第269話 京一郎
「あの~。まだわたし、黙ってなきゃだめ?」
「だめ!」
口を開きかけたほーりゅうのほうを見もせずに、俺はぴしりと言った。
「おまえの言いたいことは、俺があとで聞いてやる」
とりあえず物事を保留のまま、ジプシーが目覚めるまで時間がかせげそうなときに、ほーりゅうの余計なひと言で、違う展開にしたくないと思っただけだ。
ふくれっ面のまま、それでもほーりゅうは黙りこんだ。
すると今度は、当の本人であるジプシーがいないこの話し合いで、これ以上の進展を望めないと考えたらしいア=マラが口を開いた。
視線は、ほーりゅうへ向けられている。
「わたくしの任務は、巫女をヴェナスカの地へ連れ帰ること。あの者が目覚めれば、間違いなく我々と戻っていただけるのですね。リ=アラさま」
「ア=マラ、なにもいま確認をしなくとも、この場へくる前に彼女はそう言ったではないか」
ほーりゅうが答える前に、ハイ・プリーストが口を挟み、ア=マラに凄い眼で睨みつけられた。
「ハイ・プリースト、ただでさえ時間が押し迫っているのです。これ以上予定を狂わされたら、異世界の門を開くわたくしどもにも負担がかかるのです」
「いや、しかし。――あの者の目が覚め、話し合いの結果によっては、我々と共に戻ることになる。そうなれば、このたびの巫女の復活を迫られる期限は、確実に伸びるのでは」
「その場合でも、あの者を成人の儀までに送り届けて神官に面通しすることを考えれば、時間はありません。ハイ・プリーストは楽観視過ぎます」
「面通しって。事件の容疑者でもねぇのに」
「部外者は黙りなさい!」
自分の上司にあたるであろうハイ・プリーストへのア=マラの強い物言いに、うっかりつぶやいた俺だが。
恐ろしい形相と突き刺す視線を向けられ、口を閉ざす。
お怒りの美人は、おっかねぇな。
「とにかく、巫女に戻ってもらう以外に、早急に解決せねばならぬ件に対しては、もうひとつの選択肢ができたわけだ。我々も彼の目覚めを待ち、話し合いを持つことにする」
ア=マラの態度に慣れているのか、ハイ・プリーストは困った表情を浮かべながらも、そう告げた。
文句を口にするア=マラも、上の決定事項には不本意ながらも従うしかないようだ。
身体中から納得できませんというオーラを出しつつも、わかりましたと無表情で返した。
まだふたりで話し合うといったハイ・プリーストたちを残し、応接室から出た俺とほーりゅうは、ジプシーのもとへ向かうために来た道を戻る。
下の階へおりるボタンを押し、エレベーターの前で待っていると、後ろからほーりゅうが声をかけてきた。
「京一郎ったら、ずるい」
「なんだ? いきなり。なにが?」
俺は振り返り、ほおをふくらませたほーりゅうを見下ろした。
「ジプシーの家庭の事情、知っていたくせに内緒にしていてさ。わたしに全然教えてくれなかったじゃん」
「――なんでもかんでも話すわけにはいかねぇんだよ。個人事情ってもんがある。おまえだって、自分の秘密をなんでも俺に話しているわけじゃねぇだろ?」
「話しているもん!」
「――悪かった。そうだよな。おまえは秘密なんてもんが、ねぇもんな。秘密どころか恥じらいもなさそうだ」
「ちょっと! そこまでひどくないもん!」
ますますむくれて、さっさとエレベーターへ乗りこんだほーりゅうのあとを、俺は笑いながらついていった。
俺は、ほーりゅうまで調子が狂っていたらどうしようかと考えていたが、この様子をみる限り大丈夫のような気がして、心底ほっとした。
一階へ着いたほーりゅうと俺が救急搬送室のほうへ向かって廊下を歩いていると、夏樹さんが途中まで迎えに来てくれていた。
「胸部や頚椎・四肢の写真も撮りました。私もひと通り見ましたが大丈夫。問題はないです。呼吸と循環状態は現在安定していて、ほかにも即座に命を脅かす外傷は見当たらないそうです。――ただ」
言いよどんだ夏樹さんに、ほーりゅうは心配そうな表情を見せた。
そして俺も、夏樹さんの次の言葉を、緊張しながら待つ。
「ただ、彼は最近ろくに食事も摂らない上に寝不足だったのかなと。意識が戻らないというより、私には睡眠不足のための熟睡に見えましたよ」
俺は一気に脱力する。
夏樹さんも人が悪い。
安堵した俺の様子を見ながら、微笑んだ夏樹さんは続けた。
「たぶん、彼も考えることが多すぎて、いっぱいいっぱいなんでしょうね」
そういえば、夏樹さんは前にジプシーへ、完璧主義がゆがみを起こす前に肩の力を抜けと言っていた。
奴は妙に真面目に考えすぎるところがある。
今回の出来事も、奴の今後に良い影響を与えれば良いが、そんなに簡単に変わらねぇだろうな。
夏樹さんが俺たちを案内するように、前に立って歩きだした。
「この病院では一般病室でも二十四時間のモニタリングができる設備が整っているので、さきほどICUではなく個室へ移りましたよ」
今度は別の階段をあがり、延びる廊下の途中にある病室の前で立ち止まった。
そして、夏樹さんの小さなノックのあと、内側から夢乃が、扉を音もなく滑らすように開けた。






