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冒険者と罠2

 精霊王さまの口から出た名前に心臓が飛び出るかと思った。



 タチバナサアヤって、橘さんのことだよね!?



 じゃあ、この戦争を仕掛けているのは橘さんなの!?なんで!?

 心臓がざわめく感覚を押さえようと、胸元を擦りながらゆっくり呼吸をする。

「…精霊王さま、それは…本当なんですか?この戦争を仕掛けているのは、橘さんだなんて」

 昨日鉢合わせたグリンドなら『神官だし色んな人に会ってそうだから色々情報多そう』くらいにしか思ってなくて、ダメ元で聞いたら知ってるっぽかったのに。なのに精霊王さまもっと具体的に知ってた!

「如何にも。但し我が知るのは存在と名前だけで、誰がタチバナサアヤかは知らぬ」

「???」

 

 んん?存在は知ってても誰かは知らない?…よくわからない。どういうことだろう。


「わからぬなら考えるが良い。それしかあるまい」

 精霊王さまは笑いながらパチン、と指を鳴らす。すると隆起しただけの模様が描かれた地面は輝く光を放ち、大きな…本当に大きな模様を描いていた。

 多分これは精霊王さまを示す魔法陣だと思う。この円の中に書かれた角の特徴が同じだから。それにアストライアは、ここにまとめて軍を転送させる気だとスピネルが予想していたから、多分それを防ぐ為に施した処置なんだと思う。

「…さて、これでアストライアの者達も此方に来る事は叶わぬだろう。では話そうか、異界の娘」

「え?でもあの、王女さまを助けに行かないと…!」

 確かに橘さんの情報は欲しいけど、王女さまの事の方がもっと心配だ。

 軍がここに来ることはなくなったとしても、まだお城でウンディーネさんが頑張っているなら、やっぱりこの件は早く解決したい。

「問題ない。時を止めてしまえば済む」

 再びパチン、と指が鳴らされると突然周囲の音が消えた。

 風の吹く音も木々のざわめきも聞こえなくなり、本当に全てが止まってしまった。私と精霊王さまの二人だけが動いていて、こうして話している事が少し怖い。

 でも折角のご厚意なら甘えてしまおう。

「あの…精霊王さまは、橘さんを知っているんですか?」

「無論。彼の者は一年と少し前からこの世界に“居た”」

「居た?」


 ということは、私みたいに最近現実から来ちゃったわけではないんだ。


 でもそうすると一年以上前から居たってどういうことだろう。そもそも一年前以上前なら橘さんへの虐めもなかったし、あんな真似をする理由もない。

「さよう。そなたと同じ世界に住まう者が、何故一年も前よりこの世界に居たかは我にもわからぬ」

 そうだよね。私がこの世界にきたのだってまだ一週間くらいなんだし、そうなるとやっぱり一年以上前なんてそんなの考えられない。

「───ただ、彼の者の魂が変質したのは一週間前。奇しくもそなたがこの地に現れた時だな」

「ええ!?」

 私がこの世界に来たときに、橘さんの魂が変わった?

 どういうことだろう。本当にどういうことだろう。自分の足跡を思い起こしてみるけれど、何が悪かったのかさっぱりわからない。

 知らない間に何かやらかしてたのかも知れないけれど、それはもうほぼスピネルのせいだと思う。でもそうなるといくら考えてもわからないので、手っ取り早く答えを聞いてしまおう。

「精霊王さまは、橘さんについて知っているのは名前と存在だけだと仰って居ました。それは…つまり橘さんは、違う誰かとしてこの世界に居ると。そういうことですか?」

 精霊王さまの言い方を考えると、もうそうとしか思えない。名前も存在も知っている。でも誰かはわからないというなら、きっと橘さんは橘さんじゃない『誰か』としてここに居るような気がする。

「───わからぬ。だが我は命を感知することが出来るのでな。この大陸に在る全ての命──。その中で命の形が異なるのは、そなたとタチバナサアヤだけだ。最近はスピネルも少し変わったか」

