熱い!
15 熱い!
とある日の昼下がり。
夜刀神社は、蝉時雨とねっとりとぬるい湿気に包まれている。
朝からだるくて、俺とリトはお社の中でうだうだしていたが、昼を過ぎて日差しが直上から降り注ぐようになると、森の木陰など意味をなさなくなっていた。
「もうカトーのとこ行くにょ」
とうとうリトが根をあげた。
もっと早く動けば良いのに・・・。
まぁ、俺も一緒なんだけど。
俺たちが重い腰を上げ、お社を出ると、一匹のわんこが参道をゆっくりとこちらに歩いていた。
見たようなー。見たことないようなー。
黒ぶちのわんこであった。
ひどく疲弊している様子で、よだれを垂らして今にも倒れそうである。
「リト、わんこだ。ライデンの仲間かな?」
「どうでもいいにょ。知らないにょ」
リトは、わんこに気にもかけない。
しかし、その弱ったわんこは、俺たちの目の前で倒れてしまった。
「おい、大丈夫か?」
俺は、慌ててそのわんこの元に駆け寄った。
「シロさんですね・・・ライデンさんから・・・」
リトは、わんこにかまうことなく先を行く。
「おい、リト、わんこが!」
俺が、叫んでリトを呼び止めると、リトは迷惑そうに振り向いた。
「どうでもいいにょ! 熱いにょ!」
そう言って、また歩き出す。
薄情な奴だ。
「おい、怪我をしてるのか? どこかで休むか?」
「いえ、一昨日から走りっぱなしで疲れているだけです。そこのお水を頂きます」
黒ぶちわんこは、よろよろと立ち上がると、立水栓の漏れた水をためている桶に、顔を突っ込んだ。
「ぶはぁー生き返ったー」
桶から顔をあげると、黒ぶちは生気みなぎる顔を向けてきた。
「いやぁー助かりましたぞシロさん! なんせ、3日も走り続けたでしょう。水なんて飲んでも飲んでも、出てきちゃうんだから! え? どこから? 嫌だシロさん! 恥ずかしー。え、訊いてない? そうでしょうそうでしょう。訊かれなくたってこのタモツには聞こえるのです心の声が! それからそれで―――」
何なんだこの変わりよう!
しかも、めちゃくちゃ喋るし・・・。
「んでもってー、ライデンさんたちとお肉食べてですねー、あー旨かったなー」
「いや・・・・、あの、俺もう行くね」
俺は、勝手にしゃべりまくる黒ぶちを置いて歩き出した。
「ちょっとまったー! あっしはね、リトさんとシロさんにお伝えしなきゃいけないことがあって、わざわざ遥々、永遠と、ここまで戻ってきたのですよ」
「リトはもう行っちゃったけど、なに?」
「あれは今から数日前・・・、いや数週間前・・・いや、数か月―――」
俺も面倒になって歩き出した。
後ろから呼び戻そうとする声が聞こえるけど、こんなのかまってたら、日が暮れちゃう。
黒ぶちは、俺の脇に並んでついてきた。
ずーとしゃべってるのこのわんこ。
先に行ったリトが正解だった。
寝ているときに見た夢から始まり、朝食には何食べたとか・・・お昼に何食べたとか・・・。
本題は、いったい何なんだろう?
エスズ家電に向かうつもりだったんだけど、こいつを連れて行ったらリトの機嫌が悪くなりそうだ。
そう思って俺は、商店街に行くことにした。
人混みで、まいてしまおう。
商店街に着くと、奇遇にも夜笑さんに出会った。
夜笑さんは、いつもの巫女装束で大きな買い物袋を両手にぶら下げている。
「すごい荷物だね」
「ええ、今日は里うちゃんのご実家でお食事会なの」
ご実家?
