冒険者と契約
精霊さまに連れられて来た、アストライア国の北に位置するウルスラ国。此処でも教会では私の事が指名手配にされていた。
昨日巫女姫と大聖堂で会って話しただけで、まさかこんなことになるなんて思わなかった。私何をしたっけ。
「精霊さま…」
私、この世界でどうなっちゃうんだろう。元の世界に帰れるかどうかより、まずは何としても此処で生きなきゃならなくなった。
「大丈夫。キミの事はボクが守るから」
向けられた笑顔に、また顔が熱くなる。
でも、お尋ね者になってしまった私なんかと一緒にいても…大丈夫なのだろうか。
『 精霊をつれた冒険者 “アサミ・イナバ”
特徴
年齢14・女・精霊使い
黒髪黒目
髪型は肩下で切り揃えたセミロング
生きて捕らえた者に報奨金として500000イェン 』
こんなお触れが教会を通して出ていたら、私は迂闊に街も歩けない。
本当にどうしてこんなことになったんだろう…
「大丈夫だよ。ボクが仮面を付けて人間に擬態して、君が武術家っぽい格好をしていれば人間にはまずバレない」
人間に擬態するっていっても、その耳を普通の人間の耳に見せるだけなのにそれでバレないと思う方がどうかしていると思う。始めはそう思った。
でも違った。それだけで本当に、本当にバレない。
武術家っぽい格好ということで、着ていた制服から動きやすいチャイナドレスとレギンスに着替えて、それに合わせて髪型もお団子ヘアにしてみた。武器もダガーから手を守る籠手と宝石が埋め込まれた膝当てにした。
おお、意外と似合う気がする!
「可愛いよ、アサミ。その格好もよく似合ってる」
そういって笑う精霊さまは、藍色のマントと忍者が着るような黒装束に着替えて、長い髪も三つ編みにして仮面を付けていた。
…どう見ても暗殺者っぽい。
そんな私の感想はお構いなしに、精霊さまは私の格好を褒めてくれる。こう言ってはなんだけど、あの時お金をギルドに預けなくて良かった。
女子中学生にビキニアーマーを装備させようとした、精霊さまの変態的スケベ心のお陰で、こうしてお金に不自由することなく装備を整えることが出来たから。
凄腕の暗殺者と駆け出し武術家という組み合わせは、そんなに珍しくないのか宿屋でも普通に通された。此処では二人で140イェン。変装しているから、精霊さまも一人の人間という扱いだ。
でもお金は空間移動で、いつでも精霊さまの部屋のタンス預金から引き出せるし、すぐに必要そうなものは制服で作ったリュックにしまっているので、冒険をする上で特に困ることはない。
背負っていたリュックを下ろし、ベッドに腰を掛けて息を吐いた。全然バレる気配がなくても、でもまだ油断はできない。
「今日はゆっくり出来そうですね、精霊さま」
「そうだね。でもこれからはもうボクの事は、今まで通りには呼ばないようにね?そうでないとすぐにバレて、捕まってしまうから」
「じゃあ、何て呼んだら良いですか?」
呼び方が決まらないと不便だし、うっかり精霊さまと読んでしまいそうになる。
「……」
精霊さまは困ったように笑うけど、でも確か言ってたな。名前は精霊にとっては契約で、其は命を結ぶ行為に等しいと。
だから精霊さまは何も言えないのかな。
でも、命を結ぶ行為でも…
「…私は、大丈夫です」
精霊さまが本気で、私を守ろうとしてくれているのは、すごく伝わった。何もわからないまま、この世界に来てしまった私を精霊さまはちゃんと守ってくれてる。
命を結ぶという行為が、どんなものかはわからないけど。今現在もう既に命を狙われているようなものなら、これ以上の最悪はないんじゃないかとも思う。それが、精霊さまの迷惑になることじゃなければそれでいい。
「ボクはキミに契約の負担を押し付けたい訳じゃないんだけど…」
「負担じゃないです!私がせいれ……貴方と一緒にいる為には、きっとその方が良いと思います」
多分、私たちの関係は端から見ると分かりにくい。今はこうして無事に宿も取れたけど、関係性がハッキリしないと勘のいい人には怪しまれるかもしれない。その時にちゃんと、相手の疑念を払拭出来る手段があった方が良い。
「本当に…キミは…」
精霊さまが泣きそうな顔で笑う。仮面をつけていても、そのくらいは私でもわかる。
「精霊さ───」
不意に、押し倒された。
目の前には仮面を外した、とても綺麗だけど何処か苦しそうに眉を寄せている精霊さまの顔があった。
今にも泣きそうだけど、でも泣いてほしくないとも思う。
「…精霊さま…」
「もう、離してあげられないからね」
ごく小さな声で呟かれた言葉は、こんなに近くても聞き取れなかった。聞き返そうとした瞬間、更に顔が近づいて唇を塞がれる。
これはまさか────キス!?
