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シロとチビ猫




1  シロとチビ猫




 俺の名はシロ。体中の毛が白いからシロと呼ばれているオス猫だ。

 俺がいるこの街は、人間たちが集まって家をたくさん建てた住宅街という所で、十王台と呼ばれている。俺は、この付近を縄張りにしていて地域猫って言うらしい。


 寝床は、小さな公園の茂みの中に人間が捨てていった毛布を敷いて暮らしていて、食事は田中さん家と鈴木さんの家でご馳走になっている。


 そんな俺の安住の地に、あいつがやってきた。


 ちいさな子猫と見紛うキジトラのメス猫だ。首には、総合的に桃色の花柄のポーチをぶら下げている。

 時折車も通る道路の真ん中に、そいつはボケーと座っていたのである。


「おいチビ、何やってんだ。そんな所にいたら車にひかれるぞ」


「にゅーだれにょ?」


 チビ猫は、不思議そうに俺を見て首をかしげている。


「お前、このあたりじゃ見ない顔だな。どこから来た? かぁちゃんとはぐれたのか?」


「お散歩してるにょ。おまえだれにょ?」


「俺はシロだ。この辺りを仕切っている」


 ちょっと大袈裟に言ってしまった。


「にゅー」


 チビ猫は俺を尻目に、すたすたと歩き始めた。


「まてまて、どこへ行くんだお前」


「お散歩にょ」


 俺の許可もなく、チビ猫が我が物顔でこの界隈をうろつくことは由々しきことであるが、それ以上に注意しなければならないことがある。

 今、このチビ猫は危険に向かって歩み始めているのである。


「そっちには行くな。大変な事になるぞ」


 チビ猫は振り向きもせず、返事もしない。無視された。


「待てって、そっちはわんちゃん通りって言って、どこの家にも犬が飼われている危険な道なんだ」


 俺は、チビ猫の前に走り出て道を塞いだ。


「にゅー、おまえ邪魔にょ」


 チビ猫は、小走りで俺をかわし走り去ろうとする。


「俺様の名前は、シロだ。言う事聞けチビ」


 俺は走りながら叫ぶ。こいつなかなかすばしっこい。


「チビじゃないにょ」


 そう言いながらチビ猫は、斎藤さん家に入って行った。そこはまずい! 齋藤さんの家には、この界隈で三番目にやばい犬がいる。ブルドッグのボスだ。


「ガルルルルゥ」


 ほら、ボスが今にも飛びかからん勢いで唸っている。チビ猫はそんなことお構いなしで、ボスの前を素通りして、ドッグフードの入った器に駆け寄る。


「ごはんにょー」


 チビ猫は、あろうことかそのドッグフードを食べ始めた。ボスは一瞬目を丸くしたが、すぐさまチビ猫に飛びかかった。我々の世界では、餌を奪うという事は万死に値する大罪なのである。チビ猫は、手厳しい洗礼を受けることになった・・・。


 受けるはずであった。


 いや、受けなければいけない。しかし、そうはならなかった。

 ブルドッグのボスは、チビ猫の首に鋭い牙を食い込ませようとしたその瞬間、チビ猫の左フックをくらって、2~3回転して地面に叩きつけられた。


 チビ猫は、ドッグフードを二口ほど口にして険しい顔をする。


「おいちくないにょ」


 チビ猫は、そう言って地べたで寝そべっているボスを睨みつける。


「おいちくないにょ!」


 チビ猫は、ドッグフードの器をボスに向けて叩きつけた。器に入っていたドッグフードが、すっかり戦意喪失して震えているボスの上に降り注ぐ。

 あまりにもの横柄な態度に、俺はボスに同情を禁じ得ない。


「おい、勝手にボスの食事を食べておいて、それは酷いだろう」


 ボスもそうだと思うが、俺も混乱している。何がどうなって・・・。どういうこと?


