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精霊と恋する乙女(達)

 どうして…


 どうして王女さまを置いてきたの、スピネル…


 どうして、っ───





 アストライアの国境近くの街に連れてこられた私は、一つしかない宿の一番良い部屋の隅で膝を抱えて踞っている。今はスピネルとも話したくない。


 あれから何がどうなったかわからない。


 ウルスラ国は、お城も兵士も大丈夫だったと聞いた。ウルスラ国側の被害としてはお城の尖塔が一つ壊れたくらいで、怪我人は出ても死者はいないらしい。アストライア側は…知らない。

 きっとウンディーネさんたちが頑張ったんだろう。それはわかる。でも…



「一番頑張ったのは、王女さまなのに…」



 確かに騙されていたのかもしれない。でもそれは好きな人を助けたいっていう気持ちからで、それを唆した人が悪いに決まっている。

 なのにウルスラ王家は、王女さまは事故で亡くなったと発表した。


「────王女さま…」


 ゲームにあるイベントとかシナリオとか、もうそんなのどうでも良い。


 好きな人の為に頑張っただけなのに、なのにこんな事って…。王女さまが命をかけてくれたから、呪いも水脈を流れず広まることもなく普通に美味しいお水が飲めるのは王女さまのおかげなのに。

「酷いよ…。こんなの、酷い…」

 許せない。どうしてこんな酷いことが出来るんだろう。グリンドも…橘さんも。

「…アーシャ。もう二日も何も食べてない。そろそろちゃんと食べないと…」

「───…」


 いらない。今は何も食べたくない。


 スピネルと話をするのも嫌で、小さく首を横に振って食べる気がないことを伝える。

 スピネルが悪い訳じゃない。あれはもうどうしようもないって、頭ではわかってる。わかっていても私が割り切れない。

「でもいい加減食べないと──」

「いらないって言ってるじゃん!!食べたくない!!」

「アーシャ!!」


 きつく嗜めるような言い方に、多分この時の私は自分に苛立っていたのを、気持ちをわかってくれないスピネルへの苛立ちに変えてぶつけてしまったんだと思う。



「何よ!スピネルなんて所詮ゲームの作り物のくせに!!プログラムで動く人なんかに私の気持ちなんてわかんないよ!!」








 あのダンジョンの最深部から、強引にアーシャを連れ戻したあと。しばらく一人にして欲しいと言うので、ずっと泣いていて心配だったけれど、そっとしておくことにした。

 その間ボクは大陸中をまわって、呪いの被害がないかを確認して回った。

 ウンディーネ本人にも聞いてみたけど、王女を亡くして悲しい以外に特に変わった様子もないようで、それは少し安心した。どうやら水脈は無事に守られたらしい。







『────それは…。…ごめん、私も何て言えば良いかわからない』


 アーシャが寝静まった頃、またスマホが光っていたので荷物から取り出し鏡面の緑の模様に触れる。

 聞こえてきた声にホッとして、ボクは今回の事を全て話した。誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 でも誰に聞いてもらえば良いかわからなかった中で、異なる世界の存在である彼女にならと思った。


 しかし彼女から返ってきたのが先の言葉だ。でもそうとしか言えない気持ちも、今なら少しわかる。


 何故ボクはこんなにも釈然としない思いをしているのかと問うたら、彼女は『割り切れないんだね』と言った。


「──割り切る?」

『そう。何て言うのかな、それはそれ。これはこれ、みたいに理由と出来事をわけて考えるっていうのかな。一つの物事でも別々な側面があるように、それをわけて考えて自分に納得させる事…なんだけど』

 ああ、成程。その言葉の意味に当て嵌めると、ボクは割り切れていないのか。今回の事を…

「でも、何が正しかったかがわからないんだ。ボクもアーシャも…どうすれば良かったのか、今でもわからない」

 何をどう動いても、誰も傷付かず誰も亡くすことがない選択はないように思う。

 アーシャの気持ちを尊重すれば、王女もアーシャも二人とも助けられた代わりに、ウンディーネが呪いに倒れウルスラは加護を失い、多くの人が命を落としていただろう。

『…麻実ちゃんも、本当はわかってると思う。貴方の行動は決して間違ってない、ただあの子はまだこういった現実に直面してこなかっただけ。私たちが暮らす世界には、戦争もなければ魔獣や魔物なんてのもいないし、余程の事がなければ生きていくことに困ることはない平和なところだから』



 そうか。だからアーシャはあんなにも…



 精霊は人の心が見える。

 だから相手が何を考えているか、何を思っているかがすぐにわかる。…アーシャには話していないけれど、知られたらきっと傍から離れてしまうだろうから、これからも言うつもりはない。

 彼女の綺麗な魂は、平和な世界で生きていくことに困ることなく過ごせたからなのかと納得した。誰が騙す必要もなく、嘘を吐いたり裏切ったりしてまで生きることの必要性もなかったからなのか。

