第62話 ほーりゅう
はっきり口にだして、付き合ってくださいと、彼女は言った。
わたしは、大胆にも他校の教室へ乗りこんできて、ジプシーに告白をした彼女の度胸に驚く。
たしかに文化祭のあとから最近まで、ジプシーは人気があった。
机や靴箱のなかに入れられていたラブレターは、かなりの数になっていたはず。
いまでも密かに人気があるのだろうけれど、京一郎のひどい暴言で、それを上回る近寄り難さがでたために、いまはもう誰も手紙を渡そうなどと考えない。
――そういえば。
ジプシーってラブレターはたくさんもらっていても、直接言葉で付き合ってほしいとは、言われていなかったと思いあたる。
きっと、わたしが知っている限り、初の生告白だ。
わたしは興味津々で、彼女をじっくり観察した。
麗香さんっていうんだ。
先ほど窓からのぞいて見た印象と変わらない。
京一郎のいうロリータファッションの似合いそうな、ゆるいくるくるロングヘアーで、モデルでも通用しそうな小顔。
こうして実際に会っても、細身ながら場が華やかになるようなオーラを持っている。
かなり、いや、これ以上はそうそういないであろう、可愛い女の子だ。
しかし、なんで放課後じゃなくて、こんな朝っぱらから他校にきたんだろう?
自分の学校はどうしたんだろうか?
そうそう、ジプシーが最近気配や視線を感じたりするって言っていたあれは、イメージが違うけれど、この彼女じゃないのかな?
だとしたら、やっぱりわたしが言っていた一般人のストーカーの線で当たりじゃん!
黙ったままのジプシーへ、彼女はふたたび、同じ言葉を繰り返した。
「わたしを彼女にしてほしいんです。お願いします」
「ごめん。いまは誰とも付き合う気がない」
麗香さんが言い終わるかどうかのタイミングで、ふいに視線をそらせたジプシーが、いつもの不愛想さのままで告げた。
わたしも、遠巻きで見ていた数人のクラスメートも、その拒絶の早さに呆気にとられる。
彼女も、とっさに理解ができなかったらしい。
瞳を大きく見開き口もあけたまま、困惑の表情となって固まっていた。
――ジプシー。
断るにしても早すぎるって。
それに、もう少しやんわりとした言葉を選んだほうがいいのでは?
恋愛経験がないわたしでも、これはさすがにひどいと思った。
これじゃあ、勇気をだしてここまできた麗香さんが、かわいそう過ぎるんじゃない?
「――付き合う気がないってことは、いま、彼女はいないってことですよね?」
ようやくという感じで、麗香さんが声を絞りだす。
この言葉を聞いたジプシーが、視線をぐるりと移して、一瞬わたしの顔を見た。
そうか。
一昨日のおとりデートもどきを気にしたんだ。
でも、あれは本当におとりだから、どう考えても彼氏彼女としてのデートじゃないでしょ。
ジプシーもそう考えたのだろう。
無感情に麗香さんへ向かって返事をした。
「いないし、これからもしばらくは、誰とも付き合う気は、ない」
ジプシー、はっきり言い過ぎ。
それでも、麗香さんは食いさがった。
「視線をそらさないで。わたしの眼を見てもう一度、返事をもらえますか?」
教室内の気配を察したのか、廊下にもほかのクラスの生徒で、ぼちぼちと人だかりができはじめてきた。
なにやら騒ぎが大きくなってきたようだ。
京一郎は面白そうに、ジプシーの後ろでにやにやと眺めている。
そのとき、ジプシーは彼女から視線をはずしたまま、かけている眼鏡の真ん中に左手の中指を添えて、なにかを口にした。
あまりにも小さなつぶやきだったので、わたしの耳にはもちろん、麗香さんにも聞こえなかったらしい。
「なんですか? わたしの眼を見て言ってください」
繰り返されたその言葉に、ジプシーは、ゆっくり視線をあげた。
そして彼女の眼を真正面から見据えると、一拍おいて、はっきりと言い切った。
「残念だが、きみと付き合う気は、まったくない。さっさと帰ってくれないかな」
驚愕の表情で、麗香さんは小さくつぶやいた。
「そん、な……信じ……られない……」
次の瞬間、教室に、平手打ちの派手な音が響いた。
思わずわたしは、自分の顔を両手でおおったけれど。
指のあいだから、その瞬間をしっかり見ていた。
かなりの威力を持った彼女の平手打ちは、ジプシーの眼鏡を、わたしの足もとまで飛ばした。
ジプシーはよろめいたけれど、後ろにいた京一郎が、慌ててジプシーの両肩を抱きかかえて踏みとどまる。
皆が呆気にとられて、しんと静まり返った教室から、麗香さんはひとり飛びだした。
教室が一気に大騒ぎとなったのは、彼女の姿がすっかり見えなくなってからだった。
誰もジプシーに声をかけないけれど、それぞれが遠巻きにちらちらと見ながら、憶測で話をはじめる。
普段からあまりクラスメートとの親交を持たないジプシーだから、まあ、そのへんは仕方がないかな。
わたしはしゃがんで、足もとに飛んできた眼鏡を拾った。
大丈夫。
割れていないし、歪んでもなさそう。
それから、眼鏡を渡そうと、わたしはおそるおそるジプシーに近づいていった。
平手を食らった頬を押さえ、まだうつむいているジプシーの反対側のあいている手に、わたしは眼鏡を押しつける。
「はい、眼鏡……。でもさ、いまの断り方は、さすがに酷かったかも……」
わたしの舌は、そこで凍りついたように動かなくなる。
こみあげてくる嬉しさが抑えれらないという感じの笑みが、ジプシーの口もとに薄っすらと浮かんでいたからだ。
――この男、笑ってる!
なんで?
どうして笑っているの?
わけがわからず、恐怖さえ覚えたわたしは、思わずあとずさる。
そして、無意識に京一郎の姿を探していた。
いない。
さっきまでジプシーの後ろにいたのに!
すると、次々と登校してくるクラスメートの向こう側で、逆に教室からでていこうとする京一郎の姿を見つけた。
京一郎は、わたしより先に追いついた夢乃へ向かって、なにかをささやいてから、教室を飛びだしていく。
わたしは、困ったような表情の夢乃へめがけて走り寄った。
「夢乃! 京一郎は? なんて言ったの?」
「いまから早退。また昼休みにくるって」
夢乃はわたしへそう耳打ちしたあと、さらに声をひそめて続けた。
「さっき、ジプシーが京一郎に支えられたときに、敵が動いたって伝えてきたそうよ」
敵が動いた?
誰が、どのように?
わかっていないわたしは眉をひそめ、夢乃の顔を見つめた。
夢乃は、そんなわたしの表情を見たあと、ちょっと考えるように小首をかしげる。
それから、おもむろに口を開いた。
「ほーりゅう。いまの女の子、高橋麗香さんって可愛かったわよね」
うん。
「あんなに可愛い子だったら、普段はどんな子なんだろうとか、ジプシーに告白しにくる前って、どんな彼氏がいたのかなぁとかって、気にならない?」
なる。
「このクラスの明子ちゃんって、そういう情報も詳しそうよねぇ」
「明子ちゃんに聞いてこようっと! やっぱり夢乃も、噂話は気になるよね!」
そう言って、すぐに、わたしは明子ちゃんのところへ飛んでいった。
あとから考えると、たぶんわたしの行動って、夢乃の思惑通りに動いたんだろうな。
だから、そのあとすぐに、夢乃がほかのクラスや上の学年をあたって、彼女の情報集めをしていたなんて、知らなかったよ。






