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キスメット 【第7章まで完結】  作者: くにざゎゆぅ
【第七章】巫女編 『ヴェナスカディアの巫女』
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第239話 ほーりゅう

 朝から天気が悪かった。

 空は、いまにも雨が降りそうな重たくて黒い雲で覆われている。

 これは眼に見えるから、気のせいなんかじゃない。


 わたしを包む異質な空気は、わたしだけが感じているのだろうか。

 夢から戻ってきた全員が感じているのだろうか。

 でも、この一週間ほど、誰も言いださないところをみると、これは、わたしひとりだけが感じているだけなのかもしれない。


 いまのところ、危険が伴っているわけじゃない。

 数日前に一度、ジプシーや京一郎と一緒にいるときに尾行らしきものをされたけれど、すぐにいなくなって害はなかった。

 あの出来事と、わたしの感じている違和感は、関係がないよね。


 今日もジプシーは、いつものように早めに迎えにきた。

 そして、すでに朝の日課となっているため、座ったわたしの後ろへ回ると、丁寧に櫛を通して手慣れたように、わたしの髪を編み込んでいく。

 ジプシーが無表情で黙ったままでも、髪を触られることが好きなわたしは、この時間は楽しい時間だった。

 でも、今日のわたしは、そのあいだじゅう、言おうか言うまいか迷っていた。

 けれど、実害がないし心配させるだけだから、中途半端に相談しなくてもいいよね。


 そんなことを考えていると、ふと、わたしの髪を編んでいたジプシーの手が止まった。


「――おまえ、なにか言いたいこと、あるのか?」


 鋭い。


「――なんで?」

「おとなしすぎる」

「そんなこと、あるわけないでしょ!」


 ごまかすために、わたしは語尾が荒くなった。

 不思議に思ったんだろうけれど、ジプシーはそれ以上、なにも言わない。

 相変わらずの無表情なので、わたしもジプシーがなにを考えているのかわからない。


 日増しに不安感が高まってきている。

 今日は特に、きっと、この天気の悪さが気持ちを塞がせているんだ。




 試験が終わっているから、そのあとの平日の授業は、終業式まで午前中だけになる。

 しかも明日は三年生の卒業式のため、今日は予行練習があり、登校したけれども一、二年の授業はなかった。

 それを見越していたのか、朝から京一郎の姿はなかった。


 さっそくいくつか学年末考査の答案が返ってくる。

 どれもが前回より点数が上がっていた。

 この調子なら追試はないだろうなとほっとする。


 さすが。

 スパルタで叩きこんでくれたジプシー様々だよね。


「ほーりゅう、ごめん。このあと、夏樹さんと約束しているのよ」


 帰り仕度をするころになると、こっそり耳打ちするように夢乃がささやいてきた。

 スピーカーの明子ちゃんに、夏樹さんとの付き合いがバレていない夢乃は、すごいと思う。

 わたしのように、あからさまに態度に変化がないせいなのだろうか。

 常に明子ちゃんから突っ込まれるわたしって、そんなに顔に出ているのかなぁ。


「大丈夫。わたしのことは気にしないで、楽しんでおいでよ」


 わたしはそう言って手を振り、廊下で夢乃と別れた。

 ぼんやりと夢乃の後ろ姿を眺めていると、いきなり後頭部に、なにかがぶつかってきた。


「なにすんのよ。痛いなぁ!」


 大げさに頭をおさえて、持っていたカバンを軽くぶつけてきたジプシーを振り返る。

 口ではそう言いながらも、朝から気持ちが不安定でひとりになりたくなかったわたしは、ほっとして、いつものジプシーのポーカーフェイスを笑顔で見た。


「俺は、いまから委員会。明日の卒業式のための手伝いに駆り出されている。おまえは気をつけて帰れ」


 そう言って、さっさとひとり、わたしの前を歩きだしたジプシー。

 とっさにわたしは、後ろからジプシーの制服の上着をつかんでいた。




「なに?」


 足を止めて振り返り、珍しく驚いた表情を浮かべて、ジプシーがわたしの顔を覗きこんだ。

 わたしは、ついジプシーの服をつかんでしまったけれど、うまく理由を説明できない。

 ただ、言い表せない不安がわきあがるだけだ。


「公衆の面前で彼女と見つめ合うとは。いい度胸だな、江沼」


 後ろから突然、わたしの耳もとで生徒会長の声がした。

 心臓が飛び出るほどびっくりしたわたしは、思いっきり悲鳴をあげる。

 瞬間にジプシーの手のひらで口をふさがれた。


「驚き過ぎ」


 片手で口をふさぐついでに抱きすくめられたわたしは、今度は別の声をあげたくてもできない。


「一体貴様らは、ここでなにをしているのだ?」


 わたしの大声に耳をふさぎ、明らかに迷惑そうな顔をした会長を無視して、ジプシーは、おとなしくなったわたしの口から、ゆっくり手を離しながら聞いてきた。


「どうした? なにか心配事があるのか?」


 慌ててわたしは、フルフルと頭を横に振った。

 本当に、なにもまだ起こっていない。


 そんなわたしの表情を一瞥した会長が言った。


「なんだ、彼女の心配事は江沼の身か。確かに私はいつも江沼にちょっかいを出しているが、仕事の場や皆の前で、喧嘩なぞ吹っ掛けないぞ。そんな大人気ない」


 心外だと言わんばかりに不服そうな会長の言葉を聞いたジプシーは、わたしに向き直った。


「俺のことは大丈夫だ。それともなにか、――俺とは違う感覚で、おまえの中に予感めいたものがあるのか? 心配なら俺が見えるところで待っていてもいいが、俺の身になにか悪いことが起こる気がするなら、逆におまえは俺から離れていたほうがいい。おとなしく家に帰って待っていろ。用事が終わったら必ず連絡をするから」


 そう言って、わたしの背に回していた手に力がこもった。

 ジプシーが、真剣に心配してくれているのがわかる。


 ただのわたしの胸騒ぎってだけで、ジプシーや会長に迷惑をかけられない。

 それにわたしの不安は、たぶんわたし自身に対してだ。

 そうなると、ジプシーを巻き込まないためにも、わたしがそばにいないほうがいい。


 わたしは、ゆっくりジプシーから離れた。

 そして二人に向き直り、満面の笑顔を向ける。


「ごめんね。気のせいだから大丈夫。なんでもない。今日はわたしの叔母が休みで家にいるし、まっすぐこのまま帰るよ。心配しないで二人とも委員会に行ってよね」


 そして、わたしは背を向けて歩き出す。

 ジプシーの視線を感じて、ついわたしは小走りになった。


「こら! 廊下を堂々と走るな!」


 会長の声が追いかけてくるように聞こえたけれど。


 きっとジプシーは、用事が終わったらすぐに電話をくれる気がする。

 だから、寄り道をせずに、まっすぐ家に帰ろう。

 仕事が休みの叔母さんが待っているのも事実だから。


 わたしは校舎から、いまにも崩れ落ちそうな空の下へ走りでた。



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