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冒険者、決意する

 柔らかなベッドが、ふかふかで気持ちいい…


“───きて。…おきて…”


 誰の声だろう…。でもまだ寝てたい…


“もう一日経つよ?いつまで寝てるつもり?


 一日?


“そう、一日。それでもまだ寝るなら、ボクにも考えが───”

「今すぐ起きます!!」


 貞操的な危険を感じて飛び起きた。





「───あ、あの…。…ゴメンナサイ…」

 本能が訴える危機に、強制的に目が覚めた私は状況を把握すると、慌ててベッドから降りて自主的に正座をした。

 どうやら精霊さまが自分の塒に連れてきてくれて、しかも寝台に寝かせてくれていたみたいだけど。


 …凄くふかふかで気持ち良かったなぁ…


 けどまさか、あの頭痛から丸一日寝ているなんて。まさか私のために食事を作って待っていてくれるなんて、そんなこと全く思わなかった。折角作ったサラダを台無しする前に、精霊さまが自分で食べたみたいだけど。

 それでも精霊さまの気遣いを無駄にしてしまったみたいで、なんだか申し訳なくて顔を上げられない。

「その、私が起きるの…待っててくれた…んですよ、ね?」

「…別に」

 …怒ってる、のかな。拗ねたようにそっぽを向いた横顔にますます後頭部が重くなる。うう、頭に漬け物石を乗せられたみたいに重い。

「本当に…ゴメンナサイ」

 ああ、本当に怒っているんだな。顔はもう見えないけど、小刻みに身体が震えているのはわかる。それはそうだ。この人は精霊さまで、私はただの人間なんだから立場が違う。

「ほ、本当にご迷惑をお掛けしてすみませんでした!!私もうここを出ますから!!」

「えっ!?」

「短い間ですが、本当にお世話になり─」

「待って待って待って!」

 慌てた精霊さまに抱き上げられ、さっきまで自分が寝ていた寝台に座らされた。

「はー…」

「?」

 何故かため息を吐かれた。でも理由がわからない。

「まさか少しからかったくらいで、精霊であるボクと決別しようとするとは思わなかった。そもそも精霊に好かれるというのは、とても名誉なことなんだよ?それとも違う世界から来た人間には、その価値がわからないのか?それともキミの世界では、精霊の存在は価値がないとか…?」

「えっ!?いや、そんなことはないです!!向こうの世界でも精霊さまは大人気です!!一番人気です!!」

 咄嗟に出てしまった言葉だけど、きっと私とこの人とでは言葉の意味が違う。でもそれは説明しようとして出来るものでもないので黙っておくことにした。

「っ…」

 ぱああ、と嬉しそうに輝く笑顔に少しだけ罪悪感が湧いたけど、本当の事を話す気はないし嘘でもないので気にしないことにする。

「…精霊さま?」

「大丈夫、怒ってないから。それにキミはまだボクに色々聞きたいことがあるはずだ。そうだろ?」

「それは…」

 この世界が、私の世界でいうゲームの世界…作られた世界だなんて、どうやって説明したら良いのかわからない。でも私はそこまで深くこのゲームで遊んでいないので、情報は少しでも集めておきたい。

「ならボクから離れるのは、話を聞いてからでも良いんじゃないかな。これでも精霊だから当然人間よりは多くの事を知っているし」

 なら一番聞きたいのは当然…

「それなら元の世界への帰り方を教えてください!!」

「ゴメン。流石にそれはオレにもわからない」

 即答か!

「……そう…ですか…」

「こらこらそこ、露骨にガッカリしない」

 やっぱり精霊さまでもわからないなら、どうやって帰れば良いんだろう。

「っ…」

 ダメだ、涙がまた…

「──泣かないで」

 抱き締められて目の前が真っ黒になった。精霊さまの着ているローブらしい。肌触りが良くて柔らかい。でも…

「ン…」

 耳を、擽られてる?

「言ったよね?泣き顔が可愛いともっと啼かせたくなる、って…」

「!!」



 なんということでしょう!この世界では泣くことは私の貞操のピンチを招くことに直結するだなんて!!



