出発進行
10 出発進行
夜笑さんは、俺にニャウニュールを食べさせると、神社には寄らず自宅に帰ると言った。
別れ際に見せた夜笑さんの笑顔は、とても可愛らしかったけど、その眼は真っ赤に腫れて痛々しかった。
俺は、お腹いっぱいで満足していたけど、何か満たされていないような物足りない感じがして、夜笑さんの後ろ姿を見送る。
あの夜刀ってお爺さんの所為で、夜笑さんは悲しい思いをしたのだろう。
何とか慰めてあげられなかったものか、俺は少し後悔した。
俺は一人神社に戻ると、お社の扉を開けた。
中には、リトが大の字になって眠っている。
口を開けて、幸せそうによだれを垂らしながらイビキをかいていた。
何と無邪気な寝顔か・・・。
体が小さいから、仔猫に見えてしまう。
俺は、リトの頭を何度か舐めてやり、その隣で丸くなった。
翌朝、お社の扉を叩く音で目を覚ました。
隙間からうかがうと、鳩がクチバシで扉を叩いている。
「にゅー朝ごはんがやってきたにょー」
リトは、眠気眼で扉の外の鳩を見ている。
「朝ごはんじゃありませんよ!」
鳩がしゃべった。
「スーですよ。理解するまでこの扉、開けさせませんからね!」
「はいはい。理解しましたよ」
俺は、扉を開けて外に出た。
良い天気だ。
伸びをして、欠伸をする。
「いただきますにょー」
お社の奥から、リトがスーに飛びついた。
「ぎゃぁー、やめてー」
スーの悲鳴が、うるさい。
「じょうだんにょ。朝からうるさいにょー」
「やめてくださいよ! 心臓に悪いじゃないですか」
「見た目じゃ分からないから、色を変えると良いにょ」
「色なんて変えられませんよ。そんな便利にできていません」
スーは、リトから逃れるように参道の石畳に飛び降りた。
「じゃぁ、リトみたいに首に何かぶら下げたら」
俺は提案した。
悪くないアイディアでしょう。
「なるほど・・・。良いですね」
スーも得心した様子で、リトの首に巻かれた包に目を向けた。
「これはだめにょ。タエコにもらたんだから」
リトは、包を大事そうに抱え込んだ。
「後で、夜笑さんに相談してみなよ」
俺はスーに言った。
「誰です? 夜笑さんて」
そうか、スーは夜笑さんを知らなかったか。
「大蛇だよ。ほら、リトが一回飲み込まれたって話したろう」
「えええー、大蛇・・・。できたらお会いしたくはないですが」
「良い人だよ。今は、大の仲良しさ」
スーは、渋い顔をしている。どうやら蛇が苦手らしい。
いや、大抵の動物は蛇が苦手か。
「朝ごはんにするにょー」
「そうだね。今日はどうしようか・・・」
俺とリトは、朝ごはんを求めて参道を歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
スーは飛び上がって、俺たちの前に着地する。
「用があってきたんですからー。置いて行かないでください!」
「なににょ?」
「私は、この不穏な気配の正体を確かめるべく、ここ数日、この界隈近隣を空から偵察していたのです。」
スーは、斜に構えてドヤ顔で言う。
「それと、朝ごはんのどっちが大事にょ?」
迷惑そうにリトは呟いた。
「朝ごはんと比べますか!」
「リトは、朝ごはん食べたいにょ」
「これを訊いたら、朝ごはんどころじゃなくなりますけど・・・。良いですか?」
スーは、神妙な顔で言った。
いったい、何があったと言うのだろう。
「はやく言うにょ!」
リトはイラつく。
「ここから南に二浦市という所があります」
スーは、南の空を眺めながら語り始めた。
「自然豊かな良い土地です。田畑が広がり、水も食べ物も美味しい」
「それがどうしたにょ!」
前置きはいらない。リトの態度はそう言っている。
「その二浦市の田畑が、夜になると荒らされるのです。田畑のあちこちに、人の背丈ほどある塚が、何個も夜のうちに築かれているのです」
「もう、ごはんいくにょ」
リトは、もう待っていられない。
「ちょ、ちょっと待ってください。それを築いているのが何者だか分かりますか?」
何だというのだ!?