「おさかなたべたいにょ」


 チビ猫は、可愛らしい顔で首をかしげる。今、目の前で起こったことが、嘘のように幻であったかのように思えた。


「お前、名前は?」


 チビ猫は、スタスタと隣の伊藤さん家に入っていく。伊藤さん家には、最強のドーベルマン、マークスがいる。


「にゅー。なんだったかにょー。わすれちゃったにょー」


「まてまて、そっちには行くな! 絶対行くな! くわれるぞ!」


 俺は必死に止めたんだけど、この子きかないの。


 マークスの前に平然と進み出て、今まさに食事中のマークスのお椀のドッグフードを食べはじめた。当然、マークスの逆鱗に触れる。


「グォオオォォォ」


 ああぁ、これが獣の咆哮か。俺はマークスの咆哮を耳と頭を抱えて必死に耐えた。直近でくらったチビ猫も頭を抱えてひっくり返っている。


 言わんことない。


「急いで逃げろ!」


 俺は、チビ猫にそう叫んだけど、耳をふさいでいるアイツに聞こえただろうか・・・。

 咆哮が止み、静かな時間がやってきた。

 緊迫の時間だ。マークスが唸り声をあげながらチビ猫を舐めるように睨みつけている。


「・・・うるさいにょ。おまえうるさいにょーーーーーー」


 機制を制したのは、チビ猫だった。

 激昂したチビ猫は、ドッグフードの入った器をひっくり返し、マークスを渾身の右フックで殴りつけた。

 伊藤さん家の外壁に叩きつけられたマークスを、チビ猫は追撃する。


 ボッコボコである。


 子猫のようなチビのキジトラ猫が、自分の10倍もの体格差があるドーベルマンをボッコボコにぶん殴っているのである。


 俺がチビ猫を羽交い絞めにして止めなければ、マークスは死んでいたであろう。


「も、もういいだろう。およしよ」


 チビ猫の鼻息は荒い。フーフー言っている。


「マークス大丈夫かお前?」


 マークスは虫の息である。俺は、チビ猫を羽交い絞めにしたまま伊藤さん家を出た。


「お前、何てことするんだ・・・。マークス、何も悪くないじゃん」


「あいつうるさいにょ! びっくりしたにょ」


「お前が悪いんだろ! マークスのご飯勝手に食べて」


「そうかにょ・・・。でもあいつうるさかったにょ」


「だーかーらー。お前がマークスのご飯食べちゃうからだろ!」


「にゅー、わるいことしたにょ。あやまりにいくにょ」


 そう言って伊藤さん家に戻ろうとするチビ猫を、俺は静止した。


「いや、もういい。関わるな」


 俺は、チビ猫を観察した。体の大きさは俺の半分ぐらいしかない。子猫のようなメスのキジトラである。

 このチビ猫のどこにあのような力があるのか、目前で見ていたにもかかわらず、信じられない。


「お前、名前は?」


「にゅー、なんだったかのー。わすれちゃったにょー。タマだったかのー? トラだったかのー?」 


「お前、どこから来たんだ?」


「タエコといっしょにいたにょー。タエコは、しわしわのにんげんにょー」


「しわしわって・・・。人間のおばぁさんか・・・。」


「タエコうごかなくなっちゃって、おなかすいたからでてきたにょ」


「ああぁー。その人間死んじゃったんだな。それでご飯が食べれなくなったってわけだ」


 こういう猫はわりと多い。飼い主と死別して食うに困るのだ。


「わかった。俺がご馳走になっている鈴木さん家に行ってみよう。いつもなら魚肉のカリカリを用意してくれているはずだ」


「にゅーカリカリってなににょ?」


「噛むとカリカリなんだよ。食べてみればわかる」


 俺は、いつも昼時にお世話になっている鈴木さんの家をチビ猫を連れて訪ねた。

 庭先で植木の手入れをしている少し歳をとった人間の雌で、いつも食事を用意してくれる鈴木さんだ。


 おっと、人間の雌はおんなって言うのだった。食事を馳走になっているのだ、敬意を示さねば・・・。


「あら、いらっしゃい。おやおや、今日は可愛い子も連れてきたのね。嬉しいわぁ」


 鈴木さんは、そう言いながら俺の頭をなでなでする。俺も嬉しいから少し甘えた声で鳴いてみる。自然と喉もゴロゴロと鳴った。


 鈴木さんは、キャットフードの入った器と水を入れた器を、俺とチビ猫の分用意してくれた。

 チビ猫は一目散にキャットフードに飛びついた。


 よっぽどお腹がすいていたのであろう。文句も言わずにむしゃむしゃ食べている。


「どうだ旨いだろう」


 俺はチビ猫の隣でカリカリをかじりながら、チビ猫に声をかける。旨そうに食べている。やっぱり猫には猫の餌、キャットフードなのだ。


「まぁまぁにょ。本当は生の魚が食べたかったにょ」


 チビ猫は険しい顔でガリガリとカリカリを食べながら、思ったことをいう。

 まず感謝をしろと俺はおもう。


 チビ猫は、器の中のキャットフードを食べつくすと、俺の器に顔を突っ込んできた。


「おい、やめろ。これは俺のだ!」


 俺は鼻でチビ猫を追い払おうと試みるも、こいつの馬鹿力には抗えない。すっかり奪われてしまった。


 仕方がないか、ずいぶんと腹をすかせているようだ。今日のところは譲ってやろう。

 言い訳ではない。本心からの俺の真心だ。


 チビ猫は、お腹がいっぱいになると腹を見せて寝ころんだ。

 鈴木さんが愛おしそうにチビ猫の腹を撫でるが、アイツは事もあろうか牙を見せて唸り声をあげる。


 しかし、鈴木さんの指使いは絶品だ。瞼を引きつかせながらも、チビ猫は喉を鳴らしている。

 俺たちは、一息つくと鈴木さんの家をお暇することにした。


「またきてねぇー」


 鈴木さんが笑うと深い皺ができる。でも、とてもやさしい笑顔であった。


「お前、ちゃんと感謝しろよ。鈴木さんはめちゃくちゃいい人間なんだから」


「にゅータエコよりは若いけど、よくにてるにょー」


 さて、お腹もいっぱいになったしお昼寝の時間だな。


「俺の寝床に案内してやるよ。毛布もあって最高だぜ」


 俺は、寝床にしている公園の茂みにチビ猫を案内した。

 この寝床は、俺だけで使っているわけではない。ルームメイトなんていうとかっこいいだろうか?

