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犬猿の仲裁

16 犬猿の仲裁




 蝉時雨に目を覚ます。

 もう少し日が昇ってから鳴きだせばいいものを、朝早くから迷惑な奴らだ。

 俺は、緩いお屋敷の桜の木で鳴き始めた蝉を疎ましく思いながら、夜笑さんとリトが寝ている布団から出た。


 昨日のお通夜のようなお食事会の後、俺たちは加藤さんの実家であるこの屋敷に泊めてもらったのだ。

 昨日、簡単に訊いたところでは、加藤さんの両親が離婚して、加藤さんはお母さんと一緒に近くのアパートで暮らしているそうだ。


 お兄さんの行雨帯刀(いくさめたてわきさんは、このお家に残ってお父さんと暮らしていたが、そのお父さんも数年前に亡くなって、今はこの広いお屋敷に一人で暮らしている。


 この家は代々、行雨流という武術を受け継いでいて、そのために敷地の中に道場を持っていた。

 加藤さんが強いのも、小さいころからお父さんに武術を習っていたからで、お兄さんの帯刀さんは、すごく強いんだって。


 でも、まだ一回も見たことがない。

 きっと、山のように大きくてたくましい男なんだろうな。


 廊下から庭を見ていると、舌を出し尻尾を振ってタモツが現れた。

 どこかに隠れていたのだろう。


「おはよう」


 コイツと話すと長くなって面倒だから、俺は挨拶だけして布団に戻ろうとした。


「まって、まって!」


 タモツは、慌てて俺を呼び止める。


「なんだよー、まだ眠いんだ。長い話はやめてよ」


「いやいや、私だって用事を済ませて早くこの場から立ち去りたいんですよ。夜笑さんと一緒じゃ、生きた心地がしませんし、昨日だって一睡もしてないのですから、ライデンさんからの伝言を、今からシロさんに訊いていただきます。そうしたら私、一目散にここを去らせていただきます。夜笑さんが目を覚ます前に―――」


「早く言え!」


 つい怒鳴ってしまった。でもこのまましゃべらせていたら、また本題に辿り着けなくなる。


「じゃぁ、言いますよー。えーと・・・」


 タモツは、思案顔で記憶を手繰り寄せている。

 忘れてしまうようなことなのか・・・。


 大した話じゃないな。

 俺は、呆れてため息が出た。


「あ、そうそう。猿と闘っていて、ピンチです。なんです」


 え?

 なんだって!?


「どういうこと!?」


「いや、猿がずる賢くて大変なんですよ。えーえー、難儀していたなー。そう言えば」


 なんて奴だ。ライデンたちの窮状を伝えにここまで来たのに、1日たってやっと伝えるなんて、伝令係失格だ。


 しかも、他人事のように言う。

 リトを起こさなきゃ。




 リトと夜笑さんを起こして、3人がかりでタモツを問い詰めた。

 タモツは散々責められて、今は申し訳なさそうに伏せている。


「しかし、筑波となると結構距離がありますね」


 夜笑さんは、庭のタモツを冷たい視線で見下ろしながら言う。

 タモツが怯えた。


 ライデンたちは、ここから北に犬の脚で3日程の築葉という所にいる。

 旧友の窮地を知り、救援に向かったそうなのだが、相手が猿で難儀しているとのことだ。


「猫の俺たちの脚じゃ、倍以上かかるよ」


 俺は、リトの様子を伺う。

 珍しく真剣に話を聞いていて、じっとタモツを見ている。


「私のバイクなら、高速道路を使って2時間、3時間見ていただければ行けるとは思いますが、その場合、午前中はお時間を頂きたいです。色々と調整しないと・・・」


 夜笑さんのバイクで行けるのでば、ありがたいのだけれど夜笑さんもあちこちの神社でお仕事してるから大変だよね。


 リトは、腕組みをして仁王立ちでタモツを睨みつけている。

 怒っているのか?


「リト様、心中お察しいたします。わたくし、急いで仕度して参りますので・・・」


 夜笑さんは、そう言って寝具を片しはじめた。


「おちゃる!」


 リトは、タモツを睨みながらそう言った。


 怒ってる?

 何か思案顔にも見える。

 とにかく、準備しなきゃ!


 俺は、部屋を出て加藤さんの寝室に向かった。

 部屋の戸は閉まっていて、猫の俺では開けられないので、戸をガリガリと引っ掻きながら加藤さんを呼び続ける。


「あら、シロちゃんどうしたの?」


 眠気眼の加藤さんが、戸を開けてくれた。

 薄いピンクの寝間着姿で、無造作に俺を抱き上げる。


「一緒にねんこしたいのー、可愛いねー」


 そう言って戸を閉めると、部屋の中に戻って行く。

 ちがうー、ねんこじゃなーい!

