1-18 悪夢と奇跡_1
マイヤ、エレーナ、ハルナは、ヴェスティーユが何をしようとしているのか、本能的に理解した。
キャスメルは怯えてこそいないが、こちらに向けられているその動作を無表情のまま見つめていた。
エレーナはキャスメルの周りに大きな水の壁を作る動作に入る。
マイヤはヴェスティーユの行動を止めるべく、素早く攻撃を仕掛けた。
しかしディゼールもその動きに反応してその行動を防ぐ。
一歩遅れて反応したのは、ハルナだった。
正直なところ、キャスメルの重要度はハルナの中で低かった。
王子としてその重要な地位については理解できる。が、しかしこの世界の基準にまだ身に染み付いておらず、慣れていないのだから。
それよりも、この世界で一緒にいたフウカ、マイヤ、メイヤ、オリーブやエレーナの方がハルナにとっては大切だった。
そんな一瞬の間だったが、事態は進展する。
ヴェスティーユから、黒炎の礫が放たれた。
黒炎の礫はただの火ではない――まるで、生き物のように渦を巻きながら、獲物を喰らうかのごとく放たれた。
火の属性というより、純粋な元素の密度だけで攻撃が可能なようだ。
その密度はピストルの弾丸のように硬く小さく貫通性もありそうだった。
エレーナは、水の壁だと容易に貫通すると考えキャスメルを庇うように水壁の後ろに飛び込んだ。
礫は水壁を破壊し、エレーナの背中に着弾する。
「エレーナ!!」
ハルナが叫ぶ。
目の前には、腕の中でぐったりとして重く感じるエレーナ。
キャスメルは倒れ掛かってきたエレーナを抱き抱えるが、体格差もありよろけた。
だが、絶対に落とさないように力を入れて堪える。
モイスティアに来てから、キャスメルはエレーナのことを気に入っていた。
年上への憧れもあるが、エレーナは時間があるとキャスメルの様子を見に来てくれて相手をしてくれていた。
そのことが嬉しかったし、王子である自分のよくない行動を叱ってくれた。
王国では、真剣に叱ってくれたり相手してくれる人はいなかった。
身の回りの世話を行ってくれるが、腫れ物を触れるかのような対応だった。
今回の家でも、困らせてやりたい気持ちもどこかにあった。
そんな自分の我が儘な行動から、エレーナが傷ついてしまった。
今まで、こんな気持ち悪い感情に浸ったことはない。
初めて体験する感情に、キャスメルはどのように処理して良いかわからなかった。
――どうすればいいの?
――誰か、誰か助けて!
――そうだ、エレーナは?エレーナならなんとか……
胸が張り裂けそうなほど痛い。
自分の軽率な行動が、最悪の結果を招いたのだと痛感した。
彼女の血が、腕を伝ってゆっくりと染み込んでくる。
次第にキャスメルの心を、悲しみと恐怖と怒りが入り混じった感情が埋め尽くしていく。
この状況になってしまったことが、自分のせいだと気付いてしまった。
――弱いから、僕が弱いからなの?
この怒りをどうすることもできない無力感が、キャスメルを襲う。
そして小さな感情の容器が満杯となって溢れ出る。
「うぅ……うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
キャスメルは上を向いて叫ぶ。
持っていきようのない感情が、声となって響き渡る。
「……うふふ、くふふふ。ふははははは! いい音色だわ。絶望の叫びって、何度聞いても最高ね!」
何とか我慢しようとしていたが、あまりの喜びに思わず口に出してしまうヴェスティーユ。
「そうね、わかるわ、わかるわよ。アナタ。弱いからその娘は傷ついたの。そしてもうすぐ死ぬの。アタシに敵わなかったから死ぬの。極々自然で、あたり前の理由なのよ!」
しかし、その言葉はキャスメルには届いていない。
虚ろな目でエレーナを見つめ、声にならない意味不明な言葉をつぶやいている。
