シーン72 それぞれの道の先へ
シーン72 それぞれの道の先へ
無機質な壁に包まれた部屋で、彼女は窓の外を眺めていた。
星が、光の線に変わって流れている。
この空間を抜ければ、久し振りに故郷の星だ。
自分の不甲斐なさと、僅かな満足感に、複雑な感情が心を乱していた。
こんな事、以前なら一度も無かったのに。
窓に、疲れたような自分の顔が映った。
疲れたような?
いや、確かに疲れているのだ。
だから、休暇を取らされた、そうではないか。
自嘲して、彼女は自分から目を背けた。
ドアが開いて、見たくもない見慣れた顔が姿を見せた。
「ふさぎ込んでいるな、エイダ」
ザラは、ずかずかと室内に入ってきた。
「別にふさぎ込んでなどいない、ただ、気が抜けているだけだ」
「てっきり懲罰を受けるものと思っていたのだろう」
「懲罰を受ける方がまだましだ。休暇など、気持ちの悪い」
「そう言うな、付き合わされる俺の身にもなってみろ」
ふてくされたように両手を広げ、勝手にエイダの椅子に座る。
別に、あたしのせいじゃない。
エイダは自分勝手で血も涙もないこの相棒が、こうして無駄な時間を過ごしている本当の理由を知っていた。
「お前こそ、懲罰対象になっていたらしいじゃないか。何しろ、我が軍にチェリオットが配備されて以来、はじめて撃墜された男だからな」
意地悪な笑みが、勝手に口元に浮かぶ
「エイダ!」
彼は怒った口調になった。
それを言うな、と、眼が訴えている。
エイダは心の中で舌を出した。
少し、きつい言葉だったな。
まあ。あれは相手が悪かったとしか言えないのだろうけど。
「ライめ。この次に会った時は、仕留めてやる」
ザラが拳を握りしめるのが見えた。
「まったく、お前って奴は・・・」
血の気の多さに辟易して、エイダは頭をかいた。
「あたし達の敵は彼女じゃない。シュミットや、それを悪用する連中だ、そうだろう。話によれば、彼女は自分からシュミットキーを渡したそうじゃないか」
「それは・・・そうだが」
「お互い、冷静になろうじゃないか」
彼女は再び窓の外に視線を戻した。
ザラに軽口を叩いたところで、心のモヤモヤが晴れるわけではない。
それでも。
こんな男でも、まあ、愚痴を言う相手が居るだけマシか。
「この次か・・・、あたしは会いたくはないね」
エイダは、彼女の青い髪を思い返した。
泣き虫で、騒々しくて、弱いくせに、なぜか強い。
変な、女だ。
「そういえば」
エイダは思い出したように言った。
「ザラ、彼女の名前はラライだよ。ライじゃない」
「は? 何の話だ?」
「向こうにとっては、重要なコトさ」
エイダは笑った。
笑いの意味を理解出来ずに、ザラは先ほどよりも更に難しい顔になった。
・・・・・・
「それじゃあ、私はそろそろ行くから、君はゆっくりしたまえ」
部屋を出ていこうとする背中に向かって、ディーンは視線を送った。
「色々とありがとうございます、何から何まで、お世話になってしまって」
「いや、礼を言われるほどの事ではないよ」
足を止めて、フーバーが笑った。
ディーンが知っている彼よりも、ずっと老けてはしまっていたが、表情は以前よりも柔和になって、年齢以上に若々しく見えた。
「先生には本当にお世話になった。それに、あの事件があったからこそ、私はここまで研究に情熱を注ぐことが出来た。そういう意味では、君にも感謝をしなければならないくらいだよ」
「それは言いすぎです。僕は、何にもしていません。結局、本当に何にも・・・」
「この20年は・・・いや、君にとっての3年間は、意味が無かった、そう言っているのかね?」
「そうではありませんが・・・、そう、20年も経っているんですよね」
あらためて、時の流れに、戸惑いを覚えた。
自分にとっては、あっという間の3年だった。
だけど、彼らにとっては、それはあまりにも長い年月だっただろう。
フーバーはディーンの表情が曇ったことに気付いた。
「等しく時は流れている。何も悩むことはないよ、ディーン。私は君が経験していない17年を先に経験するという幸運を得たし、君はこれからその17年以上を楽しむことができる。まあ、お互いさまという事だ」
ディーンはぽかんとした顔をした。
「本音を言えば、君が羨ましいのだがね」
悪戯っぽく、フーバーは白い歯を見せた。
つられて、くすりとディーンは笑った。
「フーバーさんは、やっぱりフーバーさんですね」
「どういう意味だね」
「尊敬に値するという事です。困ったなあ、これはもう、そう簡単には追いつけそうもないですね。その・・・、研究者として、という意味ですが」
「そう簡単に、追いつかれては困るよ」
言ってから、フーバーはちらりと時計を見た。
「まあ、ドゥの話が本当なら、私の研究など、所詮彼らの掌の上に過ぎないんだろうがね。あの箱舟が出来損ないであったなどと、信じたくもないものだが。すまない、もう時間だ」
「すみません、引き留めてしまって」
「大丈夫だ。では、また後で」
フーバーの姿が廊下へと消えていくと、ディーンは静けさの戻った室内で、ふっと息を吐いた。
振り返って、ベッドに横たわる人物を見る。
見覚えのある男性が、彼の記憶よりもずっと老いた姿で、その身を横たえていた。
よく、眠ってるな、父さん。
ディーンは、シーツを少し上にあげて、窓の庇を降ろした。
昨夜は、大分驚かせてしまった。
思いもかけない再会は、父親にはショックが大きすぎた。
あまりの事に興奮状態に陥り、一時は、危険な状態になってしまった程だった。
額にそっとふれて、そこにまだ温もりが宿っている事を、彼は感謝した。
ベッドサイドの机に、写真立てが立てかけてあるのを、彼は今になって気付いた。
これは、僕の写真だ。
大学に入ったばかりの頃の、自分にとっては数年前の出来事。だけど、この写真はもうすっかりと色あせている。
彼は何気なく、それを手に取った。
おっと。
後ろから、もう一枚の写真がこぼれ落ちた。
重なっていたのに気付かなかった。
拾い上げて、彼は妙な顔になった。
そこには、二人の少女が映っていた。
一人ははっきりと覚えている。
マティルダ・ラナック。
ラナック博士の娘だ。
で、もう一人は・・・。
年のころは、まだ2.3才かな。
おしゃまにスカートを履いているけど、泣きべそをかいていて、妙に可愛かった。
マティルダちゃんか、そういえば、元気なのかな。
彼は懐かしくその写真を眺めた。
でも何かが妙な気がした。
確かにラナック夫妻とは仲が良かった。だけど、どうして父は、彼らの子供の写真を、こんなに大事に持っているのだろうか。
それに、この小さな子供。
誰かに似ている。
どこかで、間違いなく、会っている?