 俺は、必死に否定するも、加藤さんに俺たち猫の言葉は通じない。


 俺は、暖かい布団の中に拉致された。

 何故だろう。


 最初は一生懸命抵抗していたのだけれど、暖かくて柔らかくて、そのうち勝手に喉がゴロゴロ鳴り出した。

 俺は、意識が床に吸い込まれるような感覚で、眠りに誘われた。




 突然、雷鳴のような大きな音で叩き起こされた。

 音の発信源に目をやると、枕元に置かれた時計だ!

 加藤さんの手が、ピシャっとそれを叩くと、音は止んだ。


 加藤さんは、慌ただしく起き上がるとパジャマを素早く脱ぎ、布団をたたむ。

 俺はまだ布団の中にいたので、一緒にたたまれそうになった。


「あら、シロちゃんいたんだった。ごめんね」


 加藤さんは、はだけた乳房にバンドのようなものを着けながら、眼鏡をかける。

 白いシャツにい袖を通し、黒いスカートを履いた。


 ここまで数十秒。

 はやい!


 俺は、慌ただしく身支度する加藤さんを、目で追った。

 あっという間に仕度を終えた加藤さんは、部屋を出ると夜笑さんとリトのいる部屋に向かう。


「夜笑さん。朝ごはんは、冷蔵庫の中の物、適当に食べて」


 加藤さんは、夜笑さんにそう告げると、歩みを止めることなく廊下を進む。


「そうですね。とりあえずお食事をいただきましょう」


 夜笑さんは、そう言って加藤さんの後を追うように部屋を出ていった。

 遠くで加藤さんと夜笑さんの話す声が聞こえる。

 いったい何が始まったんだろう。


 目まぐるしく慌ただしい。

 俺は、リトに目をやった。

 相変わらずリトは、仁王立ちで庭を見ている。


 その先に、タモツの姿はない。

 あいつ、逃げたな。


 リトは、何をしているんだろう?

 じっと宙を見ている。


「リト、ご飯いただこう」


 俺は、リトに声をかけ夜笑さんたちのいる所に向かった。

 リトは、まだ動かない。




 俺が夜笑さんのいる台所に行くと、奥から化粧を済ませた加藤さんが現れた。


「わー、里うちゃん、お化粧早いねー」


 夜笑さんが、感嘆の声をあげる。


「毎日の事だから―――」


 加藤さんは、棚の中からパンを取り出すとそれをかじった。


「お兄ちゃん一人暮らしだから、大したものないけど・・・」


 加藤さんは、冷蔵庫の中を見ながら言った。


「お兄さん。自炊されているのですね」


 夜笑さんも、冷蔵庫の中を覗き込みながら感心する。


「うん。お兄ちゃんも作るけど、私もちょいちょい来て作ってあげてるよ。お母さんは絶対来ないけど」


「どうしてお母さんは、いらっしゃらないんですか? お兄さんに会いたいでしょう?」


「このお家に入りたがらないのよ。もう行雨の人間じゃないからって、おかしいでしょう。もうお父さんいないのに」


 加藤さんは、腕時計に目をやると慌てた。


「やばい! ごめんね夜笑さん。私、行くね」


「あ、お家のカギはどうしましょう?」


 夜笑さんは、加藤さんの後を追いながら訊ねる。


「いいよー開けっ放しで、盗られる物なんてないし」


「えー、でも物騒ですよー、お兄さんの身に何かあったら―――」


「フフ、お兄ちゃんと鉢合わせたら、それは強盗の不幸ね。じゃ、いってきまーす」


 加藤さんは、大慌てで出ていった。

 強盗も気にしないなんて、加藤さんのお兄ちゃん、凄く強いんだなぁ。


 俺は、全身筋肉で体中傷痕だらけの猛者を想像して身震いした。

 あの美人の妹からは、とても想像つかないような屈強な男の姿を想像してしまった。


「シロさんー。リト様ー。ご飯にしましょうー」


 奥で夜笑さんの呼ぶ声が聞こえた。


「行こう、リト」


 俺は、リトを誘って台所に向かった。

 リトは、ついてこない。

 まぁ、お腹もすいているだろうし、すぐ来るだろう。




 朝食が済むと、夜笑さんは用事を済ませてバイクを取りに行くと、一人出かけて行った。

 俺とリトは、加藤さんの実家であるこのお屋敷でお留守番だ。

 慣れない場所だから、ちょっと落ち着かない。


 俺は、屋敷の中をちょっとだけ探検してみることにした。

 長い廊下の先に、道場があった。


 引き戸があって、閉まっていたけど、ちょっとだけ隙間があったので、何とか手を入れて、無理やり顔を突っ込んで肩をねじ込んだら入れた。

 広い道場だ。


 床は全部木の板で、ピカピカに光っている。

 壁には、難しい顔をしたおじさんの写真が何枚も飾られている。

 ちょっと走りまわってみる。


 気持ちー!

