猿山城の猿王
18 猿山城の猿王
早朝、俺たちは鳥のさえずりで目を覚ました。
小屋を出ると辺りは朝露で濡れており、芝生広場に数匹の鳩が何かをついばんでいる。
「スーちゃんうるさいにょ!」
リトが、近くに寄ってきた鳩を叱った。
「いや、似てるけど違うだろう」
鳩は、リトに驚いて逃げ去る。
「にゅー、違うポッポかにょ・・・。じゃぁ、朝ごはんにするかにょ?」
「やめておけ、夜笑さんが用意してくれるよ」
「リト様、おはようございます」
少し遅れて小屋から出てきた夜笑さんが、リトを抱き上げるとその頬に口づけをして執拗に頬ずりをする。
「にゅー、くすぐったいにょー」
リトは、キャッキャと喜んでいる。
俺もしてほしいな・・・。
「夜笑、朝ごはんにするにょ」
「はい。あ、でもどうしましょう? 買うのを忘れていました。申し訳ありません・・・」
「大丈夫にょ、あそこにいるにょ」
リトは、芝生の鳩を指して言う。
「でも・・・。あの中にスーさんがいたりしませんか?」
「スーだったら、抵抗するからわかるにょ」
いや、鳩ならみんな喰われたくないから抵抗するだろ。
俺はそう思ったけど、口には出さなかった。
リトが何かに気づいて、険しい顔をする。
リトの視線の先をたどると、キャンプ場に入り口付近から、数人の男たちが歩いてこちらに向かってくる。
あー、またあいつらだ。
昨日、夜笑さんにちょっかいをかけてきて、夜雲らに連れていかれた男たちだ。
リトが、眉をひそめて頭を揺らしながら男たちをけん制する。
「おはようございます。昨晩は、大変失礼いたしました」
金髪の入れ墨男が、夜笑さんの前で立ち止まると深々と頭を下げる。
他の男たちも、それに倣って謝罪した。
「これ、近くのパン屋さんで買ってきました。よかったらどうぞ」
男は、紙袋を夜笑さんのに差し出す。
「わぁ、良い匂い」
夜笑さんは、紙袋を受け取ると嬉しそうにして微笑する。
「焼きたてですね。わざわざありがとうございます。丁度、朝ごはんに悩んでいたところです」
「そんなもので、ゆるさないにょー」
リトが、男たちの足元で牙をむいて威嚇する。
「あと、これを・・・」
金髪男の後ろの男が、ビニール袋を差し出す。
夜笑さんがそれを受け取り、中の物を取り出す。
ニャウニュール(缶)が出てきた。
いつも食べているニャウニュール(チューブ)ではない。
量が多い。
「ゆるすにょ・・・」
リトは、男たちの足に体をすりつけ、喉を鳴らし始めた。
「では、我々はこれで・・・」
「ありがとうございます」
夜笑さんは、パンの入った紙袋を抱えお辞儀した。
「もう、女の子に乱暴したり、怖がらせてはいけませんよ」
「はい、すみませんでした」
男たちは、途中何度も頭を下げながら去って行った。
「夜雲さんが、あの方たちを叱ってくださったのですね」
「どうやって叱ったんだろうね・・・」
きっと怖い思いをしたんだろうなぁ。でなきゃ、あの態度の変わりようは無いだろう。
俺は、そう思った。
「怪我をしてる方はいないようですので、お話してわかってもらえたのではないでしょうか」
果たして、そうだろうか・・・。
「朝ごはんにしましょう」
「そうするにょー」
朝食を食べ終わるころ、1台の白い小さなトラックがやってきて、小屋の近くで停まった。
夜雲が乗っていた。
「よー、アイツら来たんだな」
夜雲は、俺たちの朝食の残骸を見て言った。
