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真っ黒な毒をオマエにだけ、あげる  作者: 大高知ピエロ
May
15/23

ひび割れたアクアリウム ~優摩ver~






「水族館に行きましょう?」

 曇りのない微笑みで、母さんはそう言った。

          





「えっ……ちょっと待って。今日はCMのオーディションの日だよ!? しかも最終審査の! わかってる!? これを止めるなんて事務所になんて言われるか! 急な予定が入ったなんて言い訳聞くわけな……!」


 電話を切る。


 ついでにスマホの電源も切った。マネージャーの小言は、始まるといつも長い。

 普段、学園でスマホは禁止されてるから使わないけれど、休日外に出る場合は使う。仕事用に一つ。でも、別に今は必要ない。

「言われなくたって理解してるし」

 無意味にスマホに悪態をついて、ワンピースのポケットに投げ込む。私服の中でも着慣れた黒いシャツのワンピース。

 これを着て、オーディションに行く予定だった。

 ――でも。

 くるりと(きびす)を返して、実家の廊下を歩き出す。

 向かう先は、突然『水族館へ行きましょう』と言い出した人間の所。ソレがいる部屋の前にたどり着くと、無遠慮にその扉を開ける。

 その先には普段と変わらぬ、儚げで簡単に折れそうな笑みを浮かべた母さんの姿。


 知ってる。一番馬鹿なのは、優だ。


 気まぐれな母さんの誘いを優先するなんて、意味が無い。価値がない。馬鹿げている。馬鹿げているのに、迷うことなく選んだのは――――

 

 優を『りん』と呼ぶこの人だ。






「で、この服は何なの?」

 大きな紙袋から取り出したのは、ふわふわしたフリルがついたワンピースだ。今着てる服とは対照的な、白くて若干ロリータな服。しかも一着じゃなくて、他にも数着出される。

 撮影で着ることはあっても、私服ではまず着ない。装飾の多いものより、シンプルで肌触りが良いもののが肌になじむ。

 母さんは今にも歌い出しそうな様子で、『どっちがいい?』と聞いてくる。

 自分だってストレートラインのシンプルなワンピースを着ているくせに、何故、異様に装飾した服を着せたがるのだろう。

 正直、どちらでも構わない。

 どれも好みじゃないからだ。

「りんとのお出かけ用に買ったのよ。かわいいでしょう? りんは、こういう女の子らしい服が本当に似合うわよね」

「……そう?」

「ええ、りんは本当に可愛い女の子ね」

 手のひらを合わせて笑みを零す母さんは………歪んでいる。


 一見、普通そうにも見える母さんは、記憶が【混濁】している。母さんにとっては旦那、優からすると――吐き気がするけれど――父親にあたる、あの男がまだ生きていると思っている。


 そして優を……女だと思いこんでいる。

 

 それが、心の問題なのか、事故で頭を損傷したせいなのかわからない。事故後にこうなったことを思えば、損傷のせいかもしれない。でも、その直接的原因はわからず、今も尚、母さんは歪んだ思い込みを続けている。

 ……まるで壊れた時計だ。

 針は進もうとしているはずなのに、一向に進まない。カチ、カチ、カチ、と同じ場所を同じ時間を延々と繰り返す。


 延々と……優を、『りん』と呼び続ける。


 女の子が産まれる際につけるはずだった名前を、呼び続ける。

「……わかったよ。着ればいいんでしょう」

「ええ。こっちは可愛らしいけど、こっちのが少し大人っぽくて似合うかしら? どれが、りんの好み?」

 りんの好みなんて一つも無い。

 思いながら、手前の服を手にとる。制服のリボンに似た色のくすんだ赤のワンピース。ウエストが細くなってふわりとスカートが広がる型のものだ。やっぱりフリルやリボンがしっかりついている。

 ……でも、別にどうでもいい。

 どれをとったとしても、何を選んだとしても、どうせ何も変わらないから。


 一つだって、変わらない。

           





 そして、優は母さんと二人で水族館に来た。

 水族館の良いところは、声をかけられることがほぼない所だ。皆、魚に注目してるし、基本薄暗い。だからこの場所自体は……嫌いじゃない。

 ……けど……

 今日はやたら、人が多い。休日だから仕方ないけど。正直、ごみごみしていて鬱陶うっとうしい。けれど、母さんは特に気にした風でもなく、水族館に来るといつも向かう【あの場所】へと足を進めていく。


