シーン53 アタシが守るべきものは?
シーン53 アタシが守るべきものは?
灯りが煌々と照らされて、沢山の人影が集まっているのが見えた。
近づくにつれ、人々の笑い声が聞こえてきて、アタシとエイダは首を傾げた。
このヤソワの地に着いて以来、いや、この世界に辿り着いてから、人々の楽し気な声を聞いたのは、これが初めてかもしれない。
「あ、戻ってきた!」
アデルという少年の声が聞こえた。
どよめくような音が聞こえて、視線の先で人々が線路に溢れ出すのが見えた。
これは、いったい、どういう状況だろう。
すると、人波をかき分けて、見覚えのある老戦士が姿を見せた。
「おーい、こっちだ。みな、歓迎の用意をしてくれてるぞ」
それは、セドックだった。
彼はアタシのところまで駆け寄ってきて、恭しく、アタシをエスコートした。
なんだか、やけに得意げな顔になっていた。
「あのアデルが、誰彼なく吹聴しおってな。ラライがシュトライ神の化身となって、あの飛竜どもを退治してくれたと。おかげで、この騒ぎよ」
「はあ~、それで」
エイダが、やれやれという仕草をした。
「飛竜が居なくなってくれたおかげで、狩りも出来るという事になって、コンラッドはヤソワの者と一緒に出掛けておる。久し振りに新鮮な肉が食えると連中も喜んでなあ。ラライ、皆に顔を見せてやってくれ」
「そんな、アタシ・・・」
お礼を言われるような事なんて特別してないし・・・
と、否定する間もなく、アタシの周りには人だかりができた。
口々に。
「こんな可愛い娘さんがねえ~」
「神の巫女なんだってよ、お前知ってるか、巨大神だぞ」
「どうでもいいけど、随分ときれいな子だなあ~」
聞いてるこっちの方が、こそばゆくなるような言葉が飛び交った。
「やれやれ、どいつもこいつも、お前の正体を知らないからねー」
エイダがぼそりと、でも、しっかりとアタシに聞こえるように言った。
「それって、どういう意味ですか?」
「言った通りの意味だけど」
「アタシの正体なんて、それこそ見たまんまじゃないですか」
「お前さ、見た目は可愛いんだけど・・・、ほら、な」
なにが、ほら・・・だよ。
なんか、同じような事、前にシャーリィにも言われたような気がする。
アタシが彼女を横目で睨んでいると、再び反対側の方で歓声があがった。
「あ、兄ちゃん!」
アデルが飛び出していった。
見ると、セルテスを先頭に、ヤソワの兵士が数名、それにコンラッドが、どこで仕留めたのか、大きな角の生えた動物を運んでくるのが見えた。
「アデル、今日は久しぶりにご馳走が食えるぞ」
セルテスがアデルを抱き上げる。その姿がアタシはとても微笑ましく思えた。
横を抜けて、コンラッドはアタシの方に近づいてきた。
「ラライ、良かった。戻ってきたな」
彼がニコッと笑った。
なんだか、今までになく柔らかな笑みに見えた。
「狩りに出たんだってね、獲物は仕留めた?」
「もちろん。大物ではないが、何匹かね」
コンラッドは、ちらりとエスコートしているセドックに目を向けた。
セドックが、アタシの手を離した。
それを待っていたかのように、コンラッドが代わりにアタシの手を引いた。
大きな手で、それにすごく温かかった。
「ラライに、獲物を見せたい」
アタシはヤソワの人々の間を抜けて、戻ってきた隊の後方、獲物を積んだ荷押し車の所に行った。
そこには、大小何匹もの獣と、数匹の鳥が括りつけられていた。
「もしかして、この鳥を仕留めたのはコンラッドね。矢の痕があるもんね」
「そうだ。わかるか?」
「わかるよ」
彼は嬉しそうな顔になった。
ははあ、アタシに自慢したかったのか。
なんだ、コンラッドにも可愛いところあるじゃない。なんだか、真面目一辺倒な人だと思っていたけど。
やっぱりこんな状況だし、ここに来るまで、表には出さなくても、内心ではかなり気負っていたのもあるんだろう。
アタシは彼のたくましくて、太い腕を見つめた。
バロンとは、まるで違うけど。
彼もやっぱり、随分と気持ちのいい人だ。
こうしてみると、顔だって、悪くないしな・・・。