 特に今のは危なかった。声が、声が耳元…!!

 ふわぁ。プロの声優さんはやっぱ凄い…

「あ、離れちゃった。残念」

「残念、じゃありません!」

 おどけたように可愛く言ってみせたところで、この人の声と台詞はとても危険な事に変わりはない。

 泣くことは人間にとってストレスの解消にも直結するというけれど、私にはそれが出来ないということがよくわかった。

「うう…」

 恨みがましいつもりの目で睨んでみても、綺麗な顔で美しい笑顔を返されるだけ。その笑顔に心臓が痛いくらい跳ね上がって、顔が熱くなるのを感じたけれど気のせいだと思うことにした。


 だってこの人は…ゲームの世界の存在だから。


「じゃあ気を取り直して、先ずは食事だね」

 そういって精霊さまは、残り物の野菜と街の人達から貰ったパンで簡単なサンドイッチを作ってくれた。美味しい。味付けはスパイスと塩かな?粒が大きいから多分岩塩。

 飲み物はすぐそこにある湧水が溜まった泉から酌んでくれたけど、本当に透明というか水道の水とは違う澄んだ柔らかな水に感動した。これが本当の自然の水なのかと。

 そういえば精霊さまの塒は、洞窟の前だけは開けてはいるものの木々に囲まれた天然の秘密基地みたいだと思った。ベッドはあるしテーブルもある。地面に直に高そうな絨毯も敷かれているけど、雨とか風とか土埃は気にならないのだろうか。

「ボクの部屋、そんなに興味ある?」

「いやっ、まさか!!」

 言い方!言い方!!

 この人は声もだけど、言い方にも問題があると思う。だから変な意味に受け取ってしまいそうになり、全力で否定する。

「そう?随分観察してたからてっきり…」

「広いとはいえ目の前に泉があって、でも屋根とかはなくて…雨や風が強い日とかはどうしているのかと」

「なんだ、そんなことか」

 残念そうに息を吐いて、パチンと指を鳴らすと突然目の前の景色が変わった。

 寂しい洞窟の入り口が突然王様の寝室というか、超高級ホテルの一泊百万円くらいするスイートルームのような部屋になって、驚きが止まらない。

「は?え?なっ…」

「結界内なら魔力でこのくらいいくらでも変えられるし、キミにドレスを着せることだって出来るよ?」

 え?私脱がされるの?

「いいいいやいやいや遠慮します!私この制服気に入ってるので!!」

 ダメだ。この人には気を付けないと、私が元の世界に帰るときに親に顔向けが出来ない事をされてしまいそうだ。下手をすればお嫁にいけなくなってしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい。

「残念。キミの身体にも興味があったんだけど」

 やっぱりそういう意味だったか!!

「でも先ずは身体を清めようか。…何その顔。別に覗かないから、湯浴みを済ませといで」


 …正直、信用できない。でもお風呂には入りたい。


 悲しいけれど、これが現代日本で育った普通の女子中学生の感覚だと思う。毎日お風呂に入りたい。髪も洗って綺麗にしたい。

「どうしたの?もしかして一緒に…」

「一人で大丈夫です!!」

 顔を合わせられなくて後ろを向くと、クスクスと笑う声を無視してたら精霊さまはまた指をパチンと鳴らした。

「わ!」

 目の前でパチンと丸い泡が弾け、羽の生えた小さな妖精がヒラヒラ翔んでいた。

「妖精…?」


 うわー、かっわいいー!!ちっちゃーい!!


 初めて見る妖精に感動した。小さくて可愛くて、頭に花を逆さにしたような帽子を乗せてて…とにかく可愛い!!