加藤さん結婚してたのか・・・。
それとも・・・。
「良かったら、シロさんもいかがですか? リト様とご一緒に」
嬉しいお誘いだ。リトも嫌とは言うまい。
「それは有難い。今晩の食事、どうしようかなぁーって困ってたところなんですよー。ちなみに献立は何でしょう? 私は何でも食べますよー。鳥肉いいなー、豚肉もいいなー、牛肉なんて最高だぁー」
俺が返事をするまえに、隣のわんこがしゃべりだす。
ちょっと黙っていてくれないだろうか・・・。
「あの、こちらのわんちゃんは?」
「申し遅れました。私ライデンさんが率いる野犬隊、伝令係のタモツと申します。以後お見知りおきを」
「あ、これはご丁寧に・・・。私は、夜笑と申します」
俺は、夜笑さんの太腿に飛びついて腰までよじ登った。
夜笑さんは、買い物袋を右手で2つ持つと、左手で俺を抱き上げてくれた。
不思議そうに首をかしげる。
俺が、夜笑さんに飛びつくことなんてめったにない。
「どうしました?」
「こいつにはかまわないで、めちゃくちゃしゃべるんだ」
俺は、小声で夜笑さんに伝えた。
「フフフ、おしゃべりなわんちゃんなのですね」
夜笑さんは、タモツと名乗ったわんこに微笑みかける。
「私もおしゃべり大好きですよ」
「そうですかぁー。私は、そうでもないです。寡黙な方だと思いますよ。でも、お美しいご婦人を前にしたら、緊張して口が軽くなりますなぁ」
「まぁ、お上手」
「お肉は、何がお好きですか? まぁー、私は何でもいけますがー、一番は鳥肉ですかねー」
俺は、夜笑さんの豊満な胸に抱かれ、タモツのことなど、どうでもよくなっていた。
久しぶりに抱っこしてくれた。
嬉しい。
「私は―――、わんちゃんのお肉かしら―――」
一瞬にして場が氷ついた。
夜笑さんは目の瞳孔を細め、口から先の割れた舌を出して唇を舐めずる。
タモツは、目を見開いてガクガクと震えだした。
どうやら、夜笑さんの事を思い出したらしい。
「夜笑さん・・・。あの・・・、大蛇の夜笑さん・・・」
「フフフ、冗談ですよ。私基本お肉はいただきません。最近は、お魚が多いかな」
それから、タモツは一切しゃべらなくなった。
夜笑さんの後ろを、車3台分ぐらい離れてついてくる。
「ありがとう夜笑さん。静かになったよ」
俺は、夜笑さんの胸の感触を楽しみながら言った。
だいぶはしゃいでいるな、俺・・・。
「少しやりすぎちゃいました。冗談なのに」
「良いの良いの」
「あら」
夜笑さんが、何かに気づいて足を止めた。
「どうしたの?」
俺は、夜笑さんの胸から顔を離して夜笑さんが見ている方へ目を向ける。
そこは、人間の仕事帰りらしきおじさんたちが、良く出入りしている店だ。
前に、夜刀爺さんが追い出された店である。
その店に、夜刀爺さんが入って行くところだった。
「あらあら、また追い出されなければ良いのですけど」
夜笑さんは、心配そうに夜刀爺さんを見つめている。
「おい! 冷くれ。あと塩だ!」
夜刀爺さんは、店に入るなり大声で怒鳴った。
「はぁー、塩なんてメニューないよ!」
店の奥から、恰幅の良いおばさんが怒鳴り返す。
「塩だ塩! この店には塩もねぇーのかよ!」
「ギャーギャーうるさいね! 金払ってから注文しな!」
「なんだ、この店は塩も金とんのかよ!」
「塩の話じゃねぇ! つけ払えって言ってんだよ!」
爺さんとおばさんがカウンター越しに言い争っているが、他の客はそれを見てクスクス笑っている。
夜刀爺さんは、懐からしわくちゃの紙幣を2枚、大事そうに伸ばし、別れを惜しむような顔をしておばさんに手渡した。
「釣りはいらねぇ。とっときな」
夜刀爺さんは、静かに言った。
「足りないよ。あと600円」
おばさんが吐き捨てるように言うと、夜刀じいさんは愕然として打ちひしがれた。
震える手で、懐からしわくちゃの紙幣を取り出す。
「つ、釣りは・・・」
「はい。これで丁度だよ」
おばさんは、冷酒と飯椀にこんもり盛られた塩を夜刀爺さんの前に置いた。
「塩は、サービスしとくよ」
「バカヤロー! こんなに喰えるわけねーだろ! 殺す気か!」
「ポッケにでも入れて持ち帰れば良いだろ!」
「おー、そっか・・・」
夜刀爺さんは、懐から手拭いを出すと飯椀の塩を大事そうに包んだ。
「ありがとうよ」
夜刀爺さんは、満面の笑みでおばさんに礼を述べる。
「・・・。フン、その一杯で帰っておくれよ。つけは、ご免だよ」
俺は、このしょうもないやり取りを眺めている夜笑さんを急いた。
「もう行こうよ」
「ええ、そうしましょう」
何だか夜笑さんは、嬉しそうだ。
夜刀爺さんが、ちゃんとお金を払ったからだろうか?