アタシは、つい彼を見つめてしまっていた。
横顔を。
その、深い色をした瞳を。
「ラライ、どうした?」
彼の困惑したような声に我に返った。
「あ・・・あ、何でもない。何でもないのっ!」
慌てて、視線を逸らして、ふと、彼の肩についた二本の傷に気付いた。
引っ掻かれたような跡が出来ていて、うっすらと血が滲んでいる。
「あれ、コンラッド、その傷?」
「これか。最後の大物を仕留める時、突進を受けた。かわしたが、後ろに瓦礫があって、ぶつかってしまった」
「化膿するといけないわね。洗えるかな」
「かすり傷だ、勝手に治る」
「駄目よ。自信過剰は大病の元よ」
アタシは彼の手を引いた。
「セルテスさん、コンラッドが怪我してるの、水と薬はあるかな?」
アタシは、大声をあげた。
セルテスが答えるよりも早く、周りにいたヤソワの人たちが口々に水場の位置を教えてくれて、何人かは自分の持っていた薬を分けてくれた。
しばらくして、集まった人達が肉を焼きながら、いつ以来かもわからない宴を始めるのを、アタシは広場の外れで見守った。
アタシの隣にはコンラッドが座って、少し離れたところにエイダとセルテス、そしてアデルが腰を下ろしていた。
セドックは、いつの間にか仲良くなったヤソワの人々に囲まれて、アタシがキメラを倒した話や、巨竜を退治した話、そして、飛竜を全滅させた話まで、随分と大袈裟に語っていた。
時折なぜかゲラゲラ笑う声が混じったり、アタシに向かって、男達が一斉に鼻の下を伸ばした顔で振り向くのが見えて、どんな脚色が加えられているのか、ちょっとだけ不安になった。
「セドックの悪いくせだ。いつも、話を大きくする」
コンラッドが困ったように言った。
「たまには良いですよ。皆、気持ちが腐っていましたから」
セルテスがそう言って、膝枕しているアデルの髪を撫でた。
「だが、このまま平和になるってわけでもないだろうね。飛竜を生んだのが箱舟・・・いや、悪魔の巣なら、再び別の怪物が生み出されてくる」
エイダが一人だけ冴えた目で呟いた。
「そうかもしれない。だが、人には休息も必要だ」
コンラッドが言った。
「気休めであれ・・・か」
「そうだ。俺達は、今日の勝利を希望と考えている。必ず、悪魔の巣を滅ぼして、ヤソワにも、シオンにも、平和を取り戻す」
コンラッドの言葉に、セルテスが大きく頷いた。
「このアデルの為にも希望のある未来を、この子が幸せと思える世界を繋いでいきたい。それが自分の願いです」
希望のある未来か。
当たり前のようで、決して簡単なことじゃない。
この世界は危機的な状況だけど、元の世界でだって、それは望んだからと言って手に入るものじゃない。
けど。
彼らの気持ちは、とても純粋だ。
そして、その小さくて大きな願いを、アタシは叶えたい。
このシュミットの力を本当に使いこなせるのなら、護ってあげたい。
アタシは本気でそう思った。
エイダは、何故だろう、少しだけ難しい顔になった。
また、腕のブレスレットを気にしている。
その仕草が、なにかあまり良くないものに感じられて、アタシは自分の感覚に戸惑った。
「ラライ、聞きたいことがある」
突然、コンラッドが真顔で言った。
「なに、アタシに答えられること?」
「ああ、難しい事では無い」
彼はほんの少し体を前屈みにして、目線をアタシに合わせた。
「ラライは元の世界に戻りたいのか」
「そりゃあ、まあ、そうよね。会いたい人もいるし」
突然、何を言い出すのだろう。
アタシはちょっとドキッとした。
「そうか。それは、・・・恋人か。連れ合いは居るのか?」
「いや、恋人なんかじゃないけど・・・」
つい、そう答えてしまった。
言い切れない自分が、なんだかすごく不純なものに感じられた。
だって。
他人以上ではあるが、まだ、二人の関係に結論は出ていないし。
その、なんだ。
色んな意味で、恋人って言い切れる自信が無い。
だよね・・・。
バロン。
「そうか、良かった」
コンラッドは、笑顔になった。
「そう・・・。良かった・・・?」
ん。
アタシは相づちを打ってから、彼の言葉に違和感を覚えた。
何が、良かったんだ?
