不可思議なお茶会
『週末、優様のご実家に行きましょうか?』
そう言った綾乃ちゃんは、
『この件はちょっとの間、優様に秘密ね』
にっこり微笑むと、それからこの件については何も話さなかった。
何で、優ちゃんの実家へ行こうなんて言ったの?
綾乃ちゃんは、優ちゃんの実家を知ってるの?
何で、優ちゃんが週末実家に帰るとわかったの?
そもそも優ちゃんと綾乃ちゃんはどういう関係にあたるんだろう?
今まで一度だって、綾乃ちゃんからも優ちゃんからも、お互いの話を聞いたことがない。
……なのに、何で?
わからない事だらけのまま、週末の土曜日を迎えた。
その日の朝、制服を着た私は校門に立っていた。
『制服を着てくればいいから』と、綾乃ちゃんに言われて制服を着てきたのだ。
そして、綾乃ちゃんと一緒に……迎えの車を待っていたり、する。
何でか、学園に迎えの車がやってくるらしい。
綾乃ちゃんが呼んだらしいんだけど……あれ、車呼ぶの? 電車かバス使わないの? というか、向かってきてる車、タクシーじゃなくて自家用車? 黒塗りの車だ。というか誰の? え、綾乃ちゃんちの?
質問がありすぎて、頭がショートしそうだ……。
運転していた黒いスーツに黒いサングラスをした人は、車を止めるとわざわざ降りて、車の扉を開いてくれた。
綾乃ちゃんの鞄を当然のように受け取り、綾乃ちゃんもまた当然のように渡すと、その手を借りながら車に乗りこむ。
え、手はいらないです。私のときはなくていいです普通に乗れます。
「みーちゃん?」
声にハッとすれば、綾乃ちゃんと運転手さんの顔がこちらに向けられていた。
「わ、私は鞄持ったまま乗ります!」
一瞬、勝手にパニックを起こした私は、車の上部に頭を打ち付けてから車に乗りこんだ。
……けっこう、いい音がした。
「大丈夫?」
本気で心配そうな綾乃ちゃんの声に、余計に恥ずかしくなる。
ぶつけた所と、気持ちが痛い……。
何やってるんだろう……。
結局、優ちゃんは今朝実家へと帰っていった。
綾乃ちゃんの話は、優ちゃんにはしてない。
『イイ子で待ってるんだよ?』
そう言い残して。
「みーちゃん、ちょっといい?」
車に乗りこんで数分後、綾乃ちゃんが車窓からこちらに向き直った。
「色々黙ったままでごめんね。聞きたいことがあると思うんだけど……何から話せば良い?」
困ったように小首をかしげられて……こっちが困ってしまう。
だって、わからないことだらけだ。何から聞けば良いんだろう。色々ありすぎてよく分からない。
でも、一番最初に聞くとするなら……
「……何で優ちゃんちの実家へ行くの? 何で優ちゃんちを知ってるの? 優ちゃんと綾乃ちゃんてどういう知り合いなの? 何で優ちゃんが今日実家に帰るって知ってたの?」
一度話し出したら疑問が止まらなくて、全部言いきってしまった。
だって、どれもこれもよくわからない。
「そうね、ごめんね。優様の実家へ行くって言った時に話せれば良かったんだけど……あんまりみーちゃんに話しすぎると、顔にでちゃうからね」
最後は、独り言のように呟いた後、綾乃ちゃんがまっすぐ私を見てきた。
「じゃあまず、何で優様の家を知ってるか。私と優様の関係は何か。…………【仲の悪い従兄弟同士】よ。だから、実家に行ったこともあるし知ってるの」
……従兄弟……?
