消し炭色の夕焼け ~綾乃Ver~
「あのさぁ」
さっきまでは、私を目に留めても一言だって口を開けなかったのに、ここぞとばかりに彼は言い放った。
「何でオマエの文句を優が聞かなきゃいけないの? 聞く必要がある訳? 聞く価値がどこにあるの? それだけご立派な理論を持っているとでも? 持っているわけないよね。所詮、蚊帳の外の人間なんだから。それで、何癖つけるのやめてくれない? 不愉快極まりないんだけど」
「…………」
雨上がりの夕日が照らす放課後、たまたま会った優摩に一声かければ、文句の羅列が返ってきた。
不愉快極まりないのはこちらの方だ。
『みーちゃんを大事にしなさいよ』
たまたま校舎内で居合わせたから、一声かけた。
そしたらこれ。
しかも、私は善意で言ってるつもりなんだけど……どういう神経してんのよ。
私は、今旧校舎に向かおうとしていた――つまり、先生と会うために向かっている途中で出会った。優摩はたぶん、バラ園へ行くのだろう。彼はみーちゃんとのお昼以外にも、案外バラ園に篭もっていたりする。
というか、イライラするのは勝手だけどそれを私に向けないで欲しい。
真正面から睨みつけられ、私も同じように睨み返した。
「じゃあ、ずっと気になってたこと言わせて貰いますけど……みーちゃんは、あなたが【栗花落優摩】だと知ってるの?」
そこがずっと気がかりだった。
みーちゃんは何も気にしてないように見える。
何も知らないように思える。
みーちゃんの母親と一緒に亡くなった相手は、優摩の父親だ。母親が不倫していた相手の息子が……優摩だ。それを、みーちゃんはどう感じるのだろう。どう思うのだろう。
私には、想像がつかない。
「何それ。……何でそんなこと聞く訳?」
そう言った時の、優摩の冷めた視線といったら、ない。
突然雨が降り出すときの、すっと冷えた風が首筋や指先に吹き付ける、あの感じに酷く似てる。
「あの子は何も知らないでしょう? 何故言わないの? 事実はどうやったって変わらないんだから、隠し通すより、打ち明けるほうが【誠実】でしょう? 違う?」
「誠実?」
じっと睨みつけていた表情が、歪む。痛みを全て吐き出すかのように、表情がいびつに崩れる。
「……誠実、せいじつ、セイジツ、ねぇ」
繰り返すその言葉は、心底馬鹿にしたような言い方だ。嘲笑うような、鼻の先で笑うような、不快な笑みだ。
「何が誠実なの? というか、誠実が何なの? 馬鹿馬鹿しい。誠実さなんて何の役にも立たない。何の意味も無い」
まっすぐピンと張り詰めた糸のように、こちらを見据える。
本当に……優摩のそういうところが心底嫌いだ。
自分の感情のまま生きてるくせに、何一つ信じようとしない。そういうところが。
「…………優はただ、誰かに、何かに奪われるのが許せないだけ。例えそれが真実であっても、それで優のものが奪われるのなら口にしない。口にするのが誠実だなんて言われたくない」
……いっそ、怖いくらいにはっきり言い切る。
私の言葉じゃ何も意味が無い。いくら、言葉を尽くしても届かない。
優摩の薄い金に似た髪が、夕日に染まって赤く見える。
影を落とした瞳はどこか暗い色をしている。
それ以上何かを言うのは許さない。そういう拒絶を感じる。
……私は、みーちゃんがなるべく幸せであったらいいと思う。優摩もみーちゃんの不幸せなんて望んでないはずだ。
なのに、何でこうもかみ合わないのだろう。
私が思っていることが、言っていることが、余計なことなの?
