浮き沈み迷走
休憩時間に合わせて教室に戻るつもりだった勇一は、まだ数分残っている授業に割って入るのを躊躇い、廊下で待っていた。
隣には鈴香が並んでいる。
隣と表現するのは位置関係のことだが、それにしてもあまりに近い、腕が触れるか触れないか、ぎりっぎりの隙間だ。
ほんの数分前。
「とりあえず、ゆっくり歩いても次の授業は間に合いそうだし、一応出とこうよ」
ペア結成の驚愕から現実逃避でもするように歩き出して、さほども進まないうちに勇一は鈴香の奇行に戸惑うことになった。
腕に肩をぐいぐい押し付け、まっすぐ歩くのにも困るほどの超接触。顔を見ようにも少し俯き加減で前髪が邪魔をする。まさか押し返すわけにもいかず思い切って立ち止まってみる。まるでそうなると分かっているかのようにぴたりと足を止める鈴香。再び歩き始めれば数歩のうちにもう肩が押し付けられている。やや斜め気味に歩くことで押されるまま歩を進める勇一。
「あの、舞鶴さん?歩き辛くないですかね」
「あ、ごめんなさい」
少し離れるが、今度は半歩後ろから絶妙な距離感でついてくる。どういうテクニックなのか足が絡まないのが不思議なくらいの近接っぷりだ。
勇一は耳元がぞわぞわする。腕に服のこすれる感じがまとわりつく。
女子と触れ合えるのは悪い気はしない。むしろ大歓迎だ。お弁当なんかアレしちゃったりして舞い上がらんばかりだ。しかし、どうも妙だと、そこそこの朴念仁でも不審に思うコミュニケーションだ。
どうにか気を逸らせようと話しかけてみる。
「さっきの話だけど、ペアって?」
「あ、うん。訓練場を壊したの、やっぱりあたしらしいの。撃ったような気もするし、記憶が曖昧なんだけどね。でも他には考えられないって言われちゃった。しばらく射撃禁止ってことなんだけど、あたしシューターでしょ。他にすることないもんだから鷹城くんの指導をやれってね。言われちゃった」
えへっとか笑う。
言われちゃった、とか重ねて言われちゃってもなあ。覚えてないんじゃ仕方ないけど男子とペアって嫌じゃないのかな。指導ならいいのか?そもそも監視するのは俺の役目なんだが。監視される側にも都合のいい役どころを与えたってことなのかな?いや、観察だったか。などと鴨目司令の手際にちょっと感心する。
それにしてもこのゼロ距離だ。いくら別のことを考えようとしても半身に広がったぞわぞわが落ち着かない。
またいつの間にか肩が小突かれている。勇一にだけ廊下が狭い。
授業中のため無人の廊下だが、誰かに見られたらきっと付き合ってるとか思うんだろうなあ、などと寝言まがいの妄想にふけりながら、もっとゆっくり歩くはずだった距離を、あっという間に教室へ着いてしまった。
壁にもたれかかって扉が開くのを待つ。薄紙一枚の距離に鈴香の熱っぽさが伝わってくるようだ。
「まだ授業中だね」
「うん」
「そう言えば現国か。サボれてラッキーかな」
「そうだね」
「って言っても次の数学だって得意ってわけじゃないんだけどね~」
「あたしも~」
何だこれ。何だこれ。
手持無沙汰で時間を持たせようとしても、勇一の一語一句に全力追従の女子1名。
「舞鶴さんって、射撃うまいよね。先生も言ってたし、昨日見たのもすごい的中だったし」
「えへへっそう思う?去年の全校大会じゃ総合2位だったんだから。中学部でイチバンだったんだよ」
うわー、昨日射撃場で暗い顔をしていた同じ少女とは思えないよ。どうしたんだろう。何か悪いものでも食べたのかなあ。
ブザーのすぐ後、前側の扉が開いて、現国の教師が出てくる。ちらと二人を見るが、事情を知っているのか首を傾け、にこりと笑顔を残してそのまま去っていった。
できればこの引っ付き虫を注意してほしいとすがりたい勇一だったが、先生に頼ることじゃないと分かっていた。