話が聞こえていたのか、エイダが呆れたような顔で、自分の膝に頬杖をついた。
セルテスが少しにんまりと笑みを浮かべた。
手元にあった小さな果実を拾い上げ、ポンとコンラッドに向けて投げる。
コンラッドは左手で受け止めて、おもむろにそれをほおばった。
「おーい、コンラッド」
声がして、セドックが戻ってきた。
彼は相当飲んだらしく、かすかに足がもつれていた。
アタシとコンラッドの前に胡座をかくと、突然、片手でアタシの手を、もう片方の手でコンラッドの手を握った。
え? ちょっと、何?
「なあ、コンラッド、それにラライ」
セドックは真剣な酔っ払いの顔になって語り始めた。
「儂はもう年だし、この先どれほど生きようと、出来る事などたかが知れておる」
「は・・・はあ」
これは、酔った年寄りの御高説ってものではないのか。
ちょっと、参った。
だけど、しっかりと手を握られて、逃げられそうにもない。
「だが、お前たちは若い。これから先がある。だからな・・・だから」
ぼろり、と、彼は大粒の涙を浮かべた。
まさかの泣き上戸か。
とほほ、こういうの苦手なんだよね。
「生きるんじゃよ、それだけが儂の望みだ。・・・儂に何があっても、お前たちはどこまでも生き抜いて、しっかりと子を産み、育て、未来を繋いでいってくれ。頼んだぞ、ラライ、それにコンラッド」
彼は、それだけ言うと、おいおいと泣きだした。
アタシとコンラッドの手を重ねて、なんだか一人納得したようにうんうん頷く。
かと思うと、また突然思い出したかのように、ふらりと立ち上がって、別の方に歩き始めていった。
セドックの後ろ姿を茫然と見つめてから、アタシはハッと気づいて、手を離そうとした。
その手を、コンラッドは握りしめた。
「あれ、コンラッド・・・」
彼はアタシを見て、優しい目をして微笑んだ。
再び、アタシの胸が早鐘を打った。
「ラライ」
彼はアタシの名前を確かめるように呼んだ。
「ラライ。俺は・・・」
ま、まさか。
いや、この感じって、もしかしてそうなの?
そういう、流れなワケ?
「コンラッド、アタシね・・・」
やっぱり本当は好きな人が居るの。だから、元の世界に戻るの・・・。
言い出そうとして言えなかった。
理由は、そんなのわかるもんか。
ただ、言葉が出なかったんだよ。
彼の手に力がこもった。
こりゃ、まずいかな。
ムードが高まりかけた時だった。
「はあ、何言ってんのさ、この酔っ払い!」
エイダの聞いたことも無いような上ずった声に、アタシ達は思わず彼女の方を向いた。
彼女の前に、セドックが胡座をかいているのが見えた。
「ふざけるな。なんであたしがお前みたいな下等人類と付き合わねばならない」
・・・・
・・・・・?
は? どういう話になってるワケ?
アタシとコンラッドは目が点になった。
セルテスが大笑いしているのが見えた。
「いやあ、儂は本気だ。なあ、エイダさんや、儂も長い事生きてきたが、お前さんぐらい美しく、腕もたち、気立ての良い女には出会ったことが無かった。儂も年だが、それでも、必ずお前さんを幸せにすると約束しよう。どうだ、儂の妻になってくれんか?」
「バッ、馬鹿を言うな!!」
エイダが怒り心頭になりながらも、微かに頬を赤らめているのがわかった。
コンラッドが、困ったように頭を掻いた。
「セドックの悪いくせだ。酔うと、すぐにああなる。だから、妻が出来ん」
「な、なるほどねえ・・・」
いつも頼りになって、人の良いセドックだけど、お酒ってのは怖いものね。
だけど、なんだろう、そんな彼の様子さえも、アタシは好ましく思えた。
全くもう。
コンラッドも、セドックも、それにヤソワの人たちも。
みんな、いい人ばっかりじゃないか。
宴は遅くまで続いた。
アタシはすぐに眠くなって、誰より先に離脱した。
コンラッドがついていてくれて、アタシは、まるでバロンが隣にいる時のような安心感を覚えて、久し振りに、夢も全く見ない程の深い眠りに落ちた。