人の背丈ほどの塚をいくつも、夜のうちに築き上げるなんて・・・。
「もー! 早く言うにょ!」
「いえ、私は夜目がきかないので、見ていないのですが・・・」
白けた目でリトがスーを睨んでいる。
「リトの朝ごはんを、散々待たせた挙句が、見てないにょかにょ・・・」
リトがちょっとキレ気味。
「現地に行って、確かめてみるしかありません!」
スーは、毅然と言い放った。
「あとでにょ。ご飯が先にょ」
リトと俺は、スーをその場に残して食事へと旅立った。
ああ、困った。
大変な事になった・・・。
朝ごはんが見つからない。
佐藤さん家も鈴木さん家も、留守だった。
最近開拓した大木山さん家は、在宅のようだったが、いくら鳴いても出てくるそぶりは無い。
「スーの所為でご飯食べそこなったにょー!」
リトはご立腹だ。
上空のスーを睨みつけている。
スーは、空が飛べてよかったな。
でなければ、今頃喰われていたかも・・・。
「大丈夫ですよー。私が上空から見つけてあげますからー。それに、一食ぐらい抜いても、死にはしませんよー」
上空のスーが、欠伸を噛み殺しながら言う。
その言い草と態度が、リトの逆鱗に触れた。
リトが血走った目でスーを睨みつける。
「がうがうのぉぉぉぉ」
リトは屈みこんで踏ん張った。
何をするつもりだろう?
「すーぱー、すぺしゃるー、はっぴー、めりー」
凄まじい力が、大地に加わっている。
リトの足元のコンクリートにヒビが入った。
「かえるアッパーぁぁぁぁぁ」
リトは、そう叫びながら飛び上がった。
リトが飛び上がった先には、ポッポのスーがいたはずであったが・・・。
もういない。
消し飛んだのか、遠くに吹っ飛ばされたのか・・・。
1時間後ぐらいだろうか俺とリトは、最後の希望をかけて、エスズ家電にやってきたが、お店はまだ営業前だった。
まだ車の一台も停まっていないだだっ広い駐車場で途方に暮れていると、何事もなかったようにスーが大きな魚をぶら下げて飛んできた。
「やー、運ぶの大変でしたよー。見てください! 何の魚かわかります? ブリですー。盗んだんじゃありませんよ! 落ちた先が海で、そこにいたんですよー。ラッキーって(笑)」
たくましい奴だ。
しかし、海まで飛ばされたのか・・・。
しかも、ブリがいる海となると、だいぶ南だな。
平静を装って入るが、だいぶ必死でこのブリを運んだに違いない。
俺は、一瞬でこの鳩の涙ぐましい努力と苦労を理解した。
「御託はいいにょ。早くよこすにょ」
コイツには、感謝とか礼節とか恩義とか無いのだろうか・・・。
差し出されたブリに無我夢中でかぶりつく小さなメス猫を見て、俺は少しだけスーに同情した。
まぁ、それはそれとして、俺も相伴に預かるとしよう。
まぁー、美味しい。なんて美味しいのでしょう。
口の中でとろける肉質、ジュワーっと広がる油の甘味。
美味なり。
嗚呼、美味なり。
「さて、二浦市の一件ですが、どういたしましょう? リト様だけでしたら私がお運びできるのですが・・・」
「リトだけだったら、行かないにょ。チロも一緒じゃないとだめにょ」
あれ・・・。
何だか嬉しいような。恐ろしいような・・・。
別に、お留守番でも良いのですけどー。
「またカトーにお願いするかにょ」
そこに、丁度出勤してきた加藤さんが現れた。
「ええ! あなた達凄い物食べているじゃない! どうしたのそれ!」