「ええ、とてもおいしいパンを頂きました。夜雲さん、酷いことしていません?」
「してねーよ。肉体的にはな・・・。精神的には知らんが」
夜雲は、白い歯を見せて笑う。
「リト様、おはようございます」
夜雲は、ニャウニュールの缶に顔を突っ込んで舐めまわしているリトの前で膝をついた。
「にゅー、かたくるしいのは嫌いにょ、さっさと言うにょ!」
リトは、缶から顔をあげて言い放つ。
「は! お探しの犬たちの所在が判明しました。いつでもお連れできます」
「わかったにょー、わんこに会った後、おちゃるに会いに行くにょ」
「わかりました。猿山城ですね」
「猿山城?」
お城があるのか・・・。
「猿山城って言われているが、猿たちが根城にしている山だ」
夜雲は、俺に説明してくれた。
築葉山から少し離れた場所にある小さな山で、昔から猿が住み暮らしているそうだ。
ライデンたちは、その傍の廃墟となったホテルに集まっているらしい。
「リト様、一つお伺いしたいのですが・・・」
夜雲は、躊躇いがちに訊ねた。
リトは、無言で水を舐めている。
「猿王と争うことになるのでしょうか?」
「・・・おちゃるしだいにょ」
猿王・・・。
凄そうな名前が出てきたな。
「実は、我々蛇の一族は猿共との争いを夜刀神様から禁じられておりまして・・・」
「大丈夫にょ、軽くひねりつぶしてやるにょ」
「どうして禁じられているの?」
俺は、素朴な疑問を夜雲に投げかけた。
「ああ、俺たちの一族は人間との争いで、元々住んでいた場所を追われてな・・・」
夜雲が、丁寧に教えてくれた。
追われてこの地に逃れてきた蛇の一族は、元々ここに住んでいた猿の一族と争うことになった。
それは大きな争いとなり、猿の一族は大敗を喫した。
それ以来、猿たちは蛇を忌み嫌い、恐れ怯えるようになった。
生まれた時から蛇に怯えるほど、潜在的な恐怖を植え付けられたのだ。
一族の長であった夜刀神は、やりすぎであったと反省し、以後一族の者に猿との関りを一切禁じたのである。
「私は、どうしたらよいのでしょう?」
夜笑さんはリトを抱きしめ、不安そうに夜雲を見る。
「お前は、特例だ。夜刀神様からの許しがあるのだから、精一杯リト様をお守りしろ」
「はい! この身に変えても、お守りいたします」
夜笑さんは、用意していた巫女装束に身を包み、白衣にたすきをかけた。
「お待たせしました」
コテージから着替えを終え出てきた夜笑さんの手には、ヘルメットとゴーグルがある。
「奇妙な格好だな」
夜笑さんの姿を見て、夜雲は嘆いた。
「仕方ないじゃないですか・・・」
夜笑さんは、不服そうに口を尖らせる。
夜笑さんは築葉神社に挨拶に向かい、その後俺たちと合流するという事になった。
夜笑さんは、巫女装束にヘルメットにゴーグルといった格好でバイクにまたがる。
「では、行ってまいります。リト様、しばしのお別れでございますが、すぐに合流いたしますので、どうかご無理はなさらないでください」
ほんの数時間離れるだけなのに、大袈裟な・・・。
俺たちは、名残惜しそうに走り出した夜笑さんのバイクを見送った。
夜笑さんのバイクがキャンプ場から見えなくなると、爆音が山間に響き渡る。
「おいおい・・・。急ぐにしても飛ばしすぎだろう」
夜笑さんのバイクが吐き出す爆音が、凄まじい速さで遠ざかっていく。
「巫女様って、その土地その土地の神社に挨拶しなきゃいけないの?」
