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no11  作者: nox
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2.埋葬

 1番端にあった華奢な十字架にもたれ掛かり、喪服の少女が座り込んでいる。

 俯き、垂れ込んだ前髪で殆どが隠れたその表情は、泣き腫らした後のようにも、薄く微笑んでいるようにも見えた。

 その横にはホログラムに青白く投影された白髪の少女、明詩が立っていた。


「分かっていたけど、無理っぽいな」


 健星が呟く。

 彼は項垂れた喪服の少女のうなじを片手で掴むと、その皮を剥がした。乾いた着脱音がして少女の内部構造が覗く。そこにあるのは生物の皮下にある血肉ではなく、電子機器の端子接続口にしか見えない金属製の部品だった。


「埋葬するんじゃないの……?」


 理解が及んでいないらしい明詩が呆然と尋ねた。


「するよ。接続が無理なら、な」


「接続?」


 うなじ付近の部品を付けたり剥がしたりしている健星の手元を明詩が覗き込む。

 健星は明詩の視線には答えず、しばらくは端子の接続口をまじまじと見つめていたが、重い溜め息を白い吐息と共に吐くと、喪服の少女のうなじを元のようにはめ込みながら言った。


「明詩をこっちに移し換えるんだよ。ばあちゃんの死因はたぶん自分で組み込んだプログラムによる脳死だし、筐体(きょうたい)自体もかなり状態は悪いけどまだ動く。これから先、乗り換えられるぐらいに状態の良い筐体なんて、いつ拝めるか分からないからな」


 健星の説明を聞いて、明詩が嫌悪感で表情を歪めた。

 露骨だった。

 そんな表情を見せられても、健星は肩を竦めて微苦笑するだけだった。


「どっちにしろ、これは駄目だ。そもそも接続端子がない。無線はもちろん受け付けない。予想はしていたけれど新州重工製の特注品だ。専用の環境とコードがないと中を覗くことすらできない」


 明詩は青白い瞳で健星を見つめる。そこにあった嫌悪の色は既に薄れていた。だが、無くなった訳ではなかった。それが明詩の見つけた落としどころのようだった。


「健星は、元々こうするつもりでおばあちゃんを受け入れたの?」


「まぁな」


 立ち上がって、健星は眼下に広がる死んだ街並みを捉えた。


「もしかして、おばあちゃんもそれを分かっていた?」


「かもな」


 健星は気怠そうに頷いた。


 脅迫紛いの手段で、4日間健星たちと行動を共にした喪服の少女は、自分の正体(のうみそ)は見た目相応の少女のものではなく、死にかけの老婆のそれなのだと何度も言っていた。

 しかし、その少女型の筐体も人工皮膚まで剥げ落ちつつある無残なもので、内部も重度の動作不良を併発していたようで、左腕と下半身の殆どが機能していなかった。


 この筐体を『第14共同拡張墓地公園』に埋葬しろ。


 喪服の少女は、健星と明詩にそう命じた。

 自分を。ではなく、筐体を。

 その意味を、明詩は聞けずじまいだった。

 そのことばかり考えていたせいで、明詩は健星と喪服の少女との無言の契約になど、今の今まで気付きすらしなかった。


「私はその筐体を使えない」


 思わず音声を発していた。

 無意味だとは承知していた。だが、健星の行為が死した人間の触れられざる領域を穢しているように思えてならなかった。例え、健星が明詩の為にそれを必要としていても。

 健星は頷いた。

 明詩の隣に立ち、映像の彼女と全く同じ、薄赤色のマフラーを巻いた。


「明詩には筐体が必要だ」


 白い息と共に譲らぬ主張を吐く。

 だから、明詩としても同じ反論を繰り返すしかなかった。


「筐体に乗り換えられたとしても、私の終わりは変わらない」


 明詩がそう言うや否や、健星はまるで親の仇でも睨むような鋭さで彼女を見据えた。だが、すぐに視線は泳ぎ出す。口元にはわざとらしい微笑みが張り付いていた。


「実際にやってみないと分からないだろ。ドクはああ言ってたが、あのマッドサイエンティストが真面目な顔をして言ったことが、正確だった試しがあったか?」


「それはないけど」


 明詩の表情が少しだけ明るくなる。

 その名は、致命的大流行の佳境以後の、唯一の安寧と温もりの象徴だった。しかし、だからこそ、その最期の言葉には偽りのない予見が含まれていたのだと明詩は思う。


「だけど、それが事実だって、私は今、実感している」


「だったら尚更だ」


 健星は渋面を浮かべた。

 そして当てをなくした腕は髪を掻きむしる。


「なぁ……今はどんな感じなんだ?」


 明詩は微笑んで言う。


「最悪」


 健星は聞いたくせに無言だった。


「やっぱり、これは私の身体じゃない。命じれば動くけど遅いし軽すぎる。だから、いつもずれる感覚がする。なのに、全部が実感として感じられない。生身と全く同じ情報で構築されているはずなのに、何でだろうね? 気持ち悪いよ。動かしたい身体がここにあるはずなのにないの。何もないの。じわじわとその感覚が抑えきれなくなって、真っ暗な箱の中に押し込められているみたいな気分になって……」