加藤さんは、真っ先に俺たちの朝食に驚いたようだ。
そりゃそうだ。
「スーが海で取ってきたにょー。でも、そんな事どうでもいいにょー。カトーにまた連れて行ってほしいところがあるにょー」
リトが喉を鳴らしながら、加藤さんの足にすり寄ってニャーニャーまくしたてた。
しかし、加藤さんには俺たちの言葉は通じない。
「はいはい。美味しいもの食べてご機嫌ねー。私だってブリ一匹食べられたらご機嫌だわー」
加藤さんは、屈みこんでリトの喉を撫でる。
さてー、加藤さんには通じないしどうしたものかぁ。
そこに、体の芯に響き渡るような重低音を響かせて、大きな黒いバイクが駐車場に入ってきた。
どうやら運転しているのは、人間の若い女らしい。
黒いヘルメットに、黒いゴーグルをして、ピチピチの黒革のスーツを着ている。
大きなバイクは、俺たちと加藤さんのすぐそばに停まった。
「あら、夜笑さん。珍しいわね。バイクだなんて」
え! 夜笑さん!?
「ええ、ちょっとストレス発散に」
夜笑さんは、ゴーグルとヘルメットを外すと長い髪をかき上げた。
「やー、エロい夜笑さん! やりすぎ」
加藤さんは、少し引いている。
「体の線出しすぎでしょう。それに、胸どうにかならないの?」
加藤さんは、谷間が覗いている胸元を指さして指摘した。
「ええ、少し小さかったみたいで・・・。でも胸以外は丁度良いのです」
「それ、他所では言わない方が良いよ」
加藤さんは、冷ややかな目で夜笑さんを見ている。
「他のドライバーのいい迷惑だわ。夜笑さんの所為で事故るかも」
「交通安全を祈願しながら走りますわ」
夜笑さんは、にっこりと笑った。
「ヤエー、丁度よかったにょー。リトとチロをニウラまで連れててほしいにょー」
「二浦ですか? 良いですけど、どうしたのです?」
夜笑さんはバイクから降りると、リトを拾い上げた。
俺は、袴姿の夜笑さんしか見たことがないから、未だにこの人が夜笑さんだって信じられないでいる。
「ねぇ、夜笑さん。前から思っていたんだけど、夜笑さんてネコちゃんの言葉がわかるの?」
「ええ、わかりますよ」
夜笑さんはさらりと答えた。
「ええー、うそー」
「里うちゃんも、あと200年経ったら分かるようになりますよ」
そう言って夜笑さんは微笑する。
「に、200年!?」
加藤さんは、びっくりしていたが本気にはしていないだろう。
リトが、夜笑さんの胸元で中に潜り込もうとモゾモゾしている。
「だ、だめですよ。今日はお着物じゃないから入れません」
そう言って、夜笑さんは後部座席に取り付けられた黒い革の箱を開けて、リトと俺をその中に入れてくれた。
「飛び出しちゃダメですからね。その中で、じっとしていてください」
夜笑さんは、そう言ってバイクに跨った。
「あー、ちょっとお買い物したかったんだけど、また帰りに寄らせてもらうね」
夜笑さんは、身支度を整えながら加藤さんにそう告げる。
「う、うん。気を付けて」
何だか加藤さんは気後れしている感じだ。
色々、びっくりしちゃったのかな。
「じゃぁ、行きますよー」
夜笑さんは、大きな声でそう言うとバイクを走らせた。
ものすごい爆音と急激にかかる重圧に、俺とリトはびっくりした。
バイクは、あっという間にエスズ家電の駐車場を出ていて、後ろを振り返っても加藤さんの姿は見えなくなっていた。
「にょーーーー!はやいにょーーーーー」
リトは、大喜びだ。




