第268話 京一郎
「奴の母親を、アンタは知っているのか? 奴が崖から落ちる寸前、そのことにアンタは気付いた顔をしただろう?」
眉間にしわを寄せて、眼を閉じて考えこんだハイ・プリーストは、俺の言葉にゆっくりとうなずいた。
隣でなにか言いたげな表情をしたほーりゅうを、俺は視線で押さえこむ。
慌ててほーりゅうは、自分の口にチャックをするマネをした。
ハイ・プリーストが、おもむろに口を開いた。
「まず、彼が本当に私の思う人物の息子だと仮定しての話だが。彼の母となる第一王女は、護衛をつけず、頻繁に城を抜け出しては、ひとりであちらこちらへ顔を出していた。怖いもの知らずで、我がヴェナスカの地へも躊躇なく入ってきていたので、何度私が咎めたことか。――いまから二十年ほど前の話になるかな」
このハイ・プリーストの言葉を聞いたとき、俺はふと思い当たる。
図書館で我龍から、俺はふたりの立場と同時に、我龍だけではなくジプシーの母親も、この俺たちがいる世界ではなくハイ・プリーストたちがいる世界の人間だと聞いた。
そして、用事がある上にヴェナスカディアの人間と会いたくないから、我龍は、ジプシーではなく俺にあいだに立ってくれと言った。
――ひとつの可能性だが。
我龍寄りの考え方になるのだが。
もしかしたら、このハイ・プリーストとジプシーが会えば、ジプシーの素性が早々にばれてしまうのがわかったからではないだろうか。
だから、わざとジプシーにひどい言葉を使ってこの件から手を引かせ、できるだけハイ・プリーストに顔を合わさないように仕向けたのではないだろうか。
ジプシーは、母親似だという話だ。
十七年の時を浦島太郎さながらに超えてきたハイ・プリーストが、ジプシーの母親を直接見知っている可能性を、我龍は考えたのではなかろうか。
事実、いまハイ・プリーストは、奴の母親と会ったことがあるらしい言い方をしている。
もし、ジプシーが、今後も母親一族との関係を絶っていくつもりだったら、こちらの現在位置を知られるわけにはいかない。
ハイ・プリーストに会わないほうがいいに決まっている。
俺の印象では、ジプシーのことをひそかに気にかけている我龍が考えそうなことだ。
だが、もうジプシーは顔を見られた上に、ピンポイントで素性がばれている。
下手なごまかしは、こちらの信用もなくす可能性がある。
俺は、ハイ・プリーストの話を聞きながら考えた。
ハイ・プリーストの話が終わったとき、俺はどう対応すればいいのだろう。
「第一王女は、十五歳で成人の儀を迎えた。彼女の国では、王族の成人の儀には身元証明のために、国の神官と本人だけが知る護身のものをつくり持ち歩く風習がある。大抵は短剣だと聞くが、彼女はちょうどそのころ、わがヴェナスカディア一族の石を入れる、こちらの言葉で言えばロザリオのレプリカを作らせたと聞いた。通常なにをどのような形で作らせたかは、神官と本人しか知らぬことなのだが、ものが我が一族と無関係ではなかったゆえ、我々にもその噂が聞こえてきた。そして、出来上がったそれを神官から手渡されたとたんに、第一王女は城を出た。そのまま駆け落ちだ」
「――両親の駆け落ちの話は、ジプシーから直接聞いたことがある。たしかに、そちらのいうところの成人の儀のあとくらいのタイミングだった気がする」
ハイ・プリーストが確信を持って話を進められるように、俺は相槌を打った。
思ったとおり、ハイ・プリーストもうなずきながら、ため息まじりに続ける。
「そうか。話は合っているのだな。――その相手は異国の男で、私にしか視えない鳥が現れたころ、その国にやってきた。その当時に神殿で、上空を舞う見知らぬ鳥が視えるや視えないやの話を他の者としたから、はっきりと覚えている。そう、まさしく、先ほど崖の上で飛んでいた、あの鳥だ。――つまりは、異国の男ではなく、その鳥を従えた異世界の男だったわけだな」
「ジプシーの父親も屈指の陰陽師だったらしいからな。――アンタは知らないかもしれないが、そんな術を使える陰陽師って職業が、こちらにあるんだよ。奴の父親は限りなく直系に近かったはずだし、当然式神を使役していただろう。血の繋がった親子なら、似た式神を召喚するか受け継ぐ可能性は大きいよな」
「第一王女が出たあとの国は大騒ぎになったが、幸いなことに国王は健在だし妹がいた。二年のちに、第二王女が成人の儀を迎え、その後に滞りなくすぐに結婚。さらに二年のちに娘をひとり出産した。だが、その第二王女も、娘を残して三年程前に病気で亡くなっている。病で臥せっている現国王と、もうじき成人の儀を迎える第二王女の娘が、その国では現在の王族の柱となっている」
ほーりゅうが、頭の中がこんがらがっている表情を浮かべている。
その隣で俺は、胸の内で年齢の計算を素早く行い、矛盾がないか確認した。
ジプシーの母親がいくつで奴を生んだかは聞いていないが、おそらく間違いはないだろう。
奴の十五歳になる従姉妹が、第二王女の娘に当たるはずだ。
俺は、いったん言葉を切ったハイ・プリーストに向かって言った。
「アンタの言っている第一王女は奴の母親だ。奴は確かに、青い石の入った母親の形見のロザリオを、肌身離さずに持っている」
「顔立ちも似ており、年齢も合っている。ロザリオまで揃えば、おそらく間違いがない。ならば……」
「ちょっと待て!」
俺は、名案が浮かんだような顔をしたハイ・プリーストの言葉を邪魔するように、声をあげた。
先に言うべきことがある。
これは奴の意思だ。
ここで伝えるべきだ。
「こちらからの奴の情報だ! ――昨日までの奴は、王位継承を放棄する気でいた」
俺の言葉に、ハイ・プリーストは眼を見開いて絶句した。
もしかしたら、忘れ形見の状態のジプシーが、自分が王位継承権を持っていることすら知らない可能性を考えていたのだろう。
そして、本人がすでに王位継承を放棄する意思を持っているなどと思っていなかったのだ。
「だから勝手に、アンタが奴を連れて帰る計画を立てるなよ。母親の形見を持っている奴を神官の前へ連れて行けば、アンタのところへ持ちこまれた奴の国の王位継承問題が解決できると考えたんだろう? その話は、奴が目覚めた後に、直接本人と話をしろ」
俺は、キッとハイ・プリーストを睨みつけて言い放った。
「――今朝、奴はほーりゅうを止める気になった。それは、いままで過去と係わりたくなかった奴が、ようやく自分で母親の一族と向き合う気になったってことなんだ。部外者が勝手に余計な手出しをするな!」
俺の言葉に、どうやら図星だったハイ・プリーストは額に片手をやると、大きなため息をついてソファの背にもたれた。