 シャムネコの雑種スズと、あまりデザインの良くない雑種のブチとの共同生活だ。


 俺たちが茂みに行くと、二匹が仲良く眠っていた。


「誰? そいつ」


 片目だけ開けてスズが俺に尋ねる。


「名前は知らないけど、迷いネコみたいなんだ。よろしくやってくれよ」


「フフ、可愛い子ね。いいよこっちおいで」


 スズは起き上がると、優しくチビ猫を毛布の上に誘った。


「にゅー臭いにょー。屋根がないといやにょー。ばっちいにょー」


 なんだろう・・・。空気が変わってしまった。


「なんだとー親切にしてやろうとおもったのに、なんだその言い草は」


 スズは、立ち上がって怒り心頭だ。


「うるせーなー。シロ、そいつをどっか連れていけ」


 うっすらと目を開けたブチが、俺たちをにらみつける。

 俺は、チビ猫を連れて慌てて公園をでた。


「何てことしてくれたんだ! 俺まで居心地悪くなったじゃないか」


「にゅー本当のことにょーあんなとこじゃ寝れないにょー」


 俺は溜息をついた。今日からどこで寝ればいいのだろう。鈴木さんか佐藤さん家の軒下でも借りようか・・・。


「しょうがない。鈴木さん家か佐藤さん家の軒下に行こう。先客がいると思けど」


 だいたい鈴木さん家と佐藤さん家の軒下には、性格の悪い灰色毛のパムか凶暴な三毛猫ミーがいるのだ。


「おうちあるにょー」


 おもむろにチビがそう言った。


「ん? どういうこと?」


「おうちあるにょー屋根もあるし壁もあるにょー」


 何だよ根無し草かと思ったら、ちゃんと住む場所あるのか。

 俺は、安心してチビ猫の後をついていった。


 チビ猫についていくと、住宅街のはずれにある雑木林に辿り着いた。人の出入りがないのであろう、藪笹が木々の下に隙間なく生えていて荒れ放題となっている。


「本当に、こんなところに屋根付きの住処があるのか?」


「あるにょー昨日もそこでねんこしたにょー」


 藪笹のなかをしばらくかき分けていくと、少し開けた場所に出た。


 薄暗く苔にびっしりと覆われた石が地面に敷かれている。

 見上げると少し傾いた鳥居が、くたびれた案山子の様に俺を見下ろしていた。


「おい、ここって・・・。神社だろ」


 先をスタスタと迷わず進むチビ猫に訊ねる。


「人間がつくってくれたにょー、あちこちにあるから便利にょー」


「いやいや、お前のためにつくったわけではない」


 鳥居をくぐりしばらく行くと、薄暗い境内に小さな社が現れた。ひっくり返った賽銭箱の先に階段があり、チビ猫がそれを登っていく。


「まてまて、人間に見つかったら怒られるぞ」


 いやー困った。軒下ならまだしも、建物の中に入ると人間は凄く怒るんだ。


 チビ猫はお構いなしで、言う事も聞いてくれない。

 俺は、辺りを気にかけながらチビ猫の後を追う。


 何とか説得できないものか・・・。


 チビ猫は、社の扉を乱暴に開けた。扉の先にはミカン箱二つ程度の部屋があり、小さな座布団が敷かれている。

 それが座布団ではないのは、すぐに分かった。


