精霊と通話
不束者ですが、よろしくお願いします!
そう言って、日が暮れた山の麓でもわかる程に、顔を真っ赤にしながら満面の笑顔で笑う彼女。あまりに可愛くて可愛くて、もう本当に無理矢理にでも結婚したくなった。
こんな風に誰かを想うのも、側に居たいとも守りたいと想うのも、何もかもが初めてで困る。
この気持ちは、一体何なんだろう…
大切にしたい気持ちも、守ってあげたい気持ちにも嘘はない。なのにそれと同じくらい何処までも甘やかして、ドロドロなるくらい依存させて、ボクしか見えなくなるくらいダメにしてやりたくもなる。
このまま…この世界というより、ボクの手元に縛り付けてでも側に置いておきたい。
どうしてしまったんだろう、ボクは。
一人の人間に、ここまで執着することなんて無かったのに。
疲れきって、夕飯を食べた後すぐに寝てしまった彼女の頬を、いつかのようにそっと指先で撫でてみた。──やっぱり柔らかい。
こんなに小さくて、こんなに泣き虫なのに、時々この子はすごく強くて頼もしい面を見せる。
なのに…
それなのに、ボクは…
自分勝手な欲望で、この子を閉じ込めてしまいたくなっている。
それは許されない。だって彼女には帰るべき場所があるのだから。
「…ん?」
アサミのリュックが光ってる。何だろう。
そう思って勝手に荷物を漁ると、スマホというアサミの世界の、通信用の鏡の一部が光っている。鏡面全体が光っているのは見たことあるが、こんな風に小さな点が光っているのは始めてみた。
操作の仕方は彼女の手元を見ていたからわかる。こう、鏡面の上を指でなぞって…出来た!
「うわ!」
見たことのない文字や絵が写し出されたかと思えば、スマホはずっとピカピカと光ったまま。アサミを起こすべきか、それとも眠っているのを起こすのも可哀想で、どうしたものかと思うも迷っている内に左手の親指が鏡面に触れてしまった。緑の部分。
『────うそ!?繋がった!?』
鏡から聞こえてきた知らない女の声。
その声はボクの驚きなどまるで関係ないように、次々に言葉を発していく。
『麻実ちゃん?…麻実ちゃん?』
この声の主は誰だろう。アサミを探しているのか?
『麻実ちゃ───』
「キミは誰だ」
『───!!』
鏡の向こう側から、息を飲む音が聞こえた。
でも声の主は少しの沈黙の後、すぐに問い掛けてくる。
『私は───』
何だろう、よく聞こえなかった。多分名乗ってくれたんだろうけど、肝心の名前の部分だけ聞き取れない。
「アサミとの関係は?」
『それこそこっちが聞きたいわ。貴方の名前…はどうでも良い。今どこにいるの?』
ボクの名前がどうでも良いって…まあ、確かに。
「キミに教えるつもりはない。そもそもアサミとはどんな関係だ」
『───その聞き方からすると、あなたは麻実ちゃんを大切にしている。もしくは守っている。だから見知らぬ女には教えたくないし話す気もない。…あってる?』
「ッ…!」
『ああ、言葉が詰まったね。じゃあ正解か』
何者だこの女。
ボクの中で、声しか聞こえないこの女に対しての警戒が強まる。
『じゃあ麻実ちゃんに危害は加えないと信じた上で話すわ。…私は、彼女の知り合い。同じバトン教室の先輩』
「じゃあキミが…いや、貴女がアサミの師匠?」
『…麻実ちゃん、そんなこと話してたんだ。そうそう。じゃあ改めて聞くわ。三つの質問に正直に答えてもらえる?』
この人がアサミが心から尊敬している師匠、なのか。
正直言って、少ない言葉から此方の状況を読む鋭さに、得体の知れない不気味さを感じる。けれど、アサミが信頼している人物だというならボクも疑うことはしない。
「わかった」
『ありがとう。じゃあまず一つめ。貴方がいる場所を教えて』
場所、と言われても…
「ウルスラ国の首都、ウルシュラにある宿だ」
『ぶふっ!!』
鏡の向こう側から盛大に噴き出す声と同時に、どんがらがっしゃん!という何かが雪崩れる音が聞こえた。
『え、うそ。マジで?』
「嘘じゃない。それで、二つめは?」
少しの沈黙の後に、鏡面の向こうの相手が大きく息を吸い込むのがわかった。
『……貴方は、パルテニア大陸を守護する地の精霊?』
「ああ」
どうしてそんな事まで解るんだろう。少なくともボクは会ったことがない。アサミから一度だけ、スマホで顔を見せてもらっただけだ。
『…じゃあ最後。貴方は麻実ちゃんから名前をもらった?』
「───スピネル、と…」
『ああスピネル、スピネルか。ふんふん、確かに貴方にぴったりの名前ね。真っ黒な髪と赤い目だもんね。へー、麻実ちゃん意外とセンス良いなぁ』
明るく感心したような声が響くが、ボクはこの女に会ったこともない。向こうも同じ筈だ。なのに何故ボクの容姿を知っている?