「いや、アイツの性格だよ。律儀なのさ、俺はそんなことしない」
夜雲は、角刈りの頭を撫でながら苦笑した。
「では、リト様。我々も参りましょう」
夜雲は、小さなトラック(軽トラ)に俺とリトを乗せた。
この軽トラ、前に加藤さんに乗せてもらったトラックによく似ている。
夜雲が軽トラのエンジンをかけると、可愛らしい振動と音がして、ゆっくりと動き出した。
夜笑さんのバイクと比べると、可愛らしく感じてしまう。
ゆっくりゆっくり、のんびりのんびり軽トラは森林に囲まれた道を行く。
緩やかに車窓から見える景色は流れ、色濃い緑が川のせせらぎのように移り行く・・・。
「おそいにょ!! もっと飛ばすにょ!!」
あまりにもの単調な行き足に、リトがイラつく。
「すみません。リト様・・・。これが限界で・・・」
夜雲は、頑張ってスピードを出してくれているのだ。
俺たちが、夜笑さんのバイクになれてしまっているだけなのだ。
「次は、もう少しスピードが出る車を用意いたします」
夜雲が悪いわけではない。
それからリトは、目的地に到着するまでずっと、助手席から運転席の夜雲を急かし続けるのである。
夜雲を急かして、どうにかなるわけではないのに・・・。
目的地の廃ホテルに到着するころには、リトも諦めがついたようであったが、夜雲はだいぶ疲弊していた。
「お待たせしました。こちらにございます」
夜雲は、あちこちの窓ガラスが割れ、壁も所々崩れている建物の前に軽トラを停める。
俺は軽トラから降りると、その建物を見上げた。
今にもお化けが出てきそうな、おどろおどろしい雰囲気がある。
夜雲は、軽トラから降りるとすぐにスマホを取り出し、誰かと放し始めた。
「お、リトとシロか!」
声の方をみれば、わんこの集団が建物の影から出てきて、その中にライデンがいた。
「間違いない! どうしたんだお前たち!」
ライデンは、驚いた様子で俺たちのところに駆け寄ってきた。
「どうしたんだって、ライデンたちがピンチだって言うから助けに来たんじゃないか」
何だか不思議な言われようだったけど、久しぶりに会って嬉しくなった。
ライデンの後から、体のでっかいバウも現れた。
「ピンチ? 何の事だ?」
ライデンは、不思議そうに俺とリトを見ている。
どういうこと?
俺は、タモツから聞いた事をライデンに伝えた。
「アイツめー、また適当な事を―――」
どうやら、俺たちはタモツに一杯食わされたようだ。
ライデンたちは、犬たちの安住の地を作るために地元のワンコたちと協力して、この辺りの環境整備にやってきていたらしい。
集団が大きくなると、人間との共存も難しくなるし、誰にも迷惑をかけずに自分達だけで安心して暮らせるような場所を作ろうとしていたらしい。
それならそうで、一言言ってくれれば良かったのに・・・。
「確かに、猿山近くでは猿たちの妨害はあったが、アイツらにも迷惑をかけるつもりは無いからな、猿山からは距離をとるようにしたんだ」
「そうか、じゃぁ、タモツは何で一匹だけ帰ってきたの?」
「あいつは、お喋りが酷くて作業の邪魔になるから・・・。まぁ、お前たちに近状を知らせるというていで帰したんだ。かえって迷惑をかけてしまったな」
なるほど、すごく納得した。
だとすると・・・俺たちもういらないよね。
「じゃぁ、帰ろうか・・・」
俺は、振り返ってリトに声をかけた。
「帰らないにょ。ワンコなんて最初からどうでもいいにょ」
え?
