シーン40 山の向こうに落ちたもの
シーン40 山の向こうに落ちたもの
男たちの表情が、やけに厳しく見えた。
アタシ達を案内してきた男が何やら小声で説明すると、リーダーと思われる40過ぎくらいの男が、右手の奥に立つ、少し大きめの建物を指さした。
他の建物に比べて、基礎も高めで、入り口に向かって数段の階段が見える。
弓の男が、アタシ達を招いた。
剣と槍の男は、出迎えた男達と話をしながら、違う建物へと向かっていった。
事情説明をしている、と、言ったところかな。
アタシが借りたこの翻訳機は、優れモノだが、オールマイティではないようだ。
自身に向かって話しかけられた言葉や、一人の会話は綺麗に翻訳してくれて、自然に変換してくれるが、いわゆる周囲の話声などは、雑音と認識されてカットされてしまう。
それでも、便利な事には変わりはなく。
片耳だけセットしたおかげで、ちょっとしたバイリンガル感覚を楽しめた。
建物の中はがらんとしていた。
そのまま入ろうとすると、ブーツを脱ぐように注意された。
中は板敷で、椅子やベッドなどもない。
壁面には、博物館の展示の中でしか見ることが無いような動物の角や皮と言った装飾品が飾られ、虫などの厄介な生き物の侵入を防ぐためだろうか、かなり燻かしい匂いが充満していた。
乾燥させた草を編んだ固いクッションを敷いて座るよう、彼は教えてくれた。
一度アタシ達を置いて外に出て、戻って来た時には水と、見たことの無いフルーツを幾つか盆にのせて、彼はアタシ達の前に置いた。
「コンラッドだ」
彼は、ようやく自分の名前を名乗った。
「村の者達が、食事の用意をしてくれている。それまで、休んでいてくれ」
「ラライよ。アタシはラライ」
「ラライか」
「ええ、はじめまして」
挨拶が遅くなったのは、仕方ない。
そもそも、ここに来るまで、無駄話をするチャンスが全くなかったのだ。
なんとなくだが、ここの人たちの間には、きちんとした序列があって、そのせいで彼は、このタイミングまで言葉を発するのを控えてきたように思えた。
彼はアタシをじっと見て、腰のベルトに無理に挟んだ短剣に目を止めた。
何か言い出すのかな、と思ったが、すぐに何事も無かったように顔を上げた。
エイダが、その様子をなんだか難しい顔で見ていた。
「ゆっくり休め。何かあれば呼んでくれ、俺は外で番をしている」
コンラッドはそれだけ言うと、部屋を出て行った。
彼の姿が見えなくなってから、アタシは一回大きく背伸びをした。
節々が痛くて、ぽきぽきと音がした。
アタシはエイダが横になったのを見て、膝歩きでにじり寄った。
「エイダさん、さっきの話の続きをしましょ。ここって結局、どこなんですか。」
アタシはようやく訊ねた。
「続きも何も、さして説明する事も無いぞ。ここが何処かって? あたしにだって近接した別次元内にある世界としか、言いようがない」
「その位なら、アタシだって想像は出来ます」
「お前より認識できていることがあるとすれば、放り込まれたこの場所が、おそらくは、シュミットにとって意味のある場所、それも星の上で、なおかつ、元の世界、つまりあたし達がいた宇宙と、かなり関係の深い場所だという事くらいだな」
「それは、何でですか?」
「いちいち理由まで説明するつもりはない。後は自分で考えろ」
質問虫になったアタシを鬱陶しそうにあしらって、彼女はその場でゴロンと背中を向けた。綺麗な白を基調としたプレーンスーツの背中が床にこすれて、黒く汚れてしまっていた。
あっと思って自分の膝を見たら、遅かった、アタシも黒くなっていた。
アタシはエイダに取りつくしまが無くなってしまったので、クッションの上に戻って置物みたいに膝を抱えた。
エイダの寝息が聞こえた。
あらら、本当に寝ちゃったよ。
それにしても、こんな所で横になれるなんて、すごい図太い神経だ。
だけど、その位でないと、この先大変になるのかもしれない。
急に、この世界から戻れなくなるんじゃないか、っていう不安が襲ってきて、アタシは胸がどきどきしてきた。
普段なら、こんな時はアタシの精神安定剤であるバロンの写真を見て、ひとりでぶつぶつと囁きかける自己回復モード・・・、はた目にはちょっと病んだ人モードに突入するのだが、今日は、さすがに彼の写真すら手元には無かった。
仕方なく。
彼の事は、極力考えない事にした。
考えれば考えるほど、逆につらくなる気がしたのだ。
なんだろう、ここ最近ずっと彼と一緒に居た事で、アタシの気持ちの中で、彼という存在に対する思いが、また一つ違う段階に入った、そんな気がした。
しばらくして、外の空の色が、赤から重い紫に変わった。
これは、この世界での夜なんだろうか・・・。
窓辺に立って外を見た。
窓ガラスなんてものは存在しない。入り込んでくる風が湿り気を帯びて、なんだか重たく肌に張り付くようだった。
こっちを見ている人が見えた。
子供だったので、なんとなく微笑みかけたら、慌てて逃げ出した。
なんだよ、こっちは鬼や悪魔じゃないんだぞ。
むしろ、最初は「勇者」とかって、呼んでくれたんじゃなかったっけ・・・。
そういう紹介は、されていないのかな?