 部屋の隅に、俺の顔ぐらいの大きさの鏡が転がっている。


 神様だ。


 なんて罰当たりな・・・。


 そう思いながらチビ猫を見ると、あいつは神器の敷布の上ですでに寝息をたてていた。

 俺は落ち着かず、いたたまれない気持であったが、やむを得ずチビ猫の隣で横になる。

 こいつの所為でとんでもない一日であったと、思い返しているうちに眠りに落ちていった。


 山吹色の光が、格子状の扉から射し入っていた。夕暮れ時なのであろう。

 俺は、何らかの物音で目を覚ました。

 隣で寝ていたチビ猫が、険しいい顔をして唸り声をあげている。


「なんだよ。怖い声出して」


「囲まれてるにょ・・・」


 え、俺は恐る恐る扉の格子から外を覗いた。


 境内は、びっしりと黒い影で覆われている。小刻みに動いているそれは、決して素敵なお客様ではないことが、俺にも感じ取れた。


 俺は慌てて扉から飛び退き、身を縮める。


「なんだよあれ・・・」


「きっと、この辺を縄張りにしているワンコたちにょ」


 チビ猫は、勢いよく扉をあけ放った。


「おい、何をするつもりだ?」


 俺は、チビ猫の足に飛びついて出ていこうとするのを、必死に止めた。


「チロはそこにいるにょ」


 俺は、チビ猫の尻尾にはらい飛ばされ床を転がる。


 チビ猫は、西日を正面に受けながら来訪者を見下ろしている。


「ねんこの邪魔をして、ごりっぷくにょ」


「おい、チビ。ここは俺たちの縄張りだ。許してやらねぇけど降りてこい」


 ひっくり返った賽銭箱の上に、一匹の野犬が飛び乗ってチビ猫に凄む。


 筋肉隆々で土佐犬ではなかろうか、きっとこいつがこの群れのボスなのだ。


「ごめんなさいしても、ゆるさないにょ」


 チビ猫は二本足で立ち上がり、指を鳴らす。いや、仕草だけで音はしない。


「野郎ども、引きずり降ろせ!」


 ボス犬がそう叫ぶと、周囲の犬たちがチビ猫に飛びかかって行った。

 ものすごい数だ、正面と左右だけで三十匹はいる。裏にもいるとしたら倍はいそうだ。

 俺は、扉をそっと閉めて格子窓から外の様子を窺う。


 震えが止まらない。


 建付けの悪い扉がギシギシと軋む。


 ごめんチビ。無力な俺を許してくれ・・・。


 野犬たちは、けたたましく吠えたて次々と飛びかかる。


 しかし、一匹二匹三匹と次々に宙を飛んで行った。


 チビ猫は、四本の脚と尻尾を使って落ちてくる木の葉にじゃれているかのように、次々と野犬たちを殴り飛ばしていく。


 ええええー。


 俺は激しく震えた。恐怖からではない、驚愕で震えたのだ。

 目の前で起こっている現実は、この世にあってはいけない非常識だった。

 瞬く間に、境内はひっくり返って泡を吹いている野犬たちで埋まった。


 その中には、ハスキー犬や甲斐犬、ドーベルマンとブルドッグ、あと様々な雑種犬がいて、可愛そうに小さなチワワやポメラニアンもいた。


 ボス犬は、賽銭箱の上で舌を出して小さくなっている。

 どういう表情なのだろうか?