生まれて初めてのキスに、一気に顔が熱くなって頭がクラクラした。
ドキドキして息が苦しくて、顔を背けようとしたけど動けなくて。ずっと唇を塞がれているうちに、少しずつ頭がぼんやりしてきた。
…ああ…精霊さま、目は赤いのに髪は真っ黒で……スピネルみたい…
目が覚めた時は、とっぷりと夜も暮れていて、また夕飯を食べ損ねてしまったらしい。
ぼんやりと起きて真っ暗な空を見つめるけれど、すぐに頭に浮かんだのは精霊さまとのキスだった。
─────!!
ヤバイ!!また顔が熱くなる、恥ずかしい!!
初めてのキスが、あんなにカッコイイ人だなんて、私の人生これで良いの!?
恥ずかしくて居たたまれなくて、両手で顔を覆いながらベッドの上でゴロゴロ転げ回る。ヤバイ、どうしよう。精霊さまの顔が見られないかもしれない!!
人生初の一大イベントに混乱する中、不意に部屋の扉が開いた
「…ああ、起きたんですねお嬢さま」
お嬢さま?
「精霊さま…?」
パタン、と後ろ手に扉を閉めた精霊さまは、抱えていた紙袋をベッド脇のテーブルに置いて、私の前に跪く。
「もう今からは冒険者と精霊ではなく、アサミは自分の腕を試したくて家を飛び出したお嬢様と、私はそんな貴女を守る護衛です。そのつもりで行動してください」
「精霊さま…」
「スピネル」
え?
「お嬢さまが私に付けてくださったでしょう?スピネル、と。なのでこれからは私の事はそう呼んでください」
「え、でも…精霊さま」
「スピネル」
どうあっても自分はスピネルだと通す気らしい。でも、それはそれで何だか寂しい。
折角仲良くなれたのに。キスまでしておいて…私も嫌じゃなかったし、心が近づいたと思ったのに。
「……っ…」
どうしよう。寂しくて悲しい。一気に関係がリセットされてしまったみたいで、すごく…すごく悲しい。悲しいし寂しい。
涙が勝手に出てくる。…でも、どうしたら良いんだろう。精霊さまの言うことは正しいし、多分関係を聞かれてもそれが一番自然なんだと思う。だけど…
「…参ったな…。アサミ、ボクを見て?」
チャイナドレスの襟を引っ張って涙を拭うと、目の前には仮面を外した精霊さまが、困ったように笑っていた。
「ボクは何も変わらないよ。ただこれからの事を考えると、いつでも自然にそう振る舞えるようにした方が良いと思ったんだ。だけどキミはでも、このたった数日の出来事でも、ボクとの時間を大切に思ってくれてたんだね」
「っ…!!」
また泣きそうになって、涙に言葉が詰まる。コクコクと必死で首を縦に降ることでしか、肯定の意思を示せない。
すると嬉しそうに表情を緩ませた精霊さまが立ち上がり、そのまま抱き締められた。
「ああもう、本当に可愛いなキミは。あまり可愛いと、ボクもどうして良いか解らなくなる」
「ゴメンナサイ…」
精霊さまの言うことは正しい。だからワガママなことを思ってしまう私が悪いのもわかってる。でも、どうしても寂しい。
「二人きりの時…ボクの塒に居るだけ、今まで通りで居よう。でも外ではお嬢さまと護衛でいること。勿論ここでもだ。それは約束出来る?」
「…はい…」
きっと、精霊さまにとってはこれが精一杯の妥協点なんだと思う。でも私が本当に気を付けないと、すぐにバレてしまうから普段から気を付けないといけない。精霊使いは、この世界では本当に本当に希少なのだから。
建物からして防音設備に気を使っているわけでは無さそうだし、諺にも“壁に耳あり障子に目あり”というものもある。どこでバレるか解らない。
「じゃあ今からはボクの事はスピネルと読んで欲しい。キミはアーシャということで」
「私も名前を変えるんですか?」
「アサミ・イナバだともう指名手配が掛かっているからね。ギルドを利用する事は出来なくなったけれど、普段から違う名前で呼びあっていれば、擦れ違い様に聞いた人でも反応しないだろうし」
おお、なるほど。精霊さま頭いい!
