蜂蜜づけの眼差し
お昼のチャイムが鳴った。
いつものように、温室のバラ園へ向かう。
私は、だいたいお昼を優ちゃんと一緒にとっていて、バラ園に行くことが多い。
いつでもバラがきれいなこの場所は、優ちゃんのお気に入り、というか優ちゃん専用のものだ。
学園長が優ちゃんのために作ったとか、何とか。
いつも、黒いツタ模様のテーブルにはお昼の用意がされている。
普通、お昼はカフェテリアやガーデンで食べるんだけれど、優ちゃんだけこの仕様だ。
学園長の孫の特権ってコトなのかな。
優ちゃんといると、何かこう、普通の感覚からずれそうで怖くなる。
小学生の頃、『プール一緒に行こう』と誘ったら『家のプールならいい』と答えられたことがあった。
……普通、家にプールはないよね……。
私は、温室のバラ園に入ると、辺りを見回した。
まだ優ちゃんは来てないらしい。
テーブルの上には、サーモンときゅうりのサンドイッチ、それと紅茶とスコーンの用意がされている。
今日は、サンドイッチと優ちゃんお気に入りの『クリームティー』らしい。
スコーンと、なんとかジャムやなんとかクリームの紅茶のセットのことを言う、らしい。優ちゃんが、そう言っていた気がする。
優ちゃんとのお昼は、こういうものが多い。なんというか、やっぱり外国っぽいというか。
出てくる物が、例えばビーフシチューとか、ホットパイとか、プティングとか。
おいしいんだけどね。でも、ここは日本なんだし……みたらし団子とかみたらし団子とかみたらし団子とか、あっても良いと思う。
まぁ、それはお昼のメニューとしてはおかしいんだけど。
と、考えていたところで、どこからかくぐもった声がした。
……温室の外から、かな……?
続くノイズに、私は席を立って、声のする方へ歩いて行く。
この温室は学園の端にあるし、ほぼ優ちゃんのプライベートルームなので、あまり人は来ないはずなんだけど……。
……?
さっきから耳を澄ませているけど、やっぱりよく聞こえない。必死に叫んでいるような気がする。
思い切って温室の外に出てみると、声が飛び込んできた。
「だから、やめろって言ってるのわかってる!?」
慌てて、声のしたほうに駆けよれば――
押し倒されてる優ちゃんと、そこにのし掛かっている男子生徒の姿があった。
「優ちゃん!?」
反射的に叫べば、男子生徒が一瞬こっちを見た。
その一瞬で優ちゃんが…………えーと、その男子生徒の急所を思いきり蹴り上げた。
「ぐあ~~~~~~~~~~~~っっ!!」
男子生徒が悶絶してる間に、何事もなかったかのようにこちらへ優ちゃんが歩いてくる。
まっっったく気持ち悪い。カス以下、ゴミ以下。
とか、なんとか呟きながら。
「金輪際、優の視界に入るな。消えろ」
絶対零度の視線を男子生徒に浴びせると、私の腕に自分の腕を絡ませ、行くよ、と歩き出す。
「え、あ、う、うん」
男子生徒はまだ呻いていたけど、優ちゃんが振り返る気配はない。
私は、優ちゃんの腕に連れられるまま、温室の中へ入った。
「はぁ、ゲスなことに巻き込んで悪かったね」
ガーデンテーブルにつくと、優ちゃんがすらりとした足を組んで、椅子に座った。
私も、おずおずと隣の席に座る。
どうやら、バラ園に着いたら、突然不意をついて襲われたらしい。
うん、言葉そのまま【襲われた】らしい。
……実は、今までにも何回か見たことがある。告白されてるところとか、抱きついてこようとしてる男子、押し倒そうとする男子…………。
モテるを通り越して、色々大変な人なのかな、と思ったりする。
だから、優ちゃん自身、鍛えたりしている……らしい。
その割には、優雅だよね。
テーブルマナーまでどこかできっちり習ったのかも、と思うほど。
優ちゃんなめらかな動作でカップにミルクを注ぎ、ティーポットから紅茶を注ぐ。
湯気がふわりと立った。
王女様というか、女王様というか。
背後のバラも、手にした縁が金のティーカップすら、優ちゃんのためにあるような雰囲気だった。
さすがモデル。……違うか。
「さすが歩くフェロモン……」
「なぁに?」