 力が抜けきって表情がないといったところだろうか。


 野犬の群れをただ一匹を残し、倒しつくしたチビ猫が、ボス犬の背に飛び乗った。

 背後から頭を掴み、額に爪を立てると、無理やりボス犬の顔を上に向けさせる。


「すみませんでした・・・。」


 ボス犬は、消え入りそうな声でチビに謝罪する。その眼は、生まれて初めて経験するのであろう悲哀と恐怖をうかべていた。


「ごめんなさいしても、ゆるさないって言ったにょ・・・。」


 チビ猫は、ボス犬の顔に覆いかぶさるようにして睨みつける。


 怖い、怖い。お前が怖い。


 俺は、社を飛び出て階段を駆け降りた。


「おい、もうやめろ。十分だ」


 俺がそう言うと、チビ猫は不服そうに俺を睨みつける。


「俺の名はシロ、住む場所がなくてしばらくここを寝床にしたいだけなのだ。お前たちの縄張りを荒らすつもりはない。いいだろ?」


 俺がそう問いかけると、ボス犬は舌を出して上を向いたままヒクヒクと頭を動かした。


 多分、同意を得たのであろう。


「良いみたいだ。もう放してあげな」


 俺は諭すように、呼びかけるようにチビに言った。


 チビ猫は、そうとう不服そうに舌打ちをしてボス犬から手を離した。


「おなかすいたにょー」


「そうだろう、そうだろう。近所に食事をありつけそうな所がないか、探してみよう。なかったら、仕方がない少し遠いけど鈴木さんの家に行こう」


 俺は、転がっている犬たちを避けながら石畳を歩き始めた。チビ猫もボス犬の背を飛び降りて、転がっている犬たちを避けようともせず踏みつけながら俺の後をついてくる。


 俺は、すぐさま走り出したかった。全てから走って逃げ出したかった。


 しかし、何かがそれをさせない。


 後ろからついてくるあの何かが、そうはさせてくれないのだ。





 しまった。困った。

 すっかり日が沈んで、人間たちは自分たちの食事の時間を向かえていた。

 神社周辺の人家も、最後の砦であった鈴木さんの家も、庭先でいくら鳴いても誰も出てきてはくれないし、餌を入れる器には水しか入っていない。


 振り向けば、不機嫌極まりない顔でチビ猫が俺を睨んでいる。


 どうしよう・・・。


 あ、昔どうしても食べ物にありつけなかった時に、人間の食事を作っている店に行って人間の食べ残しを頂いたっけ・・・。


「心配するな。うまいもん食わせてやる」


 俺は、急に安心して自信も出てきた。不安な気持ちが晴れて、救われた。


 思い出せてよかった。俺は意気揚々と、チビ猫をつれて住宅街の外れにある商店街に向かった。


 あの時は、ちょっとしょっぱかったけど上質な魚を食べられた。

 確かサンマだったと思う。


 あ、そうだあの後店の人間に見つかってモップで散々殴られたんだ。

 嫌な事を思い出した。


 酷く殴られて、もう二度と行かないと決めていたんだ。


 俺は、急に不安になり足を止めた。


「どうしたにょー?」


「いや、もっと旨いものが他にあるんじゃないかなぁと思って」


 もう頭の中が(・・・。)


「こっちから良い匂いするにょー」


 そう言ってチビ猫は、車通りの多い大きな通りを駆けだした。


「おい、危ないぞ!」


 走り行く車を気にもせず、チビ猫は走り抜ける。


 危ない!


 猫はこうやって車に轢かれて死んでいくのだ、もう何匹も見てきた。


「やめろー!」


 俺は、慌ててチビ猫を追いかける。


「ぎゃー」


 もう少しで通りを渡り切れようという時に、荷台に煌びやかな人間の家を載せた黒塗りの車に、俺の大事な尻尾が轢かれた。


「なにしてるにょ?」


 チビ猫は、何食わぬ顔で首をかしげる。


「フガフガフガフガ」 (お前のせいで車に轢かれたんだ俺がぁ)


 必死の抗議も、激痛で言葉にならない。危うく死ぬところだった。


 思い出した。あの煌びやかな車は、霊柩車だ。人間の死体を運ぶ車だ。よりによってそんな車に轢かれるとは・・・。


 尻尾で済んでよかった。


「こっちにょー」


 チビ猫が、また走り出した。


「フガフガフゴ」 (いい加減にしろお前ー)