「ライデンを助けに来たんじゃ・・・」
「おちゃるに用があるにょ」
リトは、夜雲の軽トラに飛び乗る。
「さぁ、出すにょ!」
「おい、せっかく来たんだ、ゆっくりして行けよ」
ライデンがそう言うが・・・。
リトが聞くはずもない。
「ごめん、ライデン。別の用事があるみたい」
俺も急いで軽トラに飛び乗った。
「もう良いんですか?」
夜雲が慌てて運転席に着く。
「おいリト! 猿を甘く見るなよ! 奴らは、知恵が回って―――」
走り出した軽トラの後ろで、ライデンが叫んでいる。
最後の方は、良く聞こえなかった。
「まったく、余計な時間とったにょ」
リトは、ゆっくりと走る軽トラの助手席で苛立った。
エンジン音だけは、必死の唸り声をあげている。
「猿に何の用事があるのさ?」
俺は、隣で奥歯を軋ませているリトに訊ねた。
「・・・おちゃるは、古くからの付き合いにょ。会いに行くにょ」
リトは、ぶっきらぼうに答える。
俺は、その理由を訊ねているのだが・・・。
「すぐそこなんで、もうしばしお待ちください」
夜雲は、苛立つリトに焦っている様子だ。
筋肉隆々で、とても強そうな夜雲が、小さな猫一匹に恐縮している姿が不思議でならない。
蛇の一族で、夜笑さんの兄貴分って事は、夜雲も大蛇なのであろう。
リトが、ただの猫でないことはわかるのだが、そこまで気を使う必要があるのか・・・。
「あ、見えてきました! あれです!」
夜雲が、フロントガラス越しに森の木々の隙間から垣間見える険しい山を指さした。
「にゅー、懐かしいにょー」
リトが、座席に屈みこんで正面の山を見上げる。
「リトは、ここに来たことがあるの?」
「昔、住んでたにょ」
意外であった。
猿と一緒に暮らしていたのか・・・。
「もうすぐです!」
「もうすぐもうすぐって、ぜんぜん山にちかづいてないにょ!」
なんだろう。リトは夜雲に厳しいな。
軽トラックは、ひと際きつい登り坂を苦しい声をあげながら登った。
そうして辿り着いたのは、広場のような場所である。
その先に道は無かった。どうやら行き止まりのようだ。
「ここです」
夜雲は、端に軽トラを停めた。
結構高い所まで登ってきたようだ。田園の広がる大地を眼下に望めた。
「にゅ、夜雲ごくろうだったにょ」
さっきまでイラついていたリトであったが、ちゃんと夜雲の労をねぎらった。
「いえ、申し訳ありませんが、私はここで失礼させていただきます」
夜雲は、運転席から降りると助手席側にまわって、俺とリトを降ろしてくれた。
俺とリトは山を見上げる。
険しい山だ。
どうやら猿たちも俺たちに気付いている様子だ。
姿は見えないが、キーキーと言う声が聞こえる。
麓の方から、聞き覚えのある爆音が凄まじいスピードで近づいてくる。
「夜笑め、もうやってきやがった。忙しなく失礼をしてなきゃいいが・・・」
黒い車体が姿を見せたかと思うと、それは後輪を滑らせながら俺たちのすぐそばで急停車した。
「お待たせしました!」
夜笑さんだった。
夜笑さんは、バイクから降りるとヘルメットとゴーグルを脱ぎ捨てて、リトを抱き上げる。
「リト様ぁぁ」
夜笑さんは、リトの首やお腹に顔を擦り付けクンクンと匂いを嗅ぐ。
凄まじい懐きようだ。
「じゃぁ夜笑、リト様をよろしく頼むぞ」
夜雲が夜笑さんの肩を叩いた。
「ええ、お任せください!」
二人は、頷き合う。
「では、リト様。私にご用があれば夜笑を通じて何なりとお申し付けください」
夜雲は、そう言って軽トラに乗り去って行った。
「では、参りましょう!」
夜笑さんは、リトを抱いたまま山の入り口に向かった。
獣道よりは少しマシな、荒れた石畳の道が木々のトンネルの中に続いている。
その入口の前で、夜笑さんは立ち止まった。
頭上の木の葉が揺れている。
何かいる!
「我が名は夜笑! 夜刀神様が率いる蛇一族の夜笑なり―――」
夜笑さんが、山の頂に向け名乗りを上げた。
「猿一族を率いる猿王に会いに来た! 通る―――」
木々のざわめきが消えた。
夜笑さんがは、ゆっくりと歩み始める。
山は静かだが、確かに何者かの気配を感じる。
見られているようだ。
監視されている。