……わからない。
私は結局深くため息をついて『そこまで言うなら、何もいわないわ』そう言った。
そう言うしか、できなかった。
それから無言で優摩と別れた私は、旧校舎の屋上に出る。空は、雨上がりのせいか、真っ赤なのに、空に薄くかかった雲がどす黒い。
そして、目にする。
屋上から見える景色を。バラ園の前に、みーちゃんと空先輩の姿を。一体何故、先輩がそこにいるのかはわからない。
でも、そんなことはどうでもいい。問題なのは、その二人を恐らく目にしてる位置にいる優摩だ。
何を思って、そこに立ち尽くして二人を見ているのか――。
ざわりと鳥肌がたつ。
「あ、来てたんですね」
その最中、屋上で待ち合わせていた相手が振り返った。私の心境はお構いなしの、のんびりとした声だ。
この人は――馬修先生は、相変わらずネクタイだけやけに明るい。
今日は、ミントブルーのような蛍光色にもパステルカラーにも似た色のネクタイだ。
彼がいうには『最近うちに仲間入りしたセキインコの色そっくりなんですよ』だそうだ。
彼のセンスのなさは、家で飼っているインコから来ている。はっきり言うと、この人は正真正銘【インコバカ】だ。
休日に外で会った時、服が全身蛍光イエローだった時は、180度回転して寮へ帰ろうと本気で思った。
「下の二人……三人が気になるんですか?」
私の視線の先を察知してか、先生がふっと笑う。
この人は、見た目はとても脳天気そうというか害意がなさそうだけど、案外、人の細かい所をよく見ている。職業柄なのだろうか。
「珍しい組み合わせですよね。高梨くんと高梨さんと、月城さんと」
「まぁ、そうね」
曖昧に頷く。
曖昧にしか頷けない。
優摩とみーちゃんがルームメイトであることは先生も知っている。みーちゃんと空先輩が兄弟だと知っている。でも、それ以上のことは話せない。優摩自身のこと。優摩とみーちゃんのこと。
……どんなに側にいたとしても、全部を話せる訳じゃないと知っている。それでも……。
「で、そろそろよそ見ばかりじゃなくて、先生を見てくれませんかね?」
視界に入り込むように、馬修先生が顔を覗かせてきた。
「……別に視界には入ってるわ」
近くなった距離に、思わず違うところを見やる。これだけほわほわした雰囲気を持つのに、この人は本当に不意打ちが得意だ。
「まぁ、確かに、視界には入ってますけど、さっきから目線は合いませんよ」
「……」
そんなことを言われて、素直に視線を合わせる人がどれだけいるのだろう。
「あなたのネクタイが眩しすぎるのよ」
じっと見てくる気配を感じて、適当なことを言う。
別にネクタイの眩しい色なんて今更で、本当は別に気にしていない。ただの当てつけだ。なのに、
「そうですか? じゃあ」
と言って、この人はネクタイをゆるめる。『え……!?』と、こちらが驚いてる間にするりと取ってしまう。
「何で外すのよ……」
「あなたが俺をみてくれるために、ですかね」
「……!」
その瞬間、真正面からぎゅっと抱きしめられた。気づけば先生の腕の中にいて、身動きがとれない。
「本当にあなたは、意地っ張りですよね。こうしている時の方がよっぽど素直だ」
「……いちいち抱きつく必要はないと思うわ」
「ちょっと寒いんですよ」
「……あのね、今日は寒いっていうほどの気温じゃないでしょう」
「そう、あなたのおかげで寒くないですね」
「…………」
ああいえばこう言う。この人のこういう所が苦手で、こういう所に――惹かれているような気がする。
間近で目が合えば、そっと口づけられた。
吹き抜ける風。沈んでいく夕日。広がっていく夜の気配。
今の位置からは見えない、バラ園の方を目にして思う。
――もし願いがきちんと届くというのなら、みーちゃんの気持ちが何かに踏みにじられませんように。優摩の持つ熱に焼かれてしまいませんように。
いつだって願いなど、此処から月を掴もうとするように無意味だと知っている。
けれどそれでも、赤黒い太陽を見つめながら――願った。
行く先に、彼女の願う幸せがありますように。