目の前の扉も開いて女子がぱらぱら出てくる。あ、とばかり二人を見つけ尋問が始まる。
「昨日のあれって何だったの?」「誰がやったか分かった?」「テロかな!」「案外、鷹城くんだったり~?」
いいなあ部外者は。
「暴発って言われたよ」とは鈴香の声。
「え~~、そうなんだ。つまんない~」
勇一は聞かされてない表現だ。鈴香にはそういう誤魔化し方をしろと知恵を授けたのか、確かに「誰が」の部分はぼかしている。
困り顔とともに途方に暮れていると鈴香は女子の群れを引き連れて自分の席に向かい、勇一も無事自分の席に収まった。気付くと机の前には環が立っている。
「お疲れさま、鷹城くん」
「うん、疲れた」
「あの未知のパワーが適応力の源なのかな」
「んなあほな」
女子社会慣れしているはずの環もこの狂乱には呆れ顔だ。勇一は気になって尋ねてみる。
「射撃場がぶっ壊れた件、どういうふうに聞いたんだ?」
「掲示板の通りだよ。原因は調査中。アプリケの設定ミスか、新たな能力の顕現が疑われる、だって。それ以上は後日って言われたらねぇ」
「そうか、分からないのか」
きゃあきゃあと女子トークを繰り広げる鈴香を見やると、いつの間にか津軽が混ざっていて一生懸命話題に加わろうとしている。が、30秒ともたなかった。
弾き出されて、すごすごと環の隣に並ぶ。
「あいつら、ひでえよ」
「お前、勇気あるなあ。尊敬するよ」
「津軽くんはチャレンジャーだから。でも鷹城くんならイケるんじゃない?」
「どういう意味だよ。俺だって怖ぇよ」
「津軽くんと鷹城くんで半分ずつだったら、きっとすごくモテると思うよ」
あははー、と笑う環。人間、そんな便利にできてないし、そんなうまくも行かないぞーなどと下らない会話だ。
「わざわざこっちまで来て、津軽のクラスじゃ話題になってないのか?」
「上級生の友達だとか、噂の又聞きレベルじゃいくら聞き耳を立ててもネタになりゃしねーよ」
「聞き耳って、お前も苦労してんな」
勇一は、津軽と仲のいい女子、という想像を一応してみて全く具体化できなかったので聞いてみただけなのだが、どうやら自分のクラスでも話題に混ぜてもらえないようだ。かようにこの学校では男子の居場所がない。津軽固有のスキルばかりでもあるまい。
「それよりお前も現場にいたそうじゃねーか。なんか見たのか?」
「うん、僕も気になるかな。射撃場の近くは女子がいっぱいいて近寄れないし」
「だからぁ、誰も彼も俺に聞くなよ。大変なことだとは思うよ、だけど右も左もさっぱりの状態だ。ドーンでバーンで、大騒ぎさ」
手首をひらひらさせながら答える勇一。残念な人を見るような津軽の目が痛い。環でさえ憐みの表情だ。
「じゃしゃーねーな、帰るわ」
津軽はあっさりと引き下がり別の女子を見つけ追いかける。遠くで軽い罵倒の声が響いている。
豊かな男友達タイムを満喫して一息ついたところへ、勇一の背中を小さな指が突っついた。
「ん?」
振り向くと、半開きの扉に挟まれるように半身を出した北条桔梗がしゃがんでいる。上手にスカートを太ももに巻き付けて、あざとくも絵になる可愛らしさだ。
桔梗が鈴香と仲良しなのは勇一も知っていたが、初日以来鈴香との微妙な関係が続いていたせいもあって、桔梗と話をしたことはなかった。
廊下へ出ると桔梗は単刀直入だった。
「鈴香ちゃんに何かした?」
「めっそうもない」
慌てて首を振る勇一。
「そうだよねえ。だいたい初見から変だったもんねえ。あ、ごめんごめん。あたし北条桔梗」
「いや、今更。知ってるし。ていうか、舞鶴さんの異常っぷりに気付いてるんだ」
「そりゃ同室だしね。はじめは初恋だーって思ったんだけど、違うんでしょ?」
「初恋、遅っ!」
「そこ違うだろ。違うとこ違うだろ」
