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いじめられる側

作者: 未成年者

誤字脱字や表現の誤りがあるかもしれないが、意見を純粋に主張したい。揚げ足は勘弁してくれ。


また、自分意見を吐き出したいがためのオナニー処女作となっているので注意が必要。


これから話すことに対して言いたいことがあるやつは誰でもかかってこい。相手してやる。




まずは単刀直入に言わせてもらう。結論ははじめに持ってきた方が完結でわかりやすいものだ。筆者の意見というものを国語の時間にも探したものだろう?




いじめはいじめられる側に100%原因がある。




異論は認める。ここで間違ってはいけないのは例外の存在をどの程度許容するかだ。言い返せない反論を全て例外などという暴挙に出たら目も当てられない。


しかし、論点とは違うただ自分の『意見』を、『価値観』を主張したいがために、僕をサンドバックにするのは勘弁してくれ。


例えばは言わないでおくが、僕に対してその反論を恥じらいもなく突きつけてきた大馬鹿者がいたら喜んで受け取ろう。『これが勘弁して欲しい意見のサンプルです』と。




さて、まずはこれを主張するに当たったきっかけを話させてもらおう。


いい加減いじめに対した表向きで同情や周りの目を気にした意見にはうんざりしたからだ。


何も知らないくせに、理解していないくせに。


『可哀想』

『いじめるなんてひどい!』

『俺がそこにいたら止めるのに!』

『どうして誰も止めないんだ!』


いじめとは止めるものではない。表現は難しいが、『克服』するに近いと思う。


誰が?




いじめの構成についておさらいしよう。

いじめを行っている『加害者』。いじめられている『被害者』。いじめに流されている『協力者』。いじめを見ている『傍観者』。


自分がいじめられたくないから見ていることしか出来ない『非協力者』。いじめを止めようとしている『反抗者』。いじめられている人と話すがなかなか止められない『被害者付き添い人』。


それっぽく言ったが、あとに挙げた3つは存在しない。あるのは上の4つのみだ。


本当ならば3つにしたかったのだが、まあいいだろう。なぜあとの3つは存在しないのか?


まず、いじめに関してその一個人の考えなど存在して存在しないようなものである。あとからならば誰でもそれっぽいことを言えるからだ。その時どう思っていたとしても行動は先の4つに分類されるのだ。何を考えていようと、だ。


この考えで行けば、『非協力者』は除外される。


では、『反抗者』は?


これも『反抗者』がいた時点でいじめは終わる可能性が高い。また、『反抗者』は流れでそのまま『被害者』、『加害者』になることも多いため、こいつが出てきたらそこで起きていたいじめは無くなるだろう。よって除外される。


最後に『被害者付き添い人』。こいつは『傍観者』に分類させてもらう。こんなやつは腐るほどいる。口も聞かないなどは極めて希なケースであり、『被害者』は少なからず誰かと話すのだから。まあいるとすれば先生ぐらいのことだろう。




さて、おさらいも終わったところで、誰?という問に応えよう。


『被害者』である。


ほとんどのケースは『被害者』がいじめを主張し、それを『加害者』以上の人数が、または権力のものが把握すれば収まる。


いかに上手く主張するかが鍵となるだろう。




しかし、これは誰でもわかることである。誰でも言っていることであり、僕はそんなことを言いたい訳では無い。


これだけでも僕の主張は成り立つものではあるが、これだけでは説得力に欠けると思う。


まず冒頭の主張に説得力を加える情報を、読者に開示ようと思う。そこまで引っ張っても読んでほしい僕と、知りたい読者の利害は一致しないからな。



1つ。僕は『加害者』であった。


2つ。僕は『被害者』であった。


3つ。僕は『傍観者』であった。


4つ。僕は『協力者』であった。


5つ。僕は『反抗者』であった。


僕は学生の頃いじめを6回目の目撃してきている。多いか少ないかなど、どうでもいい。




簡単に僕のいじめについて話させてもらう。少しの間お付き合い願いたい。


まず『反抗者』の話をさせてもらう。僕が小学生で、人気者だった時の話だ。いじめがあったから止めた。


それだけの話だ。やめろと言ったらもう誰もいじめなくなったのだ。簡単な話だった。


僕は小学生のころ引越し、引越し先の小学校で『被害者』に成り代わった。その学校の人気者は既におり、僕はいらなかった。単純な話だ。


同時に僕は『加害者』となった。兄弟へいじめのストレスをぶつけたのだ。


しばらくしていじめはなくなり、『被害者』、『加害者』でもなくなった。


次に僕がいじめていた妹が『被害者』となり、僕は『協力者』となっていた。


それも終わり、最後に見たいじめで、僕は『傍観者』になった。


この全てのいじめ。共通したものはなにか?



