冒険者と初恋
「──申し訳ありません。まさかディズィーヴが裏切るとは思いませんでした。私の責任です、姫」
教会から戻り、二人で私室に入ると着ていた上着を脱がせてもらい、豪奢な髪飾りも外して楽な格好になる。それらを丸めて長椅子へと放ってから椅子に腰掛け、脚を組み肩に掛かる髪を背に払うと、ナティスは輝く銀髪を揺らし跪いて頭を下げた。その様子を一瞥するけど、そんなのはもうどうでも良い。
私が本当に欲しいのは、もうお前じゃない。
「顔を上げて頂戴。…良いのよ。居なくなってもまた貴方の魔法で、また同じ顔のディズィーヴを作れるんでしょう?」
「は。しかしあの者は今までの“ディズィーヴ”の中では、最も優れた作品だったので次も貴女のお気に召すか…」
「…良いから早くして。貴方なら出来るでしょう?」
テラ様に会えなかった苛立ちで、つい処分しちゃったけど。でもゲーム的には西の神官がいなければ発生しないイベントやクエストもあるんだから、居ないことにはこの世界も進行出来ない。
でも代わりならすぐに作れば問題ないから、私は何も悪くない。こいつらは所詮キャラだもの。
「───仰せのままに」
そういって北の神官は一礼すると、私室を後にする。
残された静寂の中で、一人息を吐いた。
思い通りにならないものは要らない。
この世界にとって、私にとって邪魔ならば排除も削除も許される。
何故なら私はこの世界を支える巫女姫であり、プレイヤーでもあるのだから。
「私の世界で、私より幸せになるなんて…」
───絶対に、許さない…
───風がひんやりと涼しい。
ウルスラ国に戻った私たちは、いくつかある城下町の中で、一番栄えている首都ウルシュラに来た。
ここはアストライア国から離れていて、私たちがお尋ね者になっている事もまだ知られてはいないらしい。此処で一番良い宿の一番良い部屋を取ると、案内を断って部屋に入った。
「うわー!凄い広い」
豪奢な内装に感激しながらも、窓に駆け寄って景色を見る。
「凄いですね!人があんなに小さく見えるなんて」
この宿は一人500イェンと今までで一番高いけど、その分部屋も広くて綺麗で値段相応だと思った。
荷物をベッドに置いて、部屋に置いてある水差しからグラスに水を注ぐと、カランと音がして氷が入っているのか冷たくて美味しい。
ウルスラ国は、地理的にはアストライア国の北にある国だ。特に首都であるウルシュラは、最も北部にある都なので自然と氷が手に入りやすいのかもしれない。でもちょっと寒い。
「ねえ、精霊さま!」
何でもない風を装って、わざと明るく声を掛けてみるも精霊さまは黙ったまま。
やっぱり、怒っているのかな…
教会の出来事を思い返して、やはり自分が悪かったのかもしれないと気が重くなる。確かに酷いことをされそうになったし、無事だったから良かったなどと言うつもりもない。
でも目の前で誰かが死にそうになっていたら、やっぱり…助けたいって思ってしまう。
ヒリヒリと痛む拳を見つめ、再び溜め息を吐いた。
「あの…精霊さま」
「………」
…やっぱり返事をくれない。もう話したくなくなるくらい嫌われたのかな…
「…えっと、スミマセン。私ちょっと外に出てきますね、精霊さまはゆっくり休んでください」
同じ部屋にいるのが居たたまれなくて、無理矢理笑って外に出ようとすると腕を掴まれベッドに放られた。本当にぽーんと、荷物のように放られた。
大きなベッドのスプリングが軋み、弾みながら受け止めてくれたけど、女の子を放り投げるってどういうこと!?
あんまりな扱いに睨むも、精霊さまは私の手首を掴み押さえ付けながら、そのまま覆い被さってきた。
「…キミは、何もわかっちゃいない。さっき襲われたばかりのくせに、ボクから離れようとするなんて正気なのか!?」
「それは…!」
だって、精霊さまが怒ってるから…。私が一緒に居たら、迷惑かと思って…
口にする言葉に悩んで黙ってしまう。すると掴まれた手首に、ギリ、と力が込もり指が食い込んでかなり…痛い。
「キミはそうやって、思っている事を溜め込む癖があるみたいだけど。キミがそのつもりなら、こっちだって隠し事が出来ないようにすることだって出来るんだ。例えば魔力で暗示をかけて、キミの意識を支配下に置くとかね」
「や…」
まさかそんな事とは思うけれど、今の精霊さまは何を考えているか解らない。怒っているのか呆れているのか、それとももう私の事を嫌いになったのか…
ズキン
「──っ…」
…あれ。何だろう、今の胸の痛み。
精霊さまに嫌われてるって思ったら、急に胸が痛い。…どうして…
勝手に涙が出てくる。どうしよう、泣き止め私!