そんな気がした。
彼はしばらく写真を見つめて、ようやく思い当たった。
誰かに似ていると思ったら、ラライさんだ。
同じような髪の色をしているからな。
ディーンはそれ以上の詮索をしなかった。
最初と同じように、写真立ての後ろに挟んで、倒れないようにしっかりと台を固定した。
窓の外には、テアの人工の景色が広がっている。
蒼い偽りの空に、移動用シャトルが白い雲の軌跡を残した。
目を細めて、彼はもう一度、この世界に戻ってくる事が出来た幸運に感謝した。
・・・・・・・・・・
青い空の下を、爽快に風が吹いていた。
大地の温もりを踏みしめて、コンラッドは山道を進んだ。
後ろからは、ようやく回復したセドックと同郷のランドールが、そしてさらに後方からは、シオンの地への使者として選ばれたセルテスが、慣れない山道に苦戦していた。
「おおいコンラッド、病み上がりにこの坂はキツイ、そこの尾根に出たら休息しようぜ」
ランドールが声をかけてきて、コンラッドは仕方なく頷いた。
できれば、早くこの山を越えてしまいたい。
故郷の森がどうなっているかを、この眼で確かめなければ。
気がはやって、知らず知らずのうちに、不機嫌な顔になってしまっていた。
ようやく、セドックが彼に追い付いた。
「まったくもう、お前ときたら、そんなに彼女が行ってしまった事が辛いか?」
セドックが息を切らしながら、片目をあげて楽し気にコンラッドを見た。
「何を言う。俺は、そんなんではない」
「顔に書いてあるわ。それにしても、どうしようもない朴念仁かと思っていたが、お前もやっぱり男だったな」
そう言って、セドックは笑い出した。
事情を察して、ランドールが、ははあ、という顔になった。
「もしかして、あの髪の青い娘か。確かに美人だったな、村の娘とは、ちょっと違う」
「だから、そのような事ではないと言っている」
ムキになればなるほど、セドックとランドールは面白そうな顔をした。
「ふん、もういい、行くぞ」
「ちょっと待てよ、まだ少しも休んでないぜ」
ランドールが慌てた。
「二人とも、冗談が過ぎるからですよ。コンラッドは、いつも精一杯なんですから」
セルテスが、腰に帯びた水筒を開けて一口含んだ。
4人で回し飲んで、それから改めて尾根の先を見る。
「そろそろ、シオンの森が見えるころじゃの」
休みたがっていた割には、セドックが先に歩き出した。
厳しい勾配だが、ワイバーンの目を逃れながら歩いた時に比べれば、楽なものだった。
坂を上りきった時、セドックが急に立ち止まって、背を伸ばした。
彼の口から、ため息とも感嘆ともつかない声が漏れた。
「コンラッド、こりゃあ、大変だぞ」
セドックの眼が、遠くを見つめていた。
コンラッドは並び立って、彼が何を見たのかを知った。
驚きに、目が見開いた。
世界が、広がっていた。
世界の果てが、見えない。
あった筈の無の空間が消えて。森のその先にも、大地が延々と広がっている。
その広大な景色は、心を震わせた。
何と広く。
なんと美しいのだ。
「コンラッド、これではもう、休むことなどできんな」
セドックの言葉に、コンラッドは無言で頷いた。
「あの地の先には、何があるんじゃろうか。きっと、儂らの知らんことが、まだまだ沢山あるに違いないぞ。・・・それを見極めねば、これは死んでも死に切れんわい」
彼の眼が、子供のように輝いた。
コンラッドは空を見上げた。
青い空の向こうには、宇宙という世界もあると彼女は言った。
セドックの言う通りだ。
自分たちの世界は変わった。
今から自分たちには、これまで知らないこと、経験のない事が沢山降りかかってくる。
だが、これを受け止めて、希望へと変えなければ。
彼女が救ってくれた未来を、しっかりと繋いでいくのが、自分の使命だ。
コンラッドは大声をあげた。
どこまでも、どこまでも届きそうな程、大きな声だった。
お読みいただいて、ありがとうございます。
いよいよ次回、エピソード4 エピローグです。
最後まで、よろしくお願いいたします