 ここには、広い駐車場がある。


 チビ猫が車なんか気に掛けることもなく、真ん中を突っ走ってゆく。


 奥に大きな建物があって、煌々と店の看板がライトに照らされていた。

 あー、ここはこの街で一番大きなお店だ。結構有名なの。そうそうエスズ家電だ。

 人間のおばぁさんは、鈴木家電とも言っている。


 あまり来ることは無いけど、目印としては重宝する。大きいからね。


「加藤さん。何やっているのよ」


 店の入り口から少し離れているところで、太った人間の男が若い女を叱っているようであった。

 二人の足元には、大量の缶詰が散らばっていて若い女が慌てて拾っている。


「すみません店長、かよわい女性の私には少し重かったようです。いえ、店長が男性で重いものは持ってくれても良いんじゃないかなんて、全く思いませんけど・・・。」


「え、私に持てって言っているよね!」


「いえいえ、店長は私の雇用主ですから思っていも口には出せません」


「思っているんだ!」


「やだ店長、私の心の中を覗くなんて」


「やめてよもうー」


 男は、面倒くさそうに缶詰を拾い始めた。

 落ちている缶詰の中には、幾つか中身が出てしまっている物がある。

 それを、いつのまにかにやってきたチビ猫が、ぺろぺろと舐めているのである。


「わ、何だこの猫。いつの間にやってきたんだ。シッシ、あっちへいけ売り物なんだから」


 男は、足でチビ猫を追い払おうとする。


「おいチビ、まずいって逃げるぞ」


 俺は、チビ猫の元に駆け寄って首の後ろを噛んで缶詰から引きはがした。


「にゅーなにするにょー。これ、とてもおいしいにょー」


 チビ猫は、前足をばたつかせて抵抗する。


「あらーかわいいにゃんちゃん。店長、足で追い払おうとするのやめてください。乱暴です。怖いです」


「そんな事言ったって、これは売り物なんだから」


「中身の出てしまったものが、売り物になるわけないじゃないですか」


 そう言って若い女は腰をかがめると、缶詰を一つ開けて俺たちの前に置いた。チビ猫が歓喜して飛びつく。この缶詰は、ツナ缶だ! 最上級のご馳走だ。


「もーこんな所で餌付けしないでよ。缶詰、加藤さんの給料から引いとくからね」


「従業員に、こんな小さな損失まで負わすなんて、肝の小さい経営者だ」


 若い女は、眼鏡の奥の目を細めぼそりと言った。


「え! なんか言った? 今、小さいって言った僕の事?」


 男は若い女を非難しているようであったが、若い女はチビ猫の頭をよしよしと撫でて無視している。


 頂いていいようなので、俺もチビ猫の食べている缶詰に顔を近づけた。


 無意識なんだろう。チビ猫が喉を唸らせる。


「はいはい、あなたにもあげますよ」


 若い女は、俺にも缶詰を開けて差し出してくれた。どうやらこの人は、加藤さんというらしい。良い人間は覚えておこう。


 加藤さんは、そばにまとめて置いた缶詰を手に取ると店の中に入って行った。追いかけるように男も、何やら言いながら去って行く。


 ちょうど俺たちの目の前に、ガラス越しにテレビが見えた。

 俺たちはご馳走を頂きながら、何気なくテレビの映像を眺めていた。


 赤やら黄色やらの服を着た人間たちが、見たこともない大きな動物と戦っている。


 チビ猫は、テレビが気になるようで、いつしかツナ缶を食べるのも忘れて、テレビに見入っていた。


「ガウガウレッド、ガウガウイエロー、ガウガウブルー」


 テレビの中の人間たちが、自己紹介をしながらおかしな格好をする。


「ガウガウ戦隊!ガウガウガー」


 人間たちが声をそろえてそう叫ぶと、何故かみんなでおかしな格好をする。

 そして、大きな動物と戦って、負けそうになると大きな機械に乗り込んで、一撃でやっつける。


 最初からそれで行けよと、俺は思うのだが・・・。


 勝負がつくと、またみんなが集まって変な格好をして、何故か背後の山が爆発した。

 意味が分からん。


 チビ猫は、すっかり気に入ったようで、立ち上がり人間たちの歌に合わせてガウガウ言っている。

 人間たちが歌を歌い終わると、どうやらお終いのようだ。全く関係のない映像になった。


「きめたにょー」


 チビ猫が、キラキラと目を輝かせて俺に言う。


「なにを?」


 俺はツナ缶を食べ終えて、すっかり満足していた。口の周りに付いた油までおいしい。


「名前きめたにょー」


「え?」


 何の事だろう。さっぱりわからない。


「リトにするにょー」


「え、何? リトって」


「ガウガウリトにょー」


「ああ、ガウガウレッドね」


「そうにょ、なのでリトにょ」


「レッドね」


「にゅん。リトにょ」


「レッドね」


「にゅん。リトにょ」


 ああ、こいつ自分ではレッドって言っているつもりなんだ。まぁ、そう言う事にしておいてやろう。決めたとは、自分の名前って事か・・・。


「じゃぁ、お前のことはリトって呼べばいいんだな?」


「にゅん」


 自分で名前をつけるのも珍しいが、まぁ、ないと不便だしチビ猫改めリトという事で良いのではないでしょうか。


 こうして俺とリトは、満腹になったところで住処の神社に帰ることにした。


 

  

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