「スピネルも!?」

「恐らくそなたと契約を結んだからだろう。この世界ではない者と命を繋げたのでな」


 …どうしよう。スピネル大丈夫かな、あの時もっとちゃんと考えれば良かった。ゴメン、スピネル。


「さて、そろそろ時を戻すとしよう。嫉妬深いあれに何か言われては面倒だ」

 パチン、と指が鳴らされ吹いた風に再び時が動いたのがわかった。

「タチバナサアヤはアストライアの大聖堂の近くにその命を感じる。我に言えるのはそれだけだ」

「大聖堂…」

 物凄く大きな手掛かりをゲット出来た事に、深々と頭を下げる。これでだいぶ範囲が絞れた。

「精霊王さま、ありがとうございました」

「構わぬ。さあ、行くが良い。あれが来る前に我は姿を消そう」

 そういって精霊王さまが姿を消すと同時に、スピネルが駆けつけてきて抱き締められた。

「アーシャ!!」

「うぶっ!」

 ちょっ、苦し…

「大丈夫?精霊王に変なことされなかった?アーシャは可愛いから精霊王に気に入られでもしたら、ボクは…!」

 きつく抱き締められ頬擦りをされても、もうちょっと加減して欲しい。

 ぽんぽんと背中を叩いて加減を訴えると、少しだけ緩んだ腕の力にほっとする。意外と腕力もあるのか、それとも山頂で充電したからかな。

「そんなことより早くアストライアに行かないと!王女さまが心配だよ!」

 橘さんの事も心配だけど、先ずは王女さまを助けよう!







 スピネルの空間移動で、アストライアのとの国境まで来た。

 国境といっても森の中で、何処からがウルスラで何処からがアストライアなのか私にはわからない。けど、いきなりダンジョンに行って、そこで転送待ちの軍隊と遭遇したら大変なので、少し離れたところに来てそこで陽動出来るようするんだそうだ。

 軍は精霊王さまが転送出来ないようにしたから、動きの取れないこちら側に引き付けて入り口から遠ざけ、安全にダンジョンの中に入れるようにするんだとか。

「良い?アーシャ。今からボクがここに魔獣たちを呼ぶから、キミは離れてて。魔獣が集まったら少し派手な魔法で爆発を起こして、連中をこっちに引き寄せる」

 確かに国境付近で爆発があれば、敵の襲撃かと騒ぎにもなるだろうし、それが魔獣だったとしても撃退しなければ自分たちに被害が出る。なるほど。

「それから…はい。これを身に付けてて」

 渡されたのは封護の首飾り。でもスピネルは私がこれを身に付けるのを嫌がっていたんじゃ…

「これから行く洞窟は、必ず魔法で何か攻撃が仕掛けられる筈。キミを護るために必要だ」

「わかった、ありがとう」

 渡された首飾りを身に付けて、チャイナドレスの襟で隠す。これでよし!

 言われた通り、離れた場所に生えていた木に登って身を隠すと、スピネルは指笛を吹いて魔獣たちを自分の方に呼び寄せた。


 ざわざわと辺りが騒がしくなる。すぐに魔獣達が集まる中、一際強そうな魔物も一体現れた。


 ここから見える限りで集まったのは、犬系の魔獣のデッドハウンドだけでも5匹。熊系の魔獣のブラッドグリズリーが3匹。これだけでもなかなかのレベルの魔獣で、私の知る限りではアストライアに出てくるモンスターじゃない。強すぎる。

 その上魔法使い系の魔物であるシャーマンナイトが来るとか、スピネル何やってんの!?

「だ、大丈夫かな…」

 流石にこの数は心配になる。私も手伝った方が良い?でも木の隙間から見えるスピネルの様子は…うん。全然余裕そうだからこのまま隠れることにした。

 すぐにスピネルの周囲で一瞬炎が揺らめくと、そのまま大きな火柱となって木々を突き抜ける。

「熱!!」

 熱波がこちらにまで届いたけど、首飾りのお陰かそこまでの熱さでもないかも。炎天下の真昼に日傘なしで外に出た時くらいの熱さだった。


 流石に威力強すぎじゃない!?もうちょっと手加減とかなかったの!?


 一瞬で黒焦げの炭になった魔獣や魔物は、その場でボロボロと崩れていった。多分首飾りをしていなかったら、私もこんがり焼けていたかもしれない。首飾りを身に付けててこれなら、今のスピネルの魔法の威力がどれだけ凄いかわかる。

 感心しながらスピネルを見ていたら、その姿が消えてあっという間に横に居た。空間移動って瞬間移動みたい。

「さ、行こうか。兵士たちがこっちに向かってる」

 そういって笑うスピネルは、もう一度指笛で魔獣たちを呼び寄せると私を抱えて空間を開く。…さっきと同じレベルの魔獣たちを兵士にぶつけるなんて、ちょっと可哀想。

 でもそうしないと私たちが危ないので、心を鬼にしてスピネルにしがみついた。

「早く王女さまを助けないとね!」

「そうだね。さあ、行くよ?」




 空間を移動して洞窟の入り口まで来ると、見張りとして残っていた兵士二人を気絶させて王女さまが居るというダンジョンに来た。

 何か…。何て言うか、ここってこんなにドロドロというか変な感じがする。空気が澱んでいるというか、少なくとも普通に深呼吸して良い空気ではない。

「…スピネル。この洞窟、なんだか空気が変だね」

「ああ、やっぱり気付いた?そうだね。今ここは空気そのものが毒で汚染されているから」


 なんですと!?