「分かった」


 健星が遮った。

 居た堪れない表情をしながらもすぐ横にいるホログラムを見下ろす。ホログラムの少女は喘ぐような仕草をしていたが、健星と目線を合わせると穏やかに目を細めた。

 限界が訪れようとしていた。

 筐体技術がぶち当たったものと、全く同じ限界が。





 ◆◆◆






 人間の意識、または魂と呼ぶべきものを、肉体と、それに伴う生老病死から切り離す技術は、十数年前から実用段階に入りつつあった。

 それが筐体(きょうたい)

 そして、それに付随する黒い兵器群の数々だった。

 だが、それらの試みは悉く失敗に終わり、致命的大流行から逃れる為に中途半端なものばかりが世に放たれて、殆どは生身の人間と同じく短く儚い一生の幕を既に下ろしている。

 肉体の機能を完璧に再現できない筐体は、魂の器たり得なかったのだ。

 それはコンマ数秒の反射の遅れや表情再現機能の完成度などの僅かな差異でも、当事者の精神を確実に蝕んでいった。

 身体欠損者が失くした部位の痛みを感じ続けるように、筐体に移った者はその殆どが全身からの違和感や痛みを訴えた。そして精神と肉体の乖離は徐々にストレスとして蓄積し、最期には精神がその負荷に耐えかねて押し潰れる。

 黒い兵器群のように、負荷の主因となる元の肉体の感覚を記憶ごと抹消するぐらいの抜本的な解決がなければどうしようもなかった。


 持って3年。早ければ半年。

 それが筐体の寿命だった。

 筐体より安上がりなホログラムの明詩には、その数年すらも期待できない。

 気が付けば、明詩が今の姿になってから半年が過ぎようとしている。


「やっと、動いている筐体を見つけたんだけどなぁ……」


 健星は肩を落とす。

 これが最後のチャンスだった可能性も、充分過ぎるほどにはある。


「もし接続したとしても、私はこの筐体には移らないよ」


「だけどな、この筐体がどれだけ整備不良で壊れかけだって、今より良くなるのはほぼ間違いないんだぞ。明詩の苦しみだって少しは……」


「移れないんだよ」


 明詩は首を振って静かに拒絶した。

 その動作すら、今の明詩には違和感を抱かせるものでしかなくとも。

 この筐体を、第14共同拡張墓地公園に。皆が眠る場所へ。

 身勝手だと反感を覚えるだけだったはずのその言葉が、今更になって反響し始める。記憶に上書きされて消えない。

 幸い、まだ大した痛みはないから、その言葉を優先したいと思えるだけの余力はあった。


「なぁ……、明詩は、こんな夢を見たことがないか?」


 俯く明詩に、唐突に健星が尋ねる。

 健星は明詩の方に振り返りもせずにゆっくりと歩き、安っぽい金属製の柵に手を掛けて崖下の街並みを見下ろした。

 雪が降っている。

 積もってはいないし積もるほどの勢いでもないのに、何故だかこのまま世界中が雪に覆い隠されてしまうような錯覚に陥る。感覚を麻痺させる寒さは、安らかな終焉を想像させる。

 健星は思い出したように言葉を吐き出していく。


「晴れた昼間、風に揺れる洗濯物に差し込む陽射し。夕闇の中、ぽつぽつと灯り始める橙色の街の灯り。寝入る前、照明を消した部屋の外から微かに響く、国道で車が行き交う喧騒。そんな、当たり前だった情景の内にいる夢を」


 投影機が健星の後を追い、その上で息をしないホログラムが歩く真似事をする。


「夢だって分かっているんだ。だけど、それだけが俺の救いだった。もう目覚めもせず、死んだはずの皆とそこにいられたらと、いつも心の底から願っていた」


 明詩が健星の後ろで歩を止めた。

 ゆっくりと頷く。健星の視界に入らないようにしたまま。


「だけど、今はそうは思わない。全てが夢なら、俺は明詩と出会えない。俺はこの世界が憎いのと同じぐらい、明詩のことを、愛してる」


 健星は振り返らなかった。


「頼む。2度も俺の前で死なないでくれ」


 風に吹かれて雪が舞う。

 声は掠れていた。


「ごめんね」


 揺らぎのない電子音声が、震えるほど静かに響き渡る。



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