巫女姫の選択
──一年と少し前。大聖堂の前で倒れていた私を助けてくれたのは、当時はまだ神官候補生だった金色の髪の少年だった。
彼は私を助けてくれただけでなく、何故此処にいるのかもわからない私を家に連れてってくれて、大聖堂での修業がない時はずっと一緒に居てくれた。お陰で怖いことも不安も何もなかった。
彼が大聖堂にいる間は、部屋の掃除をしたり料理を作ったり。朝はやってくる小鳥に餌をやり、夜は彼に倣って精霊と巫女姫に祈って眠る。
何も聞かずに側にいてくれる彼との、二人きりで過ごす時間。それだけで心は満たされた。
だがそんな穏やかな生活も、長くは続かなかった。
彼の家に突然やって来たのは数人の兵士と、既に北の神官の地位にいたナティスが私を無理矢理連れ出した。訳がわからないまま大聖堂まで来ると、ナティスは私に巫女姫にならないかと声を掛けてきた。
なんでも今の巫女姫が呪いを受けて不治の病にかかり、もう数日もたない。だから私に魔法で顔を変え、代わりに巫女姫になって欲しいと。
頭の中で金色の髪を揺らし、橙色の瞳を細め屈託なく笑う彼が過ったけれど。巫女姫が居ないとこの国…この大陸に暮らす全ての人たちが、恐怖に怯えて過ごす事になるのはよくわかっていたから、少し迷ったし怖かったけれど、彼には黙ってその話を受けることにした。
それから新たな巫女姫として過ごして一年。
前世の記憶が戻ったのは三日前だけど、それでも巫女姫としてちゃんとやれていたのは元々私は、巫女姫としての適正があったんだと思う。
沈黙の夜の訪れを告げ、悩み苦しむ人々の心を救い、全ての人の愛と崇拝と称賛を受けて君臨する。きっとこれが、私にとって本当に相応しい生き方だったんだ。
だからグリンドからの報告で、私がこの世界に生まれ変わった時と同じ格好をしたという冒険者の話に、一度会ってみたいという気持ちが押さえきれなくなり、今か今かと気持ちが逸ってしまう。
私がこの世界に来たのは、決して偶然なんかじゃない。運命だ。
大好きな大好きな、心の底から大好きなゲーム、マジフェア。
学校でどんなに虐められても、マジフェアで遊んでいればその辛さを忘れられた。
毎日ログインして、毎日好きなキャラのボイスを聞いて、自分と同じ名前を付けた巫女姫が四人のイケメン神官達に愛され囲まれている…。それだけが私の心の拠り所だった。
なのに……
アイツらは、私からスマホを取り上げ笑いながら屋上から落とした。
今でもハッキリ覚えてる。アイツらの顔も、笑い声も、屋上から投げ落とされたスマホが地面に落ちて壊れた音も。
だから、もしかしたらきっと…同じ格好をした少女というのも、私と同じなのかも知れない。
私と同じように、虐められて…自ら命を絶ったのかもしれないと思った。
だとしたら優しくしてあげよう。
同じ痛みを持つ者同士、きっと仲良くなれる筈だから。
「巫女姫さま。彼の者を連れて参りました」
白絹の薄いベール越しに見える、恭しく一礼する南の神官。金色の髪を髪と橙色の瞳を持つ彼──フィルは、開けた扉の向こうに居た。
懐かしさが込み上げる。大聖堂に連れてこられてから何も言えず、何も言わずに離れてしまったから。でもその後暫くして、彼が南の神官になった時には嬉しかった。
私は顔も声も変わってしまったから、私が私であることはもう伝えられないけれど…
「わかりました。お連れして」
「は!」
あの時よりも背が伸び少し声が低くなって、男らしくなったフィル。早く彼も私のものにならないかと思いながら見つめていると、その後ろから現れた人物に思わず立ち上がってしまった。
「因幡さん…!!」
どうして此処に…!!
彼女の顔を見た瞬間、学校の屋上から飛び降りた瞬間を思い出す。
フェンスを乗り越え一思いに飛び降りようとしたのに、その瞬間誰かにジャケットを掴まれる。
振り返った先に一瞬だけ見上げた先に見えたのは、今にも泣きそうな顔は紛れもなく…彼女。因幡麻実。
私を助けようとした偽善者!!
思い出すだけでイライラする。
そもそも助けようとするくらいなら、あの時素直にあのストラップをくれれば良かったのに。
こいつがあのストラップをくれないから。
必死に頼み込んでも、どれだけ頭を下げてもくれなかった。
尊敬する人とお揃いだからといって、絶対に譲ろうとしなかった。
だから…だから私は、どうしても…どうしても欲しくて…だから…!!