遊んでる場合じゃない。
「俺はよく知らないから失礼な言い方になるかもだけど」
「どぞかもん」
「悩みがあるとかじゃ、ないわけだろ。ストレスみたいな」
「そりゃ鈴香ちゃんにだって悩みはあるだろうけどね。いろいろ乗り越えてきたんだろうし。だからって・・・」
お弁当事件の日以来、鈴香が勇一を避けていることに桔梗は気付いていた。勇一の側からも敢えて近寄ろうとしないため二人の距離はかなりあった。それでも態度の豹変が気になる桔梗は鈴香にも遠慮しないのだ。
「鷹城くん、避けてどーする」
「え!それ言う?」
「ずっと、って訳にもいかんべ」
「だってさ。お弁当ありがとうとか言われたらどう返せばいいの?また作るねって言えないよあたし。あの日はどうかしてたんだよぅ」
「風邪か?新種のウイルスか?」
「そうだったらどれだけいいか。もうしばらくはこのままでいさせてよぅ」
「友達以上恋人未満みたいなこと言ってんじゃねーよ」
「梗ちゃんがいじめるの反則だよ?味方になってよ」
奇妙としか思えないやり取りに、いっそ催眠術の類かと疑った桔梗だったが、やはりどうあっても鷹城勇一の存在は無視できないと、こうして本人に食いついているのだ。
「だからって、ヤケ恋なんて言葉はないわさ」
「確かに聞いたことないな」
「もし悩みがあるとしたら、今この時だよ。煮えたり冷めたり、あのブレようはどこから来るの、かなっ!」
鈴香よりずっと低い目線から桔梗が真上に見上げ、勇一は睨まれている。これはこれで近い。
「俺のせいじゃ、ない、と、思う、よ」
「自信持たんかい」
「いや、何の!」
「んーでも、様子を見るしかないのかなあ」
「けどさ俺、何の因果か、舞鶴さんとコンビ組まされたんだけど」
「なんですと!」
あははー、と乾いた笑いの勇一。
ブザーとともに数学の授業が始まり日常が戻ったかに思えたが、少し離れた席からちらちらと勇一を見る鈴香に、桔梗と勇一は複雑な心境を深くするのだった。
昼食を鈴香と並んで食べて、中庭のベンチに並んでぼーっと過ごし、午後の訓練のため職員室へ向かった。もちろん並んで。ただ、鈴香は黙って隣にくっついているだけなので意外にもクラスメートはその押し掛け女房もいいところな行動に気付いていないようである。今のところは。
引っ付き虫を連れて井幡の前に立つと、奇妙な生き物を見る目で睨まれたが、一言もなく今日のトレーニングメニューを渡された。どうやら味方は桔梗だけのようだ。
飛行訓練は、勇一にしてみれば初めて誰かと一緒の練習だ。井幡は最初こそ付きっ切りだったが、時々の座学以外はすぐにいなくなり、たまに見に来てはあそこが悪い、力の入れ方がどうこうと修正だけ示していた。鈴香は当然ながら自在に飛び回ることができるので、手を取って誘導してくれたり、急加速や旋回も初めて体験できた。3年前の鈴香ら1年生が初めて浮いたのは訓練を初めて1か月以上経ってからというから、勇一の素質なのか、井幡の指導なのか、いずれにせよ鈴香がやたらと誉めそやすので勇一もまんざらでもない多幸感に満ちていた。
この2時間で勇一の飛行感覚はぐっと上がり、自身でも驚くほど器用に飛び回ることができるようになった。課題は速度だが、今日はここで切り上げることにした。
次は昨日できなかった射撃訓練と指示にある。天井の崩れた第一射撃場は改修中として屋外レーンの一部だけを6年生が使っている。一方、レーンは多いが最大距離の短い第二射撃場は使えるから、むしろ勇一にはこちらがお似合いだった。鈴香は射撃禁止なので、ベンチで鑑賞している。ただ、さっきまでお手々を繋いできゃっきゃうふふしていた反動か、寂しそうな顔がいたたまれない。