『でも、それでもあの子の言葉は言って良いことじゃないね。事実は事実なんだけど、それでも。…ごめんなさい、代わりに謝るわ』

「そんな、貴女が悪いわけでは…」

『…ありがとう。でも不思議ね、なんだか普通に人と話しているみたい。何て言うのかな、人と聖霊としてじゃなくて…私たちと同じ、っていうのかな。そんな感じがする』

 穏やかな声音がじんわりと心結に染みていく。

 つまりボクは、アーシャの心に近付けているという意味だろうか。

『これは私の予想だから、気を悪くしたらごめんなさいって先に謝っておくわ。貴方、最初に麻実ちゃんと会った時彼女を気に入った事について、深くは考えていなかったでしょう』



 アーシャと出会った時───



 ──確かに。言われてみれば月の階段から現れた彼女を、確かに一目で気に入ったことは事実だけどその理由については考えた事がない。

 何故彼女と一緒に居ようと思ったのかもわからない。考えるまでもなく、そういうものだと思っていたし、その事に理由なんて────


「っ──!!」

 そうか、これがアーシャの言っていた事か!!

 作り物、と。プログラムというのはわかないけれど、それも自分の意思ではなく誰かの意思によって操られる、人形劇における台本のようなものなのだろう。自分はその人形だった、と。


 アーシャには、ボクのこの気持ちもそんな風に見えているのかな…


 そんなことはない。それだけはない。

 ボクがアーシャを大切に思う気持ちも、好きだという気持ちも誰かにそうなるよう仕向けられたものではなく、ボク自身の気持ちとしてだと誓って言える。

 でももしアーシャがそんな風に思っているのだとしたら、その誤解をどうやって解けばいいんだろう。

『ああ、息を飲む音が聞こえた。何か思い当たる事でもあったんだ』


 本当に…この女神は何処まで見透かして来るのか。


『きっとね、私たちの世界からじゃ考えられない事なんだけど…。多分貴方は私や麻実ちゃんと同じで、ちゃんと心や自我がある。普通のプログラムなら、自分で自分に疑問を持たない筈だから。プログラムだとね、そういう時って自己矛盾に陥って動けなくなるって、聞いたことがある。でも貴方は今、葛藤して悩んでいる。それは心を持つ人間だけが陥るドツボだよ』



 ──だとしたら、人間というのは実に不可解で不便な存在だと思う。



 心がある故に、多くの困難や苦しみに葛藤し、悩みながら生きていかなくてはならないとは。

 定められた宿命に疑問を抱くことなく、ただ割り振られた役割のままに生きていけば楽なのだと思う。少し前の自分は、きっとそういう宿命として生きていた。


 でも…


 アーシャに出会って、きっとボクは変わった。

 自分の中で芽生えた何かが、アーシャと関わることで大きくなってやがてそれはボクを支配していく。

 女神の言葉に、己の存在に疑問を抱くことなく生きてきたボクが、今は自分の内側に理由を探すようになった。最初から与えられていた答えについても、改めて自分で考え直してみて気が付いた。


 ボクは数千年前からこの大陸を見守ってきたと思っていたけれど、見守ってきた記憶がないという事に。


 大陸各地に散らばる遺跡には、ボクたち聖霊を崇めるような痕跡が残っているけれど、それが何の目的だったのかを知らない。

 聖霊それぞれに与えられた紋章も、誰が何の為に産み出したのかもわからない。

 この世界はわからない事だらけだ。

『───本当に…』

「?」

『本当に貴方、人間みたいだね。ああ、私たちと同じ世界の住人って意味で』

「ボクが?」

『そう。貴方たち聖霊は人の心や魂が見えるそうだけど、心は思念的な意味で解釈するとしても魂ってどうやってどんな風に見えてるのかな。私はそれが興味あるね』


 鏡面の向こうで、楽しそうに笑う声に少し戸惑ってしまう。


『私たちの世界では、魂って目に見えるものじゃない。人の身体の内側にあってそもそも形あるものじゃないから、どうしたって人の目には見えない』

「では、ボクたちの世界でいう魂と、貴女の世界で言う魂とは別のものだと?」

『あーいやいや。全く違うとは言わないよ、多分根本的には同じだろうし。ただ本当に見え方が違うだけなんだとは思う』


 そして彼女は言葉を続けた。

 自分たちの世界では、命を持たない道具でさえも長く大切に浸かっていると魂を持つことがあるのだと話してくれた。

 机でも椅子でも、食器でも長く大切に使うと魂が宿り『ツクモガミ』という神になるのだそうだ。それは例えばその辺に転がっている石でさえ、多くの人々の尊敬や崇拝を集めてもやはりツクモガミになるらしい。