「お前は誰だ!何者なんだ!アサミの師匠だというけれど、ボクはお前を知らない!!」
『そりゃそうでしょ。だって世界が違うもの』
世界が、違う───
その言葉に、今まで解らなかった謎の欠片が一つに繋がるような気がした。
まさか…まさか、そんな。そんな事が…
「…キミは…アサミの世界から、話し掛けているのか?」
『そうみたい』
明るく、あっけらかんと同意する声にボクは目眩がした。向こうの世界の技術では、そんな事まで可能なのか?
「アサミは…この世界を作った存在と、同じ世界から来たと言っていた。それは本当なのか?」
『え?あー、うん。そうだね、その解釈で合ってるよ』
じゃあ…じゃあ、アサミも…この人も、神々の世界の住人ということ…なのか?
「────…」
あまりの事に声が、言葉が出ない。
『ちょっと。驚くのは勝手だけど、貴方から話を聞いて納得したわ。麻実ちゃんは、多分じさ…友達を助けようとして、その巻き添えでそっちの世界に引っ張られちゃったんだと思う』
「引っ張られた?」
『そう。…本当は麻実ちゃんに直接話したいんだけど、変に絡んで余計な因果を作りたくないから貴方に託すわ。そっちの世界で、橘紗綾って子を探して』
「タチバナサアヤ?」
それもアサミと同じ世界の存在なのだろうか。恐らくきっとそうだ、何せ鏡面越しの彼女の口ぶりがそう言っている。
『麻実ちゃんは、その子を助けようとして引っ張られたんだと思う。貴方の話を聞いて、ほぼ確信した』
「その子を探して、どうしたら良い?」
『麻実ちゃんに、その子を見捨てさせる。というかその子を助けることを諦めさせる。あの子は紗綾って子を助けようとしてそっちに引き込まれたと思うから、その気持ちを断ち切らせたい。そうしたら多分…こっちに帰ってくる切っ掛けにはなると思う』
「アサミが…」
アサミが、ボクの元から居なくなる…?
居なくなるのか、アサミが。ボクのアサミが、この世界から…
「……イヤだ…」
『え?』
「断る!アサミは…彼女はボクのものだ!!誰にも渡さない、例えアサミが尊敬するお前でも!!」
『は?ちょっ、何言って…』
「…ン…」
──アサミ!!
マズイ、起こしたか?
慌てて声を潜めるが、つい感情的になって大声になってしまったか。
でも起きる気配は…ないな。眠り続けてくれて良かった。今日は山登りだけでなく、バトントワリングも見せてくれて沢山の妖精たちとも踊ったから疲れているんだろう。ボクの失態だ。
『──ゴメンなさい。私が無神経だった。貴方は麻実ちゃんが好きなのね』
好き?
「…好きって、何?」
好きというものは、人間にしかないものだと聞いている。
『あー…そうきたか。…そうだね、例えばその人と居ると嬉しくて、毎日が楽しかったり』
「うん」
確かにアサミと一緒だと、毎日が楽しい。
『あとは優しくして笑顔を見たかったり、意地悪をして困らせたり色んな反応を見てみたいとか。酷い人だと苛めて泣かせたくなったり?』
「…う、うん」
どうしよう、これも当たってる。
『あとは、誰にも渡したくないとか独り占めしたいとか?』
「………!!」
思い当たる事が多過ぎて、何をどう言えば良いのかわからない…
『もし今のが全部当てはまるなら、貴方は麻実ちゃんに恋をしてまーす』
恋!?
