になぐるこたーねーだろ!」
トカゲは、頭を抱えながら抗議する。
こいつも、只者じゃないな・・・。
「このままだと、夜笑ちんじゃうにょ、スーちゃんとセイで、この先にいるおちゃるやっつけてきてほしいにょ」
懇願・・・。
あのリトが、すがるような声でスーとセイと呼ばれたトカゲに言った。
2匹は、黙ってしまった。
「もう帰ろうよ! 急いで帰れば助かるよ! 夜雲さんに連絡してよ!」
気付かなかったんだけど、俺泣いてた・・・。
「おい、スー。行くぞ」
セイが、スーの足元による。
「ええ、行きましょう」
スーは、足でセイを掴んで飛び上がった。
「シロさん。あなたも一緒に行きますよ。ここにいては、リト様の邪魔になる」
何を言ってるんだこいつら、そんな場合じゃないのに・・・。
「お願いにょ。チロも一緒にいって、猿飛に落とし前つけてくるにょ」
言葉の最後の方には、怒りと憎しみが込められていた。
リトのそんな姿見たことないから、よくわからないけど、従うことにした。
でも、涙が止まらないんだ・・・。
空を飛んで先に行くスーとセイの姿がぼやけて、良く見えない。




