池ポチャ藩士
しまった、では済まされない。やってしまった、自覚はない。さりとてこれが、我が人生。
歩き慣れた土埃舞うあぜ道が妙に懐かしい。草履で踏みしめる土はイカ墨をひっかぶったように浅黒く凹凸にまみれごつごつとしている。見渡すかぎり見受けられる大きな建造物はみな見たこともない材質と色彩を放つ。出くわす人間は皆が皆、奇怪な格好と髪型をしておる。
ああ、なんということだ。拙者は蛮国に囚われの身となってしもうたのか・・・・・・。
拙者、渡辺三郎は江戸の時代を剣に生きる武士の鑑たる藩士であったが、たまたま酒に酔いつぶれた家路への道すがら、雨上がりの大きな水たまりへとよせばよいのに飛び込んだ。残念ながらそこで拙者の記憶はぱたりと途絶え去る。
どれほど眠っていたのかわからんが、う~むと目を覚ましたところ、生まれてこの方見たこともない異国の風景に拙者は囲まれていた。
いやはやはてさて、拙者はこの至極理解に苦しむ状況からどのように脱するべきか。城壁のような立派さながら、幾分小ぶりな塀へともたれかけて一人思案を続けた。
「ねえおじさん、なんでそんなカッコしてんの?」
不意に驚き、声のほうを見る。木の幹のような髪色の蛮人と目が合う。反射的に腰へと手が伸びるが、なんという失態か。いつも携えていた刀は今この場において、完全に消え失せていた。動揺を悟られぬように、拙者は問答に応じることにした。
「そなたは何者だ? 拙者をどうするつもりだ!?」
「役に入り込んでるね、引くぐらい。でもぶっ飛んでて暇つぶしにはおもしろいかも。おじさんなんて名前?」
「拙者の名か。渡辺三郎だ。佐倉藩士、渡辺三郎。以後お見知りおきを」
「佐倉。あー、千葉の。あたし、かよ。かよちんって呼んでいいよ。いごおみしりおきを~」
「かよちん殿か。奇特な名だ。だがそれもまた趣があるというもの。そなたはどこの生まれだ」
「あたしはねー。東京生まれHIPHOP育ち」
「東京? ひっぷほっぷ? かよちん殿はやはり南蛮人であられるか。されども言葉は通じる。不思議なものだ」
「あー。外人と思ってるってことね。同じ日本人だよ当たり前だけど。で、これから何すんの?」
「拙者か? それがどうしたものか、ほとほと困り果てておる。一度骨休めできそうな茶屋でもあればよいのだが」
「お茶屋さん? カフェでいいか。だったら連れてってあげる」
「まことか! かよちん殿恩に着るぞ」
「ちょっと歩くからね」
そう言って先導するかよちん殿にそそくさと付き従った。
道中、かよちん殿について考える。声からして、かよちん殿はおなごのような気がするが、体格的には拙者と大差がない。でも、大男を度々見かけることから奴らが男なのだろう。だから、かよちん殿は女なのだ。これはおそらく相違ないはずだ。
「あ、ごめん。友達に誘われたからここで。じゃあ頑張ってね渡辺さん」
「へ?」
先導も束の間、かよちん殿は拙者を置いてあっけなく走り去っていった。
おお、なんということだ。一瞬にして道は閉ざされてしまった。くそ、一体どうすればよいというのだ。
その時、渡辺三郎の瞳の端に小さな湖が映った。それははっきり言って、ただの貯水池だった。だが、いまの渡辺三郎にとってそれは、ほとんど天命にすら思えた。
渡辺三郎は袴を引きずりながら全力疾走して池へと飛び込んだ。大きな水飛沫と音が舞う。当然ながらもがき苦しむ渡辺三郎。しかし、天は彼に味方した。
む~う。ここは?
渡辺三郎は目を覚まし辺りを見渡す。西洋風の椅子。四角く切り揃えられた木製のテーブル。落ち着いた雰囲気のBGM。挽きたての豆の香りがあたりに漂う。
すべては、渡辺三郎の知らない世界。