冷たい視線が飛んできて、つい、曖昧な笑みを返す。
「あ、いや、何でもないデス」
「ふぅん? とりあえず、さっさと食べた方がいいよ。ほんっとに無駄な時間過ごしたから」
スコーンを口にする優ちゃんにならって、私も昼食をとり始める。
サンドイッチを食べて、それからスコーンを手にとって、白い生クリームのようなクリームと何とかジャムもつける。……やっぱり名前が、思い出せない。クリームは、生クリームじゃない。ジャムはクランベリーでも苺でもない。
でも、甘酸っぱい鮮やかな赤いジャム。
いっつも忘れる。
「クロテッドクリームと、ルバーブのジャム」
優ちゃんにさらっと言われて、顔をあげる。
「忘れた、て顔してたけど? 深月はすぐ顔にでる」
優雅に微笑む優ちゃんがいる。
何をやっても何をしても、敵う気がしない。いつも先読みされる。
「うぅ」
寮での自習時間でも、そう。
私が勉強で行き詰まってると、優ちゃんに声をかけられる。今ほどほどに成績が落ち着いているのは、優ちゃんのおかげなような気がする。
とりあえず、誤魔化すようにスコーンをもぐもぐ味わう。
いつもしっとりした生地で、この酸味の強いジャムとこっくりしたクリームがよく合う。
個人的一番は、やっぱり【みたらし団子】なんだけどね。
「深月、ついてる」
ふいに、優ちゃんの指先が顔周りの毛先をすぅっとなでていく。
「え、あ、ごめん」
優ちゃんの白い人差し指に、真っ赤なジャムがほんの少し付いてしまう。
「あ、ティッシュ持ってるから、待って」
ティッシュで拭き取ろうと、 慌ててポケットを探ろうとして「別に問題ないけど?」と遮られる。
何で、と顔を上げると、優ちゃんは自分の指先のジャムを嘗めとってしまう。
濡れた舌がチロリと一瞬だけ、覗く。
その仕草が、あまりに意味ありげに、というか色っぽく思えて、目線をずらす。
何で優ちゃんは、やることなすこと色気があるんだろう。
まともに見てられない。
とりあえず、またスコーンを口に詰め込んで、紅茶を飲む。
……うー、どうしよう。味がしない。
「何でこっち見ないの?」
本当に疑問に思っている、というより笑いを含んだ言い方だ。余裕たっぷりな女王様がガチガチに緊張した臣下を目にして、ほくそ笑むような、そんな感じ。
「す、スコーンを食べたいから」
どう答えればいいかわからなくて、目の前のスコーンのせいにする。スコーンに責任を押しつけた以上、もう一つ食べようとスコーンを手にしようとして、止める。
正確には、頬に優ちゃんの手が添えられて動きを止めるしかなかった。
「ねぇ、深月」
動けなくなる。優ちゃんのこの声は、苦手だ。
花の蜜に誘い込まれているような、身体の奥の何かが沸き立つような、甘いくらりとする声。
「ちゃんと優を見なきゃ、駄目だよ?」
瞳を見たら、きっと囚われる。そんな気がするから逆らいたいのに、そこに磁力があるように引き寄せられる。
じっと向けられる、熱い視線と混じり合いそうになって――
私を現実に引き戻す音が、聞こえた。
予鈴だ。
ハッとして、席をたつ。
ガタンと椅子が後ろに倒れた気がしたけど、それどこじゃない。
「かかかかか帰るね!!!!」
投げ捨てるように言って、飛び出す。
きっと、顔は赤い。
まだチャイムが響く中、走り抜ける。
心音だけ大きくなったように、響き続ける。
こんなんじゃ、駄目だ。
こんな風になりたいんじゃない。だって、私は……
大きな木の前で立ち止まる。荒い呼吸。乱れたまま、ずるずると座り込む。
『普通』でいたい。何かに乱されないで、囚われないで生きていきたい。
だってママは……。
ママはずっと何かに乱されて、誰かに囚われて生きていた。それこそが幸せだと、それしか見えてなかった。
だから……
脳裏に燃えさかる炎が思い浮かんで、振り切るように首を振る。
私は、違う。ママじゃない。私は、あんな風にはならない。
きつくきつく手を握りしめる。
握りしめて、赤くなるほど爪痕がついても、それで手のひらが痛んだとしても、それでもいいんだ。
そんなこと、どうでもいい。