「えっ!?じゃあ私たち息してて大丈夫なの!?」

 そうじゃなければガスマスクとか防毒マスクが欲しい。

「大丈夫。この毒は魔力によるものだから、首飾りを付けているアーシャなら大丈夫たし、そもそもとても弱いものだからボクにも効かない」

「そ、そうなんだ…」

 魔法による効果なら、確かに封護の首飾りを身に付けていれば防げそう。でもそうなると王女さまは…

「…王女さまは、ここに連れてこられてからどのくらい経つと思う?」

「さあね。でもゆっくりしていられないのは事実だから、少し急ごう」

 そういってスピネルは地面に魔力を張り巡らせ、この洞窟内の道を探る。地の精霊としてのスキルって、こういうところで便利だな。

「…地形が少し変わっているね。奥にある地下水脈と繋がっている泉のある祭壇に王女と…それから…」

 言いにくそうに口ごもるスピネルに嫌な予感がする。

「……完全に呪いの媒介となった騎士も居るね。彼に呪いをかけた奴は、地下水脈を利用して呪い…病を広めるつもりだ」

「そんな…!」

 想像していた以上に手の込んだやり方というか、水を通して広まる伝染病だなんて悪質極まりない。水は人々の命と生活に直結しているのに、それが汚染されるなんて許されることじゃない!


 でも…。でも、こんなやり方を思い付くのは多分この世界の人じゃない。


 精霊信仰のあるこの大陸の人たちが、あえて自然を汚すような真似をするとはとても考えにくい。…精霊王さまの石板をぶっ壊す人も居たけど、それでも自然そのものを汚そうとはしないと思う。

 だから…凄く悲しい。この戦争を起こそうとしたのが…王女さまと騎士のイベントを利用して、こんな事をしているのが橘さんだとわかっちゃったから。

「どうしてこんな酷いこと…」

 同じクラスの子が、こんな恐ろしい事を考え付いて…しかもそれを裏で糸を引いているというのがとても信じられなかった。

 でもクラスメイトでもこればかりは見過ごせないし、このままにもしておけない。ちゃんと会って話して、それで一緒に帰ろう。橘さんがこのゲームが大好きなのは知ってる。でも大好きなゲームなら、この世界を大事にしないと!

「行くよ、アーシャ。水が穢されればウンディーネも危ない」

「そっか、ウンディーネさん水の精霊だから…」


 本当嫌になるくらいよく考えられてるな!!


 水が穢れてウンディーネさんも水から力を得られなければ、ウルスラ国の守りも大幅に落ちる。そうなればアストライアはもっと有利になるとか、こんな作戦考えた奴何者だよ!悪魔かよ!




 …本当に、これは橘さんが考えたのかな。




 ここにいない人を言うのもあれだけど、橘さんは成績がそこまで良い方ではなかったと思う。全体的に平均か平均より下、というくらいで感情的になりやすいタイプで、物事を先を見越して考えるという感じじゃない。

 なのにそんな橘さんが、こんな手の込んだ2重3重のドミノのような作戦を考えられるのかな。…多分無理だと思う。でも手の込み具合を見ると偶然とも思えない。

「アーシャ。考え事してるみたいだけど、まずは奥へ急ごう。早く王女を助けて、騎士も…」

「…うん。そうだね、行こう」


 二人で奥へ進んでいくと、現れる敵が毒を司る魔物ばかりになっていた。


 スピネルが魔法で全部吹っ飛ばすから、私は何もしなくてすんでいるんだけど肌に感じる嫌な澱みは、益々強く濃くなっている。

 ああ、近付いているんだ。王女さまと騎士の居る場所に。


 どうか二人とも無事でいて欲しい。でも、それが難しいのはもう私にもわかる。



 こんな毒を振り撒いているのが、本当に騎士なのだとしたら、もう…人間としては…



 ぐ、と拳を握って涙を堪える。

 ここで泣くのは早い。今はちゃんと王女さまを助けて、この毒が水脈へ流れていくのを止めないと!

「アーシャ、そこを曲がった先に二人が居るよ」

「わかった」

 リュックから解毒ネクタルを取り出そうと、後ろに手を回したその時。



 ──見たくもない青緑の髪の男が、大刀を肩にかついで立っていた。

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