一途な愛は悪魔に魅入られる
私には愛する人達がいる。
厳格な父、美しい母、優秀な兄、可愛い妹。
そして、麗しい婚約者。
皆が好きだから、愛した。
同じ愛を返されなくても良かった。
皆の言う事には出来るだけ従ったし、我儘なんて言わなかった。
けれど、皆の中心に居るのは、愛されるのは可愛い妹。
我儘を言っても、勉強を休んでも、貴族の子女らしからぬ振る舞いをしても、叱られる事も無く、全てが許され、愛される可愛い妹。
妹が嫌いな訳じゃない。
妬んでいる訳じゃない。
ただ、ほんの少し寂しいだけ。
ただ、ほんの少し、愛される妹が羨ましいだけ。
そんな事を考えてしまったのは、体調を崩したせいかもしれない。
閉め切られた窓の外からは、私の愛する人たちの声が聞こえる。
婚約者の訪問日に、体調を崩した私が悪いの。
母も兄も妹も、婚約者を持て成してくれているだけ。
侍女のリアンしか様子を伺いに来ない事を嘆いてはダメ。
誰一人見舞いに来てくれない事を寂しがってはダメ。
だって、皆に感染する様な事があっては困るもの。
体調を崩した私が悪いんだもの。
「本当に…?」
突然、誰も居ない筈の部屋の隅から声が聞こえた。
「……だれ?」
熱に浮かされた頭で、声の方を見ようとするが、声の主は確認できない。
「ずっと君を見ていた者だよ。……本当に、君が悪いと思うの?」
「だって…皆は悪くないわ。私が体調を崩したのだし、私の事を考えて休ませてくれているだけだと思うわ」
先程の考えは口に出ていたのだろうか?
疑問を浮かべながらも、普通に会話を続けている自分が不思議だ。
「そう? これを聞いても?」
「え…?」
声の主がパチンと指を鳴らすと、愛する人達の声が聞こえてきた。
『あの娘ったら、こんな日に寝込むなんて本当にグズなんだから…』
『嫌だわ、お母様。そんなの前から分かっていた事じゃない』
『いつも困った様に笑って…皆に混ざりたいのなら、自分から声をかければ良いのに周りの顔色ばかり窺って。構って欲しいのに何も言わないのはどうかと思うよ』
『でも、言った所でどうにかなります?』
『それもそうか』
『本当に、あの娘が婚約者なのが申し訳ないですわ』
『それは仕方の無い事です。それに私位しか受け入れられないでしょう?』
『器の大きさに感謝致しますわ』
『そんな事言って…お姉様より、私の方が相応しいと思いますわ!』
『ああ、その方が良いかもな』
ははは…
ふふふ…
「ね? 君が皆からどう思われているか分かったかい?」
「どうして…? 何故これを聞かせたの…? 知らなければ幸せでいられたのに……」
涙を流し、声の主に訴える。
気付いていた。知らないふりをしていた。
でも、本当の会話を聞いてしまったら……!!
「君が欲しくなったからだよ」
「え…?」
不意の言葉に、思考が止まる。
「君の様に、清廉で一途な想いを持つ者が好きなんだ。せっかくの清い魂に澱みが生まれるのは勿体ない」
「何を言っているの…? あなたは誰…?」
「気付かない? ずっと、君の側に居たのに?……『お分かりになりませんか? お嬢様』」
すっと部屋の隅から出てきた姿は、声は、一番身近にあったものだった。
「え……? リアン…?」
それは間違いなく侍女のリアン。
そういえば、いつからリアンは私の専属侍女だったかしら。
いつの間にか、ずっとそこに居た様にこの屋敷に溶け込んでいた。
「そう。そして、これが本当の姿」
侍女服のリアンの姿が、背広の美しい青年の姿に変わっていく。
「……男の…人?」
「私の本当の名は『ダンタリアン』。仕事でこの国に来ていたんだけれどね、君を見つけてしまった。そして、花嫁に迎えたいと思ってしまったんだ」
「花…嫁…?」
「君の一途な愛が好きだよ。あんな家族や婚約者など放って、私一人にその愛を向けてくれ。同じ位の愛を返すから。……悪魔の愛も、一途なんだ」
「悪魔……そう…なの」
人知の及ばない変化を見せられ、納得せずにはいられない。
「怖いかい?」
物語の中でだけ存在すると思っていた悪魔が存在していた。
それなのに、怖さなんて全く湧いてこない。
「リアンなのでしょう? なら、怖い事なんて無いわ。……でも、家を出る事は……少し、怖い」
そう言うと、リアンはベッドサイドに座り、私の頬に手を添える。
「そうかい? 陰でグズと罵り嗤う様な家族の側で、君を貶める言葉を否定しない婚約者の側で、君は幸せになれるの? 婚約者は妹と縁を結び直すだろうし、何の問題も無いだろう? それに、私なら一生愛してあげる、甘やかしてあげる、守ってあげる。悪魔は誓約を必ず守るからね」
悪魔は甘言で人を惑わすという。
誓約は守っても、真実を語る訳では無いだろう。
でも……今の私には一番欲しい言葉だ。
見返りなんて求めていなかった筈なのに、愛を返してくれない人に不満を抱いてしまった私には…。
「そう…ね。私が居る事で、愛する人が苦痛を感じるなら、ここに私は不要だわ。……連れて行って、……離さないで」
傍らに座るリアンに手を伸ばすと、リアンは幸せそうに微笑み、その手を取る。
「ああ、ずっと一緒だ。離さないよ、私の花嫁──」
リアン……ダンタリアンは私を優しく抱き上げ、その場から掻き消えた。
厳格な父は、優秀な娘を愛し、自慢していた。
美しい母は、優秀な娘に足りないのは自信だけだと思い、愛を持って厳しく躾けていた。
優秀な兄は、控えめな妹を愛しつつ、積極性を身につける事を願い厳しい言葉をかけていた。
可愛い妹は、自分とは違う優秀で美しい姉を誇りつつ愛し、妬んでいた。
麗しい婚約者は、美しく控えめな婚約者を愛し、婚姻後は家族と引き離し、真綿で包む様に守ろうとしていた。
しかし、そのどれも彼女の前に見せる事はなかった。伝わる事は無かった。
素直に愛を表せず、彼女の愛をただただ浪費していただけ。
彼女が消えた後、幸せと思われていた家族と婚約者の嘆きは酷いものであった。
『彼女の愛をただ享受し浪費して、自分の愛は見せないのに察しろとか……都合が良すぎるよね』