「うわぁっ!?」

 その背についていこうとして、突然、背後の足下で声が上がった。

 痛くはない。ただ、ぶつかられたような衝撃があった。

 振り返れば、幼児が床に倒れ込んでいた。

 見かけた以上、無視もできずしゃがみ込んで、床に顔をくっつけている子どもの、恐らく男子であろうその子の様子をうかがう。

「う……うわぁぁぁぁぁん!!」

 …………盛大に泣き出した。

 見たところ、傷口はない。けれど、泣き止まない……どころかもっと激しく泣く。ぶっさいくな顔をして、涙と鼻水を流している。

 泣いたってどうにもならないから。

 とは思うけど、目の前で大泣きされて放っておく訳にもいかない。どうしようかと辺りを見回して

「ママー!」

 母親が目についたらしい。子どもは情けない声をあげて、その母親の元へ駆けていく。

 女性は子どもを抱き留めると、『だから、勝手に行かないって言ったでしょう!?』と叱りつけながら、今度は子どもの手をとった。

「ほら、今度は手を繋ぎましょう」

「ヤだー! 僕、走りたい!」

「水族館は走る場所じゃないでしょう!?」

 そんなことを言い合いながら、二人はそこから去って行く。

 繋がれた手。

 あの母親はあの子を見ていて、あの子も母親を見ている。

 あれを、【親子の愛】とでも言うんだろうか。

「……」

 一度目を閉じて、青くて薄暗い館内を見渡す。

 死ぬほど人の数はあるのに、やっぱりというべきか、母さんの姿はない。

 いつもこうだ。いつも……こうだ、

 決まって水族館しか行きたがらない。決まって、ある一個所しか見たがらない。探しに行くのはいつも優だ。

 探して貰ったことなんてあったのだろうか。

 遠い昔、もしかしたらあったのかもしれないでも、今はもう……わからない。

 








「やっぱりここな訳」

 たどり着いた先に、やはり母さんはいた。

 薄暗い館内の中でも一際暗い部屋。水槽の中の生き物は、水槽下からのライトに照らされ、仄かに光りながらふわりと浮かび上がる。

 水母(くらげ)だ。

 この人は、いつもこれを楽しそうに見ている。

「あら、りん。どこへ行っていたの? 私、探したのよ」

 母さんはふふ、と笑みを零す。

 簡単に、嘘をつく。 

 母さんが優を探した事なんて無い。そしてこの人は、嘘をついたという感覚すら無い。

「ねぇ、りん。この水母、りんみたいでしょう? ふわふわで可愛らしくて、綺麗で」

 見入るように見つめる母さんの横顔は、純粋そのものだ。

「……母さんは、汚い物を見ようとしないよね」

「え?」

「……母さん」

「なぁに? りん」

「……」

 呼びかけても、この人が呼ぶのは【優】じゃない。

 いつだってこの人は、【優】を目に映していないのだから。

 そんなことは知っている。ずっとずっと判っている。そんなの、今更だ。なのに、何で……。

「どうかしたの、りん?」

 いかにも心配といった表情で、母さんが覗きこんでくる。

「別に、何でも無い」

 一方通行だ。決して交わることの無い一方通行。馬鹿げている。あまりに馬鹿げていて、いっそ笑いたくなる。それでも……。

「っくしゅっ」

 母さんが細い肩を震わせてくしゃみをする。……確かに、ここは少し空調の風がよく当たるかも知れない。

「……寒いならこれ、貸してあげてもいいけど?」

 羽織っていた長袖のカーディガンを脱いで、手渡す。

「あらあら、やっぱり【女の子】は優しいわね」

 優のカーディガンを手にとって、母さんは優しく微笑んだ。

 優は…………


 その柔らかな笑顔を見てると、擦り潰してやりたくなる。

 優は、この人が苦手だ。死ぬほど嫌いだ。



 でも



「……りんは、母さんが好きだからね」

「ふふ、ありがとう」

 きっと、






 この人が笑うのなら手を貸しに行くのだろう。






 (こつ)(けい)だ。

 何をしても無意味だと知っているのにわかっているはずなのに、それでも――。


 目に映る水母。

 水槽を隔てて決して触れることが出来ない。それはまるで、母さんと優の関係性に似ている気がした。    





      



読んでいただき、ありがとうございます。

5月は、優ちゃんこと優摩視点「ひび割れたアクアリウム」「果実の蜜」と、

綾乃視点「白すぎる雪と青すぎる空」「消し炭色の夕焼け」を投稿します。

よろしくお願いします。


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