「……おいおい、あの子壊しちまったんじゃねーの?いっそ、楽にしてやった方がいいんじゃね?」
ディゼールが(なんなら俺が……)と言おうとした際に、マイヤが動き出す。
マイヤは仲間が攻撃されたことに対し、行動を変えた。
今までは、何とか事情を聞こうとしたため極力身内に被害を出さずに相手のダメージを極限まで奪い、抵抗力を奪うことを目的としていた。
しかし、エレーナが倒れてしまった今、迅速に救出する必要がある。
この動作の速さは今までの比ではない。
「――シッ!」
マイヤは、後ろ蹴りでディゼールとの距離を取る。
相手はその速さにマイヤが目の前から消えたように見え、ガードする間も無く攻撃を食らい思わず手にしていたマイヤの短剣を床に落とした。
マイヤは、未だにエレーナに向けているヴェスティーユの忌々しい腕を切り落としにかかる。
手にした短剣は、ローブの袖の肘のあたりを下から切りあげた。
しかし、人を切り裂いた独特の感触はなく、そこには子供のような手が見えていた。
「チッ!」
ヴェスティーユは舌打ちをして、切られた側の腕をローブの中に引き込む。
状況が変化することを感じ、長居は危険と判断したヴェスティーユは、相方に告げる。
「ディゼール、とにかく今日の用事は済んだんだ。これ以上、ここにいる意味はないよ!」
「了解、了解……っと。(ったく、自分だけ楽しみやがって)」
吹き飛ばされたディゼールは、ずれたヘルメットを戻しながら起き上がる。
(っていうか、俺も一つぐらいお土産残さないとね……)
「……ってわけだから、俺たちはこれで帰るわ。そこの美人さん、早くあいつの手当てをしてあげないと危ないんじゃねーか?」
マイヤはその意味が、判っていた。だから、その言葉にも動じることなく、男に対して警戒を続ける。
「エレーナ!!」
そういって駆け寄ったのは、ハルナだった。
マイヤは、(不味い)と思いつつも何か起きた時に対処をしようと考えた。
エレーナの状況も心配だったから。
「ちぇっ。やっぱ、引っかかんねーんだな……」
男はそう口にすると、ナイフをエレーナを迎えに行ったハルナの背中をめがけて放つ。
――キン!
マイヤは手の中の短剣を投げて、ナイフを弾いて見せた。
「……少しは、あなたも役に立つものだね」
そういうとヴェスティーユは小さな掌の上で黒炎の球を作る。
(――しまった!)
マイヤは、判断を誤った。
ハルナを庇うためとはいえ、最後の武器を手放してしまった。
自分であれば武器がなくてもなんとかできるのだが、離れている味方の防御はこれでは間に合わない。
もう一つの短剣も床に落ちてはいるが、拾ってからでは間に合わない。
「ハルナさん!後ろ!」
マイヤは、ハルナに声をかける。
必要以上に緊迫感を持たせないように気をつけて、声を掛けたつもりだった。
しかし、ハルナはハッとして身体を強張らせながら振り向いた。
これでは、うまく対応が取れない。ましてや、戦闘経験の少ないハルナには無理な注文だった。
「ゴミは最後まで、始末しないと……ね」
ヴェスティーユは、出来上がった黒炎を放った。
マイヤが飛び込んで助けようとしたが、ディゼールが行く手を阻む。
「退けぇぇーーーー!!!」
ディゼール自体は大したことはないが、退けた後では間に合わない。
ディゼール自体を蹴飛ばしてハルナ達の盾にしようとしても角度が悪くハルナ達にも当たり防ぎきれない。
マイヤは、ディゼールを腕で払い進行方向から排除した。
弾き飛ばされながらも、ディゼールのヘルメットから見えるその口元には笑みが見える。
「えい!」
フウカが飛び出して、三人を黒炎の軌道上から、風の力で外へ押し出した。
ハルナは、一瞬何が起きたのかわからなかった。
――ドン
黒炎が何かに衝突する音が聞こえる。
その直前にハルナには聞こえていた。
精一杯伝えたい、最後のフウカの声が。
(――短い間だったけど、楽しかったよ!)