後ろで邪魔にならないようにじっと勇一を見つめている。勇一が振り向くと笑顔で右手のドリンクと左手のタオルをそれぞれ掲げ、どっち?と目が訴えている。
「・・・勘違いしちゃいそうだな」
飛行も射撃もアプリケを通して本人の体力を増幅して使う。慣れない勇一は消耗も激しいため50発も撃つとちょっと休憩。寮でも筋トレを日課にしているものの、まだたったの1週間。未熟さを噛みしめる。
そんな勇一に鈴香はちょっとしたアドバイスをくれる。足の開きとか、左手の支えとか、小さな変化が結果に影響することは勉強になるし、なにより楽しかった。
舞鶴さんはよくわかんないけど、これはこれでステップアップのチャンスかもな。
その日の訓練は疲れよりも充足感の方が勝っていた。とても気分のいい勇一。観察って、こういうのじゃない気がするけど、まあいいや。
下校時刻になり帰り支度を済ませ、やっぱり並んで校舎を出る。他愛のないおしゃべりをしながら公園を歩き、もうすぐ抜けるあたりまで来て、もじもじしている鈴香があの時と同じセリフを口にする。
「お弁当、作るね」
「あ、うん。ありがとう」
女子寮に向かって歩いていく鈴香をしばらく見ていると、振り返ってひらひら手を振る。
かわいいなあ。
そんな様子を誰にも見つからなかったのは勇一の人徳かもしれない。
夜空に影が浮かぶ。人と獣の混じりあったその姿は、しかし実体のない黒く暗く闇に溶け込む影だ。
月明かりさえない闇の中、その影に声が届く。
「ずいぶんご機嫌斜めですね」
背後に同じく闇の影が浮かび上がる。一回り小さい、こちらは人そのものの形をしているように見える。
「やっと現れたか。いつものらりくらりと、楽でいいな」
「おやおや。わずか数日で準備を整えろと、無茶を聞いてあげたお礼がこれですか。そもそも前回の失態が無ければ・・・・」
「やかましい。蒸し返すな」
恐らくは人ではないその影は、器用に肩をすくめてみせた。
「確かに、あれは我々の想像を超えていましたね。きちんと調べが付いていれば」
「それは俺の落ち度って意味か?」
「いえいえ。私はともかく、彼はそういう懸念を抱いていても当然ではないでしょうか。大事な駒を失ったのですから」
「奴の話をするな。厭味ったらしい奴だな」
「そういう性分ですので。ですが、私が付きあってあげられるのも今回限りということで」
「ちっ。分かってるよ。だから急がせたんだ」
「おや、そうでしたか。すっかり失点の穴埋めで焦ってらっしゃるのかと思っていましたよ」
「何とでも言え。負けっぱなしが嫌いなのは本当のことだ」
ぎりぎりと牙を噛みしめるように吐き捨てる。その目は洋上の島を睨んでいる。
「しかし、さすがにこれはやり過ぎだと思われますが、勝算はあるのでしょうか?私としては・・・・」
「やかましいと言ったぞ。口数の多い奴はモテないと言うぞ」
「いや、特にモテたいとは、ね。いずれにせよ次の作戦にはあなたも含まれているのですよ。せいぜい最後のお遊びをお楽しみください」
獣の影はぎろりと睨む。
「もう道楽じゃ済まねーよ」
既に背後の影は消えていた。ちっと舌打ちをして再び島に眼光を向ける。夜の対策本部島はその設備のわりに光はまばらだった。
約束のお弁当はなかった。
鈴香自身も授業中こそ席にいるものの休憩になると瞬く間に姿を消して、また授業開始ぎりぎりに戻ってくる。
勇一には、約束がどうこうよりも何事か聞きたい気持ちもあったが、それを口にするとどうしても責めるような雰囲気になるのが怖かったし、あるいはみみっちい男のように思われるのもそれはそれで何か違う気がして、それよりも、こうコロコロと変わる態度にどうしても違和感や不信感を通り越して異常事態を感じてしまい気がかりとしては大きかった。
2限目が終わり休憩時間になると桔梗が昨日と同じように後ろからサインを送ってきた。今度は階段の踊り場まで遠征だ。
