第52話 ほーりゅう
その自習室となっている教室は、この高校の生徒棟四階の、端から二番目にある。
四階の廊下の一番端は、階段をはさんで音楽室となっており、音楽室の下の三階は美術室となっている。
その自習室が、普通の教室として使えない理由は、誰が見ても明白だった。
黒板も机も椅子もすべて揃っているのに、その教室の真ん中に、なぜか四角い二抱えほどのある大きなコンクリート柱が一本、立っているからだ。
建てられた当時は、なにか意味もあったんだろうけれど、いまでは先生も、もちろん生徒も柱の存在理由がわからない。
そして、どうしようもないので、そのまま自習室という形で放置されているらしい。
名前の通り、自習をするための生徒が時々やってくるけれど、大半は、友だちや彼氏、彼女との待ち合わせ、たまに昼寝場所で利用されているみたい。
その利用目的のひとつとして、昼休みにここで、わたしたちはお弁当を広げている。
「これから屋上でお弁当を食べるにしちゃあ、寒い季節になるもんね。雨の日に限らず、しばらくは毎日、ここでお昼を食べることになりそうだね」
わたしはそう言いながら、勢いよくドアを横滑りに開けた。
「ほーりゅう、もうちょっと静かに開けろよ」
「あら、ごめんあそばせ、京一郎」
わたしは口先だけでそう返事をしながら、さっさと教室に入っていく。
きょろきょろと教室内を見回し、柱の陰となって入り口から見えなくなる位置を確認して、手招きをした。
「ここ、こっちこっち」
そして、わたしがお弁当を広げるために机を寄せはじめると、すぐに京一郎が寄ってきて机を運んでくれた。
こういう気易く動いてくれるところが、京一郎の良いところだよなぁ。
そう思いながらジプシーを見ると、なにか考えごとをしているように、あらぬ方向へ目が向いていた。
やっぱり、いつも以上にとっつきにくい雰囲気。
だけど。
「なにがあったのよ。ジプシーはいつも変だけれど、今日はとくに変!」
思わず口走ったわたしのほうへ、ジプシーは視線を移してきた。
「――ああ。おまえに言われるようじゃあ、よほど今日の俺は変なんだな」
なに? それ。
怪訝な顔をしたわたしに向かって、ジプシーは続けて言った。
「とりあえず、食べながら話すよ。おまえは、俺の話が終わるまで食事を待てないだろう?」
うん。
待てない。
そして、お弁当を食べながら、昨日あった出来事をジプシーから聞いた。
なんとなく女の子を助けた話。
直後に感じた殺気と見紛うばかりの絡みつくような視線。
家に帰ってから、途中で途切れたはずなのにふたたび感じた同じ視線。
そして、実害もなく消えてしまった気配。
結局、相手を特定できず取り逃がしてしまったらしい。
見知らぬ相手に尾行されたうえに取り逃がすなんて、ジプシーにとっては屈辱だろう。
わたしは、ジプシーの話をひと通り聞いたあと、思わず口にだした。
「それってさあ、このあいだの文化祭のせいじゃないの?」
ジプシーが、なんのことだと言いたげにわたしを見る。
なので、続けて言った。
「ほら、文化祭の劇で舞台にでたから、ジプシーの人気がでちゃったじゃない? ラブレターもいっぱいもらったんでしょ? ――そのあとの京一郎の、護摩木の代わりに手紙を燃やすのか暴言で、誰もジプシーに近づかなくなっちゃったけれどさ」
「暴言とは失敬な。あの言葉は、ちゃんと計算したうえで計算通りの皆の反応だ」
京一郎はそう言い返してきた。
だが、一応、わたしの言いたいことが伝わったらしい。
「ああ、なるほどね。殺気と見紛うばかりの視線。考え方を変えたら、一途で熱烈な好意の視線だって、ほーりゅうは言いたいわけだ」
「そう! だって、わたしが殺したいくらいに思っている相手の家がわかったら、たぶんその場で爆弾――は持っていないか。ビール瓶にガソリンと布を突っこんで火をつけて投げこむと思うもん」
「たしかに、俺ならジプシーの留守を狙ってお手製プラスチック爆弾を仕掛けて、帰ってきたとたんに遠隔操作で、どかんとスイッチを入れるなぁ」
「ちょっと。ふたりでわたしの家を爆破しないでくれる? こういうときのあなたたちって、なんで気が合うのかしら!」
夢乃が不機嫌そうな顔をした。
京一郎は、そんな夢乃へ取り成すように笑顔を向けてから続けた。
「でもよ、いまの話、俺は一理あると思うぜ。あとをつけられてもいねぇのに、家までつけられたってことはだ、たとえおまえを途中で見失っても、家を知っていたからついてくることができたって考えられるわけだろ? それなら、おまえの素性を知らない命のやりとりをしている裏の連中じゃなくて、普段から顔を合わせたり家の住所を知っている、学校などの一般関係者のほうが、確率は高いんじゃね?」
腕組みをして目をつむり、京一郎の話を黙って聞いていたジプシーは、ゆっくり口を開く。
「――なんか、俺には、そんな簡単に納得できない」
「でも、どちらにしろ相手が見えないと、おまえも動きようがねぇだろ? ほーりゅうの話はあながち間違っていないって。おまえ、午前中みたいにそんなに気を張りつめていたら持たねぇって。いまのところ、実害がでてねぇんだろ? 逆にもっと誰かが仕掛けてくるまで、ゆったり構えていろよ」
まだ割り切れないという表情だったが、それでも京一郎の話を聞き終わったジプシーは、両手をあげた。
「わかった、気にしない。手遅れにならなきゃいいが、いまはこちらから動けないってことは本当だし、仕方がないな」
そう告げると、ふいに立ちあがる。
「そろそろいくよ。五時間目に使うプリントを職員室へ取りにこいって、次の先生に言われていたから」
そう続けると、ジプシーは取りつく島もなく、ひとりでさっさと自習室をでていった。
――それでもジプシーの背中には、やっぱりまだいつも以上に、俺に近づくなオーラがでているんだよなぁ。
まあ、急に変えられないものだよね。
ジプシーの後ろ姿を目で追いながら、そんなことを考えていたわたしの横で、急に声を落とした京一郎が、夢乃へ耳打ちした。
「奴が一晩かかっても、なんの手がかりもつかめなかったんだ。だが、見る目が変われば、なにかでるかもしれない。奴ほどの情報網は持っていないが、俺は暴力団関係と過去に関わった事件を調べる。おまえは親父さんを通して警察などでなにか動きがないか、あたってくれ」
すぐに夢乃はうなずく。
そこでようやく、わたしも気がついた。
――なぁんだ。
あんなことを言いながら、やっぱり京一郎も、そっちの方面を疑っているんだ。
ジプシーが少しでも楽になるように、あんなふうに言ったのかな。
で、わたしは、なにすればいいのかな?