 あ、そう言えばリトはどこ行った?

 朝食は遅れて食べに来ていたけど、その後から見ていない。


 何だか様子が変だったな。

 全然しゃべらなかったし・・・。


 俺は、リトが気になったので探しに行くことにした。

 決して、寂しくなったからではない。


「リトー、リトー」


 俺は、リトの名を呼びながら屋敷の中を徘徊した。

 どこに行ったのだろう?

 どこにもいないよ。


 台所にもいないし、昨日一緒に寝た部屋にもいない。

 加藤さんの部屋には入れなかったけど、リトのいる気配はない。


 むー、どこ行ったー。

 庭に目をやる。

 どうでもいいけど、タモツは姿をくらました。


 あ、いた。

 リトは、庭にいた。


 鳩のスーが、庭の百日紅さるすべりに停まっていて、リトはスーと何やら話し込んでいるようだ。

 俺は、庭に降りると一羽と一匹の元に駆け寄った。


「おはよう。スー、来てたんだ」


「やぁ、シロさん。おはようございます」


「スーも連れていくにょ」


「え? 筑波に?」


「ええ、さっきリト様に呼び出されましてね。スーも付いて来いと」


「久しぶりに、おちゃると会うから、スーも行くにょ」


「おちゃる?」


 そう言えば、さっきもそんなことリトが言ってたな。


「筑波には、昔からの知り合いの猿がいましてね。懐かしいですね」


 スーは、空を見上げて思い出を懐かしんでいるようだ。


「筑波でしたら、セイさんもお呼びした方が良いのではないでしょうか」


「にゅー、セイちゃんかにょー」


「ええ、これは懐かしい面々に会えそうですねー。楽しみだ」


「セイちゃんて、誰?」


 俺は、聞き覚えのない名前に反応した。


「私たちの古くからの仲間で、トカゲのセイさんです。築葉のあたりにいるはずです。あ、でしたら夜刀様にもお声がけした方が良いのではないでしょうか?」


「夜刀爺さんも?」


「ええ、夜刀様や夜笑さんも筑波ではないですが、近くの出身ですよ」


「そうなんだ」


 何だか、いっぱい名前が出てきて混乱してきた。


「スーちゃん。ヤトはまかせるにょ」


 こいつ、神様まで呼び捨てかよ。

 まぁ、俺も夜刀爺さんって呼んでるけど・・・。


「わかりました。では、早速探しに行ってきます」


 スーはそう言うなり、翼を広げ飛びたった。

 何だか、今度の旅は大所帯になりそうだ。

 少し、わくわくしてきた。


 でも、ちょっと不安。

 遠くから、聞き覚えのあるバイクの音が聞こえてきた。

 それは、屋敷の前で停まった。


「リト様ー、シロさんー。お待たせしましたー」


 お屋敷の門を開けて、黒いピチピチスーツ姿の夜笑さんが現れた。


「にゅー、夜笑、早かたにょー」


「ええ、調整がスムーズに進みまして」


 夜笑さんは、リトを拾い上げると後部座席の黒い箱の中に乗せる。


「タモツさんは、いらっしゃらないのですね?」 


 夜笑さんは、あたりを見まわしながら訊く。


「あいつは、夜笑さんにビビッて雲隠れさ」


 夜笑さんは、俺を抱き上げると、リトのいる黒い箱の中に入れてくれた。


「まぁ、さすがにわんちゃんまでは乗せられませんから、丁度よかったですね」


 夜笑さんは、門の扉を閉めると、ゴーグルをしてバイクにまたがった。


「今日は、高速道路を使いますから、お二人とも飛ばされないように、しっかり箱の中に入っていてくださいね」


「わかったにょー」


 リトはそう言って、箱から身を乗り出した。

 今の話し、聞いていたのかこいつは・・・。 


 夜笑さんの乗るバイクが、唸り声をあげて走り出した。

 筑波は、どういう所だろう?

 俺は、吹き抜ける風を楽しみながら、目的地である筑波に思い馳せた。




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