Ⅰ
暑い日差しにうだりながら自転車を漕いでいる時だった。
直射日光あふれる川沿いで、黒いローブを身に纏い、何事かを一人でブツブツと呟いている女の子がいた。頭の不思議な女の子がいるのか、僕の頭が不思議になってしまったのか。
お盆を過ぎたばかりだし、ハロウィンにはまだまだ遠い。長い杖で地面に落書きしているのは、とても目立つ姿だった。
ただ、どこかで見た様な気が……ひょっとするとクラスメイトだったような?
この暑さで大丈夫、ではないだろう。少し気になった僕はほんの気まぐれで声を掛けてみた。
「そこで何してるの?」
「へ?」
すると、彼女はキョロキョロと回りへ視線をやった。
「あの、君に言ってるんだけど」
「へぁっ!? 私が見えるんですか?」
「いやフツーに見えるけど……」
「な、ななななな、なぜ貴方には見えるのですか!?」
素っ頓狂な返答。見えるも何も、犬の散歩をしている人たちだって彼女をチラチラ見ているし、何だったら犬に吠えられてるし。そう伝えようとした所、ぐいっと右腕を引っ張られた。
「こっちに来てください!」
「え、どこに」
「少し記憶を消しに……いえ何でもありません。殿方と少しばかり風を感じてみたかっただけです」
「今から殴られるか何か!?」
「……感の良すぎる男の子は嫌われますよ!」
一閃、振り向きざまに放たれた裏拳が僕の鼻先を掠めた。
「避けるのが上手い男の子もです!」
次いで右こぶしが僕の胸元へと叩きこまれる。なぜ胸元かと言うと、多分、顔を狙ったけれどリーチが届かなかったから。更に言えば、痛くも痒くもない破壊力だった。
「……」
気まずい沈黙が流れる。
「えっと」
作戦(?)が失敗したのか、彼女は頬をポリポリと掻く。一体何なんだこれ。
「ていうか、火野さんだよね?」
「へあっ!?」
「こんな暑い中で大丈夫? いや大丈夫でもなさそうだけど」
「ぐぬ、なんだか哀れみのこもった眼差しで見るのはやめてください」
クラスも一緒なハズだったけれど、学校にもたまにしか来ないし、ほとんど話したことも無い。けれど何となく印象には残っている。周りの子たちと比べて口数が少なく、スラリとした身体に沿うように腰元まで伸びるストレートの黒髪。
そして何より瞳が印象的だった。
新しい高校生活が始まると、僕も含めてみんな緊張だったり、或いは変にテンションの上がる子だって多かった。けれど彼女はそのどれとも違って、何も見ていないような、何も視界に入っていないような……虚ろな眼差しをボーっと下に向けているだけだった。
「貴方はどこの誰です? なぜ私を?」
「高校で同じクラスだと思うんだけど……」
「へあっ!? そそそ、そうでしたか」
「まぁ火野さんはあまり学校に来ていないみたいだけど。どこか体調でも悪いの?」
そう聞きかけたところで少し後悔した。
学校に来たくても来れない理由が彼女にはあるのかも知れない。患っている病だったり、或いは人間関係だったり。気軽に聞いてはいけないものだったらどうしよう、と。
「いえ、別に?」
「そうなの?」
「えぇ。私は学業よりも優先するべきことがあるのです。その目標に比べれば、例え卒業が遅れようとも構わない程には」
自信満々に言い切る彼女。
ひょっとするとこの炎天下黒ローブ、その目標のためだったりするのだろうか。だとしたらちょっと怖い。厨二病なんて言葉もあるし、ここはさっさと退散するに限るのではないか。
「そっか、じゃあ頑張ってね」
「ちょっと待ちなさい」
ぐいっと引っ張られる僕の右腕。
「ここで見たことは他言無用でお願いしたいのです。なぜ貴方に見られたのかは分かりませんが、ここでの私は世を忍ぶもので」
「いやみんなの視線めっちゃ集めてたよ」
「へあっ!?」
「そりゃあ直射日光の下で黒ローブなんて着てたら、目立つんじゃないかな」
「そんなハズは……あぁ! 結界の起点がワンちゃんに崩されています! あ、あああああ」
両手を顔で覆いガタガタと震えだす黒ローブ。
いまさら凄まじい羞恥に襲われているのだろうか。良かった。これで恥ずかしくないなんて言ってたら、むしろそっちの方がドン引きだ。
「重ねてお願いですが、ここでの事は他言無用! 大丈夫、明日からは時間も変えますし、結界もしっかり厳重にしますし」
結界とかいう言葉がもうイタい。そろそろ僕まで居たたまれなくなってきた。
「そっか。じゃあ僕はこれで」
「待ってください。これは約束というよりも契約です」
「け、契約かぁ」
「手を出してください」
「ん?」
返事も待たずにぎゅっと手を握られた。
僕よりも2回りほど小さな手。
そこに指をシュルシュルっと動かして、彼女は目をつむった。
「これで大丈夫。ではもう会うことも無いでしょう。さようなら」
いや同じクラスではあるのだけど……。
「じゃ、じゃあ暑いから気をつけてね」
そうして河川敷から解放された僕は、自転車を漕いで友人宅へと向かった。