シーン34 彼が仕事を受ける理由
シーン34 彼が仕事を受ける理由
アタシはその名前を、ようやく思い出した。
調査船の中で、ドリアン人の学芸員が話してくれた惑星ネルでの事故。
その時に現場を指揮していた教授の名前が、確かスペンサー。
そして、その教授を救った、調査隊の生き残りの名前が、フーバーだ。
つまり、目の前の、彼か。
「20年前」
と、フーバーは話し始めた。
「我々は大事故に見舞われた。調査隊の殆どを失って、ただ一つ手元に残されたのが、このシュミットキーだった」
短剣を見つめる彼の眼に、微かな憎悪にも似た色がよぎった。
「教授は、事故の責任を取らされる形になって大学を離れた。だが、大切な息子まで失った教授は、それまで以上に、このシュミットキー、そして、エレスの箱舟の研究に執念を燃やすようになった。ところがだ・・・」
彼の握り拳が、震えた。
怒りだろうか。表情が険しいものに変わっていく。
これまでよりも低い声で、彼は言葉を続けた。
「教授は、突然逮捕された。理由は、軍の機密情報に不法アクセスしたという、訳の分からないものだった。教授はエレス同盟軍直轄の収監所に移送され、その監視下に置かれる事になった」
「そんな、なんでそんな事に?」
「シュミットの研究が、エレス同盟お得意の、禁忌って奴に触れたのさ。なぜそうなってしまったのか、誰がそんな事を決めたのかもわからない。だが、シュミットに関する研究はタブーとなった。それを調べる事を良しとしない連中がいて、そこから圧力がかかった」
「エレス軍を動かすほどの、圧力って・・・」
「普通に考えれば、それ以上に力のある勢力という事になる」
なんだか、信じられないような話だ。
だけど、フーバーが嘘をつく理由がない。
「それじゃあ、スペンサーって人は、今も?」
シャーリィが尋ねた。
彼は首を振った。
「昨年解放された。といっても、収監中に受けた不当な扱いによって、もはや学会に戻る事はもちろん、まともな日常生活にすら戻れない有様でね」
事件からの時間経過を考えれば、スペンサー教授はもう70近い歳になるのではないだろうか。解放された理由は、単純に彼に対する危険性が薄れたから、ただそれだけなのかもしれない。
「私は教授に会った。そして、教授の研究データを受け継いだ」
「ってコトは?」
「そうだ。これが明らかになれば、私も教授同様、危険にさらされる事になる。だが、それでも無視することは出来ない内容がそこにはあり、そこで、キャプテンの力を借りる事にしたんだ」
フーバーは、心底彼を頼りにしている、という顔でキャプテンを見た。
キャプテンは、帽子のつばで目線を隠したまま、一言も発さなかった。
なるほど。
もともとこの事件の依頼を受けたのはキャプテンだったのか。
そのくせに、殆どバロンとシャーリィに任せて、自分は呑気に構えていたんだから、この人はどういう神経をしているんだろう。
「その、内容ってのは、聞いてもいいのかい?」
「話す他はないだろうね。君たちを信用しない事には、これから何も進められない」
フーバーは、声を顰めた。
「最大の問題は、エレスの箱舟の存在だ。エレスの進化プログラムの集積体、と言えば、それほど危険なものではないように感じるかもしれないが、これが、もしかしたら我々の住む世界にとって、重大な事態を引き起こす可能性を持っている」
「棺から、こんどは箱舟ときたか」
シャーリィが皮肉めいた声で呟いた。
「超古代文明からのタイムカプセル。そうイメージする者も多い」
「あたしも、そう思ってたよ」
「あれは、それほど生易しいものじゃない。強力なエネルギーの集積体だ。既存宇宙をリセットして、生命を強制的に再誕生させるほどのパワーを内包している。それが、多層次元を経由して、現代に送り込まれてきた」
「もうすこし、分かりやすく言ってもらえないかな?」
「極端な表現をすれば、宇宙を破壊するほどの時限爆弾が、無理やり送り付けられてきた」
彼女は、肩をすくめた。
「放置すると、どうなるんだい?」
「宇宙を再構築するための破滅をもたらし、それから、生命が60億年かけて進化した工程を、僅か3000年で可能にするほどの変質を巻き起こす」
「まだ難しいな」
アタシも同意見だった。
話が大きすぎて見えてこない。
フーバーは少し思案顔になった。
「密度が高まると、高温になるっていう原理は知ってるかい」
うん、それなら何となくわかる。
だけど、それがどうさっきの話に繋がるの。
「世界はそうやって出来た。エネルギーが集積されて、耐え切れなくなって爆発し、この宇宙の隅々まで飛び散った。」
ビッグバン、って奴だな。
それなら、あんまり知能派ではないアタシでも、なんとなく知っている。
「エレスの箱舟は、無限にエネルギーを生み出しながら、それを内部に集積し続ける。その先に何が待っているかは、わかるね」
「なるほど、爆弾ってのは、そういうわけね」
「厳密には違うが、まあ、そんな感じだ」
彼はそう言って、短剣の輝きに目を落とした。
「20年前、エレスの箱舟は目覚めかけた。しかし、運悪く、もしくは運良く、それは本来の起動が出来なかった、そして、箱舟にはおそらく保護プログラムのようなものがあって、それが作動し、自ら次元を転移した」
「ってコトは、もうこの辺には無いって事か。それじゃ、もう安心って事じゃないの?」
「残念ながら、エレスの箱舟は別次元とはいっても、我々の次元に非常に近接した世界に移動したと考えられる。もし爆発がおきたら、この世界にも間違いなく影響を及ぼすであろう並行次元にね」
「どうしてそう思うの?」
「次元転移を生み出したエネルギーが、それ程の大きさでは無かったからさ」
アタシはもう、頭がパンクしそうになっていた。
わかっているようにウンウンと頷きながら話を聞いていたが、実際には半分も理解できていなかった。
だけど、ひとつだけ明確な疑問が浮かんだ。
そこに、シュミットはどう関わってくるんだ?
エレスの箱舟とよばれる進化プログラムは、滅びに瀕した古代エール人が、再び全宇宙にエレスの遺伝子を受け継ぐ人類を発生させるために、拡散したタイムカプセルのような物。
だけど、その起動は、宇宙全体を滅ぼしかねない程の、一種の時限爆弾ともいえる。
そこまでは、良い。
では、このシュミットの役割は・・・何?
アタシの疑問に、フーバーは気付いた。
「それに対してシュミットは、次元兵器そのものだ。次元エネルギー技術は古代エール文明ではかなり進んでいて、現在この分野で先鞭を取っているドゥ帝国ですら辿り着けない高度さを持っていた」
「ドゥには、次元エネルギー技術があるんですか?」
「未確認だが、ルゥやドゥは、それを利用した次元転移技術の実用化まで、到達しているという噂があるよ」
少し悔しそうに、フーバーは肩を竦めた。
「まあ、シュミットはその先を行くものだ。エレスの箱舟と一緒に存在していた理由を説明づけるなら、制御装置の役割だったんじゃないかと、私は思っている」
あくまでも、私の個人的な考えだが、と、彼は付け加えた。
制御装置・・・。
だとしたら、今そのエレスの箱舟は、どうなっているのだろう。
目には見えない近接した次元に潜んで、音もなく爆発の時を待っているのだろうか。
これって、結構危険な状況じゃないの?
「事の深刻さが、わかってもらえたかな?」
「あいにく、話がでかすぎて、実感は湧かないね」
シャーリィは冷たい汗を拭った。
突然。
キャプテンが口を開いた。
「いずれにしても。箱舟はそのままにはしておけない。そこで、シュミットを手に入れ、その力を利用する。無数の次元から、箱舟が潜む世界を見つけ出し、どうにかして葬り去る。それを、俺たちに頼みたい。・・・そうだな、フーバー」
フーバーは、何故か悲し気な顔になって、それから、強く頷いた。
「そうだ。さもないと、このシュミットをただの破壊兵器だと思って狙ってくる奴らもいる。そもそもシュミット自体が、決して安全といえる存在でもない。・・・そんな奴らにシュミットを渡し、万が一暴走でもしてしまえば、今度はシュミットそのものが、この宇宙にとって危険な存在になる。私は、そんな事態を許すことは出来ない」
「だが、それだけでは、俺の出番ではないな。生憎と、世界平和とかいう大義名分は、俺にとって、どうでもいい事だ」
「え?」
フーバーが驚いた顔になった。
キャプテンは、人差し指で、帽子のつばをあげた。
彼の鋭い眼差しが、フーバーを見据えた。
「俺がこの依頼を受けたのは。そんな大層な理由の為じゃない。宇宙に危険が迫ってるというなら、そんなもの軍隊にでも任せてしまえ」
言葉は辛らつだが、なんだか彼らしいとアタシは思った。
確かに、本当にそんな大事が起きているなら、手を打つべきは、あたし達みたいなちっぽけな宇宙犯罪者ではないだろう。
キャプテンは、言った。
「俺はただ、お前が尊敬するという、その不幸な教授とやらに、どうせならいい死に方をさせてやりたいと思っただけだ」
「キャプテン・・・」
「フーバー。お前が言っていた事だ。スペンサーの息子は生きている。少なくとも、その可能性があるとな」
唇が、不敵な笑みを湛えた。
「そいつを見つけ出して、この世界に連れ戻す。それなら、まあ、面白い。俺が仕事を受けるだけの理由になる」
キャプテンは、立ち上がった。
なんだよ。
この人ってさ、やっぱり全部知ってたんだ。
この剣が何なのか、アタシ達に何が起きているのか。
それなのに、一番関心がないフリをしてるなんて。
全くとんでもない人だ。
「問題は、この剣の使い方を俺達はまだ知らない。フーバー、お前に聞きたいのはその点についてだ」
「それなら、きっともう彼女の方が知っている筈だけ・・」
フーバーがアタシに何かを言いかけた。
その時、シャーリィの胸元で、通信端末がけたたましく鳴った。
「悪いね」
小声で言って、シャーリィは端末を耳にした。
「どうした!?」
「姐さん、変な奴らが居るぜ」
スピーカー越しに、イアンの声が響いた。