「…う、く…。…ゴメ…ごめんなさ、い…っ…」
イヤだ、イヤだ。嫌わないで!
「や、だ…。…ひうっ、う…精霊さま…。ゴメンナサイ、嫌わないで…」
どうしよう。泣いたらもっと嫌われる。でも涙が止まらない、胸が痛い。
「嫌わないで…嫌わないで、精霊さま…」
嫌われたくない。精霊さまに、嫌われたくない。どうしよう、こんなに泣いてばかりだと本当に嫌われてしまう。なのに涙が止まってくれない!
「うえ…っ、ひっく…」
「アサミ、泣かないで…。もっと苛めたくなるから」
ぴた。
一瞬にして私の涙腺は凍結した。
「ああもう本当に可愛いなアサミは。少し冷たくしただけで、嫌わないでだなんて、もうこのまま冒険も何も放って二人きりで過ごしたいよ」
きつく抱き締められ頬を擦り寄せられるけど、恥ずかしいのと擽ったいのとからかわれていたのとで頭の中がぐるぐるする。
「この世界だと成人が15だから、アサミはもう少しだよね?そうしたらボクと結婚しない?」
「は!?」
け、けけけ結婚!?
「そして沢山子供を孕まs───産んでもらって、暖かな家庭を築きたい。キミとの子なら男でも女でもきっと可愛い…ああ、でもやっぱり男の子が良いな。女の子だとお嫁に出すときが、きっと辛くて耐えられない」
今凄いこと言った!!家族計画の前にさらっととんでもないこと言った!!
こんなに綺麗でカッコいい顔なのに、それらを軽く越えていく、麗しすぎるエロスに満ちたアルトボイスでそんなこと言われたら頭と心臓がパンクする!!
恥ずかしくて頭が現実を拒否しかかっていると、不意に声の調子が悲しげものに変わった。
「それとも…やっぱり元の世界に帰りたい?」
悲し気に細められる赤い瞳に、急に胸が締め付けられるような気持ちになる。
「それは───」
───あれ?
「──か、帰りたいに決まってます!!」
そう言いながらも、即答できなかった自分が信じられなかった。
帰りたくて帰りたくて、お父さんやお母さんや、友達や師匠に会いたくて堪らないのに。なのにどうして今、すぐに答えられなかったんだろう。
「そう?嫌わないでって泣くくらい、ボクのことが好きなのに?」
「そ、それは…。確かに精霊さまの事は、す……き、ですけど…。でもそういう好きじゃなくて、あの…」
「じゃあどういう意味での好きなのか、教えてくれる?ボクにこんなことされても…好き?」
「…っ!!」
み、耳耳!!声近っ!!
急に甘さを含む吐息混じりの声が耳元で響きながら、長い指が首筋をなぞる感触に身体が一気に熱くなる。
のし掛かる重みに身動きが取れなくなって、恥ずかしいのにそれでもさっきの事に比べれば、嫌じゃないと思ってしまう。でも待って、私まだ14才!!
「だ、ダメです精霊さま!!そういうのは大人になってから─────!!」
ぽかぽかと背中を叩いて制止を訴える。どうしよう、嫁入り10年前(希望的逆算)なのに、既に確実に大人の階段を登ってしまいそうになってる!!
「…仕方ないなぁ」
私に覆い被さったまま、少しだけ顔を上げる精霊さまの赤い瞳に、自分の顔が映る。ものすごく普通な、お世辞でも可愛いとは言えないタヌキ顔。
…もう少し可愛かったら、精霊さまと一緒にいても気が引けることもなかったのかな。
自分の容姿の平凡さに、勝手な落ち込んでしまう。
でも精霊さまは、笑いながら額を重ね頬を撫でてくれた。
「大丈夫。アサミは可愛いよ、だから自信持って」
「……。」
そんな風に言われて、はいなんて言えるほどわたしの神経は太くない。でも精霊さまがそう言ってくれるなら…
少しだけ…ほんの少しだけ、自信を持っても良いのかな。
巫女姫さまみたいに、とんでもない美少女とかじゃないけれど。でも、精霊さまが可愛いと言ってくれるなら、ちょっとだけそう思いたい。
「アサミ、約束して。これからはもっと、自分を大事にすること。さっきみたいに岩山を素手で破壊しようとか思わないこと」
「…ハイ」
流石に無謀だったと今なら思う。あんなの素手で破壊できるようになるには、少なくともレベル60は必要な気がするし。
「もし破ったら…」
「…破ったら?」
「結婚してキミが元の世界に帰れないようにしてあげる」
「身命を賭してお約束いたします!!」
とんでもない脅しで約束をさせられた後は、手の怪我を治して貰った。
薄く血が滲む指を、そっと労るように両手で包み込まれると、精霊さまの魔法で怪我を治してもらった。傷跡も残らず綺麗に治ったのを見て、本当に魔法って凄いと思った。
「さて、じゃあ今からここのギルドに行こうか。目当てのものはちゃんと手に入れたしね」
