第5話 ジプシー
「彼女は、転入生の宝龍紫織さん」
俺と彼女のあいだに流れる微妙な空気に気づかない夢乃は、俺のほうへ顔を向け、担任から聞いてきたらしい紹介の言葉を口にする。
「ホームルームがはじまるまで、案内ができるところをしておいてって担任に頼まれたの」
次に夢乃は、転入生のほうへと優雅な動作で振り向き、笑みを浮かべた。
「で、こちらは、あなたを職員室まで迎えにいくのをすっかり忘れた、このクラスの委員長の江沼聡くんよ」
「また過ぎたことを」
少し情けなさそうな声を、わざとパフォーマンス的に発しつつ、俺はあえて彼女の視線から目をそらなさなかった。
俺と夢乃が交わす言葉のやりとりを聞いているあいだも、転入生は俺の顔を見つめてくる。
そして、俺は、彼女の表情の変化に気がついた。
最初は驚いたような表情を浮かべていたが、しだいに目つきが険しくなる。
最後のほうではギラつくほどの威力はないにしても、挑むような眼光をその瞳に宿していた。
話し続ける夢乃の言葉を聞きながら、俺はすばやく頭のなかでもう一度、この転入生に関するキーワードをチェックする。
しかし、やはり俺の記憶のなかで、思い当たる人物は該当しなかった。
「ああ、学校を案内する時間がなくなっちゃうわ」
区切りのよいところで、夢乃のほうから話を切ってきた。
転入生の瞳を見つめたまま、俺は、夢乃へ問いかける。
「これから校内をまわるのか?」
「そうよ、早いほうがいいでしょう? そうそう、あなたの席はわたしの隣でいいかしら? 新しい机を教室まで運んできているのよ」
「ええ、お願いします」
夢乃が彼女へ声をかけると、うなずいた転入生の視線が俺からはずされる。
教室の一番後ろまで運ばれてきていた机のほうへ転入生が顔を向けた、そのタイミングを狙って……。
うつむきながら俺は、そっと夢乃の耳朶に唇を寄せてささやいた。
「調べろ」
一瞬、夢乃は顔を動かさずに目だけを俺に向ける。
そして、応えるように軽くまばたきをした。
すぐに夢乃は、何事もなかったかのように、机のほうへ向かった転入生のあとを追って、するりと俺のそばから離れていく。
彼女たちの後ろ姿に目がついていきそうになった俺は、かけていた眼鏡のブリッジを左手の中指で軽く押さえ、そのまま先ほどと同じように、顔を窓の外へと向けた。
普段からポーカーフェイスを貫いている俺だ。
非日常的なモードに入ったときは、感情を切り離して行動することができる自信がある。
しかし、不意打ちを食らって気持ちを乱されたり、不満や怒りを覚えたりすると、まだまだ感情を制御できず表面にだしてしまう未熟な部分があった。
いま、転入生の後ろ姿へ視線を向ければ、間違いなく俺も、たったいま彼女が見せたような挑む眼差しになってしまう気がする。
窓の外では、変わらず抜けるような青空が広がっていた。