どこからか、良い匂いがしてきた。
これは、肉の焼ける匂いのようだ。
急に、お腹がなり始めた。
「それにしても暑いな、この世界、不快だ」
エイダの声が耳に入った。
「暑すぎる。お前、よく平気だな、そんな長袖のスペーススーツで」
振り向くと、彼女はプレーンスーツを半脱ぎにして、Тシャツ一枚になっていた。
アタシはね。
脱がないんじゃない、脱げないんです。
何せ、スペーススーツの下は、すぐ下着だけですから。
足音が近づいてきた。
あたしはさっきの匂いの源が到着した事に気付いて、歓喜した。
大皿に乗せられた肉や野菜が運ばれてきて、同時に数名の男が姿を見せた。
あの剣を持っていた男と、出迎えてくれたリーダーらしき男、それにコンラッドと、もう一人は身覚えのない老人だ。身なりからして、地位のある人なのは、すぐに見て取れた。
コンラッドに促されて、アタシは席に着いた。
どこの世界でも、歓迎の宴には、やっぱりアルコールのようだ。
だけど、アタシはもちろん、エイダもお断りして、アタシ達は生ぬるい水を貰う事にした。
微妙に、まずい水だった。
「まずは、歓迎をさせていただきたい、異界からの勇者よ」
老人の言葉に、アタシとエイダは、驚きを隠せなかった。
「まるであたし達がどこから来たのか、知っているみたいだな」
エイダの表情が、厳しさを湛えた。
老人は、名をベイレンと名乗った。
この村、・・・すなわち、森に住むシオンの民の長老である。
隣に座ったリーダー風の男は、彼の息子ブリアンで、実質的な意味では彼がこの村を治めているらしかった。
最後に、剣の男はマドックという名で、自警組織のリーダーだという。
「左様、異界の事は存じている。何せ、この村には数年前にも、一人の異界人が訪れて来たことがある」
アタシとエイダは顔を見合わせた。
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
アタシは身を乗り出した。
「かれこれ、何年になるかな」
「彼が姿を見せたのは、〈あれ〉がヤソワの地に落ちた頃ですから、もう3年ほどになる筈です、父上」
ブリアンが口を挟んだ。
3年か。
だと、違うか。
アタシは一瞬、それがスペンサー教授の息子、ディーンの事ではないかと想像した。
だけど、あれは20年前の事故だ。
「あれというのは?」
エイダが質問を続けた。
コンラッドが、アタシの前に切り分けた肉を置いてくれた。
食べやすい大きさにカットしてくれて、しかも木の串を刺してくれた。
まあ、何と気の利く人かしら。
バロンといい勝負だわ。
いや、もしかして彼よりも優しかったりして。
「悪魔の巣だ」
言ったのは、マドックだった。
「悪魔の巣?」
鸚鵡返しに、エイダが呟いた。
なんだって不気味な名前だ。
「そうだ。この平和だった我らの国に、破滅の影をもたらしているものだ」
ブリアンが、マドックの言葉を引き継いだ。
「ある日、青かった空を貫き、悪魔の巣が出現した。それは、山の向こうにあるヤソワ族の地に落ちて、そこから、怪物どもが湧きだしてきた。平和だった我々の森が襲われるようになったのは、その時からだ」
「あのドラゴンのこと?」
「あそこまで大きいものが出るようになったのは、ここ最近の事だ」
マドックが、巨大な龍の姿を思い出したらしく、ぶるっと身震いをした。
「何が起きたのか、我々にもわからない。様子を見るためにヤソワの地に向かったものは、誰一人戻らなかった。そこに、あの男が現れた」
「はのほほこ、、ほれが、ひはいひゃへふね」
「ライ、お前は黙って食ってろ」
無理やり話しに混じろうとして、エイダに怒られた。
だって、このお肉、意外と口の中の水分を奪うんだもの。