「ちょっとした小悪党や賞金稼ぎが集まりそうな金額だったならいいけど、今回は報奨金の額が高過ぎる。一攫千金を狙う輩が、本気でキミを狙いにくるから少しでも危険は少ない方が良い」
「わ、わかりました」
確かに500000イェン…日本円で五千万円は人探しとしては破格の金額のような気がする。
厄介なことに、冒険者というのは好奇心旺盛で行動力もあるし、そのせいか勘の良い人が多いんだということも解っている。何ならスキルで相手のステータスを見ることも可能だったりするからこそ、精霊さ…す、スピネルの言い分は全部が正しい。
危ない危ない。もう今から意識を変えていかないと、本当にちょっとした事でボロが出そうだ。
流石に昨日の今日で出たお触れだから、隣の国であるウルスラにはまだ注意をして私を守ろうと探そうとする人も居なかったみたいだけど、でもこれがまた明日明後日ともなればそうもいかなくなる。
こんなことなら精霊さまとずっと塒に籠っていたいとも思ったけれど、元の世界に帰るためには少しでも何か情報が欲しい。
「スピネル、は…」
こんな面倒な私を嫌いになったりしないのかな…
「やっとお嬢さまが私の名を呼んでくれましたね。どうかしましたか?」
嬉しそうに目を細めて笑うスピネルに、少しだけ申し訳ない気持ちが薄れる気がする。なので思いきって聞いてみよう。
「スピネルは、私の事…嫌じゃない?嫌になってない?こんなことに巻き込んで…」
本当はもっと言いたかったけど、雰囲気が怖くなったスピネルに言葉を続けられず、黙ることしか出来なかった。
「失礼ですがお嬢さま。私は貴女のものでもありますが、貴女も私のものでもあるのです。その事をお忘れなく」
私が、スピネルのもの…
「…!!」
何それ何それ!!それってこ、告白みたい!!
ええっ、うわ、どうしよう!熱烈な告白みたい!!
当人に他意は無くとも、言われたこっちは恥ずかしい。嬉しいし嫌じゃなかったけど恥ずかしい!!
ズルい!!私だけがこんな意識させられてるなんて…
「せ……スピネルは、ズルい…」
そんな言い方されたら、どうしたって意識しちゃうじゃん…ズルい。
「貴女の為なら、どんなに狡くも卑怯にもなりますよ。それで貴女を守れるなら」
「っ…」
身体に回された腕に力がこもる。抱き締められる力が少し強くなった。でも…これに他意はない。あくまでも私を守ろうとしてくれているだけで、好きとかの恋愛感情じゃないのはわかってる。解ってるけど…
「ありがとう、スピネル…」
勇気を出して、スピネルの背中に腕を回してみた。精霊とはいえ、異性に抱き付くなんてすごく恥ずかしい。
でもそんな私の拙い勇気が伝わったのか、スピネルはそっと背中を撫でてくれた。
少しだけ良い雰囲気だなー、と自分でも思っていたところに私のお腹の虫が空腹を訴える。
「…お嬢さま。何かお召し上がりになられた方が良いですね」
「………」
笑いを堪える精霊さま…じゃなくて、スピネルの言葉は、私の羞恥心をチクチク攻撃した。