秘密の花言葉
「ねぇ、みーちゃん?」
放課後だった。
皆がまばらに帰って行く中、綾乃ちゃんが話しかけてきた。
私はあれから、『旧校舎でのこと』を聞けずにいる。
ストラップだけ手渡して、あとは、いつも通り。
素知らぬふりを続けているけれど……でも私は、先生と綾乃ちゃんをまともに直視できなくなっていた。
そんな私の様子を綾乃ちゃんがどう思ってるかは、わからない。
何事もなかったかのように、私と綾乃ちゃんは一緒にいた。
「旧校舎って入ったことある?」
「!」
だからそれを聞かれて、一瞬、思考が停止した。
何で、そんなことを聞くのだろう。
どう返せばいいかわからない。
綾乃ちゃんと先生が会っていたのが、ぱっと思い浮かんだ。
ちゃんと言うべき? 知ってて聞いてる?
それとも……。
「前にね、優様が旧校舎から出てくるの見たから、みーちゃんなら、何か知ってるのかなって」
「し、し、知りません」
気持ちが乱れて、おまけに言葉も乱れる。
何で敬語になったの、私。
この反応じゃまるで『知ってる』みたいだ。
そう思うのに、私はうまくポーカーフェイスができない。
でも、綾乃ちゃんは気にした様子もなく、ふふと笑みを零した。
「それは優様との秘密? じゃあ無理強いはしないけど。でも……」
綾乃ちゃんが声を落として、自分の唇に人差し指をあてた。
「『秘密』ね?」
内緒話でもするように、こっそり目配せされる。
それは、一瞬で。
それから、綾乃ちゃんは花のように笑って、じゃあまた明日と手を振ってきた。
何が『秘密』なのか。
どれが『秘密』なのか。
私には、わからない。
私は呆けたように、手を振り替えして、その場に立ち尽くしていた。
そして、優ちゃんと私は、相変わらず温室のバラ園にいる。
結局、お昼を別々にするのは、【あの日】以来なくなった。今日はいつものガーデンテーブルじゃなくて、温室の入り口にあるベンチに二人で腰掛けていた。
「深月、痛い?」
「ん……。ちょっと、じんじんする」
「……だよね」
赤くなった耳元を、冷えた指がつぅっとなぞっていく。それが心地良いように思えるのは、感覚が麻痺しているから?
今日、私はピアスホールを開けてもらった。
「ファーストピアスは、しばらく外さないほうがいいよ。あまり早く外すと血がでるから。」
「はぁい」
耳が、やっぱりじんじんと痛む気がする。私は、痛みをちょっとでも紛らわそうと、結んでいたゴムに手をやった。
ピアスホールを開けるために結んだ髪を、はらりと解く。
今日はめずらしく、カチューシャをしていない。セピア色のカチューシャは、形見代わりだとずっと付けていたけれど、今は耳にあたりそうだから、していなかった。
……していないのは、ママがいなくなってから初めてかも、しれない。
ピアスをするきっかけは、何気ない一言からだった。
『何を呆けて見てる訳?』
あと少しで消灯時間になる頃、部屋で私はぼんやりと優ちゃんを見ていた。その仕草に見とれていたのかもしれない。
ついさっきまで、馴れた手つきでピアスを外していた優ちゃんに問われて、ドキリとする。
『え? あ、ううん。優ちゃんピアス似合うなって』
揺れる長めの、左右でデザインの違うピアスが、よく似合ってる。
優ちゃんは、ピアスをケースにしまうと、隣の席の私に問いかけてきた。
いつもはきっちり結い上げている髪が、今は、ふわふわと肩先まで揺れている。
そうすると、余計に色気が滲んでいる気がする。……と本人の前では言わないけど。
『ふぅん。ピアス、したいの?』
『ううん、まさか! かわいいとは思うけど、……開けるの怖いし』
『怖いねぇ。…………優がしてあげようか?』
『え?』
『深月に消えない傷、つけてあげる』
鮮やかな、綺麗な笑みを浮かべて、優ちゃんはそう言った。
『駄目?』
優ちゃんのお願いは、いつも私を惑わして感覚を麻痺させている。
「食欲はある? テーブルへ行けそうなら、行く?」
誘いかけるように、優ちゃんが手を出してきた。少し迷って、けれど、私は首を横に振った。
耳の痛みが気になって、今はあまり食べたくない。
「そう。じゃあ、お茶くらい持ってきてあげる」
優ちゃんが席を立って、私に背を向ける。反射的に、ベンチの脇に置きっぱなしの腕時計に目がいった。
「優ちゃん、時計」
ピアスを開けるのに邪魔だからと、置かれっぱなしのピンクゴールドの腕時計。
私は、手渡そうと立ち上がった。同時に、いつもは気にとめてなかった腕時計に刻まれた文字に気づく。
『TSUYURI YUMA』
アルファベットで書かれたソレに違和感を感じる。
……つゆり?
「……優ちゃん。優ちゃんて……『月城優摩』、だよね?」
そう、優ちゃんで呼び慣れているけれど、本名は『月城優摩』だ。
「あぁ、それね。そう、それは優の旧姓。…………聞いたことある?」
「……ううん。どこかで聞いたことある気がするんだけど……」
そう、聞いたことがある気がする。でも、思い出せない。
何でだろう。濃いバラの匂いばかり鼻につく。
「そう。……思い出せないなら、たいしたことじゃないんだよ」
お茶を用意するんじゃなかったんだろうか。
ふいに、優ちゃんが私を強く抱きしめてきた。
視界が奪われる。反動で手にしていた腕時計をスルリと落としてしまう。
「あ、時計……」
手を伸ばした。なのに、優ちゃんは抱きしめる力を少しも弱めてくれない。
「優ちゃ……」
離してほしい。
そう言おうとして、口づけられる。
密なバラの匂いが、私の記憶をより、曖昧にさせる。
耳元で、優ちゃんの艶めいた声が響く。
「ねぇ、深月。優がもし、オマエにバラをあげるとしたら、黄色いバラも、紅バラも渡さない。…………黒バラをあげる」
何で今、このタイミングでそんなことを言うのだろう。
わからない。
でも、バラは色によって意味が違うと聞いたのを、覚えてる。
黄色いバラは『愛情の薄らぎ』
赤いバラは『熱烈な愛』
黒バラは……
「深月」
甘い声。甘い香り。甘い口づけ。思考が乱される。啄むように唇を重ねられて、何も考えられなくなる。
「幾度でもずっと、深月だけ、愛してあげる」
囁く言葉に、くらりとする。
遠くで学園のチャイムの音がした。
いつも私を現実に引き戻してくれる音が、遠くに聞こえる。
バラの香りが、私を深く深く誘いこんだ。
深い香りに身を委ねて、私はチャイムを聞き流す。
今の私には――優ちゃんしか見えない。
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このお話は、まだ続く予定です。詳しくはまた明日、『活動報告』に書きます。
(知っている方は知っていると思いますが、ページ一番下の『作者マイページ』から『活動報告』が見られます)
もしお暇ありましたら、覗いて下さい。幸いに思います。
ありがとうございました。