娼婦Kの納戸の中で
しかしここは何処だ。隣は娼婦部屋らしい。娼婦館の納戸に寝かされているのか。しかし何
故、娼婦館の納戸などに・・・・・。
それはそうと、早く組に帰って、親分に挨拶をして、義理は果たしたから、また何処ぞへ旅に出ようか。
戸が空いた。まだ二十歳になるか成らないかの若い女が立っていた。
租界の境界近くのこの一帯は、租界の警察権と地域のヤクザの勢力圏の挟間である。それ
でも、何処の世界にも溝鼠は居る。娼婦たちに用心棒代だと言って上前を撥ねるチンピラがい
る。彼等は、外のヤクザが直接は手が出せないので、溝鼠に集金をさせて、その上前をはね
ているのである。だから、溝鼠には大した力はない。客が外人だったり、威張った奴だと、自分たちでどうにかしなくてはならない。先輩娼婦の中には自腹でヒモを雇っているのもいる。それでも、彼女達が金を払っているのは、租界の警察ががさ入れなどをした時に、逃れて身を隠すのに、溝鼠達の力、外のヤクザとのつながりが役に立つからである。
「おや、眼が覚めたのかい。」
「ここはどこだ」
「***地区さ」
「どうして俺はここにいるんだ」
「ドブに落ちていたのを、拾ってきてあげたのさ」
「どうして」
「ちょっと良い男だったからさ。」
「今日は・・・・・・」
「もう、3日ほど寝ていたよ。舜先生が、良く助かったと驚いていたよ。」
その後も、何日かは、立ち上がれなかった。女は、何が嬉しいのか、朗らかに笑いながら男
の世話をした。当然、日暮れ頃から、客を拾って来ては、隣の部屋で春を売る。ベッドがきし
り、女の高い喘ぎ声が聞こえてくる。
最初は驚いたが・・・・・というかこの状況に戸惑ったが、その内におかしくなってきた。一通りの行為が終わると、男たちは帰って行く。時々は、料金後払いの話もあるらしい。大抵は、女のサービス旺盛な対応に満足して帰るようだ。たまにはチップを弾む客もいるようだ。でも、時には渋る奴もいるらしく、揉める声が聞こえることもあった。
後は、週一の溝鼠の取り立てである。奴等の取り立てが、どういう方法で金額を決めている
のか知らないが、かなり厳しいことをいっている。
それから4日ほどして、ようよう立って歩けるようになった。もっとも、まだよたよたの歩きではあった。
女は、そんな男を追い出すでもなく、朝と晩の食べ物を・・・・近くの露店で買ってくるものだろうが・・・・運んでくる。体調の話くらいで、とくに踏み入った話はたがいにしない。
「こんなところで寝ていて、体は痛まないの」
と、女は言う。”お前が俺をここに寝かせたのだろ”と男は可笑しかった。
「野宿は慣れているから。」男は苦笑いしながら答えた。
「歩けるようになってよかったね。」
「どうにかね。」
「ふん・・・・」
女は、化粧のにおいをプンプンさせながら、
「ごゆっくり」と
満面に笑みを浮かべ、夕飯を置いて出て行った。今宵も客取りである。
何時間かして、隣の部屋に女が帰って来た。ガタガタと音がする。
「もう・・・・せっかちなんだから。」
「・・・・・・」
男が何か言っている。こういう場所では男は気が小さくなるのか、たいがいが小声である。
「だから、脱ぐから待ちなと言うのに。破らないでよ。一張羅いなんだから。」
暫く、物音が消えてから、
「あっ・・つ。もう、すぐに指なんか入れないでよ。」
「・・・・・・・」
「判ってるわよ。上を向いて寝なさいよ。舐めてあげるから。」
男は、うすべりに寝そべって、そんな隣のやり取りを楽しんでいる。女が、こんなやり取りをしながら体を売った金は、回り回って組の資金となる。或いは賭博場にいる女もそうである。飲み屋にいる女も。あちらこちら、いたる所に肉体を売る女はいる。
そしてそうした金は、あの溝鼠や、組の下っ端の奴らによって集められるのだ。組の資金はそれだけではないだろうが、大きな資金源になっている事は確かである。
”そして俺たちは、女が肉体を売って稼いだ金で、贅沢に遊び暮らしている。”
男は、虚しいような滑稽な様な、不思議な思いに包まれながら、隣の声を聞きながら夜を過
ごすのである。
「あぁっ・・・あぁっ・・・・」
客はいよいよ、女の中に侵入したらしい。ベッドが揺らいでいる。女の喘ぎ声が、あからさまに聞こえてくる。
男は、煙草に火を付けた。いろんな女を抱いてきた。過去の思い出が溢れるように脳裏に湧
いてきた。当然娼婦も抱いた。あちらこちらで。恋に溺れて追いかけて来た素人女も抱いた。
抱いて楽しんで、後は捨てた。行きずりに人の妻も抱いた。夫は、関東軍の少佐だった。或い
は、反日運動の混乱の中、現地人の暴徒に輪姦される日本人婦人を見ていたこともある。借
金の方に売られてきた女を、商売女にするために組の若い者が輪姦している現場に立ち会っ
たこともある。日本軍か国民党軍か共産党軍か、正体は判らないが、兵隊の慰みものになる
ための女を軍に売り渡したこともある。彼女らはどうなったのであろう。何百人もの飢えた兵隊たちの餌食となって、犯し続けられたのだろうな。大半は商売女で金欲しさだったが、中には間違って、普通の婦人もいたように思う。暴動の混乱の中で、知らないで身を売ってしまった、良家の令嬢か若妻か。そんな中に、ひどく目につく美人がいて、手を出したこともある。”助けてください。私は騙されたのです。”娼婦なんて言う穢らわしい女には身を落とせないと、必死になって訴えていた。女なんて皆、男の味を知れば娼婦になるんだよと、純情ぶった女に腹が立って、個室に連れ込んで、散々恥辱を与えて嬲った。そんな日々に、何も感じたことが無かった。
思いのままに好き勝手にやってきた。
客は満足してことを終えたらしい。暫くの静寂の後、ガサガサと言う音がして、
「いやぁ・・・・良い女だな。じゃな。」
と言う男の声がした。
「また、遊んでね」
と、女はご機嫌に送り出す。
客が帰ってからしばらくは、身を整える音がしていた。一晩一人で事足りる商売ではない。
静かになったと思ったら、そっと納戸の扉が開いた。
「何だ。起きていたの」
「あぁ・・・・」
「うるさかったかしら。それとも盗み聞きが趣味。」
と言って、女は意地悪そうに笑った。
「この部屋は、ちょっと埃っぽいが、良い部屋だ。気楽で休まる。それで十分だ。」
「あら、そう。刺激されたのなら、私・・・・抱かれても良いわよ。」
「天使には悪いが、金も無いし・・・・・」>
「特別でも良いわよ。」
「恩義は、命の繋ぎだけで十分だよ。」
「あら、慾が無いのね。もっと危ない人かと思っていた。」
そう言って、にっこり笑うと戸を閉めて、再び街頭に立ちに行った。
暫くして女は次の客を連れて帰って来た。そして前の時と同じことが繰り返されて、客は嬉しそうな言葉を残して帰って行った。
女は再び身支度をすると、今度は納戸に顔を出さずに、忍び足で部屋を出て行った。今度
は、直ぐに客を連れて帰って来た。今度の客はのんびりしていた。どうも泊りの客らしい。夜半過ぎまでしゃべっていて、それからよろしく女を抱いた。客は体力が自慢らしい、長々と絡んでいた。
納戸で男は、飽き飽きして、眠りについてしまった。