第57話 ほーりゅう
そのとき。
ふいにわたしを見つめていたジプシーの目が細くなり、その表情からすべての感情が消えた。
最近、鳴りを潜めていたジプシーの殺気が一気に広がる。
わたしは、近くで毒気に当てられたかのように総毛立った。
でも、それは、本当に一瞬のことだった。
あまりにも一瞬過ぎて勘違いかと思ったわたしは、慌てて彼の顔を見直す。
すると、ジプシーは笑いを含んだような表情となって、わたしを見つめていた。
殺気なんて微塵も感じられない。
あれ?
本当に、いまの感覚、わたしの勘違いだったのだろうか?
ジプシーは、おもむろにテーブルの上の携帯を手に取りながら開くと、ボタンをひとつ押して元通りテーブルに戻す。
それから、わたしに向かって告げた。
「ほーりゅう、もう少し上手に食べろよ」
――?
話の流れがわからず、わたしが戸惑っていると、ジプシーは左手を伸ばして、わたしの頬についていた生クリームを親指でぬぐった。
「顔にクリームがついてる」
それだけでも充分恥ずかしいことなのに、なんとジプシーは、指についたクリームを自分の口へと持っていったのだ。
「なっ……。なにすんのよ!」
この男!
周りから見たら、まるで付き合っているカップルみたいで恥ずかしいじゃない!
――っていうか、いま気がついたけれど。
ふたりだけで喫茶店に入ること自体が、もしかしたらデートになるんじゃない?
うわぁ……。
わたしは急に恥ずかしくなって、顔をあげられなくなってしまった。
こんな顔でパフェ、食べられないじゃん!
そんなわたしをジプシーは、片手でテーブルに頬杖をつき、面白そうに笑いながら見つめてくる。
喫茶店をでると、とたんに外気の寒さが身にしみた。
お店の中はかなり暖かかったし。
――なんか最後のほうは、赤面して体温があがるようなこともあったしさ。
いったい今日のジプシーは、なにを考えているんだか。
「さて。いまからどこか行きたいところ、ある?」
あとからでてきたジプシーが訊いてきた。
わたしは驚いて振り返る。
「え? ここのパフェだけが目的じゃなかったの? ――う~ん。どこかっていっても、もうこの時間だし、制服だからなぁ」
わたしは、首をかしげて考えた。
いま、四時過ぎでしょ?
この時間から行きたいところなんて、とくに思い浮かばない。
「それなら、うちで夕食を食べていくか? おまえのところ、たしか今日も叔母さんは遅いんだろう?」
今日は叔母が夜勤で遅い日だなんて、わたし、言ったっけ?
自分では口にした記憶なんてないのに、どうやらジプシーは覚えていたらしい。
彼の招待は、純粋に嬉しい。
家に帰ってもひとりで作るところからはじめなきゃならないし、夢乃のお母さんの作るご飯は美味しいし。
「そうしようかなぁ。でも、急にお邪魔して大丈夫?」
「じつは今日は、はじめからそのつもりで頼んできているんだ」
そう言って笑うと、ジプシーは、わたしの前を歩きはじめた。
わたしは慌てて、彼のあとをついていく。
――わたしって、かなりジプシーって男を誤解していたのかもしれない。
わたしが転校してきた日に、そりゃたしかに、わたしが余計なことをしたとはいえ、殴って気絶させようとしてきたり。
文化祭では変な術に巻きこんで感電させたり。
女に対しても情け容赦のない奴だと思っていたけれど。
こうしてふたりだけで話をしてみると、そう悪い奴には思えない。
ただ、普段は裏の世界でも活動をしている関係で、そう振舞わなければならないだけなのかもしれないな……。
しばらくジプシーの後ろについて歩いていた。
けれど、ふと、彼の家の方角ではないことに気がつく。
「あれ? 道が違うんじゃない?」
すると、ジプシーは、わたしに合わせるかのように歩調をゆるめた。
「散歩がてら、遠回りをして帰ろうかと思ったけれど。嫌か?」
まあ、まっすぐ帰っても夕食以外なにがあるわけでもないし。
別にいいけれど。
そう考えたわたしは、了承するようにうなずく。
そのまましばらく歩いていくと、わたしの知らない道へとでた。
わたしは、この土地に引っ越してきて三ヵ月ほどになる。
けれど、近くても普段いかない場所が、まだまだあるってことか。
うん。散歩も悪くないな。
なんて単純に思っていたら、目の前に大きな公園が見えてきた。
ジプシーに続いてなかへ入っていくと、子どもの遊び場にあるような砂場やブランコはなく、巨大アスレチックといえるくらいの大きな木製の遊具が、広場の中央にどんと据えられてあった。
そこで、数人の小学生が遊んでいる。
また、散歩道として想定されているのか、葉の枯れ落ちた木々に囲まれた長い道が、広場の周囲に幾重か作られていた。
その夕暮れ時の散歩道を、犬と一緒にゆっくりと歩いている人々が、ちらほらと見える。
「へぇ、知らなかった! ちょっと足をのばせば、近くにこんな大きな公園があったんだ」
ジプシーを走り抜くと、今度はわたしが先になって、公園の散歩道を歩いてみた。
アスファルトじゃない。
土の道だけれど、歩きやすいように整備されている。
「いい場所だね」
振り返って、わたしはジプシーへ笑顔を見せる。
すると、振り返ったわたしの顔をじっと見つめてきたジプシーが、おもむろに口を開いた。
「おまえの顔に、なにかついてる」
え?
さっき食べたパフェ、まだついていたのかな?
その顔でここまで歩いてきた恥ずかしさで、慌ててわたしは手のひらで頬をこする。
「場所が違う。とってやるから目を閉じろよ」
自然に発せられた言葉につられて、わたしは言われた通りに、おとなしく目を閉じた。
すぐにわたしの頬へ、ジプシーのひんやりとした指先が、そっと触れる。
けれど。
――なかなか目を開けていいと言ってくれない。
だから、待ち切れなくなったわたしは、すぐに勝手にまぶたを開けてみた。
息のかかりそうな距離で、顔を斜めにかたむけて瞳を閉じたジプシーがいた。
思わずわたしは、思い切り目を見開いて固まってしまう。
その気配が伝わったのか、ジプシーもゆっくりとまぶたを開くと、その距離からわたしの顔をのぞきこんだ。
そして、ふわりと笑みを浮かべ、ゆっくりわたしのそばを離れる。
「さて、暗くなるから帰ろうか」
――ちょっと待って!
いま、キスしようとしていなかった?
あまりのことに言葉がでなくて口をパクパクとしているわたしへ向かって、いままでにないくらいやさしく笑いかけてから、ジプシーはさっさと歩きだした。