ゆっくりとした時間の中で、その声は再生された。
ハルナは自分達がいた、場所を振り返る。
そこには、黒い火柱が上がっていた。
「――っ!!!」
ハルナの胸に、心臓がつかまれたような鋭い痛みが走る。
だが、それは単なる悲しみではない。
彼女の内側で何かが途切れ、千切れ、引き剥がされたような感覚。
肉体と精神の奥深くまで染み込んでいた精霊との“つながり”が、今まさに断ち切られた。
喪失が現実になったとき、ただの痛みでは済まない。
魂が軋むような衝撃が、全身を蝕んでいく。
「――イヤアアアああぁああぁああぁ!!!!!」
ハルナは感情のまま叫ぶ。
自分の死よりも辛く、鋭い痛みが全身を突き刺していく。
「んー、とってもいいわぁ……。この身体に染み渡るような振動。あなた、近年では最高級の音色よ」
うっとりとした至福の声で、ハルナにそう告げる。
ディゼールはその様子を、汚い物を見るような目付きでヴェスティーユをみる。
マイヤは、もう動けなかった。
何かをするべきかわかってはいるが、味方の中で失ったものが大き過ぎた。
これ以上被害を拡大させないためにも。
「それじゃ、あたし達は用事も済んだし帰るから。皆さんごゆっくりー」
「楽しかったぜ、また会おうぜ!美人のねーちゃん!!」
二人は、“任務完了”と言わんばかりにスッキリとした口調でエントランスの扉を開けて出る。
――――――――――――――――――
マイヤは、気絶したキャスメルからエレーナを受け取り、耳元に近寄って声を掛ける。
が、返事はなく、呼吸も短く弱くなっている。
出血した量が多過ぎたのだった。
こういう状態は任務の際に、何度も見てきた。
その対象が、助かることがないことも。
この世界では、医療がそんなに発達していない。
負傷した治癒が不可能な四肢の切除や縫合などは行われていたが、輸血や抗生物質などの知識はなかった。
せいぜいあっても効果が不明な薬草のようなものだった。
マイヤは、ハルナに目を向けた。
火柱が立ち上っていた場所でうずくまり、何か痕跡が残っていないか必死に探した。
マイヤはエレーナを綺麗な場所で横にした。
乱れていた髪やローブ姿も整えて、そしてゆっくりとハルナの方へ向かう。
「ハルナ……さ……ん」
後ろからハルナの肩に手を当てて、慰めの言葉をかけようとした――
――!!!!
マイヤは思わず手を引いた。
ハルナの身体が高熱を帯びていた。
「ハルナさん!?」
声を掛けるも、反応はない。
ハルナの身体からは、光が発せられる。
その場の空気が澄み渡り、微細な風が優しく舞い始めた。
「な――!?」
あまりの眩しさに、目を細めるマイヤ。
ハルナの身体は光に包まれたまま、その場に立ち上がって見せた。
(これは……一体!?)
黒炎の柱が上がっていた場所に手をかざして、光を照らす。
焼き焦げた黒い煤が光の力で渦上に舞い上がり、浄化されて光の粒子に変化する。
ハルナ(?)はその舞い上げた光の粒子を、胸の前で合掌の形の両手に隙間に作った空間に集めた。
すると光の粒子が不規則に球状に回転し、光の玉が生まれる。
回転の円周が徐々に小さくなっていき、雪のような形状となった。
始まりの場所でみた、あの光だった。
光はハルナの周りをクルクル回り、ハルナの肩に止まった。
すると、光はフウカのような人型になった。
しかし、まだ意識はない状態だった。
その様子を眺めていたマイヤは、今までに見たことのない現象に声が出せない。
不思議な光景に、ただ眺めることしかできなかった。
それに、この光のオーラは邪悪ではないが、普通の人では耐えられないほどの力だ。
だが、必死に意識を保ってこの現象を確認する必要があった。
マイヤは気力を振り絞り、声を掛けた。
「失礼ですが、大変位の高い精霊様と推測しますが……」
ハルナのようでハルナではない。
何か憑依したような感じだと、マイヤは推測していた。
『あなたは、ハルナさんのお仲間ですね。私の名は、“ラファエル”。風の精霊です』
マイヤの呼吸が止まる。
普段なら一生お会いできるものでもなく、伝承の中だけの存在が、こうして目の前にいるのだから。
大精霊は言葉を続ける。
『あなた方は、魔の使い達を相手によく戦ってくれました。その行動に、より時間を本来の正しい歴史へと導くことができました』
マイヤは、唖然とする。
エレーナもハルナもキャスメルも取り返しのつかないダメージを負ってしまったのに。
それがあたかも、予め決まっていた行動であるような言葉だった。
心の奥から、押さえの効かない怒りが込み上げてくる。
「それは、既に決まっていたということでしょうか?エレーナ様もハルナさんもこうなることが当たり前の――!!」
ラファエルはマイヤの言葉を手を上げて奪う。
空気の振動を止め、言葉を遮った。
『ごめんなさいね、うまく伝えられてなかったみたいね。お詫びとしてこれからあなたの心配を取り除いて差し上げますわ』