恋とはあの、神話の時代に神々が意中の相手を口説き、子を成して子孫を繁栄させるために必要だと言われて…。…あ。
考えてみると、ボクもアサミと結婚して孕ま…じゃなくて、子供を沢山産んで欲しい、と……
そこまで思ってから、一気に顔が熱くなる。
ぼ、ボクはアサミに恋をしているのか!?そうなのか!?
鏡面越しに意地悪そうな声が聞こえる。
『今自覚した?』
「う…」
──した。けど、悔しいのでそれは言わない。
「っ…」
『あっはっは!お姉さんには何でもお見通しだよー』
くっ…。アサミの師匠、確かに凄い。あの子が尊敬するのもわかる。わかる…けど!
性格が悪い!!
何なんだこの性格の悪さは。
上から目線で何でもわかったような口ぶりで…ボクは精霊だというのに!
『たかだか実装1年ちょいのひよっ子精霊が、17年生きてる私に勝てると思う?』
実装1年ちょい、という言葉が気になった。
「あの───」
実装、という言葉の意味はわからない。だが1年ちょい…1年と少しという言葉は引っ掛かる。
ボクはこの地を、大陸を、何千年と見守ってきた。なのに彼女はそれを1年と少しだと言いきるのか。
どういう事だろう。
思いきって全てを聞いてみた。すると彼女は、ボクの疑問や質問にに答えるだけでなく、これから起こりうるかも知れない未来についても次々と話してくれる。
彼女の言葉はどれも信じがたい、というか信じたくないものばかりで──正直知りたくなかった。
でも知らなくてはアサミを守れないのもわかって、それがツラい。
「──貴女には悪いけど、正直…まだ信じたくない」
『そうだね、貴方のその気持ちはよくわかった。でも私から言えるのは一つ───』
“想いは心を繋ぎ、魂を結ぶ”
その言葉…その言葉だけは、知りたくなかった事を告げられ全ての事に耳を塞ぎたくなっていた、ボクの耳と心に静かに入ってきた。
『私の母が人との繋がり…えっと、こっちでは縁て言うんだけどわかるかな。縁とか、因果とか因縁ていうんだけど。人との見えない繋がりを作るのは、いつだってそういう想いから始まるんだって言ってた』
鏡面の向こうにいる人物は性格が悪くても、その母親はなんて素敵な人なんだろう。
『例え記憶をなくして忘れても、死んで生まれ変わって新たな命になったとしても。その想いが人を繋ぎ、また巡り会わせてくれるんだと。…まあ良い縁だけとは限らないみたいなんだけどね。でもそういった想いが、繋がりを引き寄せるんだって』
静かに告げられた言葉に、淡い期待がじわじわと絶望しかかっていた心を侵食していく。
「じゃあ、ボクとアサミも…」
『大丈夫じゃないかな。恋って相手を求める気持ちのことだから、貴方が麻実ちゃんを強く想っていれば…どんな形になろうと、またきっと会える。こっちの世界でもそういう話はよくあるし』
ドクン、と心臓が跳ねて目の前が熱く真っ白になる。
ああ、本当に…
いつかアサミが元の世界に帰っても、強く強く想っていれば、いつかまた逢えるなら────
「───っ…」
いつ訪れるかわからない未来を前にして、涙が止まらなくなった。
胸が苦しい、引き裂かれるように痛い。こんな事は初めてだ。
喉を突くように嗚咽が漏れそうになる。片手で口許を覆い、声を抑えるのが精一杯で、どうしても涙が止まらない。
でも今の話は…多分きっと、そう遠くない未来の事だろう。だから今この場で彼女と話せたのは、本当に良かった。
きっと今話せなかったら、ボクは自分の執着に負けてアサミを──
『…今は目先の感情にとらわれず、自分の中にある本当に大切なものを見失わずにいればそれで良いよ。だから泣くな』
「泣いて、ない」
嘘。本当は泣いているけど、彼女には知られたくない。
あと、目先の感情にとらわれず、だなんてどうしてわかったんだろう。本当にこの師匠は、何でも見えているみたいで怖いな。
言い方もがさつというか乱暴で、ついでに性格も悪くても。
でも絶望に堕ちる前に心を救ってくれた言葉と、その声から伝わる溢れんばかりの慈愛に───一瞬だけ。
本当にほんの一瞬だけ、女神かも知れないと。そう思ってしまった。