「でも、だって、綾乃ちゃんも優ちゃんも一言だって従兄弟同士なんて言ったことなかったよね?」
「だから、仲が悪いのよ。お互いに無関心てこと」
無関心……。
綾乃ちゃんに優ちゃんの話をしたこともあるし、優ちゃんに綾乃ちゃんの話をしたことがあったけど、二人とも一度だってそんなそぶりを見せたことがない。
それに正直、少しだって二人は似ていない。
従兄弟同士だから必ず似るとは限らないけれど、それにしたって……、ウエーブしたはちみつ色の髪の優ちゃんに対して、綾乃ちゃんは黒いストレートの長い髪で真っ黒な瞳だ。どちらかというと日本美人で、強気に見える優ちゃんと違って綾乃ちゃんは穏やかに見える。
「それからね、今日何で優様の実家へ行こうと言ったか。……行けばたぶん【優様の気がかりがわかる】から」
ものすごく意味深な言い方だ。わかっていて、あえて話の中心を話さないような、そんな言い方に聞こえる。
「……綾乃ちゃんは、知ってるの?」
「何となく想像はついてるわ。親戚だと余計な情報が色々入ってくるから。例えば今日は、優様のお母様が誕生日、とかね」
……お母さんの誕生日……。
優ちゃんはそんな話、一言もしていなかった。お誕生日で実家に戻る。特に不自然なことでもないのに……何で何も話さなかったのだろう。それが、優ちゃんの気がかりなのかな……。
考え込みそうになっていると、綾乃ちゃんが穏やかに微笑んだ。
「私が、優様の事情を勝手に言うべきじゃないって思ってたんだけどね……みーちゃんが不安そうなのは、放っておけないから」
「……綾乃ちゃん……」
気をつかわせてしまったことへの申し訳なさ半分、そのまっすぐなやさしさへのうれしさ半分、不思議な気持ちになる。
「それに、アレが慌てふためいたら、とてもおもしろそうだし」
…………。
あれ、今しゃべったの綾乃ちゃんだよね?
何というか、いつもの穏やかさにずいぶんと……毒が混じっていたような……。
「着きましたよ」
その不可思議さの原因を突き止める前に、車が止まって運転手さんの声がかかった。
「え? あ……」
「みーちゃん。とりあえず、行きましょう?」
…………。
今は、クラスで見るいつもの優しげで温かな笑顔の綾乃ちゃんだ。
あれ、目の錯覚? じゃなくて、耳の錯覚?
綾乃ちゃんは、「お母様への誕生日プレゼントはこっちで用意してあるから、心配しないでね」と言ってから、車を降りていく。
私もまた、後に続いて車を降りた。
車を出ると、クリーム色の洋館が目の前にあった。
おっきい。
私がママと暮らしていたアパートの何倍あるんだろう……。
しかも、前に優ちゃんちのプールに入らせてもらったことがあったけど、そことは違う場所な気がする。………………え、前行ったところは、優ちゃんちの別荘とかそういうこと?
そういえば、あのときはお母さんと顔を合わせていない。優ちゃんのおじいちゃんにあたる人に挨拶された気がする。
よく考えれば、その人が真朱学園の学園長だったんだ、と思う。……当時はよくわかってなかったけれど。
「さぁ、行きましょう」
もともと車に用意していたらしいパステルピンクの花束を胸に抱えて、綾乃ちゃんは、館のチャイムを押す。
事前に、時間や二人で行くことは伝えてあると綾乃ちゃんは言っていた。
だからなのか、すぐに扉が開く。
私と綾乃ちゃんを出迎えてくれたのは、優ちゃんのお母さん……ではなく、お手伝いらしき女性だった。白のシャツにシンプルなエプロンをしていた。
彼女は礼儀正しくお辞儀をし、綾乃ちゃんと二言三言交わすと、案内するように廊下を歩き出す。
「うわ……」
天井が高い。廊下が長い。赤い絨毯が敷かれている。
家の中って案内されるものだったけ?