そういって見せてくれた、名前も知らない冒険者たちのリセマラによる、捨てられた認識票。
おお!これさえあれば名前と職業を誤魔化せるのか。
えっと、確か宝石の色が青だと戦士、緑は武術家。黄色がスナイパーで赤が魔法使い。そしてピンクが僧侶だった筈。
さらに上の上級職とされる職業には石が二つ、さらに上の最上級職は三つの宝石が認識票に埋め込まれてるけど、それは置いておくとして。
とりあえず私は武術家ということで、渡された緑の宝石の埋め込まれたプレートをしっかりと握りしめる。
精霊さま…じゃなかった、スピネルだ。ダメだ、心の声だとうっかり精霊さまと言ってしまう。この先の事を考えて、これからはもう本当にスピネルとアーシャで呼び合うと決めたのに。
「その代わり、西の神官から貰った封護の首飾りはボクが貰うよ。封護の首飾りはレアだけど、レア過ぎてそれを目印にキミを探されたら意味がない。その点ボクなら認識阻害の魔法も使えば、堂々とキミの側にいても他の人間が気にする事もないだろう」
つまり、スピネルが忍者みたいになる事かな?おお!それは凄い。
「勿論実在してるから、物にも触れるし人混みが多ければぶつかることもあるけれど、極端に存在感がなくなるものだと思ってくれれば良い」
「えー…」
その顔で存在感がなくなるなんて、それこそどんな魔法だろう…
「何、その顔」
「何でもないです」
誤魔化すように無理矢理笑うと、スピネルもつられたのか笑ってくれた。
「じゃ、早速ギルドに行こうか」
「はい!」
これからが本当の冒険になるんだ!
宿に荷物を預けて、真っ先にギルドで認識票を書き換えてもらった。
名前やその他の部分が硬い何かで引っ掛かれ、削り取られたようになっているそれは、受付のお兄さん曰く「直すより新しく再発行した方が良い」とのこと。なので新しくアーシャ・ステンシル、という名前と武術家という情報だけで登録して貰った。
身元の保証とかは精霊さ…えっと、スピネルが呼んでくれた水の精霊さん(水色の髪と本当に氷みたいに透明感の肌のとても綺麗なお姉さん。この国の守護精霊さん、ウンディーネさんというらしい)に身元の保証人になってもらった。
スピネル以外の精霊さまも居たんだ…。…まあ、そうだよね。精霊がスピネルだけな筈がない。何と言っても彼は地の精霊なのだ。
新しく認識票を作ってもらった後は、装備も新しくしようということでアストライアで買ったより、もっと良い装備が売られている大きなお店で、東の国からの輸入品だという丈夫なチャイナドレスと、多分心臓を守る為の左胸だけを覆う胸当て。それから武器としての棍を買った。
素手で戦うのはダメらしい。でも棍ならちゃんとした武器だし、慣れ親しんだバトンよりはだいぶ太さもあるけれど、バトンでいうシャフトの部分の両端には、ボールとティップのように大きさの異なる大小の錘がついているので、少し重いけど思ったよりは全然扱いやすい。
お店の中でバトンを扱うようにクルクル回していたら、店内に居た人たちから拍手をもらってしまった。でも本来お店の中でバトンは行けません。
「アーシャの意外な一面を見た」
宿に戻ったスピネルは、真っ先にそう言った。
「意外?」
「うん、意外。そのチャイナドレスも似合うし可愛いけど、それだけ動けるなら踊り子にでもなってもらえばよかったかな」
「踊り子!?」
あの、やたら露出度の高い薄いペラペラでスケスケの服着て踊る、セクシーな職業!?
「いやいやいやそんな私には…」
───無理、と言いかけて言えなかった。
だって私バトントワラーだもん!バトンなくても踊るもん!ぶっちゃけ踊り子みたいなものだもん!!
そんな自分で自分を否定するような事は…流石に言えない。
でも同い年の子たちと比べても、確かに私は幼児体型なのも自覚はある。だからあんなセクシーな格好は無理無理ないない。
「そう?でもまた見たいな、アーシャのそのバトントワリング。きっと素敵だろうね」
「そんな…」
大好きなバトンだけど、正直そこまで上手くない自覚はある。
幼稚園に入る前から練習してきた子たちに比べたら、私の実力なんてそれ以下で。初めて大会に出た時、自分よりずっと年下の…それこそ未就学児部門の子たちが私より全然上手なのを間近で見て凹んだくらいには…
でも…
「スピネルが見たいって言ってくれるなら、是非今度見て欲しい!」
私が好きな人に、私の好きなものを知ってもらいたいから。
「ありがとう、楽しみにしてる!」
向けられた本当に嬉しそうな笑顔に、きゅう、と胸が痛くなる。
あ。そっか、私…
いつの間にか、スピネルのことそういう意味で好きになっちゃってたんだ───