「ごめんね、なんだか鈴香ちゃん」
「北条さんが謝ることじゃないし、そもそも謝ってもらうことじゃないように思うんだ」
「あ、桔梗でいいよ。呼び捨て限定。その方が慣れてるし。勇一くんでイイ?」
「あはは。名前呼びの女子1号が北条さんて、照れるな」
「惚れんなよ」
「そこは大丈夫」
「むきー!あたしゃ対象外かよ。先生に言いつけてやる」
「舞鶴さん、どうしたんだろう」
「うん。昨日の夜もお弁当を作るってニコニコしてたんだよ。だけど今朝はすっごい下がっててね。どうしたのか聞いてもわかんないって繰り返すばかりで」
「まあ、わかんない、は俺も同じかな。何なんだろう、あのホレ薬みたいな変化は」
「んー・・・・、これはナイショだよ」
「あ、・・・・うん」
聞く資格があるのか自信が持てない勇一は返事をためらったものの、それでも当事者には違いないと腹をくくる。休憩中の階段なので多くの学生が通る。勇一と桔梗が親しげに話しているのをチラチラ見るが、声が届くほどじゃない。桔梗は顔を動かし一回だけ勇一の目を見てから話を続ける。
「噂になってるメガ砲知ってるよね。一昨日のと先週の交戦もそうじゃないかって言われてるやつ。鈴香ちゃんのラブモードさ、その後に起きてるんだとしたら、って考えちゃうんだよ。あれ、撃ったの鈴香ちゃんっしょ」
「・・・・」
「騒ぎに巻き込まれたのを聞いたからもしかしたらと思って。鈴香ちゃん、この1週間射撃で妙に悩んでてさ、それが騒ぎの後めちゃすごではしゃいじゃってて。勇一くんとお話ししたとかごちゃごちゃさ」
「・・・・」
「・・・・勇一くん?」
「ん、まあ口外厳禁って言われたんだけど、ナイショ同士いいか。俺も確認だ。1週間前のジオビースト迎撃で防衛任務に就いてた中に舞鶴さんもいたってことだね」
「鈴香ちゃん、隠し事下手だからさ。何かすごい攻撃で決着がついたらしいのに覚えてないって、何日もたって教えてくれたんだ。でも途切れた記憶の中ですごい爆発があったって。言っちゃった後で秘密だったとか、それ言わなきゃ秘密って分からないのに」
勇一の中で結び目が一つほどけた。桔梗を騙してるようで心は痛むが、尋ねたのは出動したかどうかだけで、あの砲撃を見た者は限られている。一昨日のことで憶測が飛び交っていることを、それを桔梗は繋げて考えていて、どうしても無縁に思えないのだろう。
一方では上層部だ。両方の現場に居合わせた人物を疑わない者はいない。なのに、本人へは問いただしていない様子なのが不思議でならない。あの時落ちてきた少女は舞鶴じゃないのか?
「ていうかメガ砲とか呼ばれてるんだ、へえぇ」
「今テキトーに名付けた」
「版権とか大丈夫かな」
「迂闊でしたって謝罪会見するよ。ゴシップには興味ないけど、でも、どうなの?一昨日は一緒にいたんでしょ」
「そう言えば、これは口止めされてないのかな。うん。射撃場を破壊したのは舞鶴さん。これは本人も知ってるし先生もね」
「知ってる・・・か。やっぱり覚えがないってことなわけね。にゃ。口止めって?」
「先週のヤツのほう。ちょうど司令部の庭から見てたんだ俺。撃ったのが誰かは分らなかったけど、言う通り、今回のとまず同じ砲撃じゃないかな」
「あー、そりゃ禁止事項だなあ。共犯だなあ。責任とれよ」
「ぐぬぬ。言うんじゃなかった。てことはあれを撃ったら変になるっていう前提で良いのかな」
「まあまだ想像だけどね。変て言うな」
「何もお変わりになって俺に纏わり付かなくてもよさそうなものだけどねえ」
桔梗はジト目で勇一を見ている。また真下から見上げている。
「・・・桔梗、でいいのかな。その視線に俺は耐えられないんですが。どういたしましたか」