いや、普通必要ない。案内できるくらい広いんだよね、ここ。
私と綾乃ちゃんは、螺旋階段をくるりと上がっていき、二階にたどり着く。まっすぐ続く廊下。
……優ちゃんは、ここにいたりするのだろうか。
『実家に帰るから週末はいないよ』
確かにそう言ってた。
私がそんなところに顔を出したら、どんな顔をするんだろう……。
想像がつかない。
『イイ子で待ってるんだよ?』
この行動はイイ子とは言えない気がする。……それでも、
「こちらです」
と、お手伝いさんの案内がストップした。一番端の部屋だ。その黒いエプロンを着た女性は扉を開いて、私たちに入るよう促す。
綾乃ちゃんが、先にその部屋に踏み込んだ。
「お久しぶりです、おばさま」
中を覗くと、駆け寄る綾乃ちゃんのその先に、お姫様のような天蓋をつけたベッドに腰掛ける女性がいた。
繊細そうな、上品なのにどこか儚げなそんな女の人。マーメイド型のワンピースを着ていて……華奢っていうのかな。折れてしまいそうに細い。
――明るい金に似たはちみつ色の髪とはちみつ色の瞳。
その色だけは、優ちゃんを思い起こさせる。
「みーちゃん、来て大丈夫よ」
部屋の扉で立ち尽くしていた私を、綾乃ちゃんが手招きする。
……今は、優ちゃんはいないらしい。
その手にならって、部屋に踏み入れる。
綾乃ちゃんが手渡した花束を抱えながら、その女性は私に視線を向けた。
同じ色をしながら、その女の人のハチミツ色はどこか弱々しく見える。
「おばさま。私のクラスメイトで親友の深月ちゃんっていうの。【りん】ともお友達なの」
「まぁ、そうなの? わざわざ足を運んでくださってありがとう」
真っ白い肌だ。微笑む女性は、しおらしくも見えるし、やっぱり儚げにも見える。
「あ、ええと……唐突にお邪魔してすいません」
なんて答えればいいかわからず、しどろもどろになってしまう。
「問題ないわ。りんと綾乃さんのお友達なら大歓迎よ。りんは、中々お友達の話をしないから、私、心配してたのよ」
「ええっと……りんって……」
「あぁ、そうそう、今りんは着替え中なのよ。私が昔着たドレスを着て貰ってるの。もう、ぴったりくらいだから一度着て貰おうと思って」
「はぁ」
話がよく見えない。
りんって誰。ドレスって何。
私は「どういうこと?」と、こっそり綾乃ちゃんにアイコンタクトを取ってみた。
返されたのは、いつもの微笑み。
…………どういうことか全然よくわからない。
私は質問する機会を逃して、綾乃ちゃんと優ちゃんのお母さんの会話に向き合う。
話がよく見えないけれど、とりあえず相づちを打っていた。
すると、入ってきたドアとは別の、部屋の奥のドアが唐突に開いた。
「ねぇ、さっきからうるさいけど一体何なわ――」
無造作にドアを開けた人物。
「優ちゃん……」
見間違えるはずもない。いつも側にいて、いつも声を聞く人物。
「は…………深月…………?」
優ちゃんは、サファイアブルーのドレスを身に纏っていた。
ノースリーブのぴたっとしたトップに、これでもかっていうくらいAラインのふわふわのドレスの裾が、つま先まで広がっている。
思わず、時が止まったように見つめる。
同じ場所に立っただけで、優ちゃんの主役感と私の脇役感満載だ。
と、私が考えているとは知らないはずの優ちゃんは、しばらく硬直した後、サッと顔色を変えて――――
バタン!
荒々しく扉を閉めた。
「あら、りんったらどうしたのかしら……。もう、照れ屋ねぇ」
シンとなった部屋で、優ちゃんのお母さんは、何だかとぼけたことを呟いている。
私は、優ちゃんがいなくなった後も尚、扉をぼんやりと見続けていた。
今の顔は、焦っていたのか怒っていたのか……。後で、ものすごく文句を言われそうだ。
そんなことを考えながら
――ん?
その傍らで、綾乃ちゃんが背を丸めて肩をふるわせているのに気づく。
「綾乃ちゃん?」
不思議に思って、彼女の肩に手を添えれば
「さっきの顔、見た?」
………………思いっきり笑いながら、振り返られる。
…………うん? 爆笑する場面あったっけ?
あれ、私にはなかったように思うんだけど……。
お腹を抱えて笑う綾乃ちゃんと、首をかしげる優ちゃんのお母さんと、呆然と立ち尽くす私と――。
不可思議な時間はまだまだ続きそうな、そんな予感がした。