美味しいけど。
のどに詰まるのよね。
「お前たちのように、言葉は通じなかったが、古い言葉を幾つか知っていて、それで別の世界から来たという事だけはわかった」
「名前は?」
「ディーン。そう言っていった」
「ディーン!?」
アタシは大声をあげてしまった。
食べかけていた肉が飛んでしまって、マドックにあからさまに嫌な顔をされた。
「知ってるのか?」
エイダが驚いてアタシを見た。
「ええ、といっても、名前だけだけど。フルネームは、確かディーン・スペンサー」
「スペンサー? じゃあ、テアのスペンサー教授の」
流石にエイダも、教授のことは知っていた。
シュミットの事件を追ってきたのだ、それ位は当然なんだろう。
「20年前に、シュミットキーを起動させかけて、エレスの箱舟と一緒に消えてしまった人です。ダイムさん・・・、調査隊の人に聞いた話ですけど」
「起動した・・・という事は、そいつも適合者か」
あ、適合者。
そういえば、フーバーさんもそんな事言ってたっけ。
「で、その男は、今どこに?」
エイダの質問に、ベイレンとブリアンの親子は顔を見合わせ、そして、外を指した。
「山の向こうだ。2年ほどこの村にいたが、山を越えてくる怪物の数が増えてくると、ヤソワの地へ様子を見に行くと言って、二度目の使節隊に加わったきり、帰っては来なかった」
ヤソワの地か。
「エイダさん、山の向こうに落ちたものって、もしかして」
「あたしも、そんな気がするね」
「だけど、3年前って、どういう事なんだろう。事故が起きたのは20年前のはずなのに」
「ライ、次元壁を超えると、時間軸がずれることは良くある話だ。さして、驚く程の事では無い」
「え、それじゃあ、時間の流れ方が違うの? もしかして、戻ったら何百年も経ってました、なんてこと・・・」
「あるだろうな。・・・どこに戻れるか、が、問題だ」
ま・・・マジですか?
「少なくとも、並行次元なら時間が流れる方向には変化はない。あたし達がいた時間帯よりも、前の時間、つまり過去の時点に戻る事はあり得ない。あの時間帯より、数分後の時間に戻れるのか、数百年・数千年後の時間に戻ってしまうのか、最悪、戻れないって事もある。・・・そこが最大の問題だ」
アタシの顔が、あからさまに青くなったのに、彼女は何かを察したようだった。
「お前、元の世界に好きな人でも残してきたか?」
「えっ!、なんで、そんなっ!!?」
慌てふためくアタシに、エイダは、微かに憐れみを込めたため息をついた。
「昔からだが、お前は感情が顔に出やすい。改めなければ、戦士としては失格だぞ」
とうに。
戦士失格だとは自覚してるし、そこは、放っておいてくれ。
エイダは、ブリアンに視線を戻した。
「それじゃあ、山の向こうで何が起きているのか、正確にはわかっていないんだな?」
「悪魔の巣が、ヤソワの聖地である、ティオニケルドの丘に落ちたという事までは、伝わってきている。そこから、異形の怪物が現れ、ヤソワの戦士たちが退治に向かったと」
だが、怪物の出現はおさまらず、更に巨大なものまで現れるようになった・・・か。
「なるほど。で、今は打つ手が無くなって、手をこまねいてる。そういう状態かな?」
「恥ずかしながら、そうだ」
ブリアンは正直に認めた。
それから、あらためてアタシに目を向けた。
「しかし、あなた方は、巨大な騎士となって、あの巨大な化物を倒してくれたと聞く。かつての伝承にあったシュトライ神の再来のように・・・。異界の者よ、その力、我々にお貸しいただけないものであろうか?」
やはり、そう来たか。
アタシはエイダがどう答えるのかを待ちながら、新しい肉の塊にかぶりついた。