「夜笑さん嬉しそうだね」
この間は、夜刀爺さんに泣かされちゃったから、ちょっと心配だったんだけど・・・。
「フフフ、夜刀様にも仲の良いお友達がいるんだなって・・・」
「え? 誰?」
「あの居酒屋の女将さんですよ」
「ええー、仲良くないでしょう。絶対。喧嘩していたもの」
「喧嘩するほど仲が良いって言いますでしょう。それに、女将さん。夜刀様の笑顔見て、ちょっと照れてました」
「ええー、そうかなぁ」
俺は、夜笑さんの肩越しにさっきのお店を見た。
冷酒一杯を飲み終えた夜刀爺さんが、店から出てくるところだった。
女将さんが夜刀爺さんを呼び止めて、何か包を渡している。
何を話しているのかはわからないけど、二人とも笑顔だった。
俺と夜笑さんは、エスズ家電に加藤さんとリトを迎えに行った。
俺たちの後ろを、存在を忘れてしまうぐらい離れてタモツがついてくる。
「ああ、夜笑さん。一人で買い物させちゃってごめんねぇ」
店の入口から、加藤さんがリトを抱いて出てきた。
「あら、リト様寝ちゃったんですか?」
夜笑さんが、加藤さんの胸で寝息をたてているリトを覗き込んだ。
「うんー。ずっとシロちゃん待っているみたいだったよ。外ばかり気にして、可愛かった(笑)」
加藤さんが、夜笑さんに抱っこされている俺の額を撫でる。
「荷物、重かったでしょう。1個持つよ」
加藤さんは片手でリトを抱いて、もう片方の手で夜笑さんの荷物を受け取った。
「さて、里うちゃんのご実家までは少し歩きますから、シロさんも歩いてくださいね」
俺は、夜笑さんの胸から降ろされてしまった。
至福の時は、終わった。
俺たちは、住宅街をさらに奥まで来た。
ここは、俺もあまり来たことがない場所だ。
他の猫やわんこの縄張りだから、夜笑さんや加藤さんがいなかったら、来ることなかったな。
俺は、初めて入る土地にちょっと緊張したし、警戒もした。
しばらくすると、周りのお家と比べてひと際大きなお家が現れた。
大きな木造の建物が2つもあって、お庭を真っ黒な木の壁で囲っている。
「はい。到着―――」
加藤さんは、そう言って家の入口の門を開けた。
「相変わらず立派なお屋敷ねー」
夜笑さんが、大きなお家を見上げながら感嘆した。
「道場があるからねー。古くてお手入れ大変なだけよ」
俺たちは、加藤さんに導かれて門をくぐった。
「あれ・・・。何だろう? このわんちゃん」
門を閉めようとした加藤さんが、門の外を訝し気に見ている。
あ、忘れてた!
タモツだ!
「あ、ごめんなさい。すっかり忘れてた。えーと、シロさんとリト様のお知り合いのわんちゃんらしいです」
夜笑さんが、加藤さんに苦しい紹介をした。
「あら、そうなの。どうぞわんちゃん」
加藤さんがタモツを招き入れた。
タモツは、おっかなびっくり門をくぐる。
「大人しいわんちゃんねー」
加藤さんは、タモツの頭を撫でる。
するとタモツは、びっくりして飛び上がった。
「あらあら、臆病なのねー。怖がらないで大丈夫よ」
加藤さんは、タモツから離れて手招きした。
俺たちは玄関からお屋敷の中に入ったけど、タモツは頑なに上がらなかった。
あんだけペラペラ喋っていたくせに、夜笑さんが大蛇だとわかったらだんまりだ。
変なわんこだな。
俺たちは、いくつもの部屋を横切って、お庭に面した座敷に通された。
庭には、申し訳なさそうにタモツが座っている。
加藤さんと夜笑さんは、食事の準備を始めた。
どうやら今日は、土でできた鍋に色々な食材を放り込む料理らしい。
加藤さんと夜笑さんが、袋から取り出した野菜やら魚やらをボンボン放り込んでいる。
美味しいのかなこれ?
「わんちゃんは、ウィンナーが良いかな? 一回煮て、お出汁をいただきましょう」
そう言って、加藤さんが茶色くて細長い物を鍋に入れる。
「リト様とシロさんは、お魚が良いですよね? 生の方が良いですか?」
夜笑さんが、俺に訊ねてきた。
ん―――。どうだろう?
俺はどっちでもいいのだけれど、リトはどうかなぁ。
俺は、座布団の上で寝かされているリトを揺すった。
「リトー、ご飯だよー」
「にゅー、ごはんにょー?」
リトは、大きな欠伸をして起きた。
「お魚、生が良いか? 煮たやつが良いかだって?」
俺は、まだ眠そうにしているリトに訊く。
「生きてるやつがいいにょ」
ん?
「生ってこと?」
「ちがうにょ、ピチピチ跳ねてるやつが良いにょ」
また我がままを・・・。
「あらー、どうしましょう。生きているお魚はいませんねぇ。みんなお亡くなりになっています」
夜笑さんが、真面目に考えてくれている。
「いや、いいのほっといて。出せば食べるから」
その時だった。
机に置かれていた加藤さんのスマホが、ブルブル振動した。
「お、お兄ちゃんだ」
加藤さんは、そう言ってスマホに耳を当てる。
夜笑さんは、何故かソワソワしだした。
「え、何で!? ウソー、夜笑さん来てるんだよ。うん・・・。うん・・・わかった」
加藤さんは、スマホを耳から離すと夜笑さんにそれを差し出す。
「お兄ちゃんが、話したいって」
夜笑さんは、ドギマギしながらスマホを加藤さんから受け取った。
「はい。代わりました。夜笑です。お久しぶりです。・・・。はい・・・」
夜笑さんの声が、どんどん小さくなって行く。
そして、お話が終わったようだ。
夜笑さんは、俯いて無言でスマホを加藤さんに渡した。
「ご、ごめんね。夜笑さん。お兄ちゃん、急に出張になっちゃったて・・・」
加藤さんが、弁明する。
「ええ、帯刀さんから訊きました」
俺は、二人のやり取りを机の下で見ていた。
どうやら加藤さんのお兄さんが、この食事に来るはずだったらしいが、来られなくなったようだ。
でも、それがどうしたというのだろう・・・。
何故か、しんみりとした空気が流れている。
ごはん・・・。
まだかな?