「カギは勇一くんにあると私は睨んでいる!」
「そんな力入れなくても」
「午後は一緒なんでしょ。ガツンとぶつかってくれないかい」
露骨に憂鬱そうなため息をついてみせる勇一。
午後になり、訓練のため井幡の元に行くと、鈴香は先に着いていた。気まずいだろうにこういうことは逃げない姿勢に偉いと思う勇一。井幡は二人の顔を順に見て、まったく表情を変えない鉄面皮。黙って紙切れを突き出す。
勇一の顔を見ようとしない鈴香は少し離れてついて歩く。一応気にしながら訓練場へ向かい、ともかくメニューに取り掛かる。
いきなりはダメだからね、と桔梗に人差し指を立てて忠告された。
走って飛んで、また走ってを繰り返す間、鈴香は訓練場の隅っこで体育すわりで小さくなっている。どういう心境なのか勇一には手掛かりすらない。
汗をぬぐうタイミングで、そっと歩み寄り声を掛ける。
「えっと、さ」
「ゴメン」
「あ、いや。謝ることないんだ。心配でさ」
「うん、ゴメン」
膝の前で組んだ自分の指先をじっと見ている。静かにただ謝る彼女は放っておいてと全身で叫んでいる。
「たぶん、俺にできることはないんだと思う。一番混乱しているのも君のほうだよね」
「・・・ゴメン」
取り付く島もない。
「銃、・・・はダメだよね。剣でも振ってみたら?気分変えた方がいいんじゃ、・・・ないかな」
「そうだね」
それ以上はたいした言葉も見つからず、桔梗の言うようなガツンが振るえない勇一は仕方なく、昨日鈴香が教えてくれたあれこれをしっかり身に染み込ませようとトレーニングに励んだ。
鈴香の頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。
自分で自分がわからない。
なぜ鷹城勇一にあれほど心を奪われたのか。あれほどの感情が、喪失感すらない。それに、あの射撃は何なのか。遡って先週の噂の一件が同じものなら、いや、同じものなのは分かっている。全身に力が溢れるあの感覚。ずっと再現できなかったものがどうして?
あの日、初めての待機任務でサイレンが鳴った。初めての実戦。初めて見た本物。不安なまま指示通りに迎撃したものの、途中から全然覚えていない。でも直撃を受けたのは確かだ。気が付くとあたしもみんなも呆然と海を見ていて、撃退成功の知らせを受けた。後から思い出せるのは、何か急に体が熱くなって、引き金を引く感触と真っ白な世界。反省会の言葉を繋ぎ合わせると、たぶん撃ったのはあたしだ。誰も見てなかったらしい。それほど陣形は滅茶苦茶だったそうだ。あれがあたしの能力なの?
翌朝学校へ行って、なんだかぽっかり空いた穴に、編入してきた鷹城勇一がはまり込んだ。あの大切で愛おしい気持ちがすごく幸せで、なのに急になくなってしまう。びっくりするくらい自分が信じられなかった。そしてまた今度だ。どうしちゃったんだろう。
いろんなことがいっぺんに起こって、何を考えたらいいのか、ひょっとして悪い夢なんじゃないか、誰に相談しよう。桔梗に打ち明けてみようか。きっと桔梗は真剣に向き合ってくれるだろう。だけど司令部はあの時のことをまだ公表していない。巻き込む形になるだろうな。
もうヤだ・・・・。
帰り道。勇一はエントランスで待つ鈴香に「あ」と漏れた。別れた時の様子からきっと先に帰るだろうと思っていたから意外だったのだ。けれど何と言えばいいのかやっぱり言葉にならない。
立ち尽くす勇一に気付いた鈴香は足元を見ながら小さな声で告げる。
「明日さ、午後は当直で防衛待機なんだ。だから、・・・それだけ」
「舞鶴さん、あの」
「・・・・」
