第231話 ほーりゅう
「やっぱり、試験勉強は、夢乃の家でするほうがいいなあ」
わたしは、教科書をかばんに入れ、帰り仕度をしながら言った。
明日から始まる学年末テストの勉強で、この三日間、頭に詰められるだけ詰めこんだ。
ちょっと衝撃を与えたら、公式や単語が、耳からポロポロこぼれ落ちそう。
「昨日と一昨日、ジプシーがわたしの家に来て教えてくれたけれど。確かに教え方はうまくても、いままでにないくらいスパルタだったのよ!」
「そりゃ、今回おまえの順位が落ちたら、職員室で俺が何を言われるか」
何をいまさらとばかりに、ジプシーは当たり前のように返してくる。
でも、勉強ばっかり。
夢乃の家で試験勉強をしたら、京一郎も夢乃もいるから、もう少し冗談も出て和やかなんだけれど。
わたしの家でジプシーとふたりっきりで勉強だなんて、厳しい教師の前にずっといる感じで気が抜けないし、美味しいものも出てこない。
さすがに三日目は頼みこんで、夢乃の家で勉強をさせてもらった。
ついでに、三時の美味しいおやつと豪華な夕食付。
そして、あまり遅くならないうちにと、わたしと京一郎は帰る準備をしていたところだった。
「それじゃあ、明日学校でね!」
門のところまで、夢乃とジプシーが見送りに出てくる。
すっかり日も暮れて、住宅地の通りは人の気配もなく、とても静かだ。
京一郎が遠回りをして、わたしを家まで送ってくれることになっていた。
わたしは二人に手を振って、京一郎と歩き出そうとした、そのとき。
急に後ろからジプシーが、わたしの右手首をつかんだ。
「え? なに?」
振り返って、つかまれた手首と、いつもながら感情が読み取れないジプシーの顔を交互に見つめる。
数秒後、京一郎がこの場にいる皆に、聞こえるかどうかの小さな声で言った。
「――ふたり」
「だな」
同じく小さな声でジプシーが、すぐに京一郎へ言葉を返した。
なにが起こったのかわからず、わたしは怪訝な表情を、男ふたりに向けた。
「夢乃、俺も一緒にほーりゅうを送ってくる。おまえはこのまま家へ入れ」
ジプシーの言葉に、夢乃はなにかを感じたのだろう。
黙って頷き、わたしにもう一度手を振ってから、玄関へ向かう。
夢乃が家の中から鍵をかけたのを確認してから、ジプシーはわたしの手を離し、京一郎と頷きあって歩き出した。
「――なに? なにかいま、夢乃に聞かせられないような、都合の悪いことでも起こったの?」
わたしは、京一郎とジプシーのあいだに挟まれる位置で歩いていく。
ジプシーは、まったく答える気がなさそうだったので、わたしは視線を横の京一郎へ向けて聞いた。
京一郎はわたしを見ずに、周囲に視線を走らせながら答えてくれた。
「えっと。――本当は、おまえにも言いたくないが、自分で身を護ってもらう可能性が出てくるから仕方なく言うとね。殺気ではないが、監視をするような視線を感じたんだ。ちょうど俺らが帰ろうとしたくらいから」
京一郎の言葉を聞いて、わたしは急に緊張する。
でも、それって殺気じゃないんだ。
おもわず辺りを見回しそうになって、わたしはジプシーに頭をガシッとつかまれた。
「すぐ態度に出すな」
「だって、気になる……」
ジプシーが無表情のまま、わたしをひと睨みした。
たちまち、わたしは黙りこむ。
付き合いが長くなってきて気心が知れてきても、やはりこんなときの、殺気全開のジプシーは怖い。
ジプシーこそ、殺気をおさえる練習をしたほうが、いいんじゃないの?
わたしたちの様子がわかったらしく、京一郎が苦笑いを浮かべながら続けた。
「夢乃が家に入って、俺たちが歩きはじめたら、その視線は俺たちについてきている。俺たち三人のうちの誰かが目的だろうな。ほーりゅうが敵の目的だとは思わないが、絶対に違うとも言えないし、用心するに越したことはない」
丁寧に説明してくれる京一郎へ、今度はジプシーが、声を落として聞いた。
「京一郎、敵の心当たりは?」
「俺? 襲われる心当たりがあり過ぎて、さっぱり見当がつかねぇ。おまえは?」
「同じく」
まったく、この男どもは!
頼りにはなるけれど、それ以上に他人を巻きこむことも、ちょっと多過ぎるんじゃない?
前を見て視線を交えず、歩きながら男ふたりの相談は続く。
わたしの意見を聞く気はないらしい。
まあ、わたしに特別な案もないけれどさ。
「敵が殺気のないふたりってのは確かだ。ほーりゅうのマンション前で、俺ら二手に分かれるか。ジプシー、おまえはほーりゅうを部屋まで送れよ。俺はそのまま自分ちへ向かう。もし俺が襲われても、二人くらいなら素手でも大丈夫。捕まえられる」
「拳銃などを持つ輩なら、どちらかというと京一郎ではなく俺狙いだろうしな。じゃあ、それで」
勝手に決めて。
もし、敵がジプシー狙いだったら、わたしが巻き添えになっちゃうってことじゃないの?
まもなく着いたわたしのマンション前で、京一郎と別れた。
予定通り、わたしは二階の部屋へと帰ると、一緒に入ってきたジプシーは、まっすぐベランダへ向かい、外の様子をうかがった。
すぐに、京一郎からジプシーの携帯へ連絡がくる。
言葉を少し交わしたジプシーは、携帯を切ったあとにわたしへ向き直り、考える顔になりながら口を開いた。
「京一郎のほうへは、ついて行かなかったらしい。こちらも今は気配がない。このマンションの前で尾行が消えた。どう考えるべきかな……」
「でも、もう狙われることがないんでしょ? ――なら大丈夫じゃない? しっかり家の中から鍵も掛けるし」
わたしはそう言いながら、本当は、言い表せない不安を感じていた。
なんだろう。
少し前は、眠るときに変な夢をみたりしたけれど。
今は、その夢の中の変な空気が、この現実の世界へ入りこんできているような、妙な感覚。
でも、根拠のない心配だから、誰にも言わない。
それでも、わたしの、その間に気がついたのだろう。
わたしの表情を見つめていたジプシーが言った。
「――心配なら、今夜は俺がここに泊まるか」
「なんでそうなるかなぁ!」
心配してくれているのはわかるけれど。
簡単に男の子を泊められるわけないじゃない!
我ながら、ひどい仕打ちだと思いながらも、部屋から追い出すように、わたしはジプシーを玄関の外へ押し出した。