ラファエルは、空から杖を取り出した。
そして杖を正面に構えて、ある人物を呼ぶ。
『――“ガブリエル”、お久しぶりね。聞こえてる?ちょっときていただけないかしら……?』
待つこと数秒。
水の渦が目の前に出現し、その中にまた新たな水の人型が現れた。
『……あなただけよ、アタクシをそんなに気軽に呼び出すなんて。で、なに?随分と久しぶりなのにまた面倒なこと押し付ける気?』
その人型は全て水で構成されており、まさに水の人形だった。
『うふふ。でも、分身でも来てくれるのは嬉しいわ』
ラファエルは、悪気のない笑顔で応える。
『無駄な挨拶はいいよ、もぅ。(どうせ拒否権ないんだろうし)早く用事を済ませて、ゆっくりしたいんだけど……今回のご用件は?』
『んもぅ、つれないわね。では、そこの女性助けてあげてくださらない?その方はあなたの水の精霊を宿してるようなの』
ガブリエルは、横たわるエレーナの姿を間近でみる。
どうやら、近眼のようだ。
『ん?……あー、この感じ、何度か感じたコトあるわ。もしかして、アーテリアの娘?』
『そうなのよ。ただ、まだ、繋がりが薄いみたいなの。今の状態だと私の元素では精霊が消えてしまいそうだから、同じ水のあなたにお願いしたいのよ』
『そうね、努力の跡は伺えるけど、もう少しこの娘には頑張って欲しいね』
そういうと、ガブリエルはエレーナの胸に手を当てる。
青白い光が心臓を中心に、動脈を伝わり流れていく。
――トクン……トクン
止まっていた心臓がまた脈を打ち始めた。
エレーナの青白い顔色が、赤みが戻っていく。
『はい、これで大丈夫よ。……もう帰っていい?』
とその時、エレーナの杖から精霊が飛び出してきて、ガブリエルの前に浮遊している。
ガブリエルは、掌に精霊を乗せた。
『…………』
『え?あなたにはまだ早いよ』
どうやら、精霊と会話しているようだった。
『…………』
『うーん。言いたいことはわかるけど、アレは特別だからね』
『…………』
『失敗すると、あなたの存在は消えてしまうかもよ?それでもいいの?』
『…………』
精霊は強い意志を示すためか、力強く周りを回る。
『わかった。少しだけ手助けしてあげる。ただし……』
ガブリエルは、そのことをエレーナの精霊に伝えると精霊の上で指を擦る。
精霊に光の粉が振りかけられていった。
『……これでよし。あとはあなた達次第だからね。上手いことやりなさいよ!それじゃアタクシは帰るからねー』
『ガブリエル、ありがとう。またよろしくね!』
ラファエルにそう言われたガブリエルは、しかめっ面したまま、水の渦に消えていった。
『あと、そこの少年も酷く精神的な傷を負っているわね』
そういうと、壁に持たれて気絶しているキャスメルの頭に手を乗せる。
そこから黄色い光が溢れ、キャスメルの頭から赤いガラス玉のようなものを引っ張り出して握り潰した。
次々と目の前で起こる、説明のできない現象に頭が追いつかない。
ラファエルがキャスメルに何かをしたことは、見て取れた。
何をしたのか聞いておかなければと、マイヤは思いを口にする。
「大精霊ラファエル様、……今のは一体?」
『え?あぁ。今のはこの出来事で生じた感情だけ消したのです。この経験はこの方にとって今後大切なものになります。ですので、記憶はそのままに、不要な恐怖の感情だけを取り除かせてもらいました』
マイヤはまたしても、困惑する。
そういうことができるものかと。
この力は知られると、大変なことになるのではないか?
そう思っていると、ラファエルから声がかかる。
『今見たことを、ハルナやアーテリアの娘に伝えてください』
「――え?」
『そうすることにより、自分たちの役目、自分たちの力を信じて更に成長する契機になるはずです。そうなるもならないのも、あなた方次第ですよ』
ラファエルがハルナの顔でマイヤに微笑む。
『もしも、その荷が重いのならば記憶を消して、‘楽’にして差し上げることもできますけど?』
マイヤは、生まれて初めてゾッとする感覚を覚える。
伝説上の精霊は、平気でそういうことができるのだと。
『――勘違いしないで頂きたいのですが、誰にでもそういうことをしている訳ではありませんのよ?そういうことをして喜んでいるのは、あの悪魔たち。私はそういう困難を乗り越えることができるのが人の良さと思っていますし』
ラファエルは、スッとハルナの身体を解放する。
『あなた達のそういうところが好きなのです』
ラファエルの支配から解け、崩れるハルナの身体を浮かせて横にし、マイヤの胸元まで持っていく。
マイヤはハルナの身体を抱きかかえる。
『それでは、後はお願いしますね』
そう言うと、ラファエルはもう一度杖を出した。
ハルナを愛おしく見つめた後、マイヤの方に向かって
『私の大切な者にしてくれた、お返しをしてこなくちゃ……ね』
と言って、ウインクをする。
ラファエルは光の粒となり、どこかへと転移した。




