第41話 ほーりゅう
最初に男に捕まったときに、わたしが思ったこと。
それは「やばい! ミスった! 絶対ジプシーに怒られる!」だった。
本当のことをいえば、突きつけられたナイフが視界に入っても、わたしはパニックになるほどの恐怖感がなかった。
あとでジプシーに怒鳴られるほうが怖いくらいだ。
なぜなら、わたしを捕まえている男の見ている先は、常にジプシーだったからだ。
だから、わたしに全然注意を払っていない男の腕に噛みついて、逃げだそうかとも考えたくらいだった。
けれど、失敗するのも嫌だし、なによりジプシーに「また勝手によけいなことをする」と、もっと怒られるかもしれない。
そこまで考えたうえで、わたしはおとなしく、されるがままに人質となっていた。
小さいころからの経験上、この状態のままでは、わたしのなかに危機感があまりないので、わたしの超能力と呼べるものは、なかなかでてこないだろう。
以前、京一郎に向けて力を爆発させちゃったときには、単純に彼が怖かったから。
ジプシーの前で力を爆発させたときも、彼が明らかにわたしへ一発入れてやろうと近づいてきたから。
もっとも、ジプシーにぶつけるつもりで放った力は、わたしの思惑通り、周囲の壁を軒並み破壊した。
壁を破壊するために、あえてジプシーを狙うだなんて、わたしって頭がいい!
なんて自画自賛は置いといて。
その危機感が、いまはまったくないのだ。
う~ん、困った。
自分のなかの力をあてにしようにも、どうしようもない状態。
ジプシー、助けてくれないかな。
京一郎も夢乃も、助けてくれ……る状況じゃないよなぁ。
けれど。
――こうやって真正面からじっくり眺めてみると、本当にジプシーって女装が似合うよなぁ。
舞台のジュリエット役に、彼を選んで当たりだったなぁ。
いやいや、この状況でこんなことを考えているだなんてバレたら、あとでまた、なんて言われるか……。
自重、自重。
ということをつらつらと考えていた、そのとき。
ジプシーが、わたしに向かって口を開いた。
「――ほーりゅう」
やばい。
いまの状況で、まったく違うことを考えていたってバレたら大変だ。
わたしは慌てて顔をあげ、意識を集中して彼の顔を見る。
すると。
いつもの無表情に輪をかけて、恐ろしいほどの冷たい眼。
――絶対怒ってる!
あ~ん、怖いよぅ!
ジプシーは、あげていた両手をゆっくりとおろすと、怯えた目をしているわたしに向かって言葉を続けた。
「ほーりゅう、おまえは俺の仲間になると言ったときに、自分の身は自分で守ると言ったよな」
言った。
たしかに言った。
言いました!
だって、そう言わないと、あの場では、とりあえず仲間に潜りこめないかもって思ったんだもの。
本当に、自分自身も守れるかなぁとは思ったし。
たとえ、いまのこの状況でもでてこない、制御不能な超能力でもさ。
「なにをごちゃごちゃ言っている? ――そこのドレスのお嬢さま、手を勝手におろすんじゃねぇ! もう一度、手をあげろ! この女は、脱出までの人質としてこのまま連れていく。おまえらはそのまま動くなよ」
わたしを捕まえている男はそう叫ぶと、正面に立つジプシーを睨みつけながら、廊下を少しずつ移動しはじめた。
そんな男と引きずられていくわたしの様子を眺めたまま、ゆっくりジプシーが、自分の胸もとで両手のひらを組んだ。
――拝むの?
「待て」っていう懇願のため?
なんてバカなことを考えたら。
彼が指を絡めた手のなかに、先ほどわたしが屋上でもらい損ねたものが握られていた。
「オン」
――なぁに?
まさか……?
わたしは、続けて真言を口にするジプシーを、唖然と見続ける。
彼が言葉を言い終わった瞬間。
ジプシーと夢乃、京一郎を頂点とする三カ所で、ぐにゃりと空間がゆがんだ。
同時に、三人の持っているものが共鳴する音が低く響く。
そして。
「きゃあああっ!」
思わずわたしは叫んでいた。
身体中に激痛が走る。
それはまるで、足もとから膨大な電流が身体を貫き、突き抜ける感じで……。
「うわぁぁぁっ!」
わたしを捕まえていた男も、同じような目に遭っているらしい。
わたしを突き飛ばして電流から逃れようと、両手を振りまわす。
自由になったわたしは、悲鳴をあげながらよろめいて廊下に膝をついた。
そして、なおも続く痛みに耐えかねて、ついに、わたしの内側のなにかが振り切った。
お腹の底に響くような爆発音とともに、頭を抱えて座りこんだわたしの周りで、爆風が吹き荒れた。
もちろん、力の制御なんてきかない。
連続してガラスの割れる音が、廊下に響く。
でもそれは、――時間にすれば、ほんの短い時間の出来事だった。
身体を貫く電流の感覚がなくなると、わたしは床に両手をついて、ためていた息を大きく吐く。
そして、顔をあげたわたしが見たものは……。
台風が通り過ぎたような廊下の窓の残骸。
そして、その開いた空間から爆風に煽られて空中へと押しだされ、四階の高さから落下していこうとする男の姿だった。