俺は舞鶴鈴香のことを何も知らない。たぶん好きとかそういうんじゃない。ただただ、まだ知らない。これから好きになるかもしれないし、仲のいいクラスメートであればそれで十分だ。けれど今の状態は違う。絶対ダメだ。彼女はかわいい。彼女が人を好きになったときは昨日みたいになるんだろう。その相手は俺じゃないかもしれないし、ひょっとしたらそういう仲になれるかもしれない。そんな彼女が俯いて辛そうで今にも泣きそうで、こんなに近くにいて耐えられるわけないじゃないか。
余計なことかもしれない。遠くから見ていればいいのかもしれない。観察の役目なんかクラスメートなんだから遠くから見てたってどうにかなる。言い訳を考えて一緒にいたことにすればいいさ。だけどそれじゃ待つことしかできない。待ってたら元通りになれるのか。元通りの彼女のこと、今回の出来事を、何も知らない俺が、待ってれば時間が解決してくれるなんて言えるのか。力になりたいんだ!俺にできることは俺にしかできないことなんだ。
勇一は意を決して息を吸う。ガツンだ。
「舞鶴はさ、すごく笑顔が似合うと思う。昨日のこととかを気にしてるんじゃないかと、思うんだけど、違ったらごめん。でも、気にするなって、言えないけど、ああっもう何言ってるんだ俺。あの笑顔はいいなって思った。お弁当もおいしかった。あんなんじゃなくても普通に話す舞鶴がいいなと思うんだ。舞鶴は俺のこと、たぶん好きじゃないと思う。それはいいんだ。でも嫌いじゃなかったら、えっと、普通に、あの・・・、友達とか、・・・・」
全然ガツンじゃない。最後の方は何を言ってるのか誰に言ってるのか聞こえないほどだ。
エントランス脇の花壇をじっと見つめる鈴香はそのままの姿勢で、ふぅとため息をついた。
「悩んでも始まらないか」
すごく小さな声だ。
「え?」
「ゴメン。あ、これは違ってね。ありがとう。やっぱり心配させるよね。ていうか、何が何だかわからなくてさ。八つ当たりみたいになっちゃった」
「ううん」
「梗ちゃんにも心配かけたかな。相談したんでしょ」
「あの娘は面白いね」
「うん!帰る。ちゃんとお礼も言う。何とか元のあたしになる。明日一日でどうにかする。あたしはやればできる子だから!」
だんだん声に力が込められていく。
「応援するよ。力になれるかわからないけどさ」
「ありがと。だけど少しだけ時間をください。今はまだちゃんと見れないよ」
「あ、うん、えっと、そのことだけど、・・・」
「・・・ん」
「言いにくいんだけどね・・・」
「にく?」
「明日の当直、俺は見学でついていくことになってる、・・・らしい」
吹っ切れたような明るい表情がだんだん曇っていく。
「そゆことは早く言っててくれるかな」
午前中、鈴香は普段通りに見えた。無理して歩み寄ろうとはしないものの時折聞こえる話し声に元気が感じられる。桔梗は鈴香と勇一と双方を気にしていたが、さりげなく鈴香を観察しなければならない勇一もまた、桔梗のやさしさが感じられて嬉しく思う。
なるべく鈴香の方へ顔を向けない様にしていると鳩宮すばると目が合い、しずしずと近寄ってきて声を掛ける。
「あのぅ、鷹城さん」
「うーむーー。鳩宮さんは足音がしないなあ」
「な、変なことを言わないでください」
「ごめんごめん。で何?」
「んもう。えっと、鷹城さんは舞鶴さんと仲がいいんですか?」
「そう言うわけじゃないんだけどね。まあ、今は射撃のコーチだから。ていうか、この間も似たようなこと言ってたような?鳩宮さんの方が付き合いは長いだろうに。仲良くないの?」
「あいえ。同じクラスになったのは初めてなもので。彼女可愛らしいでしょう。お友達になりたいんですが、なかなか」
「面白いことを言う・・・」
「え?」
迂闊に本音が口をついてしまった勇一にすばるは目を丸くして見返す。鈴香は数人と固まってお喋りを続けていて、女子からも人気があるとはなるほどと納得する勇一。可愛い、お友達、小学生か!