 つまり人の想いが神を作るということか。



『ああ、ある意味それに近いかも』と、笑いながら言っていたけれど神が人を作るのではなく、人が神を作ることもあるという言葉には驚かされた。流石神々の世界の住人。ボクたちとは何もかもが違う。

『えーっと、なんだっけ。だいぶ話が脱線したけど、麻実ちゃんの事なら大丈夫だよ。あの子も本当はちゃんとわかってる筈』

「でもアーシャは…王女の事もだけど、巫女姫とタチバナサアヤが同じ人物ということにもショックを受けている。だから…」



 ドンガラガッシャン!!と、いつか聞いたような音が聞こえた。



『ちょっ…嘘!?それマジ!?』

「そうか、貴女もそれは知らなかったのか」

 タチバナサアヤの事は知っていても、誰がそうなのかは知らなかったみたいだし、そう思うと少しだけ胸がすく思いがした。彼女でも知らないことがあったのかと。

『そっか…。…それは流石にツラいな、麻実ちゃんも。彼女を助けたい気持ちもあるけれど、きっと今は許せない気持ちの方が強いんだね』

 助けたい気持ちも、許せない気持ちも嘘じゃない。でもやりきれなくて割りきれなくて、それを自分の中に落とし込むにはあの子はまだまだ子供だから…と。彼女はそう言って、深くため息を吐いたのが聞こえた。

 聞いた話では、この人もアーシャとは3つしか違わないと聞いている。なのに向こうの世界では3つという年の差は、大人と子供ほど違うのだろうか。10も違えばどうなってしまうのだろう。

『きっと自分でもどうしようもなくて、八つ当たりしちゃったんだと思う。だから、今回は大目にみてあげて欲しい』

 今回も何も、ボクはアーシャの事だったら何だって受け止めたい。八つ当たりだけでなく、あの子が望むなら理不尽な暴言や謗りだって受け止める。本当にどんなことでも、何だって受け止めたい。


 いつかあの子は、元の世界に帰ってしまうから。


「大丈夫。ボクはアーシャの全てを受け止めて大事にしたい。それがどんなものであっても、あの子がくれるものなら」

 ボクの偽りのない正直な気持ちに、鏡面の向こうの彼女は少し言葉を詰まらせる。

 そして楽しそうに声を弾ませ、ゆっくりと息を吐いたのがわかった。

『でも…そうね、何て言えばいいかな。成長とか進化ってものは、もう生物だけの特権じゃなくなったんだなって…。貴方の言葉を聞いてると、今ならそれがよくわかる』

「成長と、進化───」



 ボクにとっては理解出来なかった言葉。



 確かに自分の中で、何かが変わったというのはわかる。具体的に何がと言われると答えられないけれど、それでも以前の自分とは違うのだろう。


 例えばアーシャに恋をしたこと。

 それから自分で自分について考えるようになった事。

 あとは自分よりも大切にしたいと思う相手が出来たこととか、以前の自分ではとても考えられなかった事ばかりだ。




 でも、だからこそ────




「…アーシャは、ずっと傷付いたままなのかな」

 優しくて真っ直ぐで、誰かの事に一生懸命なアーシャ。

 けど、あの時はもうどうする事も出来なかった。

 王女があの吹き荒れる魔力をその身に引き受けてくれなければ、水脈を通して呪いによる毒と病が大陸全土に蔓延し、より多くの人たちが犠牲になっていた。特にウンディーネは只では済まなかったと思う。

 こんな、人を人とも思わないような事を考え付いたあいつらを、ボクは許せそうにない。

『麻実ちゃんの事が心配?』

「それは──」

 勿論心配に決まっている。大切な大切なボクの宝物。

 いつか元の世界に帰ってしまうとわかっていても、あの子が笑ってくれるならボクはそれを笑顔で見送りたい。

 いつかはわからない。でもいつかは必ず訪れる別れを想像するだけで、胸の奥が痛くて引き絞られるような、引き裂かれるような痛みに襲われるけれど…

『──貴方が麻実ちゃんの事が、どれ程好きでどれだけ大切かが凄く伝わる。確かに貴方の心配ももっともだけど、あの子ならきっと大丈夫』

「そんな…」

 どうしてそんな無責任なことが言えるんだろう。もう二日も何も食べていない、アーシャのあの様子を知らないからそんなことが言えるのか。

「そんな根拠、何処に!!」

『え?根拠はないよ。でもこれは私たちの世界では共通の事だし…フフフ』

 根拠はないと言い切るも、明るく告げる彼女の言葉は何処までもアーシャを信じているようにも聞こえる。

 ボク以上にアーシャを信じているという事に、嫉妬と少しだけ焦燥感もあるけれど。笑いながら告げる彼女の言葉は、ボクの心を大きく揺さぶり奮い立たせた。

 





『───だって、恋する乙女は無敵だからね!』


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