 でもゲームの中なら当たり前なんだよね。だって『恋と魔法のマジックフェアリー』だもん。

「身の回りの世話はその子に任せればいい。話せないけれどキミの言葉はちゃんと出来るから」

「わかりました」

 なんだ、話せないのか。話せないというより多分身体が小さいから、きっと声も小さいんだろうな…。だから声が聞こえにくいから話せない、と。そういうことにしておこう。

「じゃあ妖精さん、案内してくれる?」

 怖がらせないよう笑顔でお願いすると、妖精さんはくるりと宙を一回転して、それから隣の浴室へと案内してくれた。

 入り口の前に衝立が立てられていて、万が一扉が開かれてもすぐに裸を見られる心配がないのは嬉しい。流石に疑い過ぎたかな、あとで謝ろう。

「わあ…!」

 大きな浴槽には既に湯気の立つお湯が張られていて、手を入れてみると丁度良い温度だったのが嬉しい。作りが豪華な以外は思ったより普通のお風呂だった。精霊さまでもお風呂に入ることがあるのかな。

 ベッドもふかふかで柔らかかったし、精霊さまも意外と生活環境には拘るタイプなのかもしれない。

 着ていた制服を脱いで、下着も脱いで湯槽に浸かる。

 風呂は命の洗濯だと誰かが言っていたけれど、全くもってその通りだ。

「……。…そうだ、スマホ!」

 制服に入れっぱなしだったスマートフォンを確認しようと、脱いだ制服に手を伸ばしたら指先を掠めて舞い上がる。よく見たら妖精さんが風を操るよう、巻き上げた制服の周りを飛んでいた。

「ちょっ…妖精さん!?」

 大変だ。何をしているのかはわからないけどスマホが壊れたら大変だ!

「妖精さんお願い待って!せめてスマホは取り出させて!」

 乾燥機はないけれど、乾燥機の中のようにぐるぐると回る制服の上着を何とか掴むと、内側のポケットからスマホを取り出した。一応防水だから濡れた手で触っても大丈夫な筈。

「ごめんね妖精さん。多分制服を綺麗にしようとしてくれたんだよね、ありがとう」

 そう言ってからスマホの画面を確認するけど、やっぱり電波は圏外だし何の通知もない。

 やるせない想いを堪え、スマホが濡れないよう少し離れた所に奥と再びお湯に浸かった。…あったかい。

「帰りたいな…。それと、あの子は無事だったのかな」

 泣きたいけど泣けない。自分の貞操が掛かっていると思うと、迂闊に泣くことは出来ない。でも…

「っ~~~」

 お湯に顔を浸け涙を誤魔化して泣く。これなら精霊さまでもわからないだろう。声は出せない。でもお湯の中でなら涙も関係ない。


 家族に会いたい。友達に会いたい、師匠にも会いたい。

 帰りたい。帰りたい。学校も部活も習い事も頑張るから、無事に帰れたらちゃんと勉強もするし家の手伝いもするから。


 どうして私は此処に居るんだろう。

 どうしてゲームの世界に来てしまったんだろう。

 お願いします神様。どうか私を元の世界に帰らせてください!

「……痛っ…」

 ダメだ。思い出そうとすると頭が痛くなる。

 取り敢えず覚えているのは、金網をよじ登ってブレザーを掴んだ感触と…肩と肘に掛かる衝撃。

 そもそも私は別に現実に不満なんて無かったのに。逃げ出したい現実も、捨てたくなる環境もなかったのに。なのになんでこんな、異世界転生みたいな状況になっているんだろう。


 私…死んじゃったのかな…


 そんなわけない。それはない、と思う。

 だってお湯が温かい。サンドイッチも美味しかったし、ちゃんと五感はちゃんと働いてる。スマホも電波は繋がらないけど、ちゃんと電源は入るし操作は出来る。だから死んだ訳じゃない。

「それでも…」

 わからないことだらけで不安に潰れそうになる。でもきっと、理由がある筈だ。一見理由がないように見えても、物事には理由は必ずある。ただわからないだけで、無いと決めつけてしまうのは勿体無いと師匠も言っていた。

 ならば自分はこの世界に来た理由を探してみよう。それがわかれば帰れるかもしれない。

「…よし、頑張ろう」




 覚悟はまだ決められなかったけど、決意は固めた。

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