「ああ、ごめんね。失礼失礼。そうだよねえ、きっかけっているよねえ」
「趣味は何なのかしら。私も射撃とかもっと上手ければ話題にできるのですが」
「んー、どうかな。友達になるために無理をするって疲れるだけだと思うよ。もちろん仲良くなるのはいいことだけどね。ちょっとずつでも自然に話せるようになれば変わってくるよ」
「そうですよねえ。ただどうしても一歩めが・・・」
「いやいや、俺には3歩くらい入ってきてますよ、すばるちゃん」
「ひゃ!」
小さな悲鳴に隣の席の女子が振り向く。「どした?」
なんでもないなんでもないと手を振ると気にした様子もなく元の井戸端に戻る。
口元を押さえたすばるはもう向き直った彼女の背中にぺこりと頭を下げる。
「すみません。ちゃん付けで呼ばれたのは久方ぶりだったもので」
「ごめん、ふざけて悪かったよ。ちなみに、料理が趣味らしいよ」
「?・・・ああ舞鶴さんですね。そうなんですか。ふふっ。それにしても鷹城さんはごめんばかりですね」
まだ顔が真っ赤で、ですますと柔らかい話し方をするすばるは、普段友達とどういうやり取りをしているのか、はなはだ疑問だった。
授業開始のブザーとともに「では」と席に戻るすばる。やはり足音は聞き取れない。
ともかくお弁当はない。残念を喉奥に押し込めるように食堂でかつ丼を平らげると、校内放送が流れる。
「4-Cの鷹城勇一。職員室へ、すぐだ!」
恐ろしい物言いだが、誰もがいつも通りの井幡だと思っている。勇一だけが携帯端末のコールじゃダメなのかと恨めしく思う。
「鷹城です」
「すまんな食事中」
「いえ。済んだところでした」
ちょっとこっちへ来い、と隣の応接室へ。応接といっても面談ブースのような小部屋だ。小さいテーブルと4つの事務椅子があり、鈴香が座っていた。所在なさげに目を逸らす。井幡は椅子を指差し座るよう促しながら、構わず話し出す。
「午後の待機任務だがな。釘を刺しとこうと思ってな」
釘って痛いだろうな。
「鷹城は飛べるようになったな?」
「いちおう、程度です。スピードは全然ですが」
「銃は、剣は」
「具現化が安定してきたところで、威力はまだ」
「私が見たところでは防御は普通に働いている。列に並んでみるか?」
「みるか、って俺が決めるんですか?」
「そりゃそうだな。ちと決めあぐねていてな」
横で聞いていた鈴香が口をはさむ。
「いくら鷹城くんの適応が高いからって言っても正真正銘、初心者ですよ?私たちが中学部でそうだったように最初は見学で良いと思うんですが」
「普通はそうだな。正論だ。いやな。お前とペアだからって何気な~く見学をねじ込んだら、どこをどう伝わったのかできるだけテストしろと返ってきてな」
「無体な」
思わず勇一のぼやきが漏れる。鈴香も同調して抗議だ。
「無茶ですよ。それにこの間みたいなことがあったら・・・・」
「ん?技能の優劣はともかく、鷹城は2度ジオビーストと接敵しているぞ?お前より多いな。耐性は折り紙付きだ」
「ウソ!」
にやりと鈴香を見据える井幡。負けず嫌いなのか。勇一の心中では1度と2度でどれほど違うものか、しかも、どちらも被害者として遭遇したものじゃないかと訂正したかった。
但し。鈴香が驚くのも当然である。鈴香が過ごした3年間で学んだことであれば、ジオビーストとの遭遇など大半の人々には無縁であって、正隊員でさえ接敵するのはトップメンバーだけだ。この島にいる鈴香自身でさえ、在学中にまさか目前でしかも交戦するなどあの瞬間まで思ってもいなかったのだ。
「二人して俺の方を見るな」
「あれ、下から見てたそうだぞ。な鷹城。しかも報告だとお前は直撃後の記憶が飛んじゃったらしいなー。落っこちて、気が付いたら終わってたってなー。見られちゃったかもなーお前の体・た・ら・く」
ニヤニヤが止まらない井幡。個人攻撃で、ついでにネチネチ感が半端ない。鈴香は何かイジられる様なことでもしたのか勘ぐってしまう。勇一は恐る恐る尋ねてみる。
「それ言っちゃっていいんですか?あれ以来何も聞かされてませんけど」
「あれ?」
急に目が泳ぎ出す井幡と、口をぱくぱくしている鈴香。その傍らで、あの時撃墜されたのが鈴香だと確認できた勇一は、桔梗とのやりとりを思い返していた。