『被害者』に問題があった事だ。



よくアニメ、小説、漫画など、様々なところで取り上げられているいじめ。あれは幻想だ。いじめだが、いじめとは呼べないものだ。


先に釘を刺すが、ここで言いたいことは『創作物のいじめが腹立たしい』ということではない。『それをいじめだと認識している奴らが腹立たしい』のだ。


創作物なだけあって主人公が『反抗者』で…いや、脱線しすぎるからまた今度にしよう。


言いたいことは、創作物の『被害者』はいい所を妬まれいじめられているのだ。


実際の『被害者』は悪いところを馬鹿にされ、いじめられているのだ。


いい所を妬まれいじめられるケースはほとんどの場合誰かがおかしいと気づき、止めてくれる。


いじめだが、すぐ終わるいじめであるため、いじめとは呼べない。


創作物でなくてもよくあるが、割と簡単に終わる。




そうではない。悪いところが原因であるいじめが問題なのだ。




これが主張に対する1番の根拠である。僕は人気者であったがため、わがままで自己中心的であった。それが周りからみたら、目障りでウザイのは当たり前だ。


僕の最初の『被害者』は、それを治したことにより終わったのだ。周りに気を使い、譲り合うことを意識してから、いじめはさっぱりなくなったのだ。


それまで、なんども先生に、親に、友達に助けを求めたが、相手にされなかった。当たり前だ。原因は自分にあることに気づけたのは幸いであった。


これに気づけたのは当時、僕のいじめの標的であった妹の力があったからだ。妹はブラコンであり、僕のいじめに対して何一つやり返さなかった。


それが問題であった。なにも悪くないのにされるがまま。妹はそれに気づいたのか気付かされたのか、僕のいつものいじめの最中に泣かずに真顔でビンタをしてきた。


鳥肌が立った。妹は自らいじめを克服したのだ。僕はそれ以降妹に逆らうことはせず、関わらないようにしている。妹はブラコンであるためしつこく付きまとうが、僕はシスコンではないし、妹に合わせる顔がなかった。


これがきっかけで、僕の『加害者』、『被害者』ともに終わりを迎えたのだ。


妹はなれているもので、妹が再び『被害者』になったあともすぐに解決した。妹が『加害者』達に公共の場で一言、『私をいじめてみろ』と言い放ったのだ。


その場にいた僕は驚いた。


今考えると、この程度ではいじめとも思わないぞ、や、宣戦布告の意味もあったのかもしれないが、その台詞よりも、驚いたのだ。


普段物静かで、ボーッとしていて、流されやすい妹だ。何を言われてもなにも言い返さない妹がいじめの標的になったら不登校になりそうなものなのに。いじめを終わらせたのだ。


ここで言いたいこと。そんな妹でも、言い返し、いじめを『克服』できるのだ。


因みに僕は妹のいじめを黙認し、自分はいじめられないように目を瞑っていた、『協力者』であった。




最後の根拠だ。非常に厄介ないじめだった。知的障害者。それがいじめの標的であった。


考えがガキであり、プリキュアを夢見る少女であった。顔も不細工であり、喋りも幼稚園児のようだった。いじめられる要素に溢れており、その子の名前の菌をみんなで擦り付けあう始末であった。


すぐ泣くため、それを面白く思ったのか、過度な暴力や、イタズラが絶えなかった。


僕はそんな中ではじめは『反抗者』として、立ち上がっていた。しかし、少女であることが災いし、好きなのだとからかわれ、挙句の果てに『被害者』にされる所までいってしまった。


『被害者』には問題がある。今回は『誰が見てもおかしい被害者』を庇うという問題だ。僕はすぐさまその問題を消した。『反抗者』をやめたのだ。


きっかけもあった。彼女が僕を後からぶん殴ってきたのだ。あとから聞いた話助けてくれる僕をネタに、僕が『加害者』の中心にいると嘘をついたらしい。彼女はそれを受けて怒り殴ったのだそうだ。


その時には僕はもう愛想をつかして『協力者』となり果てていた。助けていたのに殴られたのだ。自然な流れだ。


僕が『傍観者』になったのは僕の唯一尊敬する先生の行動であった。


先生は彼女の菌で遊ぶ生徒に割って入り、何してるの?と聞いた。皆は口を揃えて鬼ごっこと嘘をつく。

彼女が泣いているとすぐに来て抱き寄せて『大丈夫、大丈夫』と繰り返すのだ。


生徒からなんども反感を受けていたが、先生はやめることは無かった。いじめもなくなることは無かった。彼女にどんなに手を伸ばしても彼女が変わることがなかったからだ。


これで僕の自分語りと主張は終わりである。


唐突に終わらせてしまうことを申し訳なく思うが、僕はこれ以上話してこれ以上理解してもらえることはないと思う。



最後に改めて主張をさせてもらおう。



いじめはいじめられる側に100%原因がある。



しかし、いじめている側が悪くない訳では無い。いじめは悪くないと言ってる訳でもない。しかし、これを知ることによりいじめの解決になることもあるはずだ。


これぐらい保険をかけとけば誤解は招くことはないだろう。


最後まで見ていただき感謝、拙い文章ですいません、ありがとうございました。


書いたらすごくスッキリしました。止められないいじめもあるし、ニュースとかで見るいじめはそういうのでは?と思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] いじめられる側に原因がないとは思わないです。 でも100%と言われるとそれはどうかと思います。 いじめる方も行動を選択できたのだから。 その人を不快に思ったなら距離を置けばいいだけで、…
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