「え?……あの、巫女姫さまは…私を知っているんですか?」
戸惑いながら見上げてくる言葉に、彼女は私が誰であるかを知らないことがわかった。それなら良い、知らないならそれで良い。
「…失礼。ギルドの方に、あなたのお名前を聞いたの。初めてお会いするのに、いきなりファーストネームで呼ぶのは失礼かと思いまして…驚かせてしまって、ごめんなさいね?」
震えそうになる声を押さえ、なるべく平静を装い普段の謁見通りに振る舞う。
「い、いえ!お気遣いありがとうございます!」
良かった。どうやら彼女は本当に気付いていないらしい。
同じクラスというだけで、ごくごく平凡な何の取り柄もない、つまらない女だとは思っていたけれど。おまけに鈍いとは救いようがない。バトンを始めたと嬉しそうに回りの連中に話していたけれど、だからどうした下らない。
私が苛められていても、助けようともせずただ遠巻きに見ているだけだったくせに、私が死のうとした時だけ止めに来た偽善者。
でもちゃんと死ねたお陰で私はこうして巫女姫になれたし、この女は冒険者のようだから会わないように心掛けれさえすれば、同じ世界とはいえ二度と会うこともない。ならばもう放っておけば良い。
はっきり言って、この女も同じ世界にいるというのは不満だけど、こいつも死んで此処に来たなら仕方ないと思うしかない。
「巫女姫さま。私が今日こちらに来たのは、私のこの格好が以前巫女姫さまが着ていたものと同じだという理由で…その、連れてこられたのですが…」
しまった。そうか、もしかしたらこの女も私が誰かはわからないまでも、自分に近い誰かかも知れないと思っているのか。
「そう、ですね。珍しい格好をした冒険者が居ると聞いたので、どのような方かと一目お会いしてみたかったのですが…。残念ながら、私が知っているものとは違ったようです」
「…そうですか…」
露骨にガッカリした顔をしているけれど、こっちはもう二度と関わりたくない。もうさっさと帰って貰おう。
「フィル。彼女を門まで送って差し上げて」
「畏まりました」
フィルが彼女の背をそっと押し、紳士的に帰るよう促すその瞬間。
信じられない光景に息が止まった。
「おっと。ボクの可愛い子猫ちゃんに、ほかの奴が触れるのは気に入らないな」
長く艶やかな黒絹の髪を優雅に流し。
膨大な魔力を秘めた紅玉の瞳。
低く響く吐息混じりの、女性のような美しいアルトボイス。
地の精霊、テラ!!
マジフェアで私が一番好きなキャラ。
本当に好きで好きで堪らなくて。
でも出現率があまりにも低すぎて、何回インストールしてはアプリを消し、またインストールといったことを何度繰り返しても全然ダメで。それで結局妥協して、巫女姫側でプレイしていたのに。
妖精や精霊は冒険者にしか付かないのは知っていたけれど。でも、でもだからって…こんなの…こんなことって!!
「地の精霊!」
「やあ、南の神官くん。悪いけど彼女から手を放してもらえないかな?」
フィルから彼女を庇うように抱き上げる様に、胸の奥がジリジリと黒く焦げ付いていくような錯覚に陥る。喉の奥が、胸の奥が、どうしようもなく熱くて苦い。
「せ、精霊さま?どうして…」
「どうしてって、キミを迎えに来たのさ。キミはボクのお気に入りだからね」
「なんですって!?」
そんな…信じられない!この女は月の階段を通っただけでなく、精霊…しかも、よりにもよって私が一番好きなテラ様のパートナーだというの!?
許せない…
許せない、許せない許せない!!
どうしてこんな女が、こんな偽善者がテラ様のパートナーなの!?こんなの不公平よ、ありえない。許せない、許せない!!
「巫女姫さま…どうかなさいましたか?」
「あ…いえ、その…。…せ、精霊であるテラ様が、冒険者のパートナーというのが、珍しくて…」
緊張に声が震えて喉が乾く。なのに手の平からはじっとりと汗が出て、早鐘を打つ鼓動が治まらない。
どうして?どうして?なんであの女なの!?
こんな不公平ってない!!
生まれ変わってまでこんな理不尽な目に合わされるなんて、何もかもおかしい!!
あの女がストラップをくれないから。
どうしてもどうしても欲しかったのにくれないから、だから…黙って貰おうとした。
だって本当に欲しい人が持ってるべきじゃない。本当に必要としている人こそ…なのにくれなかった。
別にそこまでテラ様が好きな訳じゃないくせに。
ただ尊敬する人から貰ってお揃いだからという、ただそれだけの下らなくてちっぽけな理由の為にくれなかった。
私の方が、ずっとずっとテラ様が好きなのに。
そのせいで私は傷つけられて追い詰められて、大切なスマホまで奪われて壊された。辛くて苦しくて悲しくて、それで命を絶つことになったのに。なのにこんなのあり得ない、許せない!!
こんなに可哀想な私なのに、死んでからもこんな思いをしなくちゃらないなんて!!
「さて、行こうかアサミ。じゃあね、南の神官くんと巫女姫さま」
前世でも見たことがあるどこまでも麗しい笑顔を浮かべ、優美に手をヒラリと降るテラさま。
「待ってテラさま!!」
そう言って追い掛けようとしたけれど、一歩を踏み出すよりも前に二人はこの場から姿を消した。
「……あの、巫女姫…」
フィルが何かを言っているけれど、私には何も聞こえない。
許さない…。あの女が、あの偽善者が。
アイツが、私より幸せなんて…絶対に許せない!!
三日前に、前世の記憶が戻って良かった…
この世界のキャラクターであり、プレイヤーでもある私の幸せを奪う奴は、誰であろうと許さない。
「因幡、麻実…」
アイツには、消えてもらう。




