また会いましょう
『マリア!』
バタン!と大きな音を立てて開く扉。
この頃、蝶番が錆びてきているのか、ギィギィと不快な音を立てるのに、そんなに乱暴に扱ったら壊れてしまうわ。
あぁ、でも、最後に自分で扉を開けたのはいつだったかしら?
『あぁ、マリア…何故こんな、こんな…っ!』
王都にいるはずの私の恋人。
長旅のせいか、少しホコリっぽく、やつれている。
無精髭も生えているが、その精悍な顔にはなかなかどうして似合っている。
『そこに椅子があるでしょう?座ってちょうだい、ウィリアム。』
たったこれだけの言葉なのに、今の私にはか細い声で訴えるので精一杯。
言い終わると、ケホッと小さく咳までする始末。
その咳に敏感に反応したウィリアムは、ベッドサイドに置いてあった水差しから、コップに水を移し替え、震える手で私に差し出してきた。
けれど、首を振って拒否する。
きっと、私にはもう時間がない。
泣きそうな顔を一瞬見せたウィリアムだが、私の骨と皮だけになってしまった手を恐る恐る握り、言葉を紡ぐ。
『マリア、覚えてるかい?君と初めてあった日のことを。』
えぇ、覚えてるわ。
あの頃私はお転婆で、近所にある大きな木に登ろうとして失敗して、木の下で読書をしていたウィリアムの前に落っこちたのよね。
あの時のウィリアムの驚いた顔ったら。
『あの時、僕は空から天使が落っこちたのかと思ってビックリしたんだ。』
そうだったの?
それは初めて聞くわね。
でも、天使だなんてとんでもない。
あの後、母にこっぴどく怒られたのも知らんぷりして、新たにできたウィリアムという友だちをあちこち連れ回して、イタズラばかりしていた私よ?
『ジェームズとエマも加えた四人で、トムさんの家の牛を放して怒られたこともあったね。』
そんなこともしたわね。
私が言い出したのだけど、ジェームズとウィリアムも乗り気になって計画を進めていって。
最後まで私たちの事を止めてたエマまでトムさんに怒られて、エマにとってはとばっちりだったわね。
『間近で見た牛に怯んでるジェームズと僕を後目に、君はドンドン柵を開けてしまって。僕達も負けるもんか!って競うように柵を開けたんだ。』
男の意地ってやつだったのかしら?
でも、確かに牛は間近で見ると迫力満点よね。
『ジェームズとエマの結婚式の時、君が号泣してたのは覚えてる?』
勿論覚えてるわ。
ジェームズもエマも大親友だから、二人が結婚するのが嬉しくて。
そして、初恋を拗らせてウジウジしてるジェームズに、イライラしながらも背中を押し続けた結果が実ったことも嬉しくて。
エマを任せられるのはジェームズしかいないって胸を張って言えるわ。
『君のことをね、知らせてくれたのも二人なんだ。』
えぇ、知っていたわ。
私が病気で、もう先が長くないと知った二人は、真っ先にウィリアムに連絡しろと言った。
でも、王都で働くウィリアムの邪魔をしたくなかった私は、それを頑なに突っぱねてしまったの。
だって、ウィリアムを愛しているから。
重荷にだけはなりたくなかったのよ。
『どうして…もっと早く…』
ポタポタと、ウィリアムの涙が私の手に落ちる。
『こんなことなら、王都に行かなければ良かった。君のそばにずっといれば良かった。』
私の手を握ったまま、祈りを捧げるようにしていたウィリアムが次に顔をあげた時、そこに決意の色が見えた。
『マリア、君を愛してるんだ。だから、君が死んだら、僕も後を…』
気力を振り絞って、ウィリアムの唇に指でそっと触れる。
その先は言わせない。
その気持ちだけで、私は充分に生きた意味を見いだせる。
あぁでも最後に。
『ウィリアム、私も愛してるわ。でも、少しの間、お別れね…。』
マリアの手の力が抜けていく。
今この瞬間に零れていく命を感じる。
『マリア!マリア!マリア!』
馬鹿みたいに名前を繰り返し、必死にこちら側に留めようとあがく。
誰にも渡さないと抱き締めて、なおも名前を呼び続ける。
けれど、気付いたら彼女は息をしていなかった。
見つめた顔に満足そうな笑みと、一雫の涙の跡だけ残して。
煙がゆらゆらと、でもしっかりと空にのぼっていく。
マリアも、あの煙の先、空の向こうにいるのだろうか。
『ウィリアム。』
後ろから、ジェームズに声を掛けられる。
無言で振り向くと、ジェームズの手には封筒。
『マリアからだ。』
差し出した封筒を引ったくる様に受け取り、震える手で封を開ける。
そこには、丸っこい癖のある、彼女の字が並んでいた。
ウィリアム、貴方がこの手紙を読んでいる頃には、きっと私は空の向こうね。
初めて貴方に会った時、正直に言うとなんて軟弱な男なんだろう!って思ったの。
私の周りの男の人たちは、皆頭を働かすことより、体を動かすことが好きなような、活発的な人たちばっかりだったから。
だから…今思うと余計なお世話だと自分でも思うけど…本ばかり読んでいる貴方を外に連れ回して遊んだのよ。
でも、貴方は大きくなるにつれて、身体も大きくなって、頼り甲斐がある男の人に成長して。
しかも、『村に学校を作りたい』って大きな夢まで持っていて。
私は貴方が眩しかった。
王都で文官になるという貴方の、一緒に来ないかという誘いを断ったのは、貴方にこの村に帰ってきて欲しかったから。
この村に帰ってきた時、真っ先に貴方におかえりって言いたかったの。
叶わない夢になってしまったけれど。
ねぇ、ウィリアム。
考え事をする時に、顎に手をやる仕草が好き。
照れると、すぐに赤くなる耳が好き。
本当は甘いものが好きなのに、男らしくないと我慢する、その意固地なところが好き。
大きい手の、その温もりが好き。
つむじが二個あるから髪の毛がまとまらないと、困ったように笑う顔が好き。
私を見つめる、その瞳の熱が好き。
抱きしめてくれた時の、その心臓の早さが好き。
キスをした時の、少しカサついた唇が好き。
体全体で愛してるって伝えてくれるのが好き。
ウィリアムが好きよ。愛してるわ。
だから、この村に学校を建てるって夢、必ず実現させてね。
私の恋人は凄いのよ!って自慢させてちょうだい。
大丈夫、私は空の向こうで待ってるわ。
少しの間お別れだけど、またお空の向こうで会いましょう。
それまでどうか、お元気で。
マリアが静かに眠る村に、子どもたちの笑い声が響